表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/14

第九章  初めての護衛依頼

 本部の試験を無事に突破して二週間後。なんと、冒険者ギルド本部はリョウとサーヤの実績を考慮してEランク昇格を決めた。冒険者登録は支部の判断を認めたという形になっている為、実質は冒険者として登録されて二か月程度での昇格である。これは十分過ぎる早さでの昇格となったが、なんと更にDランク昇格の試験を受ける権利を得た。これについては何故か冒険者ギルド本部で行うというので、とりあえず後回しにしている。


 なにせ、まだ冒険者になったばかりだ。あまり焦って高ランクを目指す必要もないだろう。むしろ、様々な依頼をこなして冒険者として必要な知識と経験を蓄積すべきだと判断した。


「……無理はしないように」


「はいよ」


 ほとんど毎日リョウとサーヤに付き合って冒険者として活動をしていたのだが、この日はイリヤが不参加となった。まぁ、来客がある以上仕方がない。


 イリヤも同様だが、獣人は同郷の者との繋がりを大切にしている。多い時は月に一度ほどイリヤを訪ねて来る者がいる。そんな来客を、イリヤは必ず受け入れた。ちなみに、最初は自分もいた方が良いかと同席していたのだが、同郷の者同士の方が話が弾むらしい。そういった経緯もあり、いつも飲み物と軽食を用意して席を外すのだが、今回はそれがリョウ達との冒険者活動になったのだ。


 リョウとサーヤが不安に思うかと思ったが、イリヤがおらず三人で行くというのはまた違った高揚感があるらしい。特にリョウは剣を手にいつも以上に周囲を警戒していた。


「さんにんだから、きをつけないと! サーヤ!」


「う、うん! わかった!」


 二人は何故か街中を歩く間も興奮した様子で周囲を見回しながら進んだ。しかし、向かうところはいつも行く冒険者ギルドだ。緊張することはない。


「ほら、目的地に着く前に体力が尽きるぞ。大人しく付いておいで」


「はい!」


「わかりました!」


 調子に乗ったリョウとサーヤは多少の注意も真剣に聞かずに適当な返事をする。これはどこかで気持ちを引き締めさせないと危ないかもしれない。そんなことを思いつつ冒険者ギルドに行き、掲示板を確認した。あまり依頼がなく、二人の勉強になりそうなものも見当たらない。


「ちょうど良いものがないな」


 そう呟いて掲示板を眺めていると、リョウとサーヤが服の裾を掴んで引っ張った。


「おおきなまじゅう、たおす?」


「トロールがいい」


 そんなことを言う二人。それに苦笑しながらどうしたものかと思っていると、不意に受付の方から声を掛けられた。


「レンさん!」


「ん?」


 振り向くと、受付嬢の一人がこちらに歩いてくる。手には何か持っているようだが、何か用事があるのだろうか。


「お願いです! 依頼を受けていただけませんか!?」


「……指名、じゃないよな?」


 受付嬢の勢いに若干押されつつそう尋ねると、受付嬢は顔の前で書状を拡げて顔を上げた。


「指名ではありませんが、報奨金は多めにさせていただきます! なにせ、依頼を受けられる冒険者がいないので!」


「……まさか、BランクかAランク相当の依頼か?」


 受付嬢は眉を八の字にして無言で頷く。


 その言葉に腕を組んで小さく唸る。


 多くの冒険者がいる支部であっても、高ランク冒険者は意外と少ない。現在、この冒険者ギルドの支部であってもAランク冒険者はおらず、Bランク冒険者のパーティーが二つ程度。恐らく、その二つのパーティーがどこかに行っているのだろう。依頼の内容次第では数日かかることもある。


 その内の一つのパーティーを最近見ていないことを思い出して口を開く。


「カクタス達はいないのか?」


 そう尋ねると、受付嬢が困ったように頷いた。


「カクタスさん達はもう三日間も一つの依頼にかかりっきりになっています。山岳地帯の調査依頼なのですが、こちらは街からの直接の依頼なので優先度が高くて……」


 と、申し訳なさそうに呟く。どうやら、資源に関するものか、街道の異変などでカクタス達は調査を行っているらしい。インフラに関することなどでトラブルがあった場合、高ランク冒険者は半ば強制的に依頼を受けなくてはならないこともあった。今回がそうなのかは分からないが、カクタス達は街からの依頼を受けて忙しいらしい。


「なら、この依頼も街からのものか?」


 そう尋ねると、受付嬢は首を左右に振る。


「い、いえ、それが……少し難しい護衛依頼で……」


 そう言って受付嬢は依頼書をこちらに手渡してきた。それを受け取り、確認する。


「……重要物資を運ぶ行商人一行の隣町への移動の護衛? いや、これはDランクの依頼だろう?」


 内容を見て眉根を寄せてそう尋ねるが、受付嬢は首を左右に振った。


「それが、カクタスさん達が受注している依頼の現場を通るルートなのです」


「大型魔獣でも?」


「は、はい。通常なら出現しない、真っ黒な大型狼の魔獣が現れたそうです。恐らく、黒鱗狼ロックスケイルウルフの亜種かと……」


 受付嬢はそう言って俯いた。これに成程と納得する。


 鱗狼スケイルウルフ系の魔獣は非常に素早く、並の剣では刃が通らないほど頑丈な鱗に覆われている。その上、鱗狼は基本的に群れで行動するのだ。下手をしたら数十頭に囲まれてミンチにされてしまう。


 そして、滅多に見ることのない黒鱗狼という中型の魔獣の更に亜種が出たという話らしい。通常の黒鱗狼は頭から尻尾までで体長五メートル近くなる。それが数十頭で迫ってきたら、下手をしたらAランクでもやられてしまうかもしれない。更に亜種で大型となると、体長十メートル近いサイズになる可能性もある。


「……それは、確かに皆も依頼を受けたくないだろうな。しかし、群れで襲われることを考えたらリョウとサーヤは連れていけないな」


 そう呟いて二人の頭を見下ろすと、受付嬢は「あ」と声を発した。


「あの、黒鱗狼の亜種はどうやら単体で移動しているらしく……それに、レン様ならばお一人でも十分に依頼を達成できると思います!」


 受付嬢はどこか興奮した様子でそんなことを言ってくる。それに苦笑しつつ、カウンターの方をそっと盗み見た。


「……メトロに、ギルドマスターに何か言われたか?」


 尋ねると、受付嬢は興奮した面持ちで胸の前に拳を作った。


「は、はい! レン様の素晴らしい実績は耳にしております! また、ギルドマスターからは知っている中で最高の冒険者である、と!」


 受付嬢からは手放しで絶賛されてしまった。それは素直に嬉しいことだが、あまり大袈裟に噂されても困る。口の前で人差し指を立てて余計なことは言わないようにとジェスチャーを送った。


「変に期待しないように……そもそも、休職して七年以上経っているんだから」


 そう告げると、受付嬢は激しく首を左右に振る。


「いえ! そんなことはありません! 出来ることなら、一緒に行ってその実力を拝見したいくらいですとも!」


 目を輝かせてそんなことを言う受付嬢に苦笑いを返していると、足元からリョウとサーヤの熱烈な視線を感じた。


「パパ、すごい!」


「いちばん!」


 二人が大興奮でそんなことを言う。それに笑いつつ、依頼について考えてみる。よほど強い個体なのだろう。群れで移動することが普通である鱗狼の種類の中で、亜種とはいえ単体で移動するとは、それだけの力を持っているということだ。


 護衛依頼は経験させておきたいと思っていたところである。それだけ強い個体が森に棲み付いたなら、他の中型以下の魔獣は姿を見せないかもしれない。魔獣の数が少ないなら丁度良い練習とも言える。


「……よし、それじゃあ受けてみようか。ああ、二人が危ないと判断したらすぐに撤退するが、依頼失敗時は何かペナルティはあるか?」


「いえ、ありません。ただ、必ず護衛対象の方も連れて戻ってもらいたいのですが……」


「それくらいなら大丈夫だ」


 そう告げると、受付嬢はパッと笑顔になって頷いた。


「ありがとうございます! 何か必要なものがあったら何なりとお申し付けください。それでは、護衛対象者を連れて参りますので、少々お待ちください」


 受付嬢は浮足立った様子でそう言うと、すぐに踵を返してどこかへ行った。それを見送ってから、リョウとサーヤに声を掛ける。


「二人とも、今から少し難しい依頼を受けようかと思っているんだが、大丈夫か?」


「だいじょうぶ!」


「うん!」


 二人の返事を聞き、頷く。


「内容は隣町までの護衛依頼だからな。三日間くらいかかるかもしれない。でも、とても良い勉強になるとは思う」


「みっかかん?」


「テントで寝たり、違う街で寝たりしてから帰ってくるってことかな」


 首を傾げる二人に簡単に説明すると、ハッとした顔になった。


「おとまり?」


「はじめてのおとまり!」


 二人は初めての護衛依頼と宿泊ありでの旅ということでテンションが高くなっている。しかし、流石にいきなり何日もかかる依頼は危ないだろうか。いや、しかし護衛依頼なら大半が数日から数週間の長期間となることが基本である。そう思うなら、やはり初めての護衛依頼として適した依頼かもしれない。


 そんなことを考えていると、奥からメトロが汗を拭いながら現れた。


「お、おはようございます」


「おはよう」


 挨拶を返すと、メトロはリョウ達をチラリと横目に見て、困ったような顔で口を開く。


「今聞いたところなのですが、護衛依頼を受けてくださるそうで……」


「無理ならすぐに引き返すけどな。危険な魔獣が一体だけなら何とかなるかと思って」


 そう答えると、メトロは難しい顔で唸る。


「依頼を受けていただけることは大変ありがたいのですが、リョウさんとサーヤさんが大丈夫かな、と……」


「まぁ、問題はそこだな。もし移動が遅れて夜営をすることになれば、夜は俺がずっと起きてないといけないし」


「いやいや、そこではなく……いえ、余計なお世話でしたね。報酬は目減りしますが、後一人か二人、誰かを雇ってはいかがでしょう? そうすれば、レンさんの負担が少しは減るかと……」


 メトロの提案に、成程と頷く。これまで護衛依頼を誰も受けなかったのは黒鱗狼の亜種が出没するからという理由だ。それなら、大型魔獣の相手を受け持つ者がいれば助力してくれる者もいるかもしれない。


「それは良い考えだな。気配察知能力に長けた人物がありがたいが、誰かいないだろうか」


「そうですね。ちょうど良い人物がおりますよ。声を掛けておきましょう」


 そう言って、メトロが足早にギルドから出て行った。


「さて、護衛依頼か……準備するものがたくさんあるな」


 受付嬢もギルドマスターもいなくなり、腕を組んでそう呟く。


「じゅんび?」


 サーヤからそう尋ねられて首肯しながら答えた。


「そうだな……まずは食料や野営道具もいるな。いや、行商人一行ならある程度は何とかなるか?」


 答えつつ頭を捻る。大体の物は魔術で収納したままだから問題ないが、何か足りないものもあるかもしれない。どうせならリョウとサーヤが楽しく冒険出来るように準備をしておきたいものだ。


 そう思って色々と旅のパターンを考えていたのだが、不意に冒険者ギルドの建物の扉を開けて、外から入って来る者が現れた。一人は受付嬢だ。そして、その後ろから現れたのはローブに身を包んだ五人の男女である。


 中心にいるのは頭一つ分小さな華奢な女である。見た感じで分かる通り、珍しい白い狐の獣人だ。耳が大きく、尻尾も隠せないほど大きい上にふさふさである。一部の国では獣人を奴隷にするところもあるが、狐の獣人はエルフと同様に高額となる為、身を潜めて生活する者も多いと聞く。


 そういった理由からか、五人の男女は皆頭にフードを被り、種族を隠そうとしているように見えた。だが、真ん中に立つ人物だけは白い狐の尻尾が隠せずにいた。というか、ローブの裾が短すぎるので意味が無いというべきか。


「レン様。この方々が護衛対象となります。人数はこちらの五名に加え、私兵五名の合わせて十名です。馬車は三台ですが、もし必要なら一台追加しても良いと言っていただけました。また、通常でしたら最低限の食料や消耗品は依頼者の負担となりますが、今回は多少であれば更に追加で準備してくださるそうです!」


 と、受付嬢は熱く語る。ギルドで働いていればこその熱弁だろう。これだけ融通を利かせてくれる依頼者はまずいない。そもそも、報酬を出し渋る依頼者も多いのだから、受付嬢の反応も当然だと言える。


 さて、その理由は何か……普通に考えたら、通常ではあり得ないような難度になってしまった護衛依頼を誰も受けてくれないからだろう。しかし、それだけとは思えない。


 そう思って五人の依頼者を眺めていると、狐の獣人の女は自らフードを脱いで顔を露出させた。白い髪、白い狐の耳、そして透き通るような白い肌。まるで雪の化身のようである。年齢は十代後半といったところか。白い狐獣人の少女は、こちらの目を見て笑顔で首を傾けた。


「私が依頼者のフィズ・フォールンです。本当ならもう王都まで移動しなくてはならないのですが、大きく遅れてしまっていて……」


 フィズと名乗り、女は現在の状況について語る。確かに、行商人ならば商機を逃すほどの大きな遅れだ。大赤字どころではなく、信用の失墜にもつながりかねない。


 だから、フィズの言葉に違和感はない。違和感はないが、どうにも引っかかる。


「……俺はレン・トウヤ。こっちが冒険者になりたてのリョウとサーヤ。子供も一緒だが、問題はないだろうか? もし不満であれば断ってもらって構わないが」


 そう言ってリョウとサーヤの頭に片手を乗せると、二人は真剣な目でフィズの顔を見上げた。その視線を受けて、フィズが自然な様子で微笑み、膝を折る。視線を下げて二人と目線を合わせると、フィズは笑顔で口を開いた。


「はい! お二人のことは聞いております。将来有望な冒険者だということ。それと、レンさんのこともです」


 リョウとサーヤに微笑みかけてから、こちらに目を向ける。


「俺か?」


 聞き返すと、フィズは目を細めた。


「はい……レン・トウヤ様。この街で、いえ、この国で最高位の冒険者の一人であり、竜討伐者の一人でもあると……っ! レン様が依頼を受けていただけるなら、全く問題ありません!」


 興奮した面持ちでそう言って立ち上がるフィズに、若干引きつつ頷く。


「そ、そうか……まぁ、問題がないなら良いさ」


 曖昧に笑いながらそう答えると、フィズは笑顔で頷いたのだった。





「彼女が、今売り出し中の冒険者、ディキ・ディキです」


「おす!」


 メトロが紹介すると、ディキと呼ばれた女が片手を横に伸ばして妙なポーズをとり、挨拶らしき掛け声を発した。晴天に近い美しい青色の髪の女だ。年齢は二十代半ばだろう。細いがメリハリのきいた体型をしており、そのボディラインを見せつけるようにぴっちりとした服。その上から軽そうな革を主とした鎧を着用している。武器は腰に付けた細身の曲剣のようだ。


「ディキ・ディキ! Cランク冒険者でソロ活動もしてるよ! ディッキーって呼んでね!」


 そう言って、ディキ改めディッキーが口をタコのような形にしてまた妙なポーズを決めた。テレビで見る子供向けの特撮ヒーローのような恰好で名乗るディッキーに、リョウとサーヤは目を輝かせて拍手喝采を送る。


「うわぁ、かっこいい!」


「すごい、すごい!」


 二人が大騒ぎしてディッキーは鼻高だかといった様子で腕を組んで胸を反らした。


「ふふふ、頑張ってお姉さんみたいになるんだ。子供達よ!」


「わーっ!」


「はーい!」


 と、ディッキーはリョウとサーヤを従えて盛り上がっている。ちょっと悔しい。


 半眼で盛り上がる三人を見ていると、メトロが苦笑しつつ口を開く。


「ちょっとお調子者といった側面もありますが、彼女は優秀な斥候技術を持つ冒険者です。それに、あの性格なのでリョウさんとサーヤさんともすぐに馴染めると思いますし……」


「ん? ああ、いや文句など無いさ。面倒見も良さそうだし」


 そう答えると、メトロが少し心配そうにこちらを見ていた。


「大丈夫ですか? いや、凄い険しい顔でディッキーさんを見ていたので……」


「気にするな」


 メトロの余計な心配に一言で問題ないと伝え、依頼主の方へ向き直る。


 冒険者ギルド前で集合した為、既にフィズと仲間達合わせて十名に、馬車も三台並んで待ってくれている。ちなみに五人の私兵がいるという話だったが、なんと全員がお揃いの銀色の鎧を着ていた。胴体ほどの大きさの盾と直剣のセットも持っている。


 それを眺めた後で、メトロに半眼を向ける。


「……それじゃあ、行商人一行の護衛依頼を開始するぞ」


「あ、ははは……まぁ、調査はしておきますので、お願いいたします」


 申し訳なさそうにそう言って、メトロが深々と頭を下げた。


 それを見て軽く息を吐き、フィズたちに声を掛ける。


「申し訳ない。こちらの準備は整った。午後からとなったが、出発して良いか?」


 そう尋ねると、フィズは真剣な顔で頷いた。と言っても、またフードを深々と被っているので顔は完全には見えないが。


「よろしくお願いします」


 そう言われて軽く頷くと、フィズの部下たちが素早く馬車を動かし、出発を始めた。フィズは真ん中の馬車に乗るようだ。ちなみに馬車の御者はローブを着たフィズの部下が務め、フィズともう一人が真ん中の馬車に乗っている。私兵五名は真ん中の馬車を守るように周囲に立っている。そして、最後尾の馬車の中は荷物で満載らしいので、もし馬車に乗る時は先頭の馬車に乗ることとなる。


 それを聞いて更に嫌な予感がするが、なにも問題が無ければ通常の依頼と変わらないはずだ。


「リョウ、サーヤ。馬車に乗るか?」


「のるー!」


「はーい!」


「私も乗るよ!」


 何故か、斥候として雇ったディッキーも嬉々として馬車に乗り込んでくる。いや、まだ危険はないだろうから問題ないが、何か違和感は拭えない。


 リョウとサーヤは俺の隣に座りたがったので、馬車の先頭からリョウ、俺、サーヤが座る。反対側にディッキーが一人で楽しそうに座っていた。


「それでは、出発いたします」


「ああ、頼んだ」


 御者席から声を掛けられたので了承する。そうして、馬車は動き始めた。


 久しぶりの馬車である。振動がガタガタと座席部分まで伝わってくるが、どうもこの振動が慣れない。早めに寝てしまえば良いが、ただぼんやりと薄暗い馬車の中を眺めながら座っていると乗り物酔いをして気持ちが悪くなってしまう。


「この馬車、幌の隙間から外は見えないのか?」


 尋ねると、御者席から返事があった。


「すみません。前方か後方しか開けることが出来ないのです」


 そう言われて、思わず溜め息が出る。すると、ディッキーが得意げな顔で目を細めた。


「お困りですか、旦那」


「ん?」


 振り向くと、ディッキーは指を一つ立てて詠唱した。何度も聞いてきたその詠唱の一小節、一小節を聞き、ハッとなる。


「それは、まさか……っ!?」


精神安定スピリア……っ!」


 大袈裟な所作で魔術名を口にするディッキー。すぐに魔術は発動し、俺とリョウ、サーヤの体が薄っすらと青白く発光した。


「これで安心だよ、旦那?」


 そう言って、ディッキーは不敵な笑みを浮かべる。これには素直に驚嘆し、感謝の言葉を述べた。


「ありがとう、ディッキー。まさか、こんな素晴らしい魔術が使えるとは思わなかった」


「いえいえ」


 軽い調子で返事をしてドヤ顔をするディッキーが今だけは頼もしく思える。


 精神安定の魔術。これは、戦時で怯える新兵や怒りに我を忘れる者などの精神を安定させて気持ちを強くする戦争用の魔術だ。その効果の中には、乗り物酔いを防ぐという効果もあった。


 以前はヒルドが毎日魔術を行使してくれていたが、パーティーから離れてからはその魔術を身に受けることもなくなっていた。なので、馬車には極力乗らないようにしている。


 馬車は順調に街道を進み、その日の夕方には山岳地帯へと辿り着いた。通常の街道を使えばいずれは王都に辿り着けるのだが、山岳地帯を迂回する必要がある為、どう頑張っても一か月以上かかるルートとなる。その為、王都を目指す多くの者は山岳地帯を抜けて行くのだが、現在はその道が使えない状態となっていた。


 今回はその山岳地帯を丸一日かけて通過し、翌日の昼頃に隣町へ到着する予定だ。


「凶悪な魔獣、か……ふふ、血が騒ぐな」


「かっこいー!」


「ディッキーさんすごい!」


 馬車の中ではディッキー劇場が繰り広げられており、観客のリョウとサーヤが飽きずに歓声を送り続けていた。


 その様子に頬を引き攣らせつつ、馬車の後方を指差す。


「ディッキー、そろそろ周囲の警戒を頼めるか」


 そう告げると、ディッキーはハッとした顔で立ち上がった。


「ああ、分かったよ! さぁ、リョウとサーヤにも哨戒というものを教えてあげる!」


「わーい!」


「いっていい?」


 ディッキーの言葉に跳びあがって喜ぶリョウと心配そうなサーヤにこちらの様子を窺うサーヤ。それに苦笑を返し、頷いた。


「ああ、良いぞ。気を付けるんだぞ」


「うん!」


 サーヤは良い返事をしてディッキーとリョウに付いて馬車の外へと出ていく。


 三人を見送ってから、馬車の後方の幌の隙間から外を眺める。山岳地帯とはいえ、通る者が多い分街道はしっかりと整備されている。周りは切り立った崖と森が半々といった様子だが、魔獣の気配はまだない。


「リョウ! こういった開けた空間でも油断するな!」


「はい!」


「サーヤ、いつでも魔術が使えるように意識を集中しろ! この状況なら何を使うべきか考えるんだよ!」


「わ、分かりました!」


 ディッキーが腕を組んで二人を指導し、リョウとサーヤも真剣な顔で周囲を警戒し、剣や杖を構えている。言っていることはまともであり、意外にも良い教育になっていた。


 ディッキーは馬車の周囲を警戒するリョウとサーヤを見て笑みを浮かべ、大きな木の方へ走り出した。そして、わずか二歩で大きな木の上部へ跳びあがる。一番太い枝の上に立ち、ディッキーは眼下で自分を見上げるリョウとサーヤを見下ろして口を開く。


「慣れてきたら、このように上から周囲を確認するのも大事だよ! 高い場所から見回せばより遠くまで……ん? 森の奥に人発見! 右手側だよ!」


 ディッキーが何かを発見したのか、そんな報告をしてくる。それに真ん中の馬車に乗っていたフィズたちも顔を出す。


「ひ、人ですか? それは、もしかしたら警戒した方が良いかもしれません」


 フィズのその言葉に、成程と頷いて自分も馬車から降りた。


「……俺が様子を見て来よう」


 フィズの傍に行ってそう告げると、フィズは無言で頷く。その表情は真剣で、どこか怯えているように見えた。


 もう、日が暮れかかっている。夕焼けはオレンジ色から赤に変化しており、空も暗くなりつつある。急がなければ、森の奥にいるという人間の身にも危険が迫るだろう。そう思っての発言だったが、フィズはその人間の安否よりも正体を知りたいという表情をしていた。





もし良かったら下部の評価ボタンを押してもらえると嬉しいです(*´ω`*)

励みになります!(*'ω'*)

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ