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1.夢と現実

 梨鳳が愛している人は、今日、太子妃となる。華やかな宴席には百官が集まっていることだろう。

 ――こんな事なら、()(えん)から戻った時に太子を殺してしまえば良かった。

 晴れ渡る天を仰ぎ見て溜息をついた。

 後ろに控えていた部下の(がく)(えい)が畏れながらも口を開いた。

「……公子、丞相様がお呼びです」

「今更、俺に何の用だ……?」

「私も丞相府の禄を得ている身なので……」

 言いながら部下は片膝をついて拱手した。梨鳳は独りごちった。

(すい)()の社稷を守護してきたのは、驍勇を誇った父上や張家。こんな俺なんて、駒としての価値しかないんだよな」

「何を仰いますか。丞相様が後継と認められているのは、公子だけです!」

「そんなお爺様が後継と認めた孫を政治の道具として利用したんだから、笑えない話だろ……。政治に関わらせないなんて高尚な事を言ってたくせにさ」

「それは……、丞相様も社稷の為に苦渋の決断を強いられたのではないでしょうか。皇室とは波風は立てられませんし……」

 ――だからだよ。

「俺の命を使って雄王を排除し、皇太子の座を揺るぎないものとし、陛下に何かあっても国は安泰じゃないか。更に皇太子に妃も娶らせ、周辺国も慰撫したんだ。丞相様は何も言うことは無いだろ。……そして今日、俺が愛す女は皇太子妃になるわけだ……」

 樂榮は顔をそむけた。

「心意の女性がいた事がないので、公子の気持ちはわかりませんが、今は皇室と対抗する力が足らないではないですか。力を手に入れられれば変えられますよ。それに公子を慕っている女は沢山います。それこそ力があれば三妻四妾、娶りたいだけ娶れば良いではないですか」

「もう彼女には想いを伝えたんだ。それに俺には彼女ひとりだけなんだ」

「お気持ちは分かりますが、もう皇太子妃になられますし……」

「こんな女々しい事を言ってる俺を丞相様だって世子にはしないだろ。それに俺がいなくなっても張家は傾かないさ」

 樂榮は再び頭を垂れた。

「なりません、公子!」

「何を言われようが心に決めたんだよ」

「では、この手紙を見ても同じ事をおっしゃるのですか?」

 そう言うと部下は懐から一通の手紙を取り出して差し出した。その手紙は彼女の直筆だった。


  梨鳳様、傷の加減はいかがですか?

  私は冀燕と翠魏、二国和親の為に嫁ぎます。

  どうか、私の事は忘れてください。

  梨鳳様には素晴らしい前途が広がっております。

  私よりも良縁にすぐ出会われます。

  手紙も焼き捨てました。

  私たちの事は太子には絶対に知られませんので、ご安心ください。

  この手紙を読まれましたら、早急に処分なさって……。


 ――これが本意な筈がない。

「こんな手紙で俺が惠玲を手放すとでも?」

 手紙を握り潰してながら樂榮に伝えた。

「手勢がいなくても、俺一人でも東宮に喜酒を飲みにいくぞ!」

 すると背後から大きな声が聞こえた。

「いい加減にせんか!!」

 厳かで凜と張った老人の声が俺の背中に響く。

 すると、樂榮が振り返ってすぐに跪く。

「丞相様!」

 梨鳳も仕方なく後ろを振り返った。

「そんな大きな声出して、古傷に障りますよ。丞相様」

「誰の所為だと思っとるのだ!」

 祖父・(ちょう)(しゅん)(すい)()の元勲、世間では太祖賢遜帝・(しん)(れい)とともに国を興した長老として畏怖されている。現皇帝すらも忌憚する存在。

「ようやく社稷が安定したのに波風を立てようとする馬鹿がどこにいるか!」

 そう言って、龍杖をつきながらも足取りは老人のそれとは思えないほどに健脚だ。

「安定ね……。俺の命を使って政敵を倒した太子に、百官が忠義を尽くすなんて丞相も思ってないでしょう」

 張舜は梨鳳の肩に手を置いた。

「太子を許せとは言わぬし、承諾したのはワシだ。……恨むならワシだけにしろ」

「丞相を恨む? ご冗談を...…、天下百姓が崇める丞相閣下にそのような不敬なことできませんよ。それに親族を恨んで何か変わるんですか?」

「分かっているなら大人しくしていろ。特に今日はな」「禁足したところで、俺を止められないのは知っているでしょ」

「だから望みを言えといっておろう。お前も士族の一人なら張家や翠魏の社稷を第一に考えろ」

 ――今更どうでも良い。

「では士族の地位なんていらないので張家と縁を切らせてください。それから翠魏を去ります」

 この言葉はどうやら響いたみたいだ。

「……梨鳳、ワシは本気でお前の為に言っているのだぞ」

「残念だけど俺は大局を見る丞相のような慧眼は持ち合わせてませんから。自分の命を取られかけ、愛する女も奪われた。それなのに皇宮に殴り込んでいない。これが最後の忠誠ですよ」

 張舜はまだ諦めない。

「では、兵符をやるからしばらく北方の廬陽山にいってこい」

「それも悪くない。()(えん)にも近いし、いっそのこと数千の兵を連れて、他国へ亡命するのも悪くない」

「たわけ! 冀燕王は公主を太子に嫁がせたのに、お前を受け入れると思うのか? 仮に力を貸したとしてもワシの眼が黒い間は、翠魏を揺るがす事など不可能だぞ」

「じゃあ、しっかりと俺を幽閉しておくことです。こんな危険分子を禁足程度で済ませたら、丞相もこの国も安寧は得られませんからね」

 張舜は真剣なまなざしで梨鳳を見据えて口を開いた。

「たかが女の為にそこまでやる気なら、お前に縁談の申し込みが来ている。『父母の命は、媒妁の言』と言うからな。お前の父母に代わりワシが縁談を受けてやる。すぐにでも妻を娶れ、さすれば太子妃の事も忘れるだろ。そなたが婚礼を済ませれば、張家の世子と認める。世子となれば、もう朝廷でも軽んじられる事などなくなる。しっかり国や民の為に働け。ワシが死んだらお前の好きにすればいい」

「縁談も世子も御免ですね。心に決めた女がいるのに忘れるなどできるわけない。それに張家を継ぐのは兄さんたちの権利だし責務でしょ。日頃から長幼有序と言ってるのはお爺様ですよ。それを反故にされたら兄さんたちが黙ってない」

 張舜は頭を横に振り、溜息をついた。

「張家の当主が決定したことは絶対だ」

「社稷と張家繁栄はお爺様の全てではないですか。それをこの不孝者に任せて安心なのですか。……らしくないですよ」

「お前はこんな所で腐るべき存在ではない事はワシが一番わかっておる。それにお前の父との約束でもあるしな」

「まだ父上の影を俺に見てるのですか。一度は太子に殺された人間をこのまま国に残したら災禍になりますよ」

「ワシの後継者となるのはお前だけだ。誰にも文句は言わせん!」

 梨鳳は張舜に背を向け、黙って歩き出した。

「梨鳳、この府邸からは出られんぞ」

 張舜が梨鳳の肩に手をかけた時に刺した麻酔薬がついた針が太陽に照らされて妖しく光った。次の瞬間、梨鳳は目の前が暗くなり、膝から崩れ落ちた。

「……悪く思うな。お前の父を亡くしてからは、お前を失う訳にはいかなくなったのだ……」

 最後に聞こえたのは祖父の嘆息だった。

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