13.打算と思惑
冀燕での出来事は陸甲陸乙が丞相府に報せを持ち帰り、すぐに張舜に伝えられた。
「……そうか。大義だったな、二人とも。退って休め」
「「はっ!」」
陸兄弟が張舜の書斎から出ていくと入れ替わりに張寧が入ってきた。
「ちょうど良いところに来たな」
「陸兄弟から梨鳳の報せがあったのですか?」
「冀燕での涼夏兵を退けたのは、冀燕王の手柄ではないのは分かっていたが、また梨鳳が無理をしたらしい」
「あのバカ。しかし、無事なら良かった……」
張寧が安堵すると、張舜は代わりに嘆息した。
「また面倒な事になってな……」
「それは一体……?」
張舜は陸兄弟から聞かされた事をそのまま伝えた。
「な、梨鳳を駙馬にですと? 何を考えているのですか?」
「穆繹には嫡男がいないからな。梨鳳のお陰で涼夏に娘を政略結婚せずに済んだのだ。それなら翠魏に送り込んで裏から影響力を強めたいと考える奴だ。それに冀燕はもともと女系王族でもあるからな、母が王室の血を引いていれば王位継承できるのだ」
「それなら太子妃は嫁いだとはいえ、子を授かったら冀燕も併合できる事になりますね」
「そうだな。だから冀燕との政略結婚は娶るなら有効だが、駙馬となると話が変わってくる」
「どうしましょう。陸兄弟の話では梨鳳は重傷で動けないと……」
「一難去ってまた一難だな。ワシが直接、出向くしかあるまい。そろそろ穆繹に借りを返す時なのかもしれない……」
朝廷には病を理由にしばらく出仕していない張舜が丞相府を離れる事は容易ではない。使者を立ててすぐに手紙を冀燕王に送った。もちろん、府内には太子との内通者がいるので表向きは表敬の手紙の態をなしていたが、その実、水で紙を濡らしてから火で炙ると文字が出てくる仕様の手紙であった。
張舜はまず梨鳳が冀燕を救ったという事。更にその機会を与えた穆繹に感謝を伝え、梨鳳の傷が癒えるまでは冀燕に預けるとしたためた。
使者は表だっては府内の用品調達の為に国内を往来する商人とともに買い付けに出た形で出奔した。
数十日後に、張舜は調達した物の代金を運ぶ車に乗って府邸を出発して郢州に到着した。そこからは張家の兵が護衛をしながら冀燕との国境を通過して、冀燕の都に到達した。
張舜はすぐに王宮に入ると、冀燕王への謁見を願い出た。
御書房に通された張舜は、勝手に茶碗へ茶を注ぎ口に含んでいた。
「相変わらず、勝手だな……張舜。それとも張丞相と呼んだ方がいいか……」
穆繹は嘲笑気味に部屋に入ってきて、張舜に語りかけた。
「王になっても、その軽さは相変わらず変わらんな、穆の坊ちゃま」
すると、茶を啜りながらも憎まれ口を返した張舜は視線だけ穆繹に向けた。
「こんなに早く孫を迎えに来たのか? 手紙ではしばらく冀燕に預けると書いてたではないか」
「当たり前だ。お前の国を守る為に身体を張ったのだから、冀燕が責任を取るのは当然ではないか」
「ならば、このまま駙馬になっても構わんな。せっかく空席になったんだから」
その言葉には張舜も視線に殺意を込めた。
「お前には借りがあるが、冗談が過ぎるんじゃないか?」
「惠玲が太子妃となっていなければ、どの道、家族になっていただろう。だから、双子の佳玲を娶るように勧めているのだ」
「お前の浅ましい考えが分からぬほど耄碌しておらんぞ。太子妃の件は、秦家が帝位を欲した結果だからな。我が張家にまで手を伸ばそうとしてもワシの目が黒いうちは適わぬ夢だな」
「そなたの孫は惠玲と結ばれる事を一心に願ってるではないか。たとえ、太子妃になった今でも変わらずに。そうであれば、顔が同じ姉を娶れば自然と心は癒やされるさ。恋愛など一時の快楽なのだからな」
「ワシの孫の事も甘く見ているようだな。女の事に関しては、ワシ以上に頑固でな。こればかりは梨鳳が受け入れないと何も始まらん」
「そうか、それなら安心した。ここ数日は佳玲に身辺の世話をさせて二人の感情を育んでいるようだからな」
「ふ、好きに言っていろ……。お前との借りは、冀燕の国庫へ金を入れることで精算だ。今回、涼夏との聯姻が破談になってますます不安だろう。まずは金塊を三万両ほど持って来てやった。そして、これから毎年五万両の金塊を五年渡し続けよう。ちなみに金塊の来歴についてはくれぐれも詮索しないことだ」
張舜が条件を伝え釘を刺すと、穆繹は張舜の対面に座って自分で茶を注いで口に含んだ。
「ん、やはり新茶の龍井は美味だろ。それにしても、翠魏建国の立役者も今となっては好好爺を演じたいわけか。確かに当時は冀燕が金を出してそなたらの後ろ盾となり、翠魏の社稷を取らせてやった。そして冀燕は今、金に困っている。交換条件としては申し分はないが、やはり縁は取り持っておきたいではないか。それにそなたの孫は帰国させるし、孤の娘を娶らせると言っているのだぞ。どんなに光栄な事かわかるだろ」
張舜は茶碗を机に置くと、穆繹を睨んだ。
「姑息な考えは止めろと言っただろ。孫は既に次期丞相になると決まっている。そして正妻は翠魏大臣の家柄に限らせる」
「相変わらず、傲慢だな。孫は承知してないのだろう? どうして姓名を変えてまで辺疆に隠してる。太子にバレては内乱の火種になるからだろう。だから姉妹に仲を取り持たせれば安泰ではないかといっているのだ」
穆繹は睨まれた視線を意に介さず、口達者に張舜を説き伏せようとしてくる。
「なぁに、孫が出来れば縁戚になるんだ。たまにはこうやって茶を飲もうじゃないか。昔は仲良く飲み歩いた仲だろう。どうかな?」
張舜は席を立って、振り返り穆繹を再び見据えた。
「お前と話しても埒が明かない。孫に会ってくる」
「おぉ、そうか。ならば同席せねばな」
そう言って、穆繹も席を立って張舜と並んで歩き出した。
梨鳳はなんとか偏殿内を歩き回れるまでには回復していた。そして、療養期間中は常に佳玲が横に付き添って世話を焼いていた。数日間で、二人は自然と会話するようになり、佳玲はなぜ惠玲が梨鳳に惚れたのかが理解できるようになった。
「手間をお掛けして申し訳ない。本当にもう一人で大丈夫ですので、公主殿下はご自身の事に時間を使ってください」
「ダメです。父王の命令に逆らう事はできません。それに恩人に尽くすのは当然の事でございますので、お気になさらず」
もう幾度となく繰り返されたやり取りだった。梨鳳は惠玲に顔が似ている佳玲に時折錯覚を覚え気持ちが揺れている自分に気付いたので、早く王宮を離れようと方策を考えていたが、どうしても実行には移せずにいた。
「まだ冀燕は復興が必要ですので、梨鳳様に残ってご尽力いただければ父も非常に助かります。それに私も……残っていただければ……嬉しいです……」
佳玲は頬を赤らめてうつむき加減に梨鳳から目線を逸らした。
その仕草が梨鳳には惠玲に見えてしまい、思わず佳玲を抱きしめてしまった。
「り、梨鳳さま?」
佳玲が驚いて固まっていると偏殿の扉が開き、穆繹と張舜が梨鳳の佳玲を抱きしめる光景を目の当たりにした。
「お、これは嬉しい光景だ」
穆繹は微笑みながら、張舜の脇腹を小突いた。
張舜は龍杖の先で地面を打ち鳴らした。
室内に響いた音が梨鳳を正気にさせた。
「……あ、し、失礼を……」
梨鳳は抱きついた佳玲からすぐに離れた。
張舜は軽く咳払いして「孫が失礼を働いたようだ。申し訳ないが、少し孫と二人で話をさせてくれないか?」と言った。
張舜が珍しく頼み込んできたので、穆繹はすぐに佳玲を連れて偏殿を出た。




