12.国姓を賜う
金属が激しくぶつかり合う音が宮殿の周囲に響き渡り、涼夏の迎親使節たちもただならぬ事態に隠し持った武器を手に王宮内を暴れ回った。冀燕も近衛軍を集中して取り押さえようとしたが、互いに死傷者が出る事態となり、涼夏の者が天に向かって照明弾を打ち上げて、城外に控えた兵たちに火急を報せるに至った。
城外にいた涼夏の一部は本国へ報せを伝える為に早馬で走り去り、残った五百人程の兵が城門を突き破り入城して、そのまま直進して王宮を目指した。
しかし、大通りを突き進む彼らを挟撃する形で、陸甲・陸乙が率いた張家軍が襲いかかった。
「宇文禮貴本人がいないのは残念だが、久しぶりに殺し合いだぜ!」
「……甲、さっさと終わらせて、公子と合流する……ぞ」
迎親に付いてきた涼夏兵は宇文禮貴の私兵で正規軍黒雷ではなかったが、張家軍と互角に渡り合った。
張家軍も暗殺を主にする者が多かったが、白兵戦でも軍属の兵に負けない程の腕前だった。
しばらく斬り合って膠着状態になると、陸甲は双刀で次々と敵兵を斬りつけたが涼夏兵は倒れず、陸甲に向かってきた。
「思ってたよりも楽しめるじゃねぇか!」
すると、全身血だらけになりながらも決して倒れない涼夏兵はまるで鬼神のように咆哮した。
「ぬおぉぉぉ、殿下を救い出すのだぁっ!」
陸乙が膠着状態を懸念して、陸甲に声を掛けた。
「……甲、このままだと浪費戦になる。公子と合流できなくなる……ぞ!」
陸乙は既に短弩を打ち尽くし、細身の長剣で戦っていた。陸甲はその姿を見ると、すぐに周囲の張家軍に伝達した
「乙の言う通りだな。おい、道を空けろ! 涼夏兵を先に行かせろ。俺たちも王宮に入って宇文禮貴を討ち取りに行くぞ!」
王宮の中でぶつかり合う梨鳳と宇文禮貴は、互いの武器が消耗して全身が傷だらけだった。
「やっぱり、お前は楽しませてくれるな。未来の無い翠魏を離れて俺の下に来いよ」
梨鳳は槍先の血を振り払った。
「俺を配下にしたいなら、まずは俺を倒してからにしな」
「折角の婚礼が遅くなるからな。そろそろ終わりにするぞ」
宇文禮貴が剣を真横に構え、梨鳳めがけて剣を突出させた。
その突撃を槍で受け流し、身を翻して脇腹に膝を打ち込んだ。
宇文禮貴はよろめいたが踏みとどまり、剣を真横に一閃させた。
梨鳳は間一髪で後ろに跳ね退き、なんとか剣先を避けた。
すると、宮門の外から声が聞こえてきた。
「どうやら迎えが待ちきれないで城内に入ってきたみたいだ。さっさと冀燕王に会わせろ」
「だから言ってるだろ。俺を倒してからだと」
「じゃあ、このまま終わらせてやる!」
宇文禮貴は全力で連撃を繰り出した。
梨鳳は連撃を懸命に受けたが、疲弊した身体が動かなくなり、次第に剣撃が身を切り裂き始めた。
「どうした。動きが遅れてきたな」
口で煽りながら、次々に剣撃を繰り出す宇文禮貴をどうにか止めたいが槍が持ち上がらなくなり始めてきた。
「しぶといな!……だが、これで終わりだ!」
再び宇文禮貴が剣を振り上げた瞬間、背後から双刀が彼の両肩に突き刺さった。
「な……なんだ……?」
宇文禮貴の動きが止まったのを見止めた梨鳳は槍を心臓めがけて突き出した。
ガチンッ!!
鈍い金属音が響き、梨鳳の槍先は砕けて落ちた。
宇文禮貴の礼服の胸元が開けると中には純金に光る甲冑が現れた。
「お……惜しかったな。だが、槍も使いものにならなくなったな」
「だからどうした。動きさえ止まれば、こっちのもんだ!」
梨鳳は柄だけ残った槍を振りかぶって、脳天めがけて振り下ろした。
しかし、宇文禮貴の反応が少しだけ早く、柄の部分は肩に当たって折れた。
すると王宮の門が開き、陸甲と陸乙が飛び込んできた。
「公子! 遅くなりました。俺たちの分も残しておいてくれたんでしょうね!」
「……強い奴……殺したい……」
陸甲は宇文禮貴の両肩に刺さっている双刀を引き抜こうと飛びかかった。
「うるさい、羽虫がっ!!」
宇文禮貴は片手で肩に刺さった刀を引き抜いて、後ろへ投げ返した。
陸甲が反応するよりも早かった為、刀は陸甲の太腿に刺さった。
「んがっ! ま……まだ、そんな力が……」
陸甲は痛みに悶絶して倒れ込んだ。その背後から飛び上がった陸乙が長剣を矢のように短弩に引っかけて発射した。
しかし、これも宇文禮貴は手に持っていた剣で打ち払い、もう片方の手で肩に残る刀を抜いて陸乙に投げた。
陸乙は空中で刀を避けきれずに脛を斬られて、転ぶように地に落ちた。
「う゛ぅ……」
宇文禮貴は振り返り、握った剣をもう一度梨鳳に向けて振り下ろした。
梨鳳は残った槍の柄で剣を叩き落として、勢いのままに宇文禮貴へ体当たりして倒した。
「ここまでだな……」
「ぐ……、それはどうかな……」
宮門の外から黒ずくめの兵が数人か突入してきた。
その姿は、梨鳳の目に焼き付いていた。樂榮から聞いた名前は黒雷、涼夏の精鋭部隊だった。咄嗟に梨鳳は、宇文禮貴の上から飛び退いた。
「どうやら、本当の迎えが来たようだな……。嬉しくはないがな」
「殿下、お迎えに上がりました……。遅くなりまして申し訳ありません」
黒雷の一人が宇文禮貴の傍に駆け寄り、跪いて彼を助け起こした。
「冀燕を軽んじた俺も……悪かった……。父王の顔に泥を塗ってしまった……」
「ご安心を。今までの武功を陛下は認めておられます」
宇文禮貴は支えられながら立ち上がり、梨鳳と向き合った。
「まさか、二度目の対面でこんなに距離が縮まるとは思わなかったが、楽しめたぜ……」
一人の黒雷が剣を抜いて、梨鳳に近づこうとした。
「やめろ。俺の獲物に手を出すな」
宇文禮貴の声に黒雷は剣を収めた。
「ここまでやられた恩は、またの機会にキッチリ返させてもらう。待ってろ」
梨鳳は折れた柄に縋りながらなんとか立っていながらも、気勢を張って言葉を返した。
「……もう会いたくないな。だが、お前の首を取るのは俺だからな……」
宇文禮貴は黒雷に守られながら、王宮を出て行った。
冀燕の災難はひとまずの終焉を迎え、涼夏との聯姻も正式に解消となった。騒乱の報せは翠魏にも伝えられたが、冀燕王の埋伏策が功を奏して涼夏を撤退させたとされた。
太子は太傅に何度も確かめたが、郢州太守の長利凰(張梨鳳)には怪しい点が無いと言われた事ですぐに冀燕に対する興味を失った。
宇文禮貴との戦いで重傷を負った梨鳳は、しばらく冀燕王宮にて療養する事になり、偏殿に留まった。
偏殿に冀燕王・穆繹が公主を連れて訪れた。
「此度はそなたのお陰で、涼夏を退ける事ができた。感謝する」
梨鳳はまだ床を降りることができなかったので、上半身だけ起き上がり拱手した。
「微力ながら力添えできたのは幸いです」
「微力などではない。国を救ってくれたのだ。惠玲がそなたを見込んだだけはある。……さぁ、佳玲。梨鳳殿にお礼を申せ」
背後に控えていた佳玲は穆繹の横に立ち静かに拝礼した。梨鳳は初めて彼女の顔を見た。
「えっ……。な……」
梨鳳のぽっかりと開けた口を閉じれなかった。
「はじめてお目にかかります。穆佳玲でございます。梨鳳様には救っていただきまして感謝しております」
まだ梨鳳の驚きが収まらないことに、穆繹は説明した。
「惠玲からは聞いていなかったか? 佳玲と惠玲は双子なのだ」
「……初耳です……。それにしても、実に似てます……」
佳玲は再び穆繹の背後に隠れた。
「あっ、失礼しました」
「ははは、気にされるな。それよりも、今回の件は翠魏になぜ功績を隠したのだ」
「太子との関係は複雑なのです……。まだ、私が生きている事を知られる訳にはいけないのです」
「そうか。であれば多くは聞くまい……。しかし、恩義には報わねば天道に悖るというもの。そなたが良ければ国姓である穆を授けよう。そして冀燕の上卿として爵位を下賜しようと思う」
「そんな……、畏れ多く承れません。それに外国の者に爵位を与える大義などありません。何卒、お考え直しください」
「大義名分など簡単ではないか。佳玲と聯姻すれば良い。そうすれば、我が冀燕と翠魏は本当の意味で強固な関係となるからな。張舜殿も理解されよう」
佳玲は背後で驚いた表情で父の背中を見た。
その表情を見て、つい梨鳳は本音が混ざった言葉を返してしまった。
「突然のお話過ぎて、私の愚考も追いつきません。王陛下も私が心を寄せているのが誰かはご存じではないですか。佳玲様との婚姻などもってのほかございます。もし、冀燕がまだ涼夏の侵攻を防げないとご心配であれば、我が張家軍を国境沿いに配備致します」
佳玲は梨鳳の言葉に多少表情を曇らせて、顔を背けてしまった。
穆繹は構わず、梨鳳に自分の意見を推した。
「兵の配備こそ大義名分が必要なのだ。それにそなたが駙馬となれば、もし翠魏で太子と一戦交えるなどあれば冀燕は国を賭してそなたを守れるのだ。……どうだ」
「王陛下のご厚遇には頭も上がりません。なれども国事に係わることは私などでは回答できません。どうかお許しください。これ以上の滞在も貴国を困らせるのであれば、すぐにでも帰国いたしますので、ご容赦いただきたく……」
梨鳳は拱手してから、上半身だけでも床に額ずいた。
「……うぅむ、困らせるつもりではないのだが。仕方ない……。そなたは傷が癒えるまでは偏殿にて療養せよ。これは冀燕王としての命令だ。ここから勝手に出るような真似をすれば、近衛兵には容赦なく斬るように伝えてあるかな」
そう言うと穆繹は席を立ち、門へと歩き出した。
「そして、今日からそなたの看病は佳玲に任せる。いいな、佳玲」
また突然の話で、佳玲も少しだけ戸惑ったが、すぐに「……はい、お任せ下さい……」と返事をした。
穆繹と佳玲が偏殿を出ていくと、横になった梨鳳は「……どうしたもんか」と嘆息するしかなかった。