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7話 必ず

『――サチ様、そろそろ寝ては?』

 

   『心配ありがとうございます、でも平気ですよ』

 

『サチさん、あまり無理をするなっすよ』

 

     『平気ですよ、何だって人形なんだから』


『――サチよ、姫の様子はどうだ?』


     『変わらないですよ』


 事件の日から幾度の朝が巡った時――


「うんぁ?あれ、サチ……?」

 聞き慣れた、しかし久しぶりに聞く弱々しい声。

 ずっと張り詰めていた僕の意識が、その声でふっと緩む。


「姫様!気が付かれましたか!?」

 

「起きたか!?」

 

 僕は思わず身を乗り出し、寝台を覗き込んだ。

 姫様の目が、ゆっくりと僕を捉える。焦点がまだ合わないのか、何度か瞬きを繰り返した。


「……あれ……?ここ……どこ……?」

 

「医務室ですよ、姫様。大丈夫、もう心配いりませんから」

 

僕の声が震えているのが自分でも分かった。自動人形の僕に涙はないけれど、心の底から安堵が込み上げてくる。


「ああ、よかったな!本当によかった!」

 マスターが上を向いて喜ぶ。その目には水が――いや、見間違いということにしておこう。

 

「あれ……?パパは……、うんにゃ何でもない」

 

「!もちろん、お父上もさっきまでいましたよ!ちょっとタイミングが悪かったですね!さっき、お仕事のために呼び出されてました」

 

 ハハハと乾いた笑いで誤魔化す。

 

「そっか!父上が!そっか!」

 

 姫様の純粋な喜びように、僕の心はチクリと痛んだ。この子の父親である国王陛下は、結局一度も見舞いに来ていない。それが現実だ。マスターの視線が痛い。でも、今はこれでいい。今はただ、姫様が回復したことを喜びたい。


「姫様、まだ無理は禁物ですよ。ゆっくり休んでください」

 僕は努めて優しい声で話しかける。


「うん……。でも、サチがいてくれてよかった……。ずっと、暗くて、寒かったから……」

 

 姫様は僕の手を弱々しく握り返す。その小さな温もりが、僕の自動人形の体にも伝わってくるようだった。


「私もいたぞ姫!私のことも忘れるでない!」

マスターがすかさず割り込んでくる。


「エウロパも、ありがと……。でも、エウロパ、くま、すごいぞ……?」

 

姫様が心配そうにマスターの顔を覗き込む。確かに、マスターの目の下の隈はここ一週間でさらに濃くなっていた。書物の山に埋もれて、ほとんど寝ていないのだろう。


「……これは生まれつきだ」


「ん……そんなわけない。というか眠い、ねる」

 そう言ってスヤスヤと眠り出した。


 

 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 姫様の体はもうほとんど治っている。それなのによく寝ているのは……どちらかと言うと精神的な問題の方が大きい。

 無理もない。あの幼い体の内にはどんな思いがあるのか。考えるにも察するに余りあるものだった。


  

 夜――

 月が王城の尖塔を銀色に照らす頃、僕は国王陛下の私室へと続く長い渡り廊下を歩いていた。

 廊下の角を曲がった時、月光を背に受けた人影がすっと現れた。その独特な形状の尖り帽子には見覚えがあった。


「サチよ、こんな夜更けに何をしている?」

 

「……ちょっと、退職届を提出しようとしまして。国王陛下に」


 一瞬の沈黙が流れた。夜風が窓の隙間から吹き込み、僕たちの間の空気を揺らす。

 

「……馬鹿か」

 

「マスターだって気がついているハズですよね」

 

「暗殺の首謀者が実の父である国王ということか?」


「だったら何故!?」

 

「冷静に考えた結果だ」


「……へーそうですか、それで僕を止めるつもりですか?」

 

「私の立場をなんだと思ってる?王宮魔術師だぞ」

 

「……そうですか」

 

「止めなければならない立場だ……だからこそサチよ……」

 マスターはふっと息を吐き、その瞳にいつもの悪戯っぽい光を宿して言った。

 

 

「行け!全てをメチャクチャにしろサチ!」

 

「任せてください!」

 

 気がついたら僕は駆け出していた。

 王城の長い廊下を、ただひたすらに走る。磨かれた床に僕の侍女としての姿が映り、流れていく。

 そんな僕に巡回の近衛兵達が気が付くのは時間の問題だった。


「サチよ!伝えることがある!」

 

 はるか後方からマスターの声が聞こえてくる。

 

「姫を暗殺未遂した衛兵は、あらゆる骨が折れていたが、命だけは無事だったらしい!」

 

「つまり、お前は手加減がうまい」


 その声を皮切りに近衛兵たちが騒ぎ出す。

 

「……!?メイド!?いや、サチ様か」

「サチ様!ここから先は王の私室、通すわけにはいきません!」


 僕の思考はクリアで晴れやかだった。目的は1つ、国王陛下に辿り着き、真実を問いただすこと。

 姫様をあんな目に遭わせた理由を、この手で――いや、この口で聞き出すこと。

 それでどうなるのか、正直わからない。でも、僕は不満なのだ。


「止まれ! サチ様! それ以上進めば実力行使も辞さぬ!」

「警告はしましたぞ!」


 廊下の左右から、槍を構えた近衛兵たちが飛び出してくる。数は3人。連携された動きで僕の進路を塞ごうとする。


「通してください!」

 

 僕は正面からその槍衾に突っ込んだ。

 ――自動人形(オートマータ)の身体能力は人間のそれを遥かに凌駕する。


「なっ!?」

「馬鹿な!?」


 近衛兵たちが驚愕の声を上げる。常人なら串刺しになるであろう穂先を僕は左腕で弾く。ガキン、と硬質な音が響いた。

 そして穂先を掴み、腕力に任せて槍を引き寄せる。バランスを崩した兵士を足払いで転倒させ、そのまま前へ。


「させるか!」 

 

 横から薙ぎ払われた槍を、最小限の動きで身をかがめて躱す。同時に、空いた右手で胴鎧を掴み、他の近衛兵達に向かって放り投げた。ゴッという鈍い音と共に、前列にいた3人の近衛兵が壁に叩きつけられ、崩れ落ちる。


「ひ、怯むな!囲め!」

 

 新たに左右と後方から3人の近衛兵が現れた。彼らは統率の取れた動きで同時に剣を振るう。

 僕は床を蹴り、真上に跳躍した。


「何!?」

 

 近衛兵たちが虚空を斬る。人間離れした跳躍力に、彼らの反応が一瞬遅れた。その隙を見逃さない。

 空中で体を捻り、スカートの裾が円を張って舞った。

 後方の近衛兵の頭上目掛けて踵を当て、その意識を刈り取った。そして、そのまま体を踏み台にして、勢いを殺さずに前方の剣士へ向かう。


「……っ!くらえ!」

 

 正面の近衛兵が、渾身の力で剣を振り下ろす。月光を反射して煌めく刃。僕は右手を伸ばし、その剣の腹を素手で受け止めた。


「う、嘘だろ……!」

 

 近衛兵の顔が恐怖に引きつる。僕は掴んだ剣を捻り上げ、兵士の手から奪い取る。そのまま剣の柄で兵士の鳩尾を突くと倒れた。


「くそっ!」

 

 最後の近衛兵が、恐怖を振り払うように叫びながら横薙ぎに斬りかかってくる。僕はそれを身をかがめて避け、スカートの裾から出た右足で兵士の軸足を薙ぎ払った。バランスを崩して前のめりになる兵士。その背中を軽く押し、床に転がす。


 六人の近衛兵がわずか数十秒で戦闘能力を失った。床には槍や剣が散らばり、兵士たちが呻き声を上げている。


 ――驚いた。

 まさか自分がこんなに動けるなんて。全くわからなかった。

 これが自動人形(オートマータ)。強すぎじゃない僕?

 

 「く……化け物め……!」

 

 床に伏した兵士が、恐怖と怒りの入り混じった表情で僕を睨む。

 確かに、この体は人間じゃない。心臓の鼓動もないただの人形。

 でもさ、この胸の中にある想いは、この興奮は、姫様を想うこの気持ちは、本物なんだよ。


 怒りと決意を胸に、僕は重い扉へと手をかけた。

 

* * *


 重厚な扉を押し開けると、そこは豪奢ながらも落ち着いた雰囲気の私室だった。壁には緻密なタペストリーが掛けられ、床には深紅の絨毯が敷かれている。部屋の奥、大きな執務机の向こうに、影を帯びた男が一人座っていた。

 国王陛下だ。書類の山に囲まれ、その肩は重く沈んでいる。ふと、机の隅に置かれた小さな、少し色褪せた花の髪飾りのようなものに無意識に指を触れているのが見えた。


 「……何者だ?」


 低く、かすれた声。予期せぬ侵入者に対する警戒よりも、深い疲労の色が滲んでいた。彼は手にしていた羽根ペンをゆっくりと置き、重たげに顔を上げる。その目には、眠れぬ夜が刻んだ隈が色濃く浮かんでいた。


「姫様の侍女、サチと申します」

 

 僕は一歩、部屋の中に足を踏み入れた。背後で扉が重々しい音を立てて閉まる。


「姫の侍女……ああ、エウロパの……あの、人形か。夜更けに……騒がしかったが。何の用だね」

 

 国王は溜息混じりに言った。廊下での騒ぎに気づいているだろうが、それを咎める気力もなさそうだ。


「単刀直入に伺います。……なぜ、姫様を殺そうとしたのですか?」


「そうか……貴様があの衛兵を襲ったのだな……」

 国王はしばし虚空を見つめた。それから、力なく首を振り、目を伏せる。


「理由をお聞かせください! 姫様がどれだけ貴方を慕っているかご存知なのですか!? あの子の笑顔を……あなたは守りたいとは思わなかったのですか!」


「理由も何も……」

 国王は僕の言葉を聞いても、表情を変えなかった。ただ、ゆっくりと指を組み、値踏みするように僕を見つめる。


 王が分かりきっていることを言わせるなという口ぶりで話した。 

「聖女の呪いは……成長する。やがてその力はその身を離れ、拡大し、この国の全てに届く。国のインフラは崩れ、人々は眠る」


「国を守るために障害を取り除くのが王の仕事というものだ」


「ただのそれだけだ……」


「本気で、本気で仰っているのですか……!?」

 

「どうせ処分しなければならないのなら、早ければ早いほどよい」


「処分!?それでもあなたは人の親ですか!?」

 

「……その前に王だ」

 

「こんなにも姫様を大切にしない人を……姫様はお慕いしているなんて……」


 

 

「口を慎め、人形ごときが!!」


 


「お前に何がわかる!?何度、病室に駆け寄ろうとした事か!なんど触れ合いたいと思った事か!」 


「国など忘れ、純粋に父親として愛する事が出来たのなら!純粋に笑い合うことが出来たのなら!」


「だが!!貴様に分かるかこの葛藤が!国を背負うという重荷が!娘と国を選ぶ人間の気持ちが!」


「愛そうとせずとも愛してしまう、この気持ちがぁ!!」


「王……」


「このままだと、本当に、本当の本当に愛してしまう! あんなにか弱いあの子を、この手で守り抜きたいと願ってしまう!そうなれば……私はもう王としての決断すら出来なくなってしまう……それが恐ろしい……」


「……国を背負うには……娘を……今、今……殺さ……なければ……!もう……」


「……殺さなければならんのだ!!」


 国王の絶叫が、静かな私室にこだました。それは王としての威厳など微塵もない、ただ娘を愛し、その運命に絶望し、国という重責に押し潰されそうになっている一人の男の悲痛な叫びだった。

 

「……っ!」

 

 僕は息を呑んだ。目の前で繰り広げられる、あまりにも人間らしい、あまりにも醜く、そしてあまりにも哀れな葛藤。


 僕は一体……何を戸惑っている?僕は一体どうしたい?

 いや、違う。伝えなきゃ伝えるんだ。間違ってるって事を。僕が信じる真実を。


「今じゃないんです!今、マスターが、宮廷魔術師エウロパが!今、その呪いを解除する方法を探してます!」

 

「お前は何も知らぬ!そんなものは無い!呪いの解呪など既に研究し尽くされたテーマだ!そんなものが有れば、私だってこんな決断をすることはなかった!」


「それでも未来はどうなるのか分からないですよ! 諦めたら、そこで終わりだ!」


「お前も、エウロパと同じことを言うのだな……やはり、やつの差金か」


「……いえ」


「もうよい!私にこれ以上希望を見せるな!もう……希望など!辛いだけなのだ!解呪できると言うのならば、今すぐその証拠を見せろ!」

 

「そ、それは……」


「あるぞ。王よ」

 部屋の隅の影から、すっと見覚えのあるシルエットが現れた。月光がその尖り帽子と、手に持った古びた本を照らし出す。


「サチよ、よくぞ王から真意を引き出した。お手柄だ」

 マスターはいつもの余裕を取り戻したかのように、にやりと笑って僕にウィンクした。


「マスター……いつの間に……」

 

「エウロパか、今何と言った? 聞き間違いか?」

 

 国王は信じられないものを見るように、マスターに問いかけた。


「おお、王よ。久しいな。最近、避けられて悲しかったぞ。まあ、仕方ないがな」

 マスターは芝居がかった仕草で一礼する。


「前置きはよい!いま「ある」と言ったな? 解呪の証拠が、あると! どう言うことだ! 冗談なら、宮廷魔術師といえど刑務所行きではすまさんぞ!」

 

 国王の声に、わずかな、しかし確かな期待が混じっていた。


「サチよ、すまなかった。資料をまとめるのに手間取った」

 マスターは僕に向かって言い訳しつつ、手に持っていた本を国王の机に置いた。表題には『呪いの考察と解呪の歴史』と書かれていた。


「姫の呪いを抑える地が存在する!」


「……どう言うことだ? 詳しく説明しろ」

 

「この本には僅かだが姫と同じ呪いにかかった人物たちが載っている。そのどれもが周りを不幸にして死んでしまったが……」

「しかし、明らかに一人だけ呪いの成長が遅い人物が存在した!」 

「私は調べた。なぜこの人物だけが遅いのかと、そして突き止めた」 

「土地なのだ!土地に魔力が溢れていれば……姫の呪いはその地の魔力を吸い弱体化する!」 

「そして私は王国中の資料を探し、魔力を最も濃いところを発見した」

 

「そこならば、姫の呪いは……実質ゼロとなる……!」

 

「その地の名前は……魔物溢れる辺境の森『ホエールランド』そこに行けば姫は解放される」


「……そうか。……学者どもはいつも私に希望を見せる……それがどれだけ酷く私の心を傷つけるかも知らずにな」


「理にかなっていたはずだが」


「根本的解決になってはないではないか! 呪いを実質ゼロにする? では、その地から一歩でも離れたらどうなる! 元に戻るではないか! その瞬間、国が滅ぶかもしれんのだぞ!? そのようなリスクを……私が許容できると思うか!」


「屁理屈を……!呪いが解けるまでその地から離れなければ良いだけだ!」


「御託を並べるな!貴様は!貴様は、私の、決意を、邪魔するのか!」

 

 国王の怒号が響き渡ると同時に、城中にけたたましい警鐘の音が鳴り響いた。

 ゴォン、ゴォン、と腹の底に響くような重い鐘の音が、緊迫した空気をさらに煽る。 


 「ものども出会え! この部屋に逆賊がおるぞ! エウロパと、その人形を捕らえよ!」

 

 王が叫ぶ。

 

 それに呼応して廊下から複数の足音が近づいてくるのが分かった。 

 私室の重い扉が、ゆっくりと外側から開かれていく。隙間から差し込む廊下の明かりが、逆光となって現れる人影を浮かび上がらせた。

 

「パパ……待って!」

 

 凛とした、しかし、どこか儚げな声。そこに立っていたのは姫様だった。その小さな手はホズミにしっかりと引かれている。

 ホズミは心配そうな顔で姫様を見守っていた。


「姫様!?」「姫!?」

 僕とマスター、そして国王も、予期せぬ登場に驚きの声を上げる。


「ごめんね……サチ……全部見ちゃった……」

 

 そう謝る姫様の後ろには、ホズミが『手鏡』をひらひらとアピールしている。その鏡面には僕と国王の姿が、音声付きで映し出されていた。


「姫様……全部って……」

 

「パパが……私をころそうとしたことも……ちゃんと聞こえてたよ……」

 

「姫様!ち、違います!これは……そう!演技!パパが、えっと、劇の練習を……僕にも手伝ってって……だから……!」

 

「いいの、サチ……大丈夫だから……わたし……考えがあるの」

 姫様は僕を安心させるように、力強く言った。その小さな体に、信じられないほどの覚悟が宿っているのが分かった。


「姫さんはみんなが思っているよりも、ずっと、ずーっと強いみたいっすよ」

 

 その時、開かれた扉から武装した兵士たちが次々と部屋になだれ込んできた。槍や剣を構え、僕たちを取り囲む。


「みんな!きいて!」

 

 張り詰めた空気の中、姫様の澄んだ声が響き渡った。兵士たちが一斉に姫様の方を向く。


「わたしは……たった今、クーデターをおこしました! そこのサチに協力してもらって、この国の王権をうばおうとしたのです!」

 

「姫様!?何を!?」

 僕は思わず叫んだ。何を言っているんだ、この子は!?

 

 兵士たちが、ざわざわと動揺し始める。互いに顔を見合わせ、囁き合う声が聞こえる。「姫様がクーデター?」「まさか」「どういうことだ?」鎧の擦れる音と、困惑の声が部屋に満ちる。

 

 国王は娘の突然の宣言に、ただ呆然と立ち尽くしている。その顔は、信じられないものを見るように目を見開いていた。


「くくく……そういうことか……」

 マスターだけが、状況を理解したように含み笑いを漏らした。

 

「あんたの国の姫さん、幼いのに本当にすごいっすね。覚悟、決まってるっす」

 ホズミも感心したように呟く。


「ど、どういうことなんですか?」


「この国の古い法律だ。通常、国家転覆罪などの重罪を起こしたものは死罪は免れぬ。だが、王族の場合、その血を尊び、完全に絶やさぬための例外規定がある」

 

 マスターは楽しそうに説明する。

 

「それは、国外追放。王族としての全ての権利を剥奪され、一般人に戻り、王国から追い出す追放刑だ」

 

「……国外追放!」

 

「王といえど、法を破ることはできぬ。しかも、これだけ多くの証人がいる前で、姫自らが堂々と宣言してしまっては。もはや、もみ消すこともできんなぁ」

 

「つまり、王よ。お前はチェックメイトになったのだ。姫はこの国の効力の及ばぬ場所へゆく。姫を殺すことなどできん」


「だから――もう素直に愛しても良いのだ」


 国王は、ただがっくりと膝をついた。もはや抵抗する気力も残っていないようだった。


「そうか……」

 

 姫様は、そんな父親を悲しげに見つめながらも、毅然とした態度で言った。

 

「パパ、わたしにすこしだけ時間をちょうだい。ホエールランドに行って、必ず呪いを解いてみせる」

 

「だから……わたしの初めてのワガママ、きいてくれる?」

 

 それは、追放される王女の、最後の願いであり、未来への宣戦布告だった。


「もし呪いがとけた時は……だっこしてほしいな」

 

 姫様の最後の言葉が、静まり返った部屋に響いた。国王は膝をついたまま、動かなかった。その目は床の一点を見つめている。かつて国を統べた威厳は消え失せ、ただただ打ちひしがれた男の姿だけがあった。

 

 やがて、彼はゆっくりと顔を上げた。その目には、涙が溜まっていたのか、月明かりを反射して微かに光る。

 彼は娘の姿を、目に焼き付けるかのように見つめ、そして……震える声で、ほとんど音にならない囁きを漏らした。


「……ああ……必ず……」


 その声には、後悔も、絶望も、そしてほんの少しの父親としての祈りが込められているように聞こえた。

 国と娘を乗せた天秤は……もう、揺れることはない。

 

 机の隅に置かれた色褪せた髪飾りが、月光の下で寂しげに揺れていた。



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