20話 僕はなんのために生まれてきた?
「わー凄いーー!本当に空を飛んでるー!」
眼下に広がるのは、どこまでも続く雲海。太陽の光を浴びてきらきらと輝き、まるで柔らかな絨毯のようだ。
姫は、かつて街の展望デッキだったであろう「天鯨の庭」の端、頑丈な金属製の手すりに小さな手をかけ、身を乗り出すようにしてその光景に歓声を上げていた。
周囲には、鳥たちが楽しげにさえずりながら船と並んで飛んでいた。
ここはまさに空に浮かぶ楽園だった。
「いやー本当に凄いですね!これがマスターの故郷なんですか?」
「ああ、そうだ。凄いのはこれだけじゃないぞ!ついて来い」
マスターに案内されて船内の一区画へ向かうと、そこでは一号くんが小さなスコップと熊手を使い、健気に土を耕していた。
既にいくつかの畝が作られ、そこには青々とした双葉が顔を出している。
「ヨク キタナ。 ハタケ ツクル タノシイ」
僕たちに気がついた一号くんが、小さな手を振った。その単眼レンズは、どこか誇らしげに輝いているように見える。
「ここは元々、都市の緑化エリアだったみたいでな。土壌改良システムも一部生きていたんだ」とマスターは説明する。
「それに種も残ってたようでな。ほら、これなんか見てみろ。遺伝子組み換え野菜だ!すぐに育つし、何よりもうまい!」
マスターは胸を張り、誇らしげに双葉の1つを指差した。その野菜は、見た目は普通だが、生命力に満ち溢れているように見える。
「ほーすごいですね!触ってみてもいいですか?」
僕が指先でそっと双葉に触れると、しっかりとした弾力を感じた。
これで食料を王国からのお土産に頼らなくても良くなったのかもしれない。自給自足は大事だからね!
「なー遺伝子組み換えってなんだー?」
フィリア姫が首をこてんと傾げながら尋ねる。
「そうだな、ちょっとだけ特別な工夫のことだな。そして、姫の呪いを解く希望だ!」
マスターは意味深に微笑んだ。
「おーそれは凄そうだぞー!」
姫様はまだよく分かっていないようだが、マスターの言葉に期待を込めて目を輝かせた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
『ホエールソング』が飛んで何日か経った。
空飛ぶ船での日々は、驚きと発見に満ちていた。朝は、雲海から昇る壮大な日の出と共に目覚める。
マスターは船内の解析や研究に没頭し、時折、僕や姫様を呼びつけては新たな発見を披露した。
姫様は、一号くんに手伝ってもらいながら畑仕事に精を出し、泥だらけになりながらも収穫の喜びを全身で感じていた。彼女は以前にも増して活発で、船内を探検しては新しい遊びを見つけてくる。
僕はそんな二人の世話を焼きつつ、二号ちゃんや三号さんからロボットのメンテナンス技術を学んだりして過ごしていた。
夜は、満天の星空の下、採れたての野菜を使った料理を囲み、今日の出来事を語り合う。それは、かつての王城での生活とは全く違う。自由で、温かく、そしてどこか冒険心をくすぐるような、穏やかで充実した時間だった。
そして、ある日――
「地下の入り口が見つかった?」
マスターが興奮した様子で僕の部屋に飛び込んできた。
「ああ、この船の機密が詰め込まれた秘密基地だ。気になるだろう?」
「もちろんです!」
僕も目を輝かせる。この船にはまだまだ未知の領域が隠されているようだ。
マスターに案内されたのは、船の最下層区画と思われる場所だった。
薄暗く、ひんやりとした空気が漂う通路の突き当たりに、周囲の壁とは明らかに異質な、重厚で巨大な金属製の扉が鎮座していた。
そして、その扉の脇には、かつて僕と激闘を繰り広げたあの侍ロボットが静かに佇んでいた。
「マスター、こいつは!?」僕は思わず身構える。
「いや、もう大丈夫だ」マスターは落ち着いた様子で僕を制した。
「SKt様 の 命令 は 無くなりました。もう 戦う 理由が ありません」
侍ロボットは抑揚のない合成音声でそう告げた。
その赤い双眸から以前のような敵意は消え、どこか虚無感が漂っているように見えた。
「と言うことだ。二号ちゃんに頼んで、修復してもらった」
「この 先に 行きたい の ですね 」侍ロボットは僕たちの意図を察したように言った。
侍ロボットが扉の表面にあるパネルにそっと手を触れる。すると、重々しい金属音を立てながら、巨大な扉がゆっくりと左右にスライドしていく。
その奥からは、さらに深い闇と、未知の気配が漂ってきた。
「というわけだ。案内してもらうとしよう」
マスターはニヤリと笑い、躊躇なく扉の奥へと足を踏み入れた。
扉の先は、広い通路になっており、その中央には、全体図と思われる大きな案内図が設置されている。
ホログラムで立体的に表示されたそれは、この施設がいかに広大で複雑な構造をしているかを示していた。
「ふむ、色々あるな。"機密格納庫"に、"アーカイブ"?……って、おい!"遺伝子分析室"もあるぞ!」
マスターが案内図を食い入るように見つめ、声を弾ませた。
「遺伝子分析室!」
その言葉に、心が高鳴る。
この世界の魔法は遺伝子に刻まれる。つまり、姫様の呪いは遺伝子疾患なのだ。
それを治す希望がついに見えたのかもしれない。
「すみません 私は 『アーカイブ』 に行きたい のですが、 行っても いいですか?」
侍ロボットが、僕たちの興奮をよそに、静かに申し出た。
「まぁ、いいが……アーカイブに何か用があるのか?」
マスターが訝しげに尋ねる。
「はい、 SKt様 が 眠っておられます」
「え!?」「なに?」
僕とマスターの声が、驚きと共に重なった。
* * *
侍ロボットに案内されてたどり着いた「アーカイブ」は、想像を絶する空間だった。
どこまでも続くかのように広がる、純白で統一された部屋。壁一面には、天井まで届くほどの巨大な棚が整然と並び、そこには無数のカプセルやデータストレージのようなものが収められている。
人工的な光が部屋全体を均一に照らし出し、まるで聖域のような静寂と清浄さに満ちていた。
「ここには、様々な遺伝子、植物の種子、歴史的記録、芸術作品、文明の記録、その全てがここに保存されています」
侍ロボットは淡々と説明する。
「まるでノアの方舟ですね……」
この船は、ただの移動手段ではなく、1つの文明を丸ごと保存するためのシェルターだったのかもしれない。
「それでSKt様はどこだ?」
マスターが逸る気持ちを抑えきれない様子で尋ねる。
「こちらです」
侍ロボットは奥まった一角へと僕たちを導いた。そこには「セメタリー」を意味する文字が刻まれた、雰囲気の異なる扉があった。
周囲の純白の空間とは対照的に、その扉は黒曜石のような艶のある素材で作られ、厳粛な雰囲気を漂わせている。
「墓地、ですね」
侍ロボットが扉に触れると音もなく静かに開いた。マスターが先に中へ入り、侍ロボットがそれに続く。
僕も緊張しながら、その後ろから足を踏み入れた。
内部は落ち着いた間接照明に照らされた静かな空間だった。
壁には等間隔に窪みが設けられ、そこにはカプセルのようなものが安置されている。
侍ロボットは、その1つのカプセルの前で足を止めた。それは他のものよりも装飾が施され、半透明のカバーの奥には、人影のようなものがぼんやりと見える。
近未来的でありながら、どこか神聖さも感じさせるそれは、まさしく「棺」と呼ぶにふさわしいものだった。
「SKt様。 私たちは 自由に なりました。 これが 望み だったの ですよね?」
侍ロボットは、棺に向かって静かに語りかけた。その声には、長年の務めを終えた安堵と、主への報告、そしてほんの少しの寂しさが込められているように聞こえた。
「これがSKt様か……」
マスターがおそるおそる棺の半透明なカバーに手を触れる。すると、カバーの表面が淡く発光し、そこに在りし日の姿であろう一人の男性の顔がホログラムのように鮮明に浮かび上がった。
そこに映し出されたのは、少し癖のある黒髪、優しさと知性をたたえた瞳、どこか見覚えのある――
「やはり、そうだったのか……」
マスターはわななく声で呟き、まるで糸が切れた人形のようにその場に崩れ落ち、膝をついた。
「なんで……こんなところで死んでいるんですか……師匠……」
その瞳には、信じられないという驚愕と、深い悲しみ、そしてやり場のない怒りのようなものが渦巻いている。
僕も、その顔を確かめようと棺に一歩近づいた。
「サチ!お前は来るな!!」
マスターが、鋭く、そして苦しげな声で僕を制止した。
「え?」
僕は思わず足を止める。マスターのこんなに切羽詰まった声は初めて聞いたかもしれない。
「……命令だ。私を一人にしろ。頼む……今は……いや……とにかく……くるな……」
その声は震えていたが、拒絶の意思は明確だった。
今のマスターの顔は……見ているのが辛いほど、悲しみに満ちている。
僕がここにいたら、きっと邪魔になるだけなのだろう……
「……わかりました。……どうぞ、ごゆっくり……」
僕は静かにそう答え、踵を返した。侍ロボットも何も言わずに僕に続いた。
* * *
重い扉が再び閉まり、僕はマスターを一人残してきた。
扉の向こうから、マスターの抑えきれない嗚咽のような声が微かに聞こえてくる気がした。
僕にできることは……今は、そっとしておくことだけなのかもしれない。
アーカイブ部屋を出て、再び案内図の前に立つ。ふと、もう1つの表示が目に留まった。「機密格納庫」。
何かに引かれるように、そこへ向かうべきだと感じた。
「侍さん。機密格納庫に案内してもらえませんか?」
「……承知 しました」
侍ロボットは一時の間を置いて、静かに頷いた。
機密格納庫の扉は、アーカイブのそれとはまた異なり、さらに厳重なセキュリティが施されているように見えた。幾重にもロックがかかり、赤い警告灯が点滅している。
侍ロボットが扉の認証パネルに手をかざし、いくつかの複雑な手順を踏むと、警告灯が緑に変わり、ズシリとした重い金属の塊がゆっくりと地響きにも似た重低音を立てて開いていく。
扉の隙間からは、冷たく乾燥した空気と、機械油のような独特の匂いが漏れ出してきた。
覚悟を決める。この先に何があるのか、期待と不安が入り混じる。
そこの光景は――
「なん……で……?」
扉が完全に開いた瞬間、僕は言葉を失った。
薄暗い格納庫の中、整然と並べられた複数のカプセル。
その1つ1つの中に、『僕』がいた。
いや、僕じゃない。『サチ』だ。でも、サチは僕で……
僕と同じ顔、同じ髪の色、同じ体つき。
間違いない『僕』だ。
震える足で、一番手前のカプセルに近づく。
手が触れると、カプセルは静かに開いた。
「あれ!?ここはどこですか!?これってもしかして異世界転生ですか!?」
絶句した。
「君の名前は……?」
「え?桜庭 こう――」
「お前の名前はサチ2。お前のマスターは僕、サチだ」
かつてエウロパが僕にしたように、半ば無意識に言葉を紡いでいた。
『――個体名認識。音声パターン照合。コマンドを受理。"サチ2"を正式名称として登録します』
「え!?いきなりどういうことですか!?」
「命令だ、サチ2。眠れ」
サチ2は、一瞬抵抗しようとするかのように目を見開いたが、やがてその瞳から力が抜け、ふらりと僕の腕の中に倒れ込んできた。その体は驚くほど軽く、そして冷たかった。
カプセルの側面には小さなモニターがあり、そこには淡い光でこの個体に関するであろう解説が映し出されていた。
『自律型戦闘兵器:量産試作モデル Type-01』
『ターゲットの懐に入り込みやすいよう、保護欲を掻き立てる愛らしい少女の外見を持つ。高度な戦闘能力と自己修復機能を備え、単独での情報収集、潜入、そしてターゲットの抹殺を目的として開発された機体。所有者からの命令には絶対服従するようにプログラムされている』
「はは……」
乾いた笑いが思わず出る。
なんで僕は違和感を持たなかったのだろう。
僕の腕が銃に変わることを。
僕の体が戦えることを。
ロボットさんたちが、僕を人形と認識できたことを。
メカ鬼熊と互換性を持つことを。
天鯨の庭のコンソールを操作できたことを。
人と同じように料理を食べることを。
ああ、そうだ。僕が城で、衛兵さんに酷いことをした記憶を消した理由がわかった。
ずっと、違和感だったんだ。
僕は、人を、殴る時に、気持ちがよかったんだ。
ずっと、ずっと、戦うのが、気持ちがよかったんだ。
「ねぇ、侍さん。転生ってあると思いますか?」
「転生? そんなの あるわけない。 死んだら 終わり だ」
「じゃあ、僕は――」
これは異世界転生じゃない。
ただ、ここで生まれただけ。
じゃあ、僕はなんのために生まれてきた?
人を幸せにするため、じゃない。
人を殺すために、生まれてきた。
僕は人間ごっこをしていただけの、替えの利く人形だ。




