9話 私たちの国の名前は
「準備完了っす! 皆さん、良い旅を!――転移!」
視界が完全に白一色になり、次の瞬間、内臓がひっくり返るような感覚と共に、足が地面を踏みしめる感触が戻ってきた。
「う……ぷ……」
思わずよろめく。転移酔い、というやつだろうか。人形の体でも、こういう感覚はあるらしい。
隣でマスターが「やれやれ、毎度この感覚は好かんな」と呟きながら帽子を被り直し、姫様は少し青い顔をしながらも、しっかりと立っていた。さすがは王族。
「……ここは……」
辺りを見回し、僕は息を呑んだ。
空を覆うのは、見たこともないほど巨大な木々の枝葉。その葉は、まるでエメラルドのように深い緑色で、太陽の光を浴びて鈍く輝いている。地面には色とりどりの草花、腰の高さほどもあるシダ植物が密生し、足元は柔らかく湿った腐葉土で覆われていた。
王都の洗練された庭園とは全く違う、圧倒的な生命力に満ちた森。これが……ホエールランド。
正直に言おう。僕はテンションが上がっている。
だってさ、冒険だよ?冒険?異世界来たんだからさ、そりゃあ冒険したいさ。
だからもう、今は楽しくて楽しくて仕方がない。ワクワクが止まらないというのはまさにこのことだ。
最近女の子と扱われすぎてるけど、僕、男の子だもの。
「なんか空気がへん……」
姫様が、深呼吸しながら呟いた。その表情は、緊張と好奇が入り混じっている。
「え?そうですか?」
とういうか僕って呼吸はしてるけど、酸素とか必要なんだろうか?
まぁドラえもんも呼吸してるし、そういうもんか。
「私にもわからんが、きっとそれは魔力が満ちている証拠だ。これならば……」
マスターはそう言うと、懐から小さな魔道具――魔力濃度を測る計器のようなもの――を取り出し、起動させた。針が勢いよく振り切れ、カツン、と音を立てて止まる。
「計測不能だと!?バカなそこまでの魔力が満ちているのか!?自然界でそんなのがありうるのか!?」
マスターの声にも興奮の色が滲んでいる。それからからぶつぶつと専門用語を呟く。楽しそうで何よりだ。
「えっと、つまり姫様の呪いは……?」
僕が尋ねると、フィリア様は意を決したように、ゆっくりと白い手袋を外し始めた。
そしてマスターの魔法で作られた僕の服にさわろうと――
「す、ストーップ!それ、万が一消えたら僕裸になりませんか?!」
「あ、たしかに……じゃあ、エウロパ、なんか作って」
「あ、ああ……姫の命令ならば、っと、創造《金塊》」
呪文が唱え終わると、そこには鈍い輝きを放つ、筆箱ほどの大きさの金の延べ棒が出現していた。
よくわかんないけどさ。それ、そんなに気軽に作っていいものじゃなくない?
「さあ、姫よ。これを触ってみるがいい」
マスターは促すが、その声にはわずかな緊張が滲んでいる。
姫様はごくりと唾を飲み込み、震える指を――素手の指を、ゆっくりと金の延べ棒へと伸ばした。僕もマスターも、固唾を飲んでその瞬間を見守る。森の静寂の中で、フィリア様の息遣いだけがやけに大きく聞こえた。
白い、華奢な指先が、金の冷たい表面に、そっと触れる。
一秒。
二秒。
…………何も、起こらない。
金塊は、そこに確かな質量を持って存在し続けている。消える気配は、まったくない。
「……!すごい!消えない!!」
そんな彼女にマスターは手を差し出した。姫様は震える手でその手に触れる。
「なんともない?」
「ああ、なんともないぞ姫よ」
「そっか!……そっか!……ここなら本当に呪いはないんだ!」
「ああ、やはり、私の研究に間違いはなかった」
「エウロパにこうやって触るの久しぶり!嬉しい!」
「そうだろう、そうだろう。私も嬉しいぞ、フィリア姫よ。いやマジで」
マスターは優しく姫様の頭を撫でた。その手つきは、慈しみに満ちていると言うことにしよう。
「……エウロパの触り方、なんか変。やっぱりサチがいい」
姫様は僕の方へ駆け出して抱きついてくる。
「おお、なぜだ姫よ……」
「自業自得です」
と呆れるように呟いたら、マスターはガチでへこんだ顔をした。
「ともあれ、拠点を作らねばならんな」
「それは賛成です」
「ということで、良い場所を探すぞ」
「おー」
僕は大きな風呂敷に包まれた大量のお土産を背負って、マスターは姫様を肩の上に乗せた。
「しゅっぱつ、しんこー」
僕たちはあてもなく歩き始めたのだった。
* * *
しばらく進むと、微かに水の流れる音が聞こえてきた。
音のする方へ向かうと、視界が開け、エメラルドグリーンの水を湛えた小さな川が流れているのが見えた。川岸は比較的平坦で、巨大な木々に囲まれているものの、日当たりも悪くない。
「お、ここは良さそうですね?」
なんか思ったよりもすぐに見つかったな。
川の水を掬ってみる。ひんやりとしていて、不純物もなさそうだ。飲料水としても使える可能性もある。
姫様は川面をキラキラと輝かせながら見つめている。そして、水に触れてパシャパシャと遊び始めた。
「うむ、ここなら拠点にするには十分だろう」
マスターも満足げに頷いた。
「さて、まずは住居だな。雨風を凌げなければ話にならん」
マスターはそう言うと、詠唱を始めた。
「創造〈ログハウス〉!」
意気揚々と叫んだ呪文は薄暗い森へ消えゆき、静けさが訪れた。そこに期待されたマジカルなものは一切発生していない。
「……マスター?」
どうしたことだろうと、マスターの顔を伺うと、なんてことの無いような顔でこう言った。
「すまん、失敗した」
「え!?そんなのがあるんですか!?」
「ああ、私の魔法はな……簡単に言えば、明確にイメージできたものをこの世に創造する力なのだが……"明確にイメージする"というのが肝でな。素材、構造、制作工程……それら全てを寸分の狂いなく頭の中で構築する必要がある。少しでもイメージが曖昧だったり、現実の法則と矛盾していたりすれば、決して形にはならない」
「つまり?」
「家とか無理だ!」
「服はあんなに作れるのに!?」
「だってそれは得意だから……それに楽しいし……」
「そういうものですか!?」
「ええい!創造〈ほったて小屋〉!」」
マスターがやけくそながら呪文を唱えると、僕たちの目の前に、あっという間に小さな木造の小屋が出現した。屋根と壁があれば十分だろう、と言わんばかりの、飾り気のないシンプルな真四角の建物だ。念のため、小屋の周りをぐるりと確認する。
「あれ、扉は?」
「あ、忘れてた」
「欠陥住宅……!」
「うるさいぞ!サチ!そんなに言うならお前がやってみろ!できないだろうがな〜〜〜!だって魔法使えないんだもんなぁ〜〜!」
「でも武力ならありますよ」
「OKサチ、落ち着こう」
この後ノコギリを創造してもらって、無理やり入り口を作ったのだった。
マスターの作った小屋は思ったよりも広い。
中はがらんどうで、壁も床も打ち付けただけの粗末な木材。窓もなければ、当然家具もない。
後でそれはなんとかするとして――
「さて、まずは大量の餞別品を運び入れますか」
僕は青い風呂敷にまとめられた、小山のような荷物に向き直る。
「おお、サチよ頑張っt」
「わたしも手伝うぞーサチ〜!」
「私も手伝おう」
いま、こいつ、僕に丸投げしようとした?
それから僕たちは拠点作りを始めた。
マスターが家に収納棚やら、テーブルやらの家具を作っているうちに、姫様と二人で、まずは運びやすい食料の袋や衣類の包みから小屋の中へ運び始めた。
「よいしょ、よいしょ」
姫様も小さな体で一生懸命、荷物を運んでくれる。その額にはうっすらと汗が浮かんでいるように見えた。
可愛いなぁ……って違う!マスター的な意味ではなく、純粋に愛おしいという気持ちだ!
断じて僕はマスターとは違う。
「食料はそこだ。うん、壁際がいいだろう」「服は……とりあえずこっちに山積みにしておけ。後でタンスを作る」
運び込んだ荷物を、マスターが適当に指示する場所に置いていく。
そして――
「できました!」
マスターが魔法で生み出し、僕が無理やり入り口を切り開いた、まさに「ほったて小屋」という表現がぴったりの建物。
それでも、中は見違えるようになっていた。
壁際にはシンプルな木の棚がいくつか設置され、姫様が城の人々から貰った保存食の袋や、用途不明の道具が整理されている。部屋の中央にはテーブルと、申し訳程度の椅子が三脚。
僕が作った窓枠にはガラスも何もはまっていないけれど、そこから差し込む森の緑の光が、室内に奇妙な模様を描いていた。
隅の方には、布を張っただけの簡素な寝床が3つ用意され、その隣のタンスには城から持ってきた衣類の山が押し込まれている。床も壁も打ち付けただけの荒削りな木材で、隙間からは時折、森の風が吹き込んでくる。
決して快適とは言えない。お世辞にも立派とは言えない。
だが、そこには確かに、僕たちが自分たちの手で作り上げた「最初の拠点」としての形があった。
「ふむ、まあ、悪くない?まぁ悪くないか。そういう出来栄えだな」
マスターは腕を組み、満足げに頷いた。
「すごい!本当に家ができた!」
姫様は目を輝かせ、部屋の中を嬉しそうに見回している。
「ねぇねぇ、これって街できるかな?国できるかな?」
「え……街ですか?それとはちょっと違うような……」
いや〜どう贔屓目に見ても街とは言えないだろう。せいぜい山小屋だ。
「そっか」
「なぜ、街ができると?」
「だって、パパが言ったから……街を、国を作れって」
「ククク」「あはは」
「「あはははははははははははは」」
僕とマスタはー顔を見合わせて笑った。
「わ、笑うなー!」
「いいですね!国!」「さすがは国王陛下だ!先見の名がある!」
"国づくり"このワードにワクワクしない奴はいない。
僕たちの目標が新たに決まった。姫様の呪いを完全に解除する方法、そして国を作ることだ。
「国を作るのにあとは何が必要ですかね?」
「そうだな、研究所とかが欲しいな私は」
「じゃあ、わたしはお風呂! 」
姫様がぱっと顔を輝かせる。城ではあっただろうが、姫様がお風呂に入る時はいつも一人だ。
「ふむ、風呂か……。水の確保と加熱機構……む、配管のイメージが……いや、だが露天風呂形式ならば……? 熱源は私の魔力で……うん、不可能ではないな。よし、リストに入れておこう」
マスターは真面目な顔でぶつぶつと考察を始める。
「あとは、電気! 電気は無理ですかね? パソコンとか使いたいですし」
「電気とな? 水力発電……いや、安定供給と蓄電が……魔道具があれば……」
パソコンに突っ込みが入らないってことは、もしかしてこの世界にあんの?パソコン。
「ねぇねぇ、私はね、お花畑も欲しい! いろーんなお花がいっぱい咲いてるの!」
姫様が楽しそうに提案する。
「花畑か。良いではないか。癒しは必要だ。それに食料も。土壌改良と種子の入手……まぁなんとかなるか?」
「あとね、お友達も欲しいな! みんなで遊べる広場とか!」
「「……!」」
姫様の言葉に、僕とマスターは一瞬、言葉を失う。
それは、彼女が城で最も得られなかったものの1つだ。
「そうだな、国なのだから民は必要だ!」
「頑張って、人を呼び込めるような魅力的な国にしましょう!」
「そうだなぁ、まずはサチのライブ会場でも作ろう!」
「やらないですよ、アイドル」
「なぜだ!?」
当然である。ぶっちゃけ、メイド服のスカート履くのもちょっと嫌だったんだからな。
「ねね、そういや、とても大切なものきめてないよ」
「大切なもの?」
「名前!」
名前……姫様が持ちえなかったもの……とても大切なもの。
「そうだな。名前は大事だ。なぁフィリア姫よ、良い名はないか?」
「え、わたし?うーんと……ここはホエールランドってところだから……」
姫様は少しの間、首を傾げて考え込む。森の光が彼女の白い髪をきらめかせた。
「……そうだ!『ホエールソング』、とかはどうかな?」
フィリア様は少し照れたように、でも期待を込めた目で僕たちを見る。
「『ホエールソング』ですか」
僕は頷く。変に凝った名前よりも、この場所の由来を大切にするのは素敵だと思った。
「クジラさんはさびしくなった時、友達を求めて歌うんだよ」
「気に入った!私たちの国の名前は――」
「「ホエールソングだ(です)!」」
僕たちの新しい生活は、どうやら前途多難、だけど希望に満ちているようだ。
巨大な木々が見下ろす川辺に建てられた小さな小屋。
そこが、僕たちの、そしていつか多くの人が集うであろう国、『ホエールソング』の始まりの場所となったのだった。




