刻は巡り廻りて
この世界に来てから、恐らくは最悪の気分の中で目覚めた日になった気がする。
まあ、シエルさんという癒しが居るから、直ぐに中和──いや、プラスに回復させられるのだけど。取り敢えず、考えるのは後回しで。先ずは遣る事を遣ってから、ゆっくりと。
──なんて思っている時には、これ以上無い位に手早く片付いてしまうものです。
……はぁ~……面倒臭いけど、確認しようか。
一先ずはシエルさんに。
「昨夜──寝ている時になるかもしれないんだけど何か聞こえた?」
「昨夜? …………これと言って、それらしい事に心当たりは無いわね」
ふむ。そうなると、昨夜のは勇者だからかな?
ジョブを持っているとは言え、シエルさん自身は勇者ではない。だから、無関係という事になっても何も可笑しくはない。
「……何か有ったの?」
「まあ、ちょっとね……先に確認するから」
「判ったわ」
そう言って【足跡之書】を取り出し、開く。
地図機能は俺以外にも見る事が出来るのだけれど俺に届いた天の声のログは閲覧不可能。当然ながら再生しても聞き取れません。
昨夜、それは意識が沈んでいく中で唐突に響き、無意識に無視したくなるものだった。
本当なら、起きたら朝一で【足跡之書】を開いて確認するべきなんでしょうけど……超億劫だった。そういう案件でしたからね。
そして、昨夜のログを再生します。
《緊急速報! 緊急速報!》
《勇者によって魔王が討伐されました!》
《魔王消滅に伴い、現時刻を以て、勇者システムを完全停止します》
《勇者システム停止により、召喚機能は使用不可能となりました》
《勇者システムの影響下に有る全ての勇者は能力を消滅します》
《…………処理は正常に完了しました》
《勇者システム停止に伴い、ダンジョンシステムが停止しました》
《以後、新たなダンジョンは発生しません》
《尚、現存するダンジョンは解放されました》
《魔王消滅に伴い、現存する全てのインベーダーが消滅します》
《…………完全消滅を確認しました》
《魔王システムは正常に機能を停止しました》
《次の魔王の誕生までは666節となります》
《魔王討伐は達成されましたが、勇者パーティーも全滅した為、結果は相討ちとなります》
《相討ちとなった事で、【魔王の呪怨】が世界中の人類を対象として発動されました》
《…………正常に効果が適用れました》
《勇者の皆様、御疲れ様でした》
……………………ハアァッ!? どういう事っ?! 意味不明過ぎるんですけどっ?!
思わず立ち上がった俺を見て驚くシエルさん。
正直、声を出さなかった自分を誉めたい位です。普通なら、絶対に叫んでますって。
何を言っていいのかが判らなかった、という事も有りますけどね。パニックった割りには余計な事は口にしなかったのは、これまでの経験ですかね。
取り敢えず、深呼吸をしましょう。
「大丈夫?」
「有難う、落ち着いたから」
「そう……それで、何が有ったの?」
「え~とね……昨夜、でいいのかな。勇者によって魔王が倒されたんだって」
「え? そうなの? 良かった……のよね?」
「悪い事ではないんだと思うけど……ちょっとね」
「そう……だったら、御父様も大変かしら……」
「ん? それって、どういう事?」
「……あら? 話した事無かった? 各国の国主は勇者の召喚権を授かる事と、勇者が召喚された事を天の声によって告げられるのよ」
「後半部分は初めて聞いたと思う。それで?」
「だから、召喚された勇者の全滅も告げられるの。当然、魔王が倒された事も告げられる筈よ」
「…………言われてみると確かに知らないままだと協力のしようもないか」
「勿論、勇者の個人情報とかは判らないけれどね」
「まあ、流石に其処はねぇ……」
勇者の1人として、プライバシー情報の漏洩とか笑えませんからね。良かった。
しかし、そうなると、各国の国主は全員が昨夜の天の声を聞いたという事に。
魔王討伐の事が知れ渡るのは構いません。人々が望み続けていた悲願ですからね。
ですが、それ以外の情報は……笑えません。
…………いや、もしかして、俺だけが彼処までの情報を聞いた? ……その可能性は考えられる。
確認してみたら俺の勇者としての力は顕在だし、シエルさんのジョブも顕在。
これは、勇者システムからは独立しているから。だから、勇者システムが停止しても問題無し、と。
そう考えると、最初に勇者システムが停止した。その時点で自分以外の勇者は情報を知る術が無く、各国国主の方も召喚機能に付随する通知機能なら、同じ様に其処から先の事は知らない可能性が高い。もしかしたら、勇者システムの停止自体も知らない可能性まで有ります。
もし、勇者システムの停止以降の情報を、誰一人として知らないのだとすると。
下手に俺の知っている事は話せません。
陛下達だけなら兎も角、陛下達も一国を背負い、民を守る立場ですからね。何かしらの危機が有ると考えられるのであれば、動かざるを得ません。
そうなると王国の貴族や王国軍、冒険者ギルドや有力者にも協力を求める必要が有り、話さないまま事を進めるというのは、実質的に不可能でしょう。具体的に何をするべきなのかを話し合わなければ、協力も難しい訳ですから。
しかし、話したら、間違い無く混乱が起きます。それも一部には留まらず、一気に拡大する筈。
直接ではないにしても、間接的に多くの人の命が危険に晒される可能性が高まります。
そうなれば、収拾が着かなくなるでしょう。
ちょっと想像しただけでも、その先は碌な展開が思い浮かびませんから。
そんな訳で……さて、どうしましょうか。
取り敢えずは、「ちょっと出掛けてくるから」と伝えて、シエルさんを連れて誰も居ない所に移動。万が一にも聞かれる訳にはいきませんから。
「……かなり重要な話みたいね」
「うん、まあ……正直な話、この事は知らない方が幸せだとは思うから……止めておく?」
「貴男だけに背負わせたら、私は胸を張って貴男の妻だと名乗れなくなるわ。そんなのは嫌だもの」
そんな事を言われてしまうと感情が溢れます。
大脱線はしませんが、少しばかり、想いを伝え、改めて御互いの大切さを確かめ合ってしまう事は、仕方が無いと思います。
誰も独りでは生きられませんからね。
「順に説明すると、勇者が魔王を倒した事によって勇者に力を与えたり、勇者を召喚していた力の源が役目を終えた事で停止したんだ」
「……貴男も私も、力は使えているわよね?」
「うん。それは俺が【領主】になって独立したから影響を受けなくなってるみたい」
「あ、成る程ね」
「それで、俺以外の勇者は力を失った」
「魔王が倒されたら、その力は不要、という訳ね」
「勇者の力を悪用させない為、なんだろうけどね。でも、最初から悪用は出来無い様になってるから、結局は失う事になるとは思うよ」
「過ぎた力は人を変え、己を滅ぼす、という事ね。まあ、こういう言い方をするのも悪いけど、勇者は魔王を倒す為の存在だから仕方が無いわよね」
「そうだね。だから、それは必然だって思ってる。それよりも問題は此処から。先ずは勇者の力が不要になった事でダンジョンに変化が生じた事」
「変化? クリーチャーが外に出てくるとか?」
「具体的には確認してみないと判らないんだけど、ダンジョンは解放されたみたいだね」
「解放……確かにクリーチャー関連である可能性も有り得るけれど、勇者専用だったのが、誰でも入る事が出来る様になった、とか?」
「俺も其方の可能性は高いと思う。1つの意味だけだとも限らないしね。あと、ダンジョンは新たには出現しないから、早い者勝ちって事」
「……殆どは攻略されていたわよね?」
「少なくとも各国が確認していたダンジョンはね。でも、まだ東側には残ってると思う。西側で俺達が見付けて攻略したみたいに」
「普通は入れない場所ばかりだったわよね?」
「全部じゃなくて、単純に人が近寄らなかったから未発見だった場合も多かったしね。探す様になれば誰かが見付ける可能性は高いと思う」
「…………私達が先に見付けるべきかしら?」
「正直、微妙かな。目撃されると面倒だし」
「そうよねぇ……」
「まあ、ダンジョンの事は然程問題じゃないかな。挑戦者は自己責任な訳だから」
「冒険者らしく、という事ね」
「魔王が倒された事で、全てのインベーダーが既に消滅している。だから、魔王領の争奪戦が始まるかもしれない」
「次は人と人とが殺し合うのね……」
「俺達からすると、珍しくもない事なんだけどね。それはそれとして問題は新たな魔王が誕生する事が確定しているって事」
「………………それは本当……なのよね……」
「残念ながら。まあ、666節後らしいけど」
「1年6節だから、111年後?」
「俺達は亡くなってるだろうから、子孫の時代の事になるんだろうね」
「……何て言えばいいのか……難しいわね……」
「さっきの話じゃないけど、魔王という存在自体が1つの抑止力みたいなものだと思うよ」
「魔王が抑止力?」
「人と人とが争わない為のね」
「ああ……そういう意味ね。確かに、そうかも」
「皮肉な話だけどね」
「人の持つ業とでも言うのか、愚かさと言うのか。言われてみると、色々と考えさせられるわ」
「多分、そういう事を示す為でも有るんだろうね。魔王という存在、その必要性を考えないと見えない世界に隠された神意という意味で」
「壮大な教育ね」
そう言って苦笑するシエルさん。見詰め合って、自然と空を見上げる。
きっと、同じ思いだろう。
「ねぇ、神様? 人って何なの?」と。
そう問い掛けたくなる。
まあ、答えが返る筈も無いし、それを気にしては生きられないのも確かですからね。
俺達は俺達で考え、行動し、成否を決めるよりも過ちを繰り返さない様に学ぶべきなんでしょうね。正解と思った事が本当に正しいとは限らないので。ある意味では、疑い続ける事が大事なのかも。
そんな生き方は、辛くて苦しくて寂しくて孤独。だから、普通は出来ませんし、遣ろうとも思わない事でしょう。人間不信等とは違いますしね。
禅問答よりも難問だと思います。
「……そう言えば、魔王を倒した勇者は元の世界に戻れるのよね? 残る事も出来るそうだけど」
「……それなんだけどね、どうやら、勇者と魔王は相討ちだったみたいなんだ」
「……え?」
「それで相討ちだから【魔王の呪怨】っていうのが世界中の人を対象にして発動したみたいなんだ」
「……………………それ、大丈夫なの?」
「正直、何とも言えないかな。俺達に影響が出てる様には見えないんだけど……何か違和感有る?」
「…………これと言っては無いわね」
「俺も特に何も無いし、アレクシルやアンナ達にも変わった様子や何処か体調が悪そうにも無いから、よく判らないんだよね。必ずしも命に関わる事とは限らないだろうし……名前が物騒だからか、つい、警戒するけど、全ての人を対象にした上で死を齎す様な事だったら魔王を倒させる事自体が矛盾する」
「勇者を召喚してまで倒したのに、人は滅亡する。そうなるのだとしたら、異世界から勇者を召喚する必要なんて最初から無いものね」
「魔王やインベーダーが人と同じ様に一種族として存在するのなら、共存という可能性を見出だせない人々には存在する価値は無い。そう判断されたなら理解は出来る。納得するのかは別にしても」
「そういう方向で人が試されているのならね」
「でも、実際には話し合いの余地すら無いんだから魔王やインベーダーは倒される為の存在だろうし、勇者にしても希望という意味でも必要な存在だとは思える。ただ、そうなると、この世界の人々は一体何を問われる事になるのか?」
「…………勇者と共に戦う事、とか?」
「有り得なくはないと思う。現に、今のシエルなら魔王とも戦えるだろうしね。でも、抑の話、勇者は魔王を倒す為の存在で、魔王軍──インベーダーと戦ってるのは、この世界の人達の方が多いよね?」
「まあ、勇者も最初から強くはないし、複数の国で召喚される訳ではないから……そうなるわよね」
「その戦線維持の為に犠牲になった人も少なくないだろうから、「戦ってはいない」とは言えない筈。そう考えると、論点は違う気がしない?」
「そうね……さっきの教育という話ではないけれど何かを人々に示そうとしている、とか?」
「俺しか知る事が出来無いのに?」
「そうよね……貴男が居なければ、その事実を誰も知る事は無かったでしょうから…………逆に言えば貴男が居るから、とか?」
「その可能性も考えられるけど……その場合、俺が魔王を倒すしかない状況になる様な気がする」
「あー……まあ、ある意味では貴男が真の勇者だと言っても間違いではないものね。そうだとすると、貴男が独立した時点で他の勇者は力を失っているか状況によっては亡くなっているでしょうね」
「うん。だから、そういう事でも無いとは思う」
「…………難しいわね」
「……ちょっと嫌な可能性になるんだけど、魔王を倒した勇者パーティーは全滅したけど、一方で勇者全員が死亡してはいない筈。俺は対象外にしても、態々、勇者の力が失われるという旨を伝えるのは、この世界に元勇者が生存するからだと思う」
「成る程……でも、それの何処が嫌なの?」
「その元勇者も決戦の為に戦っていただろうから、魔王の居城に居た可能性は高いと思う。其処で力を失ってしまうと危険。だけど、インベーダーは消滅してしまったから、脅威はモンスターだけ──と、そう思っている所に、味方だった筈の人達が勇者の装備品等を目当てに襲い掛かる」
「……………………想像しただけで気分が悪くなる可能性だけれど、有り得なくもないわね……」
「この世界の人々が対象なら異世界から召喚された勇者は対象外の可能性は考えられる」
「……つまり、魔王を倒した後、人々が勇者として自分達の為に戦った者に何をするのか。その対応を問われている、という事?」
「用済みだから不要、と始末しそうだしね」
「…………絶対に無いとは言い切れないわね」
「ただ、そうだとすると、【魔王の呪怨】は現状は未発現になる筈だけど……」
「……そっか。発動済みなのよね」
「その辺りの矛盾とかを考えると、可能性としては無いに等しいのかもしれない」
「……結局、何も判らないのね。困る訳だわ」
そう言って溜め息を吐くシエルさん。
一通り、自分の中で仮定と検証を繰り返した上でシエルさんと話していますからね。それを察したら俺が困惑していた事にも納得出来る訳です。
情報を与えられても困る事って有りますから。
「それで貴男はどうするつもりなの?」
「んー……暫くは様子見かな。御義父さん達の事は信じてるけど、その立場を考えると下手に今の話を伝えたら不要な混乱を招き兼ねないし、そうなるとアレクシル達まで巻き込みそうだからね」
「その状況を想像出来るだけに困るわね」
「御姫様としては複雑?」
「家族としてはね。でも、今は貴男の御妃だもの。優先順位は間違わないわ」
「俺にとっては、ずっと御姫様でも有るけどね」
「もぉ……そんな事言ったら我慢出来無いわ」
シエルさんと話し合った結果、暫くは様子見で。ただ、俺達──俺と妻達とアレクシル以外の誰かに変化が現れたら、直ぐに動くつもりです。
また、新しい天の声が聞こえてくればね。
そう決めてから、既に10日が経過しましたが、これと言った変化は有りません。
俺のダンジョンにも変化や異常は見られませんし島を含めた領内にも何も無し。
「……アレは何だったんだ?」と思ってしまう程平穏な日常のままです。
外の様子も気にはなりますが、事が事ですから。慎重になってしまうのも仕方の無い事です。
尤も、国同士の戦争が直ぐに直ぐ発生する事には成らないと思っています。
魔王領の周辺国では必然的に軍事力が高まる事は判りますが、同時に消耗・疲弊もしています。
また、直接は魔王領と接していない国々も決して弱いという事は有りません。何しろ、この世界にはモンスターという共通の脅威が存在していますから何処も相応の戦力を有しています。
寧ろ、魔王軍との戦いが無い分、国力という意味でなら、周辺国よりも上だと言えます。
そういった状況を考えても、直ぐに戦争が始まるという可能性は低いと思います。
長く続いた魔王との戦いです。何れだけの勇者が挑み、敗れ去ってきた事か。それを考えれば勇者が必ず魔王を倒すという確証は有りません。だから、事前に根回しをしたり、準備をしたりは無理です。魔王を倒してから、何処も考え、動く事でしょう。
そうなると単独での戦争には準備が必要ですし、何処かと協力するにしても交渉は簡単に纏まる事は先ず無いと思います。各々の事情や思惑というのが絡み合いますからね。
だから、ある程度の猶予は有ると思っています。少なくとも3ヶ月程度は。それが目安です。
それまでに何か有れば、という感じです。
因みに、【足跡之書】は自分が状態異常になると記録として残ります。以前、試してみましたので。だから、【魔王の呪怨】を受けたという記録が無いという事は受けてはいない訳です。その対象として含まれていたら、ですけどね。
「……旦那様?」
「今日の夜は刺身にしようかなって。どう?」
「御刺身は食の極みだと思います!」
ちょっと興奮気味に言うミーネに癒されます。
話せない事ですけど、全く気にしない・考えないというのは難しいので。つい、それを皆の前でした場合には然り気無く誤魔化しています。
勿論、メイド・執事の前では気を抜きませんから怪しまれてはいないとは思いますが……ベテランの実力者揃いですからね。何とも言えません。
ただ、隔離された場所なので外部から何かしらの影響を受けて、という事が無いので、探ってきたり話し合う様な事もしないので助かります。
そういう諸々を加味すると、今の自分が置かれた状況というのは出来過ぎている様にも思えます。
不安や心配、ネガティブな思考というのは、常に些細な事からでも生じますからね。常にポジティブというのは意外と難しいものです。
まあ、深く考えなければ、楽なんでしょうけど。背負うものが有る以上は無責任には成れません。
因みに、刺身──魚介類のモンスターの生食って技術的に難しかったらしく、食文化としては一般的では有りませんでした。
それを可能にし、醤油や山葵といった物も造り、我が家では日常的に食べられる様にしました。
一応、御義姉さん経由で少しずつ広めていますが一般家庭に普及・定着するまでには時間が掛かると思っています。醤油とかの製造設備等を整えるのに時間や人員が掛かりますしね。
何でもかんでも俺が用意してしまうと、発展する可能性の芽を潰すかもしれませんから。
もどかしいですけど、御義姉さん達も理解をして食べたい時には此方等に言ってきます。それ位なら我が儘ではなく、家族への御強請りの範疇ですから問題は有りません。
そして、ミーネは刺身が超御気に入り。魚介類が基本的には好きなんですけどね。
だから、海産物の養殖関係の手伝いには率先して参加してくれています。今もね。
何だかんだと思っている内に1ヶ月が経過。
元々、暫くは島で過ごすと伝えては有りますから向こうに行かなくても予定という事では問題無し。心配はされているかもしれませんが。
もし、勇者が力を失ったと知れば、此方等からは簡単に移動出来無くなった可能性も考えられる事。その為、顔を見せられなくても仕方が無い、と。
そういう風に考えられるでしょう。
それはそれで、心配にはなるんでしょうけどね。場所が場所なので簡単には動けませんし、立場的に迂闊な言動はされない筈です。……多分。
「こうまで何も無いと逆に不安になるな~」
「あ~い」
「ふふっ、お父さんが居るから平気だって」
「お母さんも居るもんな~?」
「う~い」
「ほら、“母は強し”だってさ」
「勿論よ、世界最強のお母さんは好きかしら?」
「きゃぁ~い」
「大好きだって」
──と、アレクシルを連れて親子3人で散歩中。アレクシル以外には居ないので例の事も話せます。秘密や隠し事って抱えているだけだと苦しいので。こうして時々は吐き出す事も必要だと思います。
勿論、ちゃんと漏洩防止措置をした上で、です。軽率で身勝手で無責任な真似は駄目ですからね。
その上で、我が子という癒し。効果覿面です。
イチャイチャもしてますしね~。
まあ、抱っこしたアレクシルは割りと彼方此方に視線と意識を向けていますけど。でも、個人的には好奇心旺盛なのは良い事だと思います。
「それにしても、何も判らないというのは、こうも不安感や恐怖感を煽ってくるものなのね」
「そうだね……それも知らなければ、気にもしない訳だから、知ってしまったが故の苦しみかな……」
「言って置くけれど、聞かなければ良かったなんて私は微塵も思ってはいないわよ。貴男と共に歩むと決めた以上は全てを一緒に背負う覚悟だから」
「シエル……」
「だぁ~い」
「アレクシルもか?」
「ちゃぁ~い」
「俺に任せておけー、だって」
「ははっ、それは頼もしいな」
そう本当に言っている訳ではないけれど。
こういう時、言葉ではなく真っ直ぐな感情だから心にグッ……とくる事って有りますよね。
涙脆くなる様な年齢って訳でもないんですけど。やっぱり、自分の子供が生まれると本能的な部分で敏感にはなるのかもしれません。
だって、赤ん坊は言葉での感情表現や意思疎通は出来ませんから。赤ん坊の事を理解しようと思うと向き合う以外には知る術は無いと思うんです。
“サルでも判る育児マニュアル”みたいな本とか有ったとしても、所詮は一例だったり、アンケート調査で多かった事だけという場合が殆どなんだとは思います。そんなに簡単に出来ませんから。
ああいうのって結局は“数打ちゃ当たる詐欺”と手口は同じなんでしょうね。犯罪じゃないだけで。勿論、其処が大きな違いな訳ですけど。
そう思うと、人って矛盾してますよね。
自分の事を他者に認めさせたい、注目されたいと思う承認欲求や自己顕示欲が有る一方で、個人情報厳守だのプライバシー保護だの匿名希望だのと秘密主義でも有る訳ですから。
その両立って不可能だと思いません? だって、矛盾が成立する訳ですから。歪んだ社会でなければ実現はしないと思うんですよ。マジで。
「……ねぇ、アイク。貴男にも向こうには御家族が居るのよね? 正直、どう思っているの?」
「あー……まあ、何と言うか……放任主義かな」
「……と言うと?」
「薄情な訳じゃなくて、「お前の人生なんだから、お前の好きに生きろ」って感じの家族だからね~。それに勇者って召喚された後、向こうでは、どんな扱いになってるのかも判らないしね」
「…………そう言われてみると物凄い事よね」
「まあ、此方等側からすれば勇者を召喚する事には使命感や大義名分が有るんだろうけど、彼方等側の家族とかからすれば痕跡も無い突然の失踪だしね。実態は異世界誘拐なんだけど……ああ、そういう事でなら、“神隠し”って言うのが正しいのかもね」
「神隠し?」
「神様によって隠される──連れ去られるって事」
「ああ……そうね。確かに一番大きな見方でなら、そういう風にも言えるでしょうね」
勇者を召喚する力──システムは神によるもの。確証が有る訳ではないけど、この世界の人々自身もそういう風に考えているみたいだしね。
だから、強ち間違った表現ではないと思う。
「……ずっと訊けなかったのだけれど……御家族に会いたい? 向こうに帰りたいって思う?」
「シエルやアレクシル、アンナ達を紹介したいとは思うけど……んー……それ位でしかないかな」
「……そうなの?」
「ちょっと、ややこしい話になるんだけど、勇者が魔王を倒して、元の世界に戻るとして……その時、勇者が戻る先って、どうなると思う?」
「どうって……元居た場所じゃないの? 違う所に行くのだったら戻る事には為らないわよね?」
「元の世界に戻るのなら、場所は関係無くない?」
「あー…………そうだったら最低ね」
「まあ、飽く迄も可能性の話なんだけどね。勇者が元の世界に戻るとして、場所よりも重要になるのが時間軸になると思う」
「時間軸?」
「さっきの話とも関わるんだけど、勇者として召喚された場合は失踪扱いになる可能性が高い訳だけど元の世界に戻るのなら、失踪した後に戻されたら、説明のしようが無い。勇者としての力と共に記憶も失うのなら話は別だけどね」
「…………そうね、失踪していた人が戻ってきたら何処で何をしていたのかは気になるでしょうから、普通は聞いたり調べるわよね」
「しかも、俺達は同じ場所に居たからね。同じ様な状況で1人だけ、或いは数人だけが無事に戻ったら騒ぎにならない訳が無い。それだと無責任過ぎる。そう為らない様にするには召喚された直後の時間に戻る必要が出てくる、という事」
「確かに、ややこしい話ね」
「その場合でも、他に行方不明者が出る訳だから、もしかしたら、何かしらの事故現場みたいな状況に為っている可能性も考えられるかな。それだったら戻されても“奇跡的な生存者”って事で辻褄が合う感じには成るだろうしね」
「それなら……まあ、問題は無い……のかしら?」
「役目を終えたら勇者の力と記憶は向こうの世界で生きていくのには不要だからね」
「本人にも判らないなら、怪しまれもしない、と。改めて考えると勇者召喚って酷い所業ね」
「その御陰で出逢えたんだから必ずしも害悪だとは言い切れないかな」
「……勇者ハルとバルト王子も、こんな風に一緒に悩んでいたのかしらね……」
「状況は違うけど、この世界で生きる勇者にとって一度は向き合う事になる問題かもしれないね」
そう言いながら、二人で空を見上げる。
そのまま大きく息を吸い──大きく吐き出す。
誰に何を言う訳ではないのだけれど。
叫び声にも成らない、モヤモヤとした感情が心の中から少しずつ抜け出して行く様な気がする。
「……あら? ふふっ、寝ちゃったわね」
「寝付きが良いんだっけ?」
「そうみたいね。知っている中では、一、二を争う寝付きの良さらしいわ」
「その競ってる相手が気になるな~」
「ふふっ、貴男も知っている人よ」
「え? マジで?」
「ええ、マジよ」
「………………御義姉さんとか?」
「……よく判ったわね。私は当てられなかったわ」
「あー……まあ、俺だと知り合いは限られるしね」
「本音は?」
「正直、一度寝たら起きない肝っ玉赤ちゃん時代の御義姉さんの姿しか浮かばなかった」
「今度会った時に姉様に教えてあげないとね」
「ちょっ!?」
「だから、口止め料。期待するわね?」
そう言って慌てる俺にキスするシエルさん。
狡い。アレクシルが居るから反撃も出来ません。成る程、つまり今夜は激闘必至、という訳ですね。フッ……受けて立とう!
「え~とね……出来ちゃったみたい。2人目」
そう照れ笑いするシエルさん。
無言のまま抱き締めると、抱き締め返される。
それだけで想いは伝わりますが言葉にもします。半分は周囲に対する意味も含みますので。
はい、ポーチェ達も最近激しいので。牽制です。あんまり遣る意味も効果も有りませんけどね。まだ早いって言ってるんですが……2人が望む気持ちも理解が出来るので悩ましい所です。
さて、それはそれとして。
アレクシルの時にも報告に行ったので、2人目が出来た以上は報告に行くべきでしょう。行かないと皆からも怪しまれますからね。
ただ、そうなると向こうで面倒事に巻き込まれる可能性も出て来ますから……覚悟が必要です。
皆に気付かれない様に、こっそりとですが。
「ちょっと微妙な時期になっちゃったかしら?」
「“子は天からの授かり物”とも言うから、それが運命なんだと思うよ。抑、出来無い様に気を付けてなかった訳だしね」
「それはまあ……早く欲しかったもの」
「だから、素直に喜ぼう。新しい家族の胎動を」
「……そうね。貴方も元気に生まれて来てね」
瞑目して微笑みながら御腹を撫でるシエルさん。そのシエルさんを優しく抱き締め、祝福する。
同時に、無事に生まれてくれる事を祈って。
そんな訳で、魔王が討伐されてから2ヶ月。
シエルさんは微妙だと言いましたが、そんなには悪くないタイミングだと思いません。寧ろ、俺には2人目の子供が「今行かなくて何時行くの!」とか言っている様な気がします。
──という訳で、御土産を準備して、転移。
問題無く着いた先は王都の屋敷の一室。転移用の部屋なので室内に物は殆ど有りません。
有るのは、人を呼ぶ為のベルと、置き台だけ。
自分の屋敷なんですけどね、勝手に動き回ったら彼方等此方等に迷惑を掛けてしまうので、転移後はベルを鳴らして此処で待ちます。
まあ、直ぐに誰かが来てくれるんですけどね。
「おおっ、旦那様、奥様、御無事で何よりです!」
「ジレンさん、御無沙汰しています。此方等は皆、元気にしていますよ。でも、その様子だと……」
「……御察しの通り、此方等は色々と……」
「それなら出直した方が良いかな?」
「いいえ、陛下からも旦那様が御越しになられたら直ぐに報せる様にと仰せ付かっております」
「そうなんだ。それじゃあ、待たせて貰うね」
出迎えてくれた初老の執事であるジレンさんから言われてシエルさんと視線を合わせる。
かなり重要な話になりそうだから、シエルさんは先に帰るかと思っての確認ですが──まあ、流石に此処で帰る様なら最初から一緒には来ませんよね。アレクシルを預けて来ているですから。
ジレンさんに案内され、此方等に来た時には既に御決まりとなっている応接室へ移動。自分の感覚で言えばリビングみたいな感じなんですけどね。
因みに、確認したら御義姉さんの方からも同様に言われているそうで、使いの人達が出たそうです。御土産を渡して置きますから、皆で食べて下さい。
メイドさんが御茶を用意してくれ、ジレンさんも一緒に退室したので、シエルさんと確認し合う。
「パッと見、死にそうに見えた?」
「少し顔色が悪そうには見えたけれど、気疲れとかそういった類いが原因の様に思える感じだったわ」
「うん。俺も肉体的な感じじゃなくて、精神疲労が原因かなって思った。けど、元王室筆頭執事だった凄腕執事のジレンさんが俺達にも判るって、余程の事態って事だよね?」
「そうね……ちょっと頭が痛くなってくるわ」
「でもさ、御義父さんも御義姉さんも直ぐに此方に来られるって事は一応は無事って事だよね?」
「そう考えると少しは安心出来るわね」
そう言って一息吐く。緊張もしていたみたいで、紅茶が口に入ると潤うのが判りました。
ジレンさんが戻ってきたら、事前に少しでも情報収集をしておこう。そう思っていた──んですが、30分程で家族が勢揃いしました。
はい、御義兄さん達もです。
「え~と……取り敢えず、御久し振りです。皆様、御元気そうで何よりです」
「うむ。此方等も元気そうなので、安堵しておる。アレクシルも息災か?」
「はい、最近は森や海のモンスターに興味津々で。狩りに連れて行くと喜んでいます」
「ハッハッハッ、そうかそうか、血は争えぬのぉ」
然り気無く、自身の御転婆振りを暴露されたからシエルさんが御義父さんを睨んでいます。その顔も可愛いですよね~。はい、判りますとも。
そう挨拶して話し始めながら皆様の様子を確認。これと言った違和感や変化は見られません。多少の気疲れは見られますが……ジレンさんの方が重症に思える程度なので大丈夫でしょう。
この場に居る人達から死を連想させる様な異常や雰囲気は感じられませんから。
こうなると、御義父さん──いや、陛下の方から話をされるまでは待つ方が良いかな? ……いや、悠長に構えているよりは単刀直入に行くべきだな。此処は覚悟を決めて俺から切り出そう。
「シエルから聞いたのですが、陛下──各国の国主である者には勇者関連での天の声が届くとか?」
「うむ……その事を訊くという事は其方にも?」
「はい、2ヶ月前の事に為ります」
「同じじゃな……では、予期しておったのか?」
「いいえ、暫くは島の方で、というのは偶然です。他の勇者達の動向は御義姉さんの方で調べて貰った範囲の事しか知りませんし、実力も直に確かめた訳では有りませんので。魔王の実力も不明でしたし、俺はインベーダーとは全く戦ってもいませんから。唯一、例外なのが魔竜なので」
「それはまた……何とも言えぬのぉ……」
そう言いながら苦笑すると、皆も苦笑。
例外と言うには特殊過ぎる例外ですからね。
ただ、この雰囲気で判ります。今の陛下の言葉も立場上の体裁的な物で、本気で疑ってはいないと。まあ、俺が野心が有る勇者だったら、単独だろうと魔王の所に乗り込んでいるでしょうからね。
勇者としての使命よりも、シエルさんと歩む事を選んだ俺を信じてくれているんだと思います。
重い気もしますが、これは嬉しい信頼ですから。嫌な気はしません。
「魔王が討伐された事を知った後、シエルにだけは話しましたが、他の皆にはまだ話してはいません。既に御気付きだとは思いますが、自分が勇者として授かった力は今も健在です。それを考えると暫くは外に出ない方が良いと思いました」
「……そうじゃのぉ……唯一、勇者の力を維持する事が知られれば政争に巻き込まれる、か……」
「魔王が討伐された今、各国の意識が他国に向けば戦争になる可能性も考えられましたから」
「国王として否定出来ぬが故に情けないのぉ……」
「こればかりは仕方の無い事かと。少なくとも今回召喚された勇者達の居た世界では、他の脅威が無い事も有って、人と人との戦争は常に有り、歴史とは戦争の記録だとさえ言えましたから」
「世界は違えど人という種の業、という事か……」
重苦しい、という訳ではなく。この場に居る皆が事実を受け止め、真剣に考えているが故の沈黙。
俺達は既に考えた事が有る訳ですが、その様子を見ながら改めて考えさせられます。
そして、自分は良い家族に恵まれたのだと。
何しろ、この世界に来て最初に会った王公貴族がアレでしたからね。まあ、勇者の召喚権を行使した訳なので当然と言えば当然なんですけどね。
その召喚権も人を見極めてから与えて貰いたいと思わなくも有りませんが……結果的には必要以上に関わられなかった事で、現在が有る訳ですからね。そういう意味では悪くは無かったという事ですか。そうは言っても結果論ですけどね。
「そういう訳で、事前に話していた事も有ったので暫くは外には出ない様にしていました。自分だけが巻き込まれるのなら兎も角、どうしてもシエル達を巻き込まずに済む気はしませんでしたので」
「全く知らぬという訳ではないからのぉ……」
「都合上、どうしても顔合わせが必要だった方達も少なくは有りませんでしたから。勿論、勇者という事は話してはいませんが……」
「魔王や他の勇者という目立つ存在が居なくなれば身近に有る事に意識は向き易い。そうなれば孰れは気付かれてしまう可能性は有る、か……」
「はい。それを避ける為ですが……御心配を掛ける事は判ってもいましたので……申し訳有りません」
「いや、シエル達の事を第一に考えてくれればこそ考えは間違いではない」
「そう言って頂けると自分達も心が軽くなります」
何だかんだと理屈を捏ねて自分達を納得させてはいましたが、やっぱり気にはしていましたからね。陛下の──御義父さんの言葉に、救われます。
帰ったら、皆にも説明しないといけませんしね。こうして筋を通すのが主人──家主の責任なので。安心・安全を保証しなければ。
そう考えながら、シエルさんを見る。
まだ話は触り部分だろうから、此方の報告を先に済ませる? そうね。そうしましょう。
そう視線で話し、即決する。
「そういった訳で、この2ヶ月の間、ずっと島から出てはいなかったので外の状況を全く知りません。ですが、大変な問題が起きているであろう事だけは自分達にも判ります。ですから、先に此方等の話をさせて頂いても宜しいですか?」
「それは構わぬが……様子を見に出て来たのだと、そう思っておったが……」
「それも兼ねてになります。当初の予定としては、3ヶ月を見ていましたので……ああ、別に何かしら問題が起きた訳では有りませんので御安心を」
「ふむ。判った」
承諾の言葉を受けてシエルさんを見て頷き合う。俺から言ってもいいんですけど、こういった報告はシエルさんの口から伝えた方が良いかな、と。
そう事前に決めてはいましたが、場合によっては俺からにする可能性も有りましたので。
シエルさんが一呼吸間を置いて、伝えます。
「2人目が出来ました」