交わりて結われ
島の西側、森と海岸を隔てる様にして山が有り、深さ30メートル以上にもなる断裂──断崖が有る島の中でも隔絶された場所で【迷宮核】を使用し、ダンジョンの出入口を設置しました。
面白いのが、これまでに見てきたダンジョンだと一目で判る出入口は必ずしも絶対ではなかった事。出入口の場所に決めた所から自然洞窟風にして島の地下へと続く様にダンジョンの一部を造り、最奥に専用の空間を作って、設置。
自然洞窟内はダンジョンですが、クリーチャーは出現しない様にして洞窟栽培や熟成・貯蔵庫として活用出来る様にしています。モンスターも入れない様に設定していますから安心・安全・安定です。
尚、モンスターが入れる様にも、クリーチャーが出現する様にも出来ますけど、事故って変異種とか生まれても困りま……せんか。【領地】なんだし、ダンジョンの創造主でもあるんだから。
通常のダンジョンとの違いは大きく2つ。1つは自分がダンジョンの主である為、ボスは中ボス扱いになってしまうという事です。ダンジョンの主権を与えれば普通のダンジョンになります。そのボスを倒しても主権は戻りませんし、新たに【迷宮核】を入手出来るのかも判りません。だから、試してみるつもりは有りません。勿体無い。
2つ目は自分が主の為、クリーチャーを倒してもレベルは上げられない、という事。ただ、素材なら獲られるので、警備兵兼原材料という感じですね。侵入者なんて居ませんが。
因みに、【領主】同様にクリーチャー達は自分に攻撃等はしてきません。だから、素材を獲る為とは言えど倒すのに嫌な感じがします。クリーチャーは人造の存在なんですけどね。
そんな感じで島に戻ってから5日目。
気付いたらメイランスンに遣って来ていました。はい、シエルさんの事が気になってです。
正直な話、告ってもOKして貰えるとは自分でも思いません。釣り合わないので。
身長は最後に計測した時が174センチでした。自分で言うのも何ですが、働き者だし、飢えさせる様な事は有り得ません。一応、財力も有りますし。将来的な蓄えも──現物になりますが、十分です。性格は大丈夫だと思います。気も合いましたしね。容姿はシエルさんの好みが判りませんので何とも。自分の評価としては……まあ、平凡でしょう。
ワンチャン有りそうですけど……勇者である事を話せれば、と前提条件が付きます。
出来れば、後から話す様にはしたいんですけど。先に話した方が良い気もします。誠実さとしては。でも、実際には難しく微妙な所なんですよね……。
──なんて考えながら歩いていたら冒険者ギルドに着いていました。
取り敢えず、情報収集から始め──っ!?
ギルドに入り、依頼書を見に行こうとした瞬間、身体が大きく揺れる。
建物の内外から聞こえる悲鳴や驚声。
──とは言え、それは3秒程度のもの。日本人の自分にとっては経験し、理解している事。今の感じだと震度1って所でしょう。
ただ、周囲の人達は驚き、戸惑い、恐れていて、中には泣き出したり、取り乱したり、この世の終焉だと言って絶望する人まで……って、え? 何? そんなになの?
…………もしかして、この世界って地震って自然現象としては存在しない?
………………よくよく考えてみると、その可能性は有るのかもしれない。
時間や年月の流れが殆ど同じで、太陽の動き方、地域差は有れど四季の有る気候は馴染み深い環境。だから、無意識に同じだと思い込んでいた。
この世界──自分が立つ大地も惑星だと。
其処は、同じなのかもしれない。
でも、日本──地球と同じ構造とは限らない。
そう考えれば、周囲の人達の反応も納得出来る。だが、それと同時に困った。“地震”という概念が存在しないのなら、情報収集も難しい。少なくともギルド内の会話に「今の地震、どう思う?」の様な感じのものは聞こえて来ない。つまり、この世界の人達が地震を知らない可能性が高まった。
ギルドの大きな柱に背を凭れながら考えているとギルド内に声が響く。
それは此処のギルド長の物で、冒険者に落ち着く様にと話し、緊急の調査依頼が出された。
国も動くが、指示を待つだけでは状況を把握する事は出来無いので冒険者ギルドも独自に動く。
勿論、連携や情報の共有も考えた上で。
その意図を伝え、冒険者達は動き出す。
シエルさんが言っていた通りで、メイランスンの冒険者達は経験も豊富な実力者揃いみたいです。
一先ず、低ランクの自分は依頼には参加せずに、ギルド内で情報収集を試みます。
ギルド長に近付き、タグを見せて話し掛ける。
「あの、少し訊いてもいいですか?」
「聞いていたとは思うが、情報は少ない。それでも構わないんだな?」
「はい」
「判った、それで何が知りたい?」
「自分より歳上の方でも驚くという事は、今の様な事は過去には無い、という事ですか?」
「少なくとも今、生きている者は知らないだろう」
「それ以前では?」
「調べてみなければ何とも言えないが……」
「あっ、済みません、聞き方が間違っていました。ギルドの公開している資料・記録には有りません。最近、此方等に有る物は全て見たばかりですから。だから、もし、手掛かりが有るとすれば、非公開の資料や記録という事になるので、ギルド長であれば何か御存知ではないかと」
そう言うと流石に驚かれますが、今は悪目立ちも気にしてはいられません。場合によっては大災害の可能性も有り得ますから。
だから、ギルド長も直ぐに周囲を確認し、誰かが聞いてはいないかを確認する。
少なくとも、下手に誰かに訊かれて、憶測でも、余計な不安が生まれない様にする為でしょう。
そして、そう判断する時点で、ギルド長の中には何かしらの確信に近い情報が有り、その確認の為に調査依頼を出した、という所かと。
其処に、となれば、答えてくれるのも判ります。同時に自分にも守秘義務が発生する事も。
「1つだけ、疑わしい事が有る」
「軽々しく口外はしません」
「今から500年近く昔の事で、詳細を書き記した記録等が有る訳ではないが、此処、メイランスンのギルド長には代々、口伝で引き継がれる話が有る。それは当時のヨノゥマキッコ王国の王子と勇者が、力を合わせて国を救う話だ」
「……? それは“ハルトバルト”の事では?」
「……ああ、そうか、ギシャールのギルドの方でも一通り読んでいるのか」
ギルド長が「何故、それを……」という顔をして直ぐに自分のランクタグからヨノゥマキッコ出身と思ったみたいで、納得してくれたので、余計な事は言わずに頷きます。読んだのは本当なので。
“ハルトバルト”というのは物語のタイトルで、ヨノゥマキッコの王子と勇者が魔王の眷属の魔竜を力を合わせて討伐し、この辺り一帯を救った事実に基づいて読み易く書かれた物。勇者の名がハルで、王子がバルトなので正しくは“ハルとバルト”。
その時、テッネタショケ国は壊滅的な被害を受けヨノゥマキッコの支援で再建し、バルト王子の弟が生き残った唯一の王女と結婚し、その血筋が現在に繋がっている、という事になるそうです。
バルト王子の直系の血筋が現ヨノゥマキッコ王家という事です。
ただ、この話には気になる事も。勇者ハルは女性だったらしく、バルト王子と結婚した、という様に物語の最後は締め括られていました。
勇者ハルは魔王とは戦わず、その力を失ってでも愛に生きた、という事なんですかね?
まあ、深く突っ込むと怪しまれるので、その辺が気にはなりますが、訊くに訊けません。
「ハルトバルトでは、魔竜は討伐された、という事になっているが、実際には封印された」
「……え?」
「その魔竜は魔王と同等以上という恐ろしい存在で魔王の切り札だった為、力を削ぎ、封印するだけで精一杯だった、という話だ」
「……その事をテッネタショケの王家は?」
「当然、知っている。この事実はテッネタショケの代々の国王夫妻と騎士団長、それとメイランスンのギルド長にのみ伝えられている事だからな」
「ヨノゥマキッコ王家等には?」
「……確認し合っている訳ではないし、自国の事を他国の王家に背負わせるのは可笑しな話だからな。過去は、どうだったのかは判らないが、現在までに途絶えている可能性は否めない」
「では、先程の揺れは封印に関係が有ると?」
「その可能性も考えて、だ」
「……封印の場所を御訊きしても?」
「国の西側、海沿いに南北に延びるコァトカ山脈の北側の海に突き出たウンフィ峰、その中腹の洞窟の最深部だと云われている」
「確認された訳ではないのですか?」
「迂闊に近付いて万が一の事が有っても困るしな。下手に調査をして外部に情報が漏洩しても同じだ。だから、信じるしかなかった」
「こんな事になるなら……」と思いはするけど、実際には動く事は難しい。何方等も間違いではなく正解を定められない問題なのだから。
その為、実際に問題が起きた時、初めて考える。それが「何か出来る事は無かったのか?」と。
しかし、思い付いていたとしても、実行に移し、その結果、問題を確実に避けられるのかは不明。
防げる事故とは違う、どうしようもない事なら。反省も後悔も後回し。先ずは何をするべきなのか。それを考えなくてはならない。
「……今、或いは最近、その辺りに関係する依頼は有りましたか?」
「依頼? 特には無かったとは………………いや、確か、六日前に1件有った様な……」
それを聞いた瞬間、脳裏で警鐘が鳴り、周囲から音が遠ざかった様に自分の鼓動が煩くなった。
記憶の中、【足跡之書】の機能の様に再生される一場面と、その時の会話。
「だけど、会えて良かったわ。依頼で今日から暫くメイランスンを離れるのよ」
そう彼女は言っていた。
それは六日前の事。
その行き先を聞いた訳ではない。
それでも、今、こういう状況になってみてみると全てがフラグの様に感じてしまう。
出来ればハズレていて欲しい。そう願いながら、自分に「冷静に」と言い聞かせながら口を開く。
「……それはBランクの依頼だったのでは?」
「Bランク? ……そうだ、彼女が──」
ギルド長の言葉を最後までは聞かず、ギルドから飛び出す様に走り出していた。
確認してからでも大して変わらないかもしれないけれど1秒でさえ惜しく感じた。
もし、その僅かな分だけ、間に合わなかったら。絶対に悔やんでも悔やみ切れないから。
“ビェスムンを少し採取して来て欲しい”という依頼を受けた時、特に問題らしい問題が起きる事を想像してはいなかった。
ビェスムンはウンフィ峰にだけ自生する固有種で鮮やかな深紅の小さな花を付ける。採取して欲しい依頼者は観賞用としてではない為、必要とするのは魔法薬の材料に用いるビェスムンの茎・葉・根。
採取するのも初めてではないし、その依頼者とは顔見知り──というか、御互いに御得意様。
勿論、コァトカ山脈はCランク以上推奨の場所。油断もしていないし、準備も怠ってはいない。
だから、慣れている事──の筈だった。
採取し終え、山を下りようとした時──山が縦に大きく揺れた。まるで、跳ね上がるかの様に。
その所為で、滅多と溶けない雪が、氷が、地面が割れて、雪崩が起き、大きく口を開けた大地の顎に飲み込まれる様に落下した。
──というのが、私の地上での最後の記憶。
身体は冷えて、打ち身も有るが──生きている。一足先に飲み込まれた雪がクッション代わりとなり受け止めてくれたみたい。運が良いのか悪いのか。まあ、生きているのだから良いのでしょうけど。
落ちてきた筈の頭上を見上げてみるけれど、空は見えないし、小さな光も見えない。塞がっているのかもしれないし、かなり落下したのかもしれない。何にしても自分の現在地を確かめる事は難しい。
周囲を見回せば──1ヶ所だけ。洞窟の様に奥に続いている場所が有る。
他にも進めそうな道は有ったのかもしれないが、落下した雪や氷や岩等で塞がってしまった可能性が考えられるので贅沢は言えない。
幸いにも荷物は全て無事。
特に、右手の中指に有る【夜目の指輪】が無事で一安心。その御陰で暗闇でも視界が利くのだから。改めて装備品というのは本当に凄いと思うわ。
しっかりと確認し、気を引き締めて、前へ。
少なくとも冒険者ギルドには記録されてはいない前人未到の領域に居る事は確か。
……まあ、悪い方向に考えれば、まだ此処に踏み入れてから生還した者が居ないだけなのかも。
何方等にしても、私が初めての冒険者として記録される事になる訳よね。死ぬつもりは無いから。
そう自分に言い聞かせる様に思いながら、周囲の様子に目を配り、情報収集を怠らない。些細な事が生死を分ける事など珍しくもないのだから。
地割れにより真下に落下しただけで、雪崩に巻き込まれて流された訳ではない為、地図上の感覚なら自分の大凡の位置は見当が付く。ただ、方向感覚は落下した時点で狂い、頼みの方位磁針も駄目。
深さは判らないにしても、移動しなければ自分の現在地を見失う事は無い。
しかし、頭上から雪や氷、岩が更に崩落してくる可能性が有る以上、一度崩落が有った場所に留まる事は危険に身を晒しているのと同じ。
しっかりと記録しながら移動をすれば、何処かで方角を確認出来れば、見当が付くかもしれないから取り敢えずは安全な場所を探して移動する。
「…………何か妙な感じね……」
落下した場所から移動し始めてから15分は経つけれど一向にモンスターと遭遇しない。勿論、今の状況であれば戦闘は回避するべきなので遭遇しない方が良いのだけれど。遭遇は遭遇で情報源の1つ。モンスターの生態や習性から出入口を見付ける事も出来る可能性も有るのだから。
しかし、そのモンスターに遭遇しないのではなくモンスターの気配そのものが感じられない。
此処がウンフィ峰の地下である事は間違い無い。それなら、こういった洞窟を住み処として利用する可能性が有る何種類かの候補も思い浮かぶ。
──が、そのモンスター達の生活の痕跡は無い。否、それ以外だったとしても、モンスターが此処に出入りしている痕跡ですら見当たらない。
そうだとすれば、此処は人に限らず、モンスターでさえも知らない未知の領域、という事になる。
「モンスターが居ないのなら、それはそれで此処は安全なのかもしれないけれど……悩ましいわね」
モンスターは食料でも有る。冒険者にとっては、食料の現地調達は基本。手持ちの保存食は非常時に取って置くのが常識。勿論、如何に保存食と言えど傷む前には食べるのだけれど。
モンスター自体は勿論、モンスターが食べている植物等も食料となる可能性が有る。その為、如何にモンスターの存在の有無が大きいのかが判る。
冒険者という生業はモンスターと深く関わる為、モンスターが居ない自然の中というのは、どうにも不安を感じ易くなってしまうものなのだから。
それはそれとして。自分が進む道、その様子には不可解な点が見られる。
先ず、空気に全く淀みが無い事。もしかしたら、複数の場所で崩落が起き、その際に入れ替わったのかもしれないけれど、それにしても綺麗過ぎる。
勿論、人もモンスターも関わってはいないから、という可能性も考えられるのだけれど。
次に歩いている場所。高さにバラ付きは有るし、人工的な印象は無いし、モンスターが掘った様にも見えない事から、自然の洞窟に思える。
しかし、それにしては周囲の岩壁は綺麗。自然に削れて出来た洞窟の特徴とは一致しない。
また、足元──地面に何一つ堆積物等が無い事も可笑しな事。普通なら、崩れた岩の欠片や砂や土といった物が少しは有る筈。地下水が流れて出来たのだとしたら、その痕跡が有る筈だけれど──無し。此方等もまた綺麗過ぎる。
観察すればする程、不自然な存在。
自然の洞窟の、人口の洞窟の、モンスターにより作られた洞窟の、何れの痕跡とも異なる。
──否、より正確に言うのであれば、どうすれば出来上がるのかが判らない。そんな場所だわ。
尤も、休息を取り易いのは悪い事ではないわね。寒さだけは何ともし難いけれど。
流石に未知の地下洞窟で焚き火をする様な真似は死にたくはないから出来無いもの。
入り組んではいないけれど、分岐と行き止まりで何だかんだと時間を費やした。体感としては移動し始めてから2時間以上は経っている気がする。
そんな時、初めて変化が有った。
「これは……氷壁?」
岩壁だったのが様子が変わった為、調べてみると氷で出来た壁になっている事に気付いた。
ただ、岩壁に水が流れて来て、それが凍った氷が層になって出来た、という感じではない。
もっと分厚く、けれど、混ざり物が入っていない様に見える。
北方の国々では流氷という小さな島の様な、海に浮かぶ巨大な氷塊が有るという話を聞いた事が有るのだけれど……そんな事は有り得ない。
ウンフィ峰は永久凍土だけれど、コァトカ山脈が何処も同じ訳ではない。寧ろ、ウンフィ峰が特別。他は険しい岩肌の場所が多い。
テッネタショケの周辺の山々でも、他には一ヶ所有るだけなのだから。
また、北方とは違い、気温が高い為、如何に地下であろうとも流氷が流れ着く事は無い。
つまり、この氷壁は外部から流れて来たという物ではなくて、此処で出来た物、という事。
ウンフィ峰の気候や環境を考えれば、可笑しな事ではないけれど、綺麗に出来過ぎている様に思う。それに地下水が凍ったのなら、先程までの岩壁にも少しは氷が無ければ可笑しい。でも、此処の気温は氷が溶けてしまう程、高くはない。だから、溶けて消えた可能性も無い。
それらの事から自然に出来た訳ではない可能性が高くなってくる。
「……此処は一体何なの?」
氷に映る不安そうな自分の顔。どんなに強がり、前向きに考えようとしても拭い切れはしない。
冒険者になった位だから、未知に対する好奇心は有るけれど、身の程を弁えていない訳ではない。
だから、自分が置かれた状況が楽しむ余裕の無い危機的な状況なのだと理解する。
それでも、引き返す道は無く、進むしかない。
ウンフィ峰が雪・氷の有る場所の為、対策をしたブーツの御陰で氷の床でも滑らずに進める。
ただ、氷壁が故に周囲に自分の姿が映る為、一々気になってしまうのが難点。気にしなければいいと思うのかもしれないけれど、モンスターの姿・影が映るかもしれないから、無視は出来無い。
尤も、これ程の氷洞は大陸西部には存在しない。東部の最北端は西部よりも北に位置するらしいので其処になら有るのかもしれない。東部に行った事は無いので定かではないのだけれど。
進みながら、ふと気付く。
岩壁の道は複雑ではないにしろ、分かれていた。それに対して、氷壁になってからは一本道。
意図的に造られた様にしか感じられない。
「──っ!? そんなっ、行き止まりっ?!」
角を曲がった先。真っ直ぐ20メートル程の道は非情にも氷壁となっていた。
絶望の現実。
しかし、それを受け入れられずに突き当たりへと走り寄って確かめる。
人為的な可能性が有る以上、見た目だけで実際は奥に続いている事も有るかもしれない。
そんな僅かな希望を懐いて。
けれど、直に触れてみても其処に在るのは氷壁。手袋越しでも、伝わってきそうな冷たさは、自分の心が絶望に染まってゆくからなのかもしれない。
そんな事を、他人事の様に思いながら、悔しさに歯を食い縛り、右手で氷壁を叩いた。
死にたくない。
けれど、現実は変わらない。受け入れ難くとも。自分に助かる可能性は無いのだから──
「────────え?」
──と思っていた所で、分厚い筈の氷壁に皹が。一瞬、理解が出来ず、硬直。しかし、直ぐに気付き無我夢中で氷壁を叩く、叩く! 叩く!!
右手の手袋に血が滲んできても構わずに叩く。
この先に進めなければ詰んでしまっている状況は変わらないのだから。
何れ位、叩き続けたのか。長かった様に思えて、実は数分だったのかもしれない。それだけ必死で。だけど、その甲斐は有った。
分厚い氷壁は砕け、先へと続く道が開けた。
行き止まりの先に有ったのは巨大な氷壁の空間。王城のホール、或いは大聖堂を思わせる程の広さ。はっきりと造られた事が判る。
しかし、これと言って何が有る訳でもない。
外に続く道や階段の類いも。
「……そんな…………」
必死になって掴み取った筈の希望。それが脆くも砕け散った様に感じて力が抜け、膝から崩れる。
泣きたくなる。泣いても何も変わらないけれど。せめて、絶望に染まる感情を曝け出す位はしたい。そうでもしなければ自分が壊れる気がして。
「…………? 何? ……下に……何か有る?」
這いつくばったまま見詰めた氷の床、その奥に。異物の様に浮かぶ巨大な影が有った。
そう認識した時、私の右手が光りを放つ。
──否、右手ではなく、私の血が。
そして、光りは何かを描くかの様に多方向に走り氷上を滑る様に広がってゆく。
何が起きているのか理解が出来ず──この状況を理解するより先に、光が一際強く輝き──氷の床が唐突に崩れ落ちて行く。
訳の判らないまま再びの落下。しかし、砕け崩れ落ちる氷の塊、破片の中に何かを目にする。
落ちた先には雪。否、砕けた氷が積もっていて、自分を受け止めてくれた為、怪我等は無し。
直ぐに体勢を整え様として──動けなくなる。
「…………嘘? え? ……まさか……魔竜?」
私の呟きを肯定するかの様に、巨影の正体である黒鱗に三対の翼を持った竜は深紅の双眸を見開き、首を、両腕を、巨尾を撓らせ、咆哮を上げる。
一吼えしただけ。それだけで、私の身体は軽々と吹き飛ばされ、氷壁に背中から叩き付けられた。
空気が、血が、内臓までもが口から出て行く。
そう感じる程の衝撃。痛みよりも呼吸が不可能になった様に胸が詰まった苦しみを覚える。
背負っていたリュックが無ければ、今の一吼えで既に死んでいたかもしれない。そう思う。
生きている事が幸運なのか。
死んでいた方が幸運だったのか。
そんな考えが脳裏を過る。
何しろ、目の前に居るのは伝説の存在。
ヨノゥマキッコの者なら誰もが知っている物語。冒険者を目指す者にとって最初の憧憬。その最後の戦いに登場するのが──“魔竜デミダスフィ”。
だけど、物語では勇者ハルとバルト王子によって討ち滅ぼされた筈──いや、違う、そうではない。今、考えるべき事は、魔竜と戦う事だけ。
勝てるとは全く思わないけれど。
此処で私が戦う事で。その余波で。目撃した人が何かが起きていると理解してくれたなら、十分。
時間を稼ぐ程、戦えるとも思わないけれど。
せめて、人々が異変を感じられる程度の時間なら私の命懸けでも生み出せる筈。
……自分でも「何を遣っているのかしらね」と。思わず苦笑してしまう様な状況。
それでも、この身に流れる血が、冒険者の志が、何もせずに諦める事を赦さない。
だから、これは悪足掻き。
自己満足の私の最後の大冒険!
「空を廻る悠久の旅人、眠る事無き常闇の語り部、虚空より生まれ出でて雨と成れ、深淵より来たりて穿ち貫く刃と成れ──【アイシクルレイン】っ!」
本来であれば、数百の氷針の雨を降らせる魔法。それを数より、ある程度の威力を重視し、数十本に減らす事で巨大化。30センチ程の氷の突槍として発現させて、魔竜に放つ。
嫌がる素振りを見せ、自らを守る様に翼を盾に。やはり、相性が悪いのだろう。
ただ、幾つかは刺さったが貫くまでには至らず。実力不足だ。自らの未熟さが腹立たしい。
魔竜は魔法を受け切った直後、翼を弾く様に開き生じた突風で吹き飛ばそうとする。
それを察したから、即座に身を屈める事で回避。しかし、身動きが取れなくなったのは同じ。
そして──運が悪かった。
その突風で崩れずに残っていた氷壁の一部が私の真上へと落下してきた。
普通なら、回避出来る。でも、足元が氷の床で、先程のダメージで身体の反応が鈍い。
迫り来る影に死を覚悟した。
──が、幸か不幸か、氷塊は私から僅かに逸れ、落下の衝撃で私は吹き飛ばされて床を転がった。
直ぐに身を起こそうとするが、右手が動かない。其処に魔竜の巨尾が振り抜かれ、弾く様に飛ばされ氷壁に叩き付けられて跳ねて落ちる。
“痛い”という感覚を通り越え、身体が冷たい。身体から熱が失われて行くのが判る。
何も出来ず、歪み霞む視界の中でも、はっきりと判る程の明るさと存在感を放つ炎。
せめて、苦しまずに一瞬で逝けるのなら、と。
そう思う中、ふと思い浮かんだのは一人の少年。珍しくもない、何処にでも居る冒険者に成り立ての将来有望だと感じる一人。
ただ、妙に気が合った。
たった一度だけの出逢い。
だけど、とても深く印象に残っている。
だから、もう一度会いたかった、と思う。
「…………アイ、ク……く、ん…………」
「────────シエルさあぁぁぁんっっ!!!!」
自分でも信じられない程の速度で走った。
1秒を削る為に全力を振り絞るアスリートの様に無我夢中で只管に前に向かって。
だから、道中の事なんて全く覚えていない。
何をどうして、どう遣って辿り着いたのかすら、さっぱり判らない。
気付いた時には、よく判らない、何か氷で出来た巨大な空間に飛び出していて──眼下に捉えたのは倒れたシエルさんと、攻撃しようとする邪魔者。
【礫蹴の跳靴】で虚空を蹴って直下跳躍。
身体を縦回転させ──踵落としを脳天に放つ。
何か爆発した様な音が聞こえるが──無視!
シエルさんの側に着地し、抱き上げる。
「シエルさんっ、シエルさんっ! 判りますか!? 俺です! アイクです!」
「…………ァ、ィ…………ん……」
良かった、間に合った!
声を掛ければ、弱々しいが反応が返り、危険だが生きている。その事に何よりも安堵する。
そして躊躇無くエリクサーを取り出し──って、今の状態のシエルさんでは飲めない。だからこれはノーカン。必要な医療行為、人命救助!
「シエルさん、失礼します!」
エリクサーを口に含み──口移しする。
零れない様に、窒息しない様に、ゆっくりと。
……決して、シエルさんとのキスを味わっているという訳では有りませんからね?
そして、流石はエリクサー師匠。即回です。
「私、どうして……アイクくん、何を──後ろ!」
シエルさんの声と同時に、シエルさんを抱き抱え大きく跳躍し、攻撃を回避。そんなに殺気丸出しの大振りな攻撃なんて食らう訳が有りません。
空中に跳んで、冷静になって改めて視界に入った存在を再確認。三対の巨翼を持った深紅眼の黒竜。あははは、ハルトバルトで討伐された魔竜の特徴と一致しますね~。何でなのかな。
これって現実? ……そっかぁ~現実なのか~。はぁ~…………ちゃんと倒しておいてよねっ!
虚空を蹴り上がって、出て来た──様な気がする上部の横穴に入り、シエルさんを下ろす。
以前、盾騎士トロールから獲た【光咲の護盾】を取り出し、通路の床に突き刺す。
この大盾は装備品としてだけではなく、設置型の魔道具の様な効果を持っていて稼働させると大盾を中心にして花が咲く様に5枚の光の花弁が展開し、5倍以上の面積を防御可能。そして稼働時に対象を設定すると、その対象と所有者だけは光面を自由に行き来可能。当然、シエルさんを対象に。
ただ、細かい説明は今は無し。戦闘中なので。
「シエルさん、この大盾の後ろに居て下さい」
「……え? ア、アイクくんは?」
「あの魔竜を討ってきます」
「ま、待って!」
シエルさんに止められるより早く、空中へ。
下から此方を狙って不粋なブレスを吐こうとする空気の読めない駄目竜には教育的指導です。これは体罰では有りません。
虚空を蹴り、今度は顎を蹴り上げ、仰け反らす。ブレスが暴発し、自爆──で終われば楽なんですが流石は魔王の切り札。耐久力も高く、再生能力付きとなると簡単には行かないでしょうね。
まあ、実体が有り、生きている以上、倒せるのは確かですし、遣り方も色々有ります。
取り敢えず、【肥耕の鍬】で行ってみますか。
「────は?」
これまで、ダンジョンのボスでさえも削ってきた必殺とも言える鍬の一撃。
それが魔竜の鱗には掠り傷一つ付ける事が無く、ゴムの塊を叩いて跳ね返された様な弾力を鍬を通し握る手に感じながら、万歳の状態に。
意味が判らず、一瞬の思考・行動の停止。
だが、その間も魔竜は待ってくれる訳ではない。ターン制のゲームの様に色々と考える時間は無い。一瞬の油断が、隙が、致命的となる。
──が、経験というのは尊いものだと思う。
頭で考えるよりも先に魔竜の殺気に対して身体が反応し回避行動を取っていた。
弾き返された力に逆らわず、仰け反る様に地面を蹴って後方宙返り。そのまま距離を取る。
「……マジかぁ……」
チラッと視線を落とした鍬。自分もだけど、鍬も衝撃の事実に落ち込んでいる様な気がして、慰める訳ではないけど、「大丈夫、御前は凄いから」と。そう想いを込めて握り締める。
何と無く、鍬が元気になった様な気がします。
取り敢えず、【ウォータースピアー】で牽制し、動き回りながら考える時間を稼ぎます。
魔竜の厄介さは、過去一の耐久力と再生能力で、行動自体は脅威とは感じない。ただ、持久戦になる場合は時間が経つ程、自分が不利になる。せめて、回復に使える様な取り巻きが居てくれれば。まあ、無い物強請りですけど。
兎に角、状況は不利です。最悪ではないだけで。再生能力持ちを相手に削りが通用しないだなんて。無理ゲーにも等しい。ただ、ゲームなら、バグっていなければクリアは可能。現実は違いますから。
さて、削り策が使えないとなると、どうするか。
「………………いや、そうじゃないな」
攻略の糸口は其方ではない。
何故、【肥耕の鍬】が通じないのか。
重要なのは此方の謎。
これまでに鍬が通用しなかったのは、ダンジョンそのものだけ。自分のダンジョンでも試してみても破壊不可能が基本設定の為、意図的に破壊可能設定にしていなければ無理。そういう物だから。
そうなると魔竜はダンジョンと同様に攻略不可能という事になるが──それは有り得ない。魔王より魔王な存在を魔王が生み出せるだなんて矛盾する。何より、そんな事が可能なら勇者は絶対に勝てず、疾うに世界の命運は魔王の勝利で決している。
だが、実際には自分達という勇者が召喚された。魔王が存在し、インベーダーと人間との生存競争は今も尚、行われ続けている。
だから、魔竜を倒す事が不可能な訳が無い。
しかし、実際に鍬は弾かれた。まあ、ダンジョン攻略はしていてもインベーダーとの戦闘は未経験。インベーダーには通じない可能性も考えられるが、そんな装備品を用意するだろうか?
いや、そんな事は有り得ない。ダンジョンを含む全ては勇者と魔王の戦いの為。その為の勇者の力。だから、魔王が相手でも通用しない事は無い筈。
その魔王が生み出した魔竜なのだから通用しないという事の方が可笑しい。
それに、インベーダーが装備品を身に付けているという話も聞いた事が無いので外部付属効果という可能性も無い筈。
だから、魔竜自身の能力に限られてくる。
考えられるのは、ピンポイントの耐性や防御能力を有している可能性。
ただ、無効化だとしても弾かれるのは可笑しい。此方等が回復出来ずとも、攻撃は入る筈。
現に、目眩ましなのに【ウォータースピアー】は魔竜に損傷を入れている。
……まさか、“装備品による攻撃ではダメージを受けない”みたいな能力とか?
思い付いたから直ぐに検証。
弓騎士からの戦利品【森淵の狩弓】を取り出し、固有能力でマナを消費して木属性の矢を生成する。尚、木製だから木属性、という事では有りません。その矢で攻撃してみれば──刺さった!
……遠距離攻撃だったから? 或いは木属性?
弓が有する、もう1つの能力により炎属性の矢を生成し、攻撃。此方等も通用しました。そうなると遠距離だけが有効という事なのか?
物は試し。斧騎士からの戦利品【断頭の裂斧】を取り出し、間合いを詰めて──入った!
…………え? じゃあ、鍬だけが弾かれたの? 近距離無効って事じゃない訳だし……もしかしたら初撃だったからとか?
その可能性も有る。よし、もう一度、鍬で。
──って、弾くんかいっ!
くっ……まさか、農具だから駄目とか?
いや、それは流石に意味不明。最初から非戦闘用という仕様なら兎も角、武器として使用出来る以上そんな事は矛盾するから無い。
そうなると……吸収回復効果の無効化?
それなら弾かれるのも判るけど、【痕吸魔牙】は正常に機能している。……アビリティだから?
……あっ、そうか。マナの吸収回復は有効だけど体力の吸収回復は無効化なのか。それなら納得。
……いや、体力回復の方法が限られたら強制的に持久戦に持ち込まれて不利になるだけ。うん、これ魔王が考えたのなら性格悪いわ。魔王だけど。
まあ、魔王からしたら如何にして勇者を倒すかを考えて追求した結果なのかもしれないけど。
…………あれ? でも、そう考えると今の勇者と魔王の状況って可笑しくない? 魔竜を生み出せるとしたら、魔王が有利な気がする。
それはまあ、勇者が皆、自分の様に単独プレイで動く訳じゃないでしょうからね。仲間と連携すれば回復も難しくはない筈。魔竜も倒せる、と。
因みに、勇者ハルは1人だったみたいですけど、物語というのは脚色・編集されている物ですから。真偽は定かでは有りません。
それに、この魔竜以外に同様の存在が居たという話も残ってはいません。自分の知る限りは。
もし、多少の条件が有るにしても複数体生み出す事が出来るのなら勇者ハルに対して差し向けた筈。そんな記録は残っていません。
また、魔王は封印されただけなので、この魔竜を解放しようとはしなかったのか?
勿論、出来無かった可能性は有りますが。長々と勇者との戦いが膠着状態に陥っている状況でなら、手札としては最強に近く、決定的な気がします。
…………そうは出来無い理由が有る?
改めて魔竜を観察。違和感を覚え──気付く。
この魔竜、単に巨体だから鈍いのかと思ったけど動き自体が意外と単調だ。
何より、そんなに工夫もしていない攻撃が通る。学習しないのか?
……いや、しないんじゃなくて出来無いのか。
そう考えると見えてくるものが有る。
魔竜は魔王に生み出され、封印された。その後、何らかの理由で創造主である魔王が死んだ。
勇者が倒した訳ではない為、代替わりが発生。
その後継者の魔王が、現魔王と同じなのかどうか確かめる術は無いけど。
魔竜を創造した魔王とは無関係。だから、魔竜の存在を知らないし、従えられない。
主を失った結果、魔竜は自我も無く、ただただ、破壊するだけの存在へと成り下がってしまった。
勇者や人間に限定した脅威ではないなら、魔王やインベーダーにとっても脅威となる。
だから、知っていたとしても触れはしなかった。勇者や人間に勝利した後、魔竜によって滅ぼされる可能性が否定は出来無いのだから。
全て仮説でしかないけど、一応の筋は通る。
勇者が召喚という形で補充が可能なのだとしたら魔王の方も代替わり等の可能性は有り得る。
魔王は定められた場所から動けないのか、自らが先陣を切って侵攻してくる様な事は無い。だから、魔王の姿は誰にも確認されてはいないので、魔王が代わっていても誰も判らないし、インベーダー達も態々教えたりはしない筈。“人間を滅ぼす”という意志さえ有れば、遣る事は変わらないのだから。
尤も、それが正しかったからと言って魔竜を倒す事には大して役には立ちませんけどね。
取り敢えず、状況は変わってはいません。
「────っ!」
動き回っている中、不意に感じた魔力の高まり。其方──頭上を見上げれば空中に生じる尖った氷。それが魔法である事を察し──範囲内から退避。
直後、重力の影響も加味して加速した氷の尖刃が魔竜に襲い掛かり──深々と突き刺さった。
誰が、なんて考えるまでも有りません。此処には自分以外にはシエルさんだけ。綺麗で優しくて強い御姉さんだなんて素敵過ぎる──っと、集中集中。魔竜は止まってはくれませんからね。
でも、シエルさんの御陰で判りました。
何故、此処に魔竜が封印されていたのか。
それは魔竜が氷属性に弱く、恐らくは寒冷地では動きが鈍るか何かが有る為。
モンスターもインベーダーも生態系を持つ生物。魔竜が魔王によって生み出された存在だとしても、その素体となった生物が存在する筈。その性質等が魔竜にも残っているのなら。それが攻略の鍵。
魔竜の動きを阻害しながら上空に向かって跳躍。シエルさんと視線を合わせて意図を伝えます。
万が一の事を考えて声には出しませんが。意図を伝えるには、それで十分。
再び【森淵の狩弓】を取り出し、先ずは木属性の矢を連射して魔竜が針鼠の様になるまで突き刺す。其処へ炎属性の矢を放って──着火。
これが、この弓の能力を活かした攻め方。
森を守る力であり、森を侵す力でもある。
ダメージは小さくても身体が燃える事によって、魔竜は炎に包まれ、酸欠に陥る。
その程度で死ぬのなら封印されてなどいません。常軌を逸した生命力が故の封印でしょうから。
ですが、生物だからこそ、呼吸という当然の様に行っている生命活動が機能しなくなれば、僅かな間だったとしても、その影響は必ず出ます。
動き鈍り、魔竜の身体が大きく倒れ込む。
それを確認して──最大級の【ウォーター】。
炎が消えても構いません。
何故なら、既にシエルさんの魔法が追従。
魔竜を貫くと同時に、身体中を濡らす水を氷結。簡易的な全身拘束具を成します。
そう遣って作り出した時間こそが勝利の要。
弓に替えて既に左手に握る【双鬼刃・朧神楽】の能力を反転させ、黒刃から白刃へ。
動きを止め、両手で握り──マナを込める。
専用装備品の中には固有の必殺技を持った物が。この【双鬼刃・朧神楽】もその1つ。反転する為、黒刃・白刃の各々に。
その白刃の必殺技は溜めが必要で溜めている間は一切動けません。
1人では勝ち目が無かった。
それはシエルさんも、俺も同じ。
でも、今は1人じゃない。だから、勝てる。
その生命力と再生能力で抗う魔竜。低い地鳴りを思わせる唸り声を響かせながら、氷の束縛を砕く。巨顎の隙間から噴き出す様に迸る炎は憤怒を映して今までで最も禍々しい輝きを放ち──砕け散る氷の奥から見開かれた深紅の双眸が強烈な殺意を宿して睨み付けてくる。
炎が放たれる──その一瞬、先に。
「──絶零に還せ! 【氷天華月】っ!!」
発動の呪文と共に白刃を振り抜いた。
放った自分でさえ、思わず見惚れてしまう程に。視界の中に生じた、一筋の穢れ無き白閃。
必殺の閃刃が魔竜の巨首を、巨腕を、巨翼を。
無慈悲なまでに容易く、音も無く、絶ち斬る。
魔竜の渾身の一撃は放たれず、しかし、暴発するという事も無く、閃刃により凍り──砕け散る。
宛ら、ダイヤモンドダストかの様に。
恐怖と破壊の化身だった魔竜は、自身でさえ想像する事の無かっただろう幻想的な最後を迎えた。
《【神々の試練:魔竜を討て】が達成されました》
《達成者の勇者には固有アビリティ【英勇真輝】が贈られます》
《特殊勝利条件:【時を超えて果たされる結意】の達成により、装備品【天蒼の聖杖】が贈られます》
《達成者が【領主】と成っている為、領地開発権が解放されました》
《達成者が【迷宮】を所有している為、迷宮設定に新要素が追加されました》
《達成者が【真絆の愛環】を所有している為、装備対象者が決定後、追加効果が解放されます》
…………あれ? え? 何? どういう事?
…………もしかして、あの魔竜って隠しボス的な存在だった訳?
──とか軽く混乱している中、氷洞が揺れ出し、慌てて残っていた魔竜の骨等を回収、シエルさんの所まで跳んで、大盾を回収し、シエルさんを抱えて遣って来た道を全速力で走り抜ける。
魔竜討伐を成し遂げた直後に生き埋めエンドとか笑えません!
──と言うか、最後の最後に地味な割りに意外と効果的な面倒な罠を仕掛けてくれてましたねっ!
「そう簡単に終わりはしないよ?」とか。
「これ位は潜り抜けてくれないと」とか。
「まだ楽しませてくれんでしょ?」とか。
知らない筈なのに。そんな声が聞こえてくる様な気がします。信仰心なんて糞食らえぇーーーっ!!
「だ、大丈夫?」
「……は、ぃ……何、とか…………」
崩落する氷洞を脱出し、更には支えを失った事で沈下してゆくウンフィ峰の陥没に巻き込まれまいと必死に走って──麓まで走り切りました。
どんなに能力が高くても、こんな全力疾走をして平気な訳が有りません。息も絶え絶えです。まあ、それだけで済んでいる、とも言えますけどね。
ただ、仰向けに大の字に倒れた俺の頭を持ち上げ膝枕してくれているシエルさん。眼福です。最高の癒し、夢憧の楽園、この世で一番の絶景です。
そんな立派な双峰とは逆に、実は盛っていた事が露見して残念な結果になってしまったウンフィ峰。いや、そういうんじゃないから。正せ、俺。
勿体無いけど! 一度、目蓋を閉じて深呼吸し、気持ちも思考も落ち着かせる。
「……ねぇ、アイクくん、どうして彼処に?」
「……メイランスンのギルドに居た時に、ギルドが大きく揺れたんです。それが普通ではない事だって気付いてギルド長に幾つか話を聞いて……その時、シエルさんの話を思い出したんです。それで……」
「それだけで?」
「俺には十分な理由ですから」
そう言うと本の少し間を置いてシエルさんが顔を真っ赤にした。それを見て、自分が何を言ったのか理解して羞恥心に身悶えしそうになるが、堪える。此処で誤魔化したら、黒歴史確定の自爆が無駄に。恥ずかしがったら後悔しそうですしね。
ただまあ、シエルさんの反応から、嫌われたりはしていない事は判ります。今回の件で男として意識して貰える様になったら、十分でしょう。
「え~と……い、色々訊きたい事は有るんだけど、アイクくん、あの時、その……く、口移しでね? 私に何を飲ませてくれたの?」
「あ、エリクサーです」
「そう、エリクサーを…………エリクサーァッ!?」
照れるシエルさんが可愛くて、見惚れていたから質問に無警戒で答えてしまい──驚かれる。
ああいや、自分の感覚が可笑しいのは判ります。ただ、材料と時間さえ有れば自作可能な物なので。使う事に対する躊躇は無いんですよねー。
うん、今後は考える事にしましょう。
まあ、それでも、いざとなれば、躊躇う様な事は無いんでしょうね。自分が、そうしたいんだから。その時は彼是と考えてはいないので。
そんな反省をしながら、驚いたまま硬直しているシエルさんの顔を眺める。
…………本物の美人って、どんな表情でも魅力的なんですね。惚れてるから、とかの補正効果という訳ではなくて、です。いや、マジで。何れだけでも見ていられます。膝枕も最高ですから。
「………………はっ!? ア、アイクくん? 助けて貰った私が言うのも可笑しな話だけど……ちゃんと判ってる? エリクサーでしょ?」
「エリクサーですよ」
「私自身が体験しているから疑う気も起きないし、他に説明しようが無いから間違い無いのも判るわ。だからこそ、信じられないの」
「あー……まあ、稀少品ですしね」
「あのねぇ……それで済む話じゃないわよ……」
「そうなんですか?」
「エリクサーと言えば、魔王を倒す為に勇者が探し求める切り札の1つなの」
「……ああ、成る程。即死や消滅ではない限りは、瀕死からでも、略一瞬で全快する訳ですしね」
そう言えば、そんな風に云われていましたっけ。すっかり忘れてました。
魔王と戦う勇者一行。魔王の攻撃で勇者が倒れ、勝負が決した──と思った所で、エリクサー師匠が出番となり、勇者復活。油断した魔王はバッサリ。そうではなくても大ダメージで形勢逆転、と。
その状況を想像してみれば、納得。それは確かにエリクサーが切り札になる訳です。
ゲームでも回復・甦生は重要でしたからね。
そう納得している中、シエルさんの俺を見る目が訝しむ様に細められます。その表情も良い!
「……アイクくん、本当に判ってる?」
「手に入れたのは俺なんですから、どう使おうとも俺の自由ですよね?」
「それはそうだけど……」
「抑、黙っていればバレませんよ」
「そういう問題じゃないでしょ?」
「シエルさんの言い方だと、そういう問題かと」
「…………まあ、そう言われると……いえ、流石にそういう事では…………それで良いのかしら?」
何かと葛藤する様に思い悩むシエルさん。
決して口には出しませんけど、無意識に動く為、今の俺は玩具で誘われる猫の気分です。
…………これ、飛び付いてもいいよね?
いやいやいや、駄目駄目。遣ったら終わるから。遣って「我が英断に悔い無し!」とは言えません。滅茶苦茶後悔するだけです。
「……はぁ~……まあ、助けて貰ったのに、彼是と言うのも可笑しいものね」
「俺はシエルさんを助けられて満足ですから」
「……そうよね、順番が違うわよね……」
「?」
「有難う、アイクくん。私を助けに来てくれて」
そう言って微笑むシエルさん。
思わず見惚れ──自然と自分も笑顔に。
「貴女の笑顔を見られただけでも、頑張った甲斐が有りますから」
「──っ、も、もうっ、大人を揶揄わないの!」
「えー……本心ですよ?」
「それはそれとして! 命を助けて貰った訳だし、エリクサーまで使わせちゃったんだから何かしらの御礼はさせて頂戴」
「そんな、気にしなくていいですよ」
「流石にそういう訳にはいかないわ。まあ、御金でというのも嫌な感じだから、私に出来る事でなら、何でも構わないわ。何か有れば言ってくれる?」
そう言われて、思春期の男子が思い浮かべる事は1つしかないと思うんです。全員ではなくても。
ただまあ、この流れで欲望丸出しな事を言うのも不粋ですし、折角稼いだ好感度も失う事になるので大興奮して冷静さを欠いている本能を黙らせます。今は落ち着いて考えられる理性が仕事をする時。
俺は膝枕から静かに立ち上がり、きょとんとするシエルさんを見下ろしながら深呼吸。
左膝を付くと、シエルさんの前に屈んで、右手を下から掬う様にして前に伸ばす。
そして、シエルさんの目を真っ直ぐに見詰める。
「俺の御嫁さんになって下さいっ!!」
「………………………………………………え?」