白い結婚は国家の為です
「リヴィア オーガスト公爵令嬢 お前は私の側妃に、メリッサ ロンゴ男爵令嬢を正妃とする」
アナトーリ王太子は理不尽な話を残酷な笑みを浮かべながら、婚約者のリヴィア公爵令嬢と、一つ年下のアンドレイ第2王子、メリッサ男爵令嬢の3人を前にして言った。ここは王立貴族学院の特別サロンの一室、王族と近しい貴族しか入れない格調の高い部屋。
「これは国家の為だ」ともつけ加えた。
「兄上、なぜ婚約者で公爵令嬢のリヴィア嬢が側妃なんですか、おかしいでしょう」
リヴィアと同い年のアレクセイ王子が庇うように抗議するのを、アナトーリ王太子は笑みを浮かべて見ている。その姿は下品で生母の元第3側妃のメイドだった出自を思いおこさせる。
「なぜ大貴族の娘より平民に近い男爵の娘を正妃にするのか、それはこのモドーネ王国の第1子絶対嫡嗣主義に関わる」
モドーネ王国の嫡嗣は必ず第1子とする、これは絶対条件だ、男女に違いなく母親の身分も関係ない。一夫多妻の王室は過去の王位継承のゴタゴタで国家存亡の危機に見舞われた事があり、第1子を必ず嫡子とするとなった。
「俺の母は元メイドだ、平民に近い貧乏貴族なのはみんな知っている。だから俺には大貴族の後ろ盾はない。だが、俺にはもっと大きな後ろ盾がある。それはこの国500万の平民さ。だから、平民の支持を確かなモノにする為に、あえて正妃を低い身分から選んだんだ」
アナトーリはメリッサ男爵令嬢を引き寄せて言う。メリッサはにっこりと笑い王太子にしな垂れかかり、「やっぱり私を選んでくれたのね、あんなすました人形の様な人より、私の方がずっと可愛いでしょう」挑発するようなそんな言葉にリヴィアは表情を崩すことはなかった。
「受け承りました。ただ一つ条件がございます。正妃殿下に第1子が生まれるまでは、私とは白い結婚にしてくださいまし」
アナトーリは、「えっ」と訝しんだ。この条件の意味がすぐに分からなかったからだ
「国家の為に男爵令嬢を正妃になさいますなら、第1子も正妃から生まれなければ意味がないと思います。ですから、お子が誕生するまでは、私に一指も触れぬようにおねがいします。これは国家の為でございます」
メリッサ男爵令嬢はニッコリとした、自分にとっては最良の形だ、正妃と世継ぎの母というポジションを手に入れる、正妃はともかく、世継ぎの母の立場まで放棄するのは不思議だけれど、国家の為の自己犠牲の高位貴族特有の精神なのかもしれない。
馬鹿らしい、だから公爵令嬢のくせに、私の様な要領のいい女に出し抜かれるのよ。
モドーネ王国現国王ヘンリーは何年も子が出来なかった、正妃にできず伯爵家からの側妃もできず、子爵家からも側妃を召し出したが子はできなかった。そんな時に湯殿で思わず手がでたメイドが妊娠したのだ。メイドを取り敢えず第3側妃とし誕生を待った。無事に男の子が生まれ、身分は貴族の端くれの元メイドは国母となり、第1側妃の身分を得た。その出産の直後に正妃の懐妊がわかった、続いて子爵家の側妃も、目出度く王子、王女が誕生して一気にお世継ぎ問題は解決する。
母の出自はどうあれ第1子が王太子、王家はそのつもりで、アナトーリを教育した。けれども、1歳しか年の違わない正妃出自の弟がいる事を、しかも容姿も勉強も剣技も兄をはるかに凌ぐ弟だという事が、アナトーリの心に深い闇を作っていった。
王太子の結婚式は盛大に行われた。新婦の衣装や持ち物はこれまでは新婦の実家が負担するのだが、男爵家でできるはずもないので、全て国庫から出された。それならとばかりに、豪華な衣装、高級な調度品、高額なアクセサリーを男爵令嬢は選んでいく、財務大臣は渋い顔をしたが、国王も正妃も止めようとはしなかった。
リヴィア公爵令嬢は婚約時代からいずれ正妃となる為に豪華な支度を用意していたので、それを上回らなければとメリッサは要求したのだ。
金糸銀糸の刺繍に繊細なレースのドレス、貴重な白テンの毛皮のマントの豪華絢爛な衣装を纏うとメリッサは本人は得意満面だが、衣装を着せた侍女も、花嫁を見た王太子も、なんとなく違和感を感じてしまう。
制服を着ている時や、夜会のドレス姿は愛らしく可憐に見えるが、かしこまった場所での豪華な正装は、その少し曲がった背や、おどおどとした目線が、豪華な衣装に”着られている”と見える。
それに比べて、側妃リヴィアは正妃よりもずっと地味な衣装だが、気品と威厳に満ち溢れていた。
この式典には、側妃となるリヴィアの宣誓式も含まれる。普通はまず正妃との結婚が行われ、数年後に側妃を迎えるのが当たり前で今回は正妃側妃が同時は異例だ。
けれどもこれは王太子の我儘とは皆思わなかった。メリッサは妃としての教育はおろか、下地となる、マナー、学力、教養が誰の目からも不十分で、とても正妃として勤まるとは思わない、リヴィア側妃がいなければ宮廷が機能しない。
案の定、外国からの祝いの特使の応対は公用語の帝国語が必須の為、正妃メリッサには型どおりの挨拶、側妃リヴィアとは親しさを伴う会話と、主役はこちらとみなされてしまう。
その上、特使達のその態度が気に食わないのか、正妃メリッサは不機嫌な態度を隠さない。これは二重に非礼になるので、王家側は特使に気を遣わずにいられない。特使とは、王族や高位貴族なのだから。
これから先が思いやられると周りは思うが、王太子アナトーリは自信満々、側妃としてのリヴィアが有効に働いたので、正妃が男爵令嬢、側妃が公爵令嬢は成功だと思っていた。
正妃メリッサは簡単に懐妊した。
公務も政務もする事なく側妃リヴィアに押し付け、正妃教育も慣れない環境で疲れが溜まっていると言ってサボりまくったので体力は有り余っていたからだ、夜のお勤めだけは熱心だった。
メリッサは有頂天になった、正妃と国母を簡単に手に入れたのだ、金使いや妃教育で文句を言われてもこの立場は圧倒的、王太子アナトーリにも今まで以上に強気の態度をとるようになっていた。
アナトーリは結婚後のメリッサの変化に戸惑う様になっていた。学院での彼女は愛らしく、健気に高位貴族の習慣を覚えようとし、アナトーリをいつも崇拝の目で見てきた。
優秀さを隠さないリヴィアの態度がある種の劣等感を持っていたアナトーリには不快だったのでそこが、正妃の変更の理由になったのだ。
今メリッサは妊娠を理由に怠惰な毎日を過ごし、侍女や侍従に我儘を言い、アナトーリには愚痴をこぼす。
かたやリヴィアも変わった。学院時代は婚約者であっても、あまり気安く接してくれなかったが、今は公務や政務に積極的に関わり、アナトーリともそれらについて話し合った、特に結婚式での正妃の外国特使への非礼の後始末は、彼女の働きは群を抜いていた。
もしかしてリヴィアは俺が好きだったのか、王命の婚約、多分同い年のアンドレイに気持ちがあると思っていたが、俺を愛していて、俺の立場を慮って正妃も国母も平民に譲ったのか。
アナトーリはそう考えるとリヴィアへの愛情が芽生えてくる、いたわってやりたいとその肩に手を伸ばした時、侍従がそれを遮った。
「何をする」アナトーリが気色ばむと
「契約でございますので、お控えください」そう答える。
「申し訳ございません、契約でございます殿下、でもご出産はもう直ぐでございますので」
リヴィアは頭を下げた。
白い結婚の契約は公的なものとして扱われ、公文書となり、国民にも周知されている、高位貴族の譲歩だと平民の人気は高い。だからリヴィアは王太子とは別の棟に部屋を持ち、公務政務以外では顔を合わさない。
「子が生まれたら宮殿を建ててやろうか、そこでゆっくりと子育てをするといい、公務も政務も側妃がやってくれるから心配しなくていい」
アナトーリのこの言葉にメリッサは目を吊り上げて怒った。
「私を厄介払いするつもりなのね、この部屋にあの女を入れるんでしょう。私は正妃よ、ここを出ていかないわ」
メリッサもアナトーリの心の変化に気づいていた、妊娠がわかってからは、顔を見せる事も減り、呼び出しても公務だ政務だと断ってくる。そしてこの言葉だ、このままでは自分は側妃のリヴィアに負けてしまう、お飾りの正妃、国母、アナトーリの母のように、子が生まれた後、彼は夜に訪れない。
どうすればいい、メリッサはただ一人男爵家から連れてきた侍女にある物を頼んだ。
正妃メリッサは流産した。慌ててメリッサの病床にやってきたアナトーリは
「大丈夫だ、君は丈夫で健康だ、直ぐにまた子はできるよ」
「でも、体調が整うまで少し時間がほしいのです」メリッサは甘えた様に言ったが
「医者と相談するよ、早くしないと、国民が待っているだろ」
アナトーリの言葉は冷たい、そして、子を作る行為も冷たいものになっていた。
メリッサは今度は早く妊娠しない様にと、手に入れた堕胎剤を飲んでいた。けれどもアナトーリは子ができなければリヴィアに近づけないので、メリッサが拒もうが容赦しない、もう我慢できないお飾りでもいいからと、薬をやめたが、今度は妊娠できない。
そんな日々が2年続いた。
アナトーリはもうメリッサに子は無理だと父国王にリヴィアとの白い結婚の契約を見直してくれと頼んだ。
しかし、それは難しい。メリッサは国民に人気がある、何しろ平民出身の初めての正妃だ、公務も政務もできないが、それは周りの貴族にいじめられて体調が悪いからでメリッサに責任はない、それが民衆の認識だ、下手に切り捨てて貴族の側妃から嫡嗣を産ませられない。
それでこんな意見があってと父は言った。白い結婚は皆知っているから、リヴィアを第2王子アンドレイと結婚させて、次代の後継者を望んではどうだろうかと。
アナトーリは真っ青になった、そんな事をすれば、リヴィアの俺への気持ちを踏みにじる事になる、彼女は今も俺を助けて公務や政務をこなしてくれている、彼女を裏切るなどできない。
あいつが邪魔なんだ。
アナトーリは侍従にある物を頼んだ。
アナトーリ王太子は狩りに出かける事にした、ふさぎ込んでいる正妃メリッサに気晴らしさせてやる為だ。王太子の狩りとなれば広い範囲を立ち入り禁止にするものだ、野山に人影は無く、王太子の腹心だけがいる、そして、馬車の中には正妃メリッサと男爵家からついてきた侍女が、手足を縛られ、猿ぐつわをされていた、アナトーリを恐れ顔を見ただけで震える様になっていたメリッサを馬車に乗せる為だ。
侍従に頼んだ物を持ってこさせると
「それを馬車の中に放り込め、毒蛇に噛まれて死んだ事にするんだ」
侍従は鎧を纏い手も厚い手袋で蛇から身を守っている、籠の中から蛇を取り出し、それを、真っすぐに、王太子のほほに近づけた、蛇はほほを噛んだ。
「何をするんだ」アナトーリは驚き侍従を周りの腹心達を見る。
彼らは冷静な表情でアナトーリを見ている、決して間違ったのではない、アナトーリを殺そうとしているのだ。毒は早くきくアナトーリの意識は朦朧としてきた
「何故だ、私は王太子なのに、何故」
「王太子だからですよ」最後の意識でその言葉が聞こえた。
王太子アナトーリは狩りのさなかに毒蛇に噛まれて亡くなった。正妃メリッサに付いていた侍女も噛まれてしまった。目の前の惨事に正妃は精神を病んでしまい離宮で静養する事になった。これに伴い第2王子アンドレイが長子となり立太子する。混乱を避けるために側妃リヴィアをアンドレイの正妃にする。これは国家の為である。そう正式に発表された。
夕闇迫る宮廷の庭園で喪服に身を包んだリヴィアがいた。黒い喪服はアンドレイも着ている、二人はお互いを見つけると、ゆっくりと歩み寄り闇に隠れる様に手を取り、抱き合った。
「こうして貴女を抱きしめる事ができるとは、兄上はやはり理解されておられなかったのだな」
「ええ、第1子絶対主義の裏に隠された暗殺のシステム、歴史を深く知らねば気が付かないのでしょう」
「私も身を正して、権力に溺れないようにしなければいけない」
「私がお支えします、最初に宮殿に上がり貴方とお会いしたあの時から、貴方だけを支えると私は決めておりました」暗闇に紛れる様に二人はしっかりと抱き合った。
終わり
ローマ帝国では皇帝は血族男子から選ばれ、いなければ優秀な人材を選んだ。しかし、血族男子が愚かな皇帝(カリギュラ、ネロ、ヘリオガバルス)のときには、一番身近な近衛兵が暗殺を行った。まるで、身内の恥は身内で片を付けるように。だから、帝国の人々は彼らに厳罰を求めなかった。