6:拗らせ女の罪と罰(1)
カフェ特有のコーヒーの香りと家にはない一人がけの革張りのソファ。私はその高級感漂うソファに深く腰掛け、ホットのカフェラテをひと口飲んだ。
昼下がりのカフェはここだけ時間の流れが遅くなったかのように落ち着いていて、よく知らない洋楽のBGMに聞き入ってしまうくらいには居心地が良い。
そういえば、昔はよくこうしてカフェでゆっくりと読書を楽しんでいたな。今はこんな贅沢、なかなか出来ないけれど。
「はあ……」
私はマグカップをテーブルに置き、小さくため息を漏らした。
「お疲れだね?」
「……そんなことないよ。私なんて二人と違ってニートだし。疲れる要素ないもん」
「ニートじゃないでしょ?専業主婦でしょ?」
「子なし専業主婦はほぼニートだよ」
少なくとも私の場合はそう。ただのニート。
誰に何と言われようと、私は私に『専業主婦』だなんて、そんな立派な名前をつけたくない。
「……あずさ、それはネットで言うと軽く炎上するやつでは?」
「ネットではね。でも私はSNSやってないし、問題ない」
「そういえばどうしてやってないの?昔はハマってだじゃん、SNS」
「だって……、なんかしんどいし……」
最近改名した呟き系SNSは無意識に負の感情を集めてしまうし、逆に写真を投稿する系のSNSはキラキラした生活を送るママさんたちと自分を比較して罪悪感と劣等感に押しつぶされそうになる。
私はスマホを取り出し、顔認証でロックを解除するとメッセージアプリを開いた。
相変わらずの通知の量に苦笑する。そろそろこのアプリも整理しないといけないかな。
私は新規メッセージの中に埋もれた聡からのメッセージを開いた。
『楽しんでる?ちょっと急用ができたから出かけなきゃならないんだけど、お迎え少し遅れそうです。大丈夫かな?』
所々、年齢を感じさせる絵文字を多用したメッセージの後には、私が好きだからという理由で買ったシマエナガのスタンプが送られてきていた。
私は申し訳ないから電車で帰ると返すと、同じシマエナガのスタンプを送った。
「……どした?なんかあった?」
俯いている私の表情が暗く見えたのか、千景は心配そうに顔を覗き込む。
私はすぐに顔を上げて笑顔を作った。最近はこんなふうに笑顔を作るのにも慣れて来た気がする。
「いや、何もないよ。ただ聡が急用できたから迎え遅れそうって。だから電車で帰るよーって返しただけ」
「そっか」
「急用って何だろ」
「うーん。浮気?」
「ふふっ。本当にそう思ってる?」
「まさか、あり得ないね。あずさの旦那さんってそんなタイプじゃないじゃん」
「だよねー。そういうタイプじゃないんだよね、ほんと。……クソ真面目」
いっそのこと、浮気でもしてくれたら私のこの罪悪感も少しは楽になるのに……、なんて。
私は自嘲するようにフッと口角を上げた。
「……聡ってね、家事をすればその都度『ありがとう』とお礼を言ってくれるのよ。毎日ふとした瞬間に『可愛い』と言ってくれて、鬱陶しくない程度にハグやキスをしてくるのよ」
ただの惚気にしか聞こえない独白。普段の千景ならこんなことを言うと茶化してくるのに、今日の彼女は何も言わずに聞き流す。
「私は聡に大事にされているの。卑屈な考え方しかできないこの私が自信を持って『愛されてる』と言い切れるほどによ?でも……」
私はそんな彼に何も返せない。それがとても辛い。
気がつくと視界が歪んでいた。
頬を伝う雫が、膝の上に置かれたナプキンの上に落ちる。
落ちた雫はじんわりとナプキンに染み込んでいく。ナプキンに複数の円ができたところで、私はようやく袖で涙を拭った。
「袖、汚れるよ」
千景は私にそっとハンカチを差し出した。彼女の推しがプリントされたタオル地のハンカチだ。……絶妙に、涙を拭いづらい。
私は流石にそれは借りれないと断り、カバンから自分のハンカチを取り出して涙を拭いた。
ふと、視界に入った服の袖には当に使用期限が切れているブラウンのアイシャドウがついていた。
私はそれを見て、なぜだかフッと力が抜けた。
「……ねえ、千景」
「うん」
「わがまま言ってもいい?」
「いいよ」
「何も……、何もね、言わないで欲しいの」
「うん」
「何も言わずにただ話を聞いて欲しい」
意見は聞きたくない。同情もいらない。慰めも叱責も全部いらない。ただただ頷くだけでいい。否定も肯定もせずに、ただ話を聞いて欲しい。
そんな私のわがままなお願いに、千景は優しく微笑んで「わかった」と言ってくれた。
やっぱり、千景は優しい。
私はスカートをぎゅっと握りしめ、5分ほど黙り込んだ後、何度も深呼吸をしてからゆっくりと口を開いた。
これから話すのは愚かな女が犯した罪と神が与えた罰の話だ。