5:あの子は知らない私の地雷(2)
駅のロータリーに颯爽と現れたのは幌をオープンにしたマツダのロードスター。
積載量の少ない、趣味のための車に私は眉を顰めた。
隆臣くんは子どもが産まれてもこの車を手放すつもりはないのだろうか。
人の趣味をとやかく言うのは良くないし、車について二人で話し合っているのなら私が口を出すことでもないのだが、いつも高級ブランドばかりを身につける彼の姿を見るとどうしても不安に思ってしまう。
「じゃあ、またね。あずちゃん、ちーちゃん」
車に乗り込んだ愛花は小さく手を振った。膝に置かれた方の手には私が渡したカイロがギュッと握られている。やはり寒いのだろう。
私は一歩前に出て、隆臣くんに話しかけた。
「あ、隆臣くん。さっき雨雲レーダー見たんだけど、ちょっと雲行き怪しくてさ。もしかしたら家着く前に降り出すかもだよ」
「え、まじ!?」
「最近ゲリラ豪雨とか多いし、車のシート濡れたら大変だから上、閉めといた方が良いかも」
「そうするわ!ありがとな、あずにゃん」
「その呼び方やめてってば」
「だって先生がそう呼んでるから」
「先生って、まだ千景のことそう呼んでるの?」
「だって先生だろ?漫画書いてんだぜ?」
隆臣くんは千景の方を見て、「新刊ゲットしました!」と敬礼した。隆臣くんは昔から千景の作品のファンなのだが、千景は身内に先生と呼ばれるのは恥ずかしいと彼を睨んだ。隆臣くんは「ごめんごめん」と言いながら、人好きのする笑みを浮かべて幌を閉める。
この人も高校の時から何も変わっていないな。私は思わずクスッと笑をこぼした。
「あ、あの……」
窓を開けた愛花は何か言いたそうに私の顔を見つめた。
「じゃあ、愛花。体に気をつけてね。あんまり無理しちゃダメだよ」
「う、うん……」
「どした?元気ない?」
「……元気ないわけじゃないんだけど」
「ん?寒い?」
「そうじゃなくて……その……」
俯き、手元をいじりながら言い淀む愛花。私はそんな彼女の様子に首を傾げる。
すると愛花は意を決したように顔を上げた。
「あずちゃん!」
「なに?」
「ご、ごめん……ね?」
「ふふっ。何が?」
「いや、その……」
「あ、もしかして私がトイレ行ってる間にプリン食べた?」
「そ、そんなことしてないもん!」
「えー?怪しー」
「してないってば!もう、あずちゃんの意地悪!」
「ごめんごめん。冗談だって。そんなに怒らないでよ」
私はぷくーっと膨らんだ愛花の両頬を指で押した。
(ごめんね、愛花……)
その「ごめん」の意味、本当は何となくわかってる。けれど今は謝られたくないし、「いいよ」とも言いたくない。
(お願いだから、これ以上惨めにさせないで)
私は誤魔化すように豪快に笑うと、数歩後ろに下がり、車から離れた。
「じゃあね!また会おう!」
私が手を振ると、愛花は気まずそうな微笑みを浮かべながら手を振り、隆臣くんと共に帰って行った。
車が見えなくなったところで、千景が肘で私の腕を小突く。
「流石だね」
「何が?」
「車のシートが濡れるって言い方」
「ああ。だって隆臣くんなら多分、妊婦がいるから幌を閉めろって言っても不貞腐れるだけでしょ?それくらいわかってるって言って」
「うわ、言いそう……」
「隆臣くんは、愛花のことを一番に想ってるのは自分だと思いたい人だから」
「……1番に想ってるならもっと気遣えよって話だけどね」
「あはは……。まあでも、隆臣くんが家でどんな風になるかわかんないからね。愛花に八つ当たりとかしたら嫌だし」
私は愛花の家の中のことまで気にかけてやれないし、そうしてやる義務もない。
でも流石に妊婦に余計なストレスは与えたくないし、回避できることなら回避してやりたい。
「ねえ、千景。言ってもいい?」
「どうぞ?」
「私さー、ちょっと心配なんだよね。隆臣くんのこと」
「奇遇ね。私も」
私の言葉に千景は乾いた笑みをこぼした。その笑みで、私は私たちの心配事が同じ内容であることを察した。
「悪いやつじゃないんだけどねぇ……」
愛花たちが消えた方向を見つめながら呟く。
高校からの同級生の隆臣くんは悪いやつじゃない。
高三で愛花と付き合いだしてから今まで、ずっと愛花のことを愛しているし、一途で浮気もしない。少しおバカなところはあるが、人懐っこくて明るい男だ。高身長でそこそこイケメンで、愛花と同じくそこそこ大手の企業に就職しているし、傍目から見れば優良物件にも見えるだろう。
問題があるとすれば、ブランド好きで少々金遣いが荒く、子どもっぽい性格をしている点。
愛花が自分を優先してくれないとすぐ拗ねるし、気に入らないことがあるとそれを態度に出す。いわゆるフキハラというやつをするのだ。
愛花は彼が不貞腐れるたびに、いつもご機嫌を取っている。
愛花の大人な対応で喧嘩にすらなっていないが、子どもが産まれてもアレが変わらなかったら彼女はきっと苦労するだろう。
「愛花はさ、高校の時にいじめから救ってくれた恩があるから隆臣くんには強く出られないのかな?」
「いじめって、上原ゆかりと森野祥子のこと?」
「そうそう。フレネミーってやつ?友達のフリして実は敵みたいな」
「あったねー、そういうの。でもあれは別に隆臣くんは何もしてなくない?」
「したよー。みんながいる前で、あの二人に面と向かって『お前らのしてることはいじめだ』ってハッキリ言ったじゃん。あの二人、顔を真っ赤にして怒ってて」
「確か、その時に愛花が二人から離れようと決意したんだっけ?」
「そうそう。隆臣くんがハッキリ言ってくれたから、愛花はあの二人を切ることができたんだよ。……私はあの時、何も言えなかった」
私があの時、愛花のこれからの学校生活とか、クラス内での自分の立場とか、色んなことを考えて言えなかった言葉を隆臣くんはあっさりと言った。
あれ以降の愛花は見違えるように明るくなったし、当時カースト最下位だった私たちとも人目を気にせずに付き合うようになった。
だから、高校時代の愛花を救ったのは間違いなく隆臣くんだ。
「……懐かしいね」
私は遠くを見つめて、無意識に呟いた。
あの頃の私は10年後の自分がこんなに惨めな思いをしているとは思いもしなかっただろう。
大事な友達に、こんなに醜い劣等感を抱くようになるだなんて……。
「あずさ……?」
千景が心配そうに私の顔を覗き込む。
私はハッとしてすぐに笑顔を作った。
すると千景は何だか寂しそうに笑った。
「まだ話し足りない?」
「……え?」
「私は話し足りないんだけど、ちょっとそこのカフェに寄っていかない?」
「え、でも……」
「あ、もしかして時間やばい?」
「そんなことないけど……」
愛花を先に帰しておいて、二人でカフェに行くのは許されるのだろうか。愛花を仲間外れにしたみたいにはならないだろうか。
普段はそんなこと特に気にしないのに、今日の私は彼女に対する劣等感のせいか、変に罪悪感を感じて少し迷ってしまった。
千景はそんな私の心情を察したのか、「実は相談したいことがある。でも愛花には言えないことだ」と言って強引に私の手を引いて駅前のカフェに入った。
(相談したいことなんてないくせに)
私が本当は話を聞いて欲しがっていると気づいてそうしてくれたのだ。千景はそういう人だ。
「千景」
「んー?」
「ありがとね」
「………奢らないわよ?」
「わかってるよ」
カフェのレジで私はお礼を言った。
でも、タイミングが悪くてものすごく怪訝な顔をされた。