3:幸せな報告(3)
店に入った私たちは各々に食べたいメニューを注文した。
千景は黒毛和牛のハンバーグプレート。愛花は鰆とほうれん草のクリームパスタランチ。そして私は、一番安い日替わりランチ。今日のメニューは昔ながらのナポリタンとサラダとスープだ。
パスタがあまり好きではないはずの私が日替わりランチを選んだことに愛花は驚いていたが、仕方がない。私だって本当はハンバーグが食べたいけれどできない。
(だって今の私は穀潰しのニートだもの)
子どもが産めないくせに働くこともできないニートが、夫の金で贅沢なランチなどしていいわけがない。
私は無性にナポリタンが食べたくなったのだと誤魔化した。
「それで?報告って?」
千景は全員の料理が届いたところで切り出した。こういう時、何の衒いもなく切り込めるのは流石だと思う。
「実はー、私ー、………妊娠しましたっ!」
愛花は少し勿体ぶりながら、テンション高めに報告した。
私と千景はパチパチと祝福の拍手を送る。音が小さめなのは店の中だからだ。他意はない。
しかし、私たちの反応が予想していたよりもずっと冷めたものだったせいか、愛花はパスタをフォークに巻き付けながら不服そうに口を尖らせた。
「なんか反応薄くない?もっと喜んでくれるかと思ったのにぃ」
「いや、喜んではいるよ。驚きがないだけで」
「うんうん」
「なぜ驚かない!?」
「いやあ、だって……ねえ?」
「そんなわかりやすいワンピース着てたら誰だって気づくよ」
千景は呆れたように愛花の着ているピンクのワンピースを指差した。それは可愛いけれどわかりやすい、妊婦の証。
「そっかぁ。わかるもんなのかぁ」
愛花は嬉しそうにお腹を撫でた。すっかり母親の顔になっている彼女が羨ましいし妬ましい。
私はこの醜い心を悟られぬよう、努めて冷静に言葉を返す。
「まあそこそこお腹出てるしね。愛花は細いからわかりやすい」
「ていうか、今何ヶ月?お腹大きくなるの早くない?双子?」
「ううん、一人だよ。今は6ヶ月なんだけど、先生曰く、お腹出るのは個人差あるって」
「へぇー、そうなんだ。あ!そういえば確か、お腹が前に出ると女の子なんだよね?」
「男の子だよ、千景。まあその話はほとんど迷信だと思うけど」
「ほへー。詳しいね、あずさ」
「そんなこたないよ。愛花、性別はもうわかってるの?」
「実は性別はまだわかんないんだー」
「そうなんだ。ちなみに愛花はどっちがいいとかあるの?」
「どっちでもいいよ。だって子どもは男の子でも女の子でも、みんな総じて可愛いもん。あずちゃんだってそう思うでしょ?」
「…………うん。そうだね」
「しかし、愛花がお母さんかぁ。……大丈夫かいな」
「ちょっと、ちーちゃん!どういう意味よ!」
「いやぁ、あの甘えん坊な愛花がお母さんかと思うと……。感慨深い」
「どこ目線なのよぅ!」
「でも、千景の気持ちは何となくわかるなぁ。愛花の結婚式も娘を嫁に出す母親の気分だったし」
「ということは、今は娘の妊娠を喜ぶ母親の気分か」
「もうすぐおばあちゃんになれるね、千景」
「あずさもね」
「……どうして二人が私の母親なのよ。誕生日は私が一番早いのに!」
愛花はもう知らないっと、パスタを頬張った。そのタイミングで私もパスタを口に運んだ。
パスタは苦手だが、ここのナポリタンは普通に美味しい。
「そういや、仕事はどうするの?」
千景は用意されたナイフとフォークを使わず、箸でハンバーグを小さく切りながら、愛花に尋ねた。
確か愛花は今、商社で営業をしている。そこそこ大手なので産休育休の制度はしっかりしていると思うが、せっかく築き上げたキャリアを無駄にしてしまうかもしれないのが出産だ。
育休明けから戻っても、子どもの用事で時短勤務を余儀なくされる以上、同じポジションにいられる保証はない。
「結婚前は社内で賞を取ったこともあるって言ってたじゃん?せっかく頑張ってきたのにー、って思いはないの?」
「うーん。思わなくはないけど、そんなことを言っていたら子どもなんて産めないしなぁ……」
難しいよね、と愛花は頬杖をついてため息をこぼした。
いくら国が『女性が活躍できる社会を』とか何とか言っても、現実はこんなもんだ。いまだに女は子育てかキャリアかの選択を迫られる。
もちろん、そのどちらも手にする人はいるだろう。だがそういう人は多くはない。こればかりはいくら本人が努力しても、周りの環境が整っていなければどうにもならないのだから。
私は愛花に合わせるようにため息をこぼした。
「世知辛いねぇ」
「本当にねぇ……。でも頑張るよ、私。ちゃんと子育ても頑張るし、キャリアも諦めないわ!」
愛花は力こぶを作り、自信満々にそう言ってみせた。
きっと何でも器用にこなす愛花なら、子育ても仕事もうまくやってみせるのだろう。千景はそんな愛花に頑張りすぎるなよ、彼女らしいエールを送った。
(…………ああ、眩しいな)
出産も仕事もどちらもうまくできていない私には、愛花のその自信に満ちた姿が眩しくて直視できない。見たくない。
だからつい、口をついて出てしまった。
「そんな簡単なことでもないと思うけど」
かなり嫌味な言い方をした気がする。私はハッとして顔を上げた。
千景と同じように応援してもらえると思っていたのか、愛花は驚いたように目を丸くしていた。
「あざちゃん……?」
「あずさ……?」
「あー、えっとね!……わ、私の義理の姉がね。子どもを産んでから仕事を辞めたらしいの。子どもが小さい頃はどうしても風邪ひきやすいし、保育園からの連絡も多くて仕事に穴をあけることが増えて……、それで居づらくなってやめたの。まあ、もともと会社が古い体質っていうのもあるんだろうけど、でも、だからその、愛花は大丈夫かなって思って……。愛花は少し意地を張りやすいところがあるし、辛いってなっても、頑張るって決めたからって自分で自分を追い込んで仕事を辞める選択もあるのにそれを選べなくなるんじゃないかって思ってね?だから、その……なんていうのかな。あんまり無理しないでほしいというかなんというか……」
私は大きめのジェスチャーを取り、わかりやすく動揺しながら言い訳をした。
嘘はついていない。義理の姉は確かに仕事を辞めた。だが、それはもう何年も前の話だ。今は転職してバリバリ働いている。
それをあたかも愛花のことを心配している風を装い、話すなんてやっぱり本当にどうしようもないクズだ。私は様子を窺うように愛花の方をチラリと見た。
すると愛花は笑顔で「ありがとう」と言った。
「やっぱりあずちゃんは優しいよね」
「………え?」
「だって、普通はこんな話されても適当に『がんばれー』とか、『愛花ならできるよー』って返せばいいたけじゃん。それをそんな風に真剣に考えてくれるなんて、あずちゃんは優しいよ。ありがとう」
「愛花……」
愛花の純粋な言葉が痛い。私は罪悪感に押しつぶされそうになった。
そんな風に考えて言った言葉じゃないのに。
けれど私はずるいから、愛花の純粋さに乗っかり、あたかもそのつもりの発言であったかのように振る舞った。