1:私の親友(1)
友達のフリした時のことを『フレネミー』と言うらしい。
ーーーーーーCase2:木原愛花
行きつけの美容室はこぢんまりとしていて実家のような安心感がある。
産休に入り、出産前最後のカットにやってきた私は案内された椅子に腰掛けると、ふぅっと息を吐いた。
「そのお腹だとちょっと移動するだけでも疲れるでしょう」
「本当に。もう動きたくないー」
「あはは。お疲れ様」
美容師の円さんは大きな口を開けて豪快に笑う。ふくよかな体型の彼女は大雑把でおおらかで、肝っ玉母さんって感じの人だ。私はたまに彼女をママと呼びたくなる。本当に呼んだら怒られるから絶対に呼ばないけど。
「さて、今日はどうする?」
「とりあえず切る!」
「どのくらい?」
「ギリギリ括れるくらいの長さまで!」
「いいの?大事に伸ばしてたんでしょう?」
「いいの。毛先も結構傷んでるし、それに何より産後は自分のケアしてる暇ないって言うし」
「まあねー。どうしても赤ちゃん優先になるからねぇ。じゃあ、カラーはどうする?バレイヤージュとかにすれば、しばらく来れなくても目立たないと思うけど。ほら、こういうやつ」
円さんは雑誌からバレイヤージュの写真を見せてくれた。どれも可愛くて良い感じ。
「どう?」
「いい感じ」
「じゃあ、これにする?色は?」
「色は……」
どうせなら、この休みの期間に思い切っていつもとは違う色にしてみようか。そう思った私は雑誌のページを捲る。
アンミカさんは『白は200色ある』って言ってたけど、赤も青もびっくりするほど色があった。
「青か……」
私は青のバレイヤージュの写真を見て、千景の顔を思い浮かべた。
あの日のランチ会。あずさが突然席を立った理由を私は知らなかった。
ーーーあずさは多分、不妊に悩んでる
千景にそう言われて、私はハッとした。
そういえばあずさは結婚する時、子どもができたから結婚すると言っていた。そしてその報告を受けた後すぐに、流産したことを聞かされた。
当時は一緒に落ち込んだりしたが、よく考えたらアレから一度もあずさからの妊娠の報告は受けていない。
あずさが子どもを望んでいることは確実で、夫婦仲も良好な彼女からその報告がないということを考慮すれば、自ずと答えは見えてくる。
「無神経だったな、私……」
自分の妊娠に浮かれすぎていた。大事にしたい人を大事にできなかった。
友達に傷つけられる辛さはよくわかっていたはずなのに。
「あ、やばい。泣きそう」
「え!?何故に!?」
「まどかさぁーん!」
視界が滲んできた私は椅子ごとくるりと後ろを向いて、円さんに抱きついた。
円さんは呆れたようにため息をついて、私の頭をそっと撫でてくれた。
*
「なるほどねぇ」
あのランチ会での出来事を聞いた円さんは、私の髪を切りながらつぶやいた。鏡越しに見える彼女はとても難しい顔をしていた。
「まあ難しい問題だよね。私も昔同じようなことあったなぁ」
「そうなの?」
「私が最初の妊娠をした時期の話だから、もう十年も前の話になるけどね。聞く?」
「聞く」
「いいよ。話してあげる」
円さんはそう言うと、ハサミを置いて隣の椅子に腰掛けた。
「当時、結婚してすぐに一人目を妊娠した私は安定期に入るとすぐに、仲の良かった友人に直接報告する場を設けたの。オシャレなカフェでランチをしたわ。……楽しい会になるはずだった。大切な友達におめでとうと祝ってもらえるはずだった。けれど実際は地獄のランチ会になった」
「どう、して?」
「集まった友人のうちの一人が不妊治療中だったの。早くに結婚した子でね。ずっと子どもができないことを悩んでいたらしい。でも私、そんなこと知らなくてさぁ……」
不妊治療中だなんてことを知らない円さんは自身の妊娠を嬉々として報告し、結果、彼女に罵詈雑言を浴びせられたそうだ。
「もう悲惨だったわ。店の中が騒然としてね」
「うわぁ……」
「正直、なんで私がこんなふうに言われないといけないのかって思った。周りの友達もみんなあの子のことを頭おかしいって怒ってた」
当時はまだ周囲に未婚の子も多く、誰も彼女の苦悩に気付けなかった。そう語る円さんは、悔しそうに顔を歪める。
「想像することができなかったの。友達の妊娠を喜べない理由が、ただ妊娠を告げただけの友達をあんなふうに罵ってしまう理由が、私たちにはわからなかった。だからみんな、あの日以来彼女と距離を置くようになったの」
「……」
「……でもね、そしたらあの子、死んじゃった」
「…………え?」
「あの日から丁度一年後のことよ。橋から身を投げたの」
「そんな……」
「彼女の葬儀で旦那さんと話したわ。彼女、6年近くずっと不妊治療を続けてたんだって」
「6年……」
長い。私はその時間の長さにゾッとした。
「義理の両親とも同居しててね。田舎に嫁いだから、多分色々言われてたんだと思う。もう限界が近かったのね。そんな中、つい最近結婚したばかりの私が簡単に妊娠したとなれば……ね。ああなっても仕方なかったかなって今なら思う」
色んな重圧が彼女を追い詰めていたのだろう。
円さんの妊娠は自死の直接的な原因にはなっていなくとも間違いなく、キッカケのひとつとなった。
「なんで気付けなかったんだろうって思った。だって、あんなに優しい子が他人の妊娠を喜べないなんてどう考えても普通じゃないもの」
結婚して何年も経つのに子どもの話題が出ないのは何があるからだって考えれば良かった。
あの日、気にしていないよって連絡すればよかった。
良かったら話聞くよって言えば良かった。
それができなくても、せめて今まで通りに接すれば良かった。
円さんは涙と共に次々と後悔を吐き出す。
身に覚えのある後悔に、私は胸が締め付けられた。
「あれから、私たちの間では妊娠の報告はメッセージですることになってる」
「メッセージ?」
「うん。面と向かって報告されたら何か反応を返さないといけないけど、メッセージだと自分の気持ちが落ち着いてから返信もできるし、最悪スルーすることもできるでしょう?」
「なるほど」
「妊娠も出産もおめでたい事だし、それを隠す必要はないと思う。人と話す時、相手が不妊治療をしているかももしれないって考えながら会話するのなんて疲れるし、知らなかったことに対して『思いやりがない』と責められるのも違うと私は思ってる。でも、やっぱり後悔はしたくないからさ」
ちょっとだけ想像力を働かせてみるだけで、大事な人を傷つけずに済むのならそれに越した事はない。
円さんはそう言って涙を拭い、笑った。
「どう?私の話は参考になった?」
「うん……。とても……」
痛いくらいに。
「ならよかった。じゃあ、続きしようか」
「うん……」
「あ、そうだ。結局色はどうするの?」
円さんが椅子を回して鏡の方へ向ける。
私は鏡に映る自分を見て、無意識に答えた。
「ピンクにする」
「ピンク?いいじゃん」
「昔、愛花にはピンクがよく似合うって言ってくれたの」
「ああ、隆臣くん?」
「……ううん」
違う。あの頃、本当はピンクが好きなのに周りの目が気になって選べなくなっていた私に、一番似合うと言ってくれたのは……。