五十の噺「東を照らすなんて、関西の人間に喧嘩を売っているような名前だと思う。」
さてさて。安土城の手入れが行き届いた廊下をうだうだと、実にやる気なさそーに歩くのは、我等が主役の六武衆。
お市の様子を見てきたのはいいものの、余計なことを言ったせいで(全くそんなつもりはないのだが)、魔王の妹姫の逆鱗に触れてしまい、うっかり荼毘に伏されるところだった。
本当ならば早々にこの場を立ち去り、気ままにその辺をうろうろしたいが、後がいろいろと怖いので、仕方なく一度信長のところに戻っている最中……なのだが。
「お濃ちゃーん、おひさー。」
「まぁ、皆様。おひさでございますわ。」
そのまま戻るのもつまらんので、寄り道として魔王の嫁、濃姫のお部屋を訪ねていた。
「お久しぶりです、濃姫様。」
「ええ、本当に……。皆様は相変わらずお元気そうで何より。」
濃姫は彼等との再会に嬉しそうに微笑み、お付きの侍女へお茶の支度を命じた。
「態々のご足労、本当に痛み入ります。私達の問題ですから、皆様を巻き込みたくはなかったのですが……」
顔を曇らせて、濃姫はふう、と溜息をつく。
「いいって。もうこうなったもんはしょうがないしな、潔く巻き込まれるさ。」
ははは、と力なく笑って、梅本はよっこらせとその場に腰を下ろした。
「ところでさ、お濃ちゃん。蘭丸はどこ行ったんだ?いっつもギャーギャーうるせーのに。どっかでおっ死んだのか?」
しばらくすると茶が運ばれてくる。さっそくそれに手を伸ばした木下は、あちこちを見回しながら濃姫にそう尋ねた。
彼女の言葉に、残る五人は「あ、そーいえば」と魔王様大好き命!な口うるさい小姓のことを思い出す。
「本当に相変わらずですわね……蘭丸は、今は臥せっておりますの。」
おっ死んだ、という言葉に苦笑して、濃姫は心配そうに目を伏せる。
「臥せってる?あのうるさいのんが?なんでまた。」
ズゾゾゾゾゾ、と上品さのカケラも皆無に茶を啜った北は、おもむろに茶請けの干し菓子に手を伸ばした。
「……酷い火傷ですの。熱も、あまり下がらなくて。」
俯いてポツリと言った濃姫の言葉に、六人は納得する。お市の仕業だ。
「お市さんが暴れるのを、止めようとしたんだね?」
確認するように谷中が問いかければ、濃姫は頷く。
「なぁ、どないして手当てしとるんや。」
一同の間に心配そうな空気が漂う中、のっぺりとした声で、北が口を開いた。
「え…はい、患部に薬を塗り、包帯で覆って」
「そらあかんわ。そんなことしてたら、治るもんも治らへんで。」
濃姫の言葉を遮り、顔をしかめる北。そのまま、つらつらと喋りだす。
「ええか、火傷っちゅうんは、乾かすより湿らせたまま手当てしたほうが早よ治る。薬塗って包帯で抑えて……包帯とか換えるとき、か
なり痛がれへんか?」
ビシッと濃姫を指差し、北はずりずりと彼女に迫る。その妙な迫力に、濃姫は目を丸くしながらもはい、と答えた。
「当たり前やわな。折角皮膚が再生しかけとんのに、包帯にくっついて引き剥がされてまうんやから。まずは傷を綺麗に洗って、粗方の
水気をとって、薬塗って……そやなぁ、絹がええわ。絹の布で軽く押さえとき。ええか、強く押さえたらあかんで。そしたら火傷のとこ
から液が出てくるはずや。それはあんまり拭ったらあかん。それが火傷を治すのに一役買うんや。」
怒涛の如く、ざっくばらんな言わば「湿潤療法」の話を終えると、ふう、と北は軽く一息ついた。
「……おい、お前。どこかに頭でもぶつけたのか?」
シーンと静まり返った中、ようやく小川が信じられないようなものを見る目をして、北に言った。
「今までの中で、どこにそんなシーンがあんねん。」
あほかお前、と鬱陶しそうに言い返した北に、皆いやいやいやと首を振る。
「すーっげー……マンボウが専門的なこと言ってる。オレ、お前のこと今までバカだと思ってたのに。」
「僕、ちょっと見直しちゃったよ。本当に君、医者の娘だったんだね。」
「今のはあたしでもバカにされとるってわかったぞ。お前ら表出ろやコラ。」
心の底から感心した、と言わんがばかりの木下と谷中に、ヒクヒクと口元を歪ませながら北は唸る。
「とりあえず、試してみる価値はあると思いますけど……。」
なんやかんやと言い合う三人をスルーして、山中が濃姫に視線を送る。
「そ、そうですわね。誰ぞおりますか!」
我に返った濃姫は、急いで北の説明した処置をとるべく、声を張り上げた。
~寄り道完了、魔王様のお部屋にて報告をば~
意外にも価値のあった寄り道を終えると、六人は再び魔王様のお部屋にて、市姫の様子を報告した。
「……そうか、やはり暴れたか。」
「やはり、ってことは、最初からわかってたの?お市さんがどうなるかって。」
彼の溜め息交じりの返答に、若干非難がましい視線を送る谷中。そりゃ当然だろう、わかっていて彼等を行かせたのだから。
「すまん。あれの心が安定しておらんのは、わかっておったのだが……お前達にも牙を剥いたか。」
がっくりと項垂れる信長に、梅本がフォローを入れる。
「まぁ、俺等を会わせろって言ってたからなぁ。話しこそすれ、いきなり燃やしにかかるなんて思わなかったんだろ。」
「とりあえず、姉川での戦について詳しく聞くってことになったんだぞ。振り出しに戻る方針でな。」
木下はそう言い、信長を促すように言った。
「聞かせてよ、信兄。この戦が、どういうものだったのか。そうじゃないと、オレ達どうすることもできない。」
信長は、しばし考え込むように視線を巡らした後、難しい顔で語り始めた。
お前達のことだ、この戦がどういうものだったのかは、知っているのだろう。
そうだ、朝倉・浅井軍に俺は挟み撃ちにされてな。浅井には、市を娶らせ、縁戚関係を結んでいたのだが…朝倉側に寝返りよった。
ああ、浅井が朝倉との不戦を誓っていたのは知っていたが、まさかな。それが解ったときは、貴様らのよく言う「キレそう」になったわ。
とは言うものの、腹立たしいことに俺はかなり追い詰められ、配下の者共も随分やられてしまっていた。彼奴等には、申し訳ないことをしたものよ。
だが、徳川の小僧が本多 忠勝を出陣させてくれてな、小僧はともかく、本多殿には感謝している……ん、徳川にもそこは一応礼を言っておけだと?
チッ、何故俺が、あんな小僧に。ああ、わかったわかった、考えておく。うるさい、俺にも立場というものがある。一国の城主たるものが安安と頭を下げられるか!なに?そういういらん矜持が後々悪く響いてくるだと?やかましい!とにかく、今は言わんぞ!言うのは暫し後だ!話が逸れた、元に戻すぞ。黙って聞け!
本多殿の働きで、俺の軍は何とか窮地を乗り越え、反撃を始めた。うむ、あの姿に士気が上がり、皆奮い立ったのだろうな。じわじわとだが、包囲網を崩していくことができたのだ。そこからは我が軍も調子が出てきてな、敵陣の深くまで斬り込むことに成功した。
本陣までたどり着くと、朝倉は徳川に任せ、俺は浅井を仕留めることにした……そうだ、こうなった以上、浅井とは俺が刃を交えねばならぬ。彼奴もそこは分かっておったのだろう。交わす言葉など何もなかった。幾度となく神器を打ち合わせた。何度も何度も、彼奴は向かってきた。俺も容赦はせんが……彼奴は、必死、であったな。いくら俺が傷をつけようと、痛みなどまるで感じておらんようであったわ。
死兵か?ふむ、よく知っているな、お前達は。そうだ、まさに死兵と化しておったな。
だが、退くわけにはいかん。俺は、彼奴に敗北するわけにはいかんのだ。俺は浅井を倒した。神器をあとひと振りでもしたら砕け散る、そんな状態にして、な。何故俺が一撃で神器を砕いてしまわなかったか、わかるか。
……そうだ。彼奴に、自害させるためだ。彼奴は俺に逆らったが、義を貫いた男だ。そんな男を、武士として死なせてやらずにどうする。彼奴も、俺が何を求めているのかはもうわかっていたのだ。両の手で己の神器を掴み、腹に突き立てた。
その時だ、市がその場に駆け込んできたのは。浅井を想うあまりの行動だったのだろうが、まさか戦場に単騎で来ようとは思いもよらなんだ。
「ってことは、お市さんは、浅井 長政が自害する瞬間を生で見ちゃったってわけだね。」
「……あの精神状態の理由は、これで説明がつくな。」
信長の話を聞き終え、やっぱりな、と谷中と小川は溜息をついた。なんとなーく、薄々そうなんじゃないかと思っていたのだが、ドンピシャである。
しかし、肝心なところ……何故お市が自分達に会いたがっていたのかが、相変わらずさっぱりわからない。というか、全然、全くと言っていいほどカスリもしない。
「とりあえず私達の予想を確認するためにお話をしていただきましたが……八方塞がりですね。」
「……でも、何か意味があるんやろうな。ありゃ絶対何か企んどるで。」
これは困った、というように山中は目を伏せる。その隣で、珍しく真面目な顔をして北はううむ、と唸っていた。
「あ?何で企んでるってわかるんだ?精神イっちゃってるんだろ、あいつ。」
北の背後から、ひょこっと木下が顔を出す。そのまま腕を彼女の首に絡め、背中にのしっ、ともたれかかってきた。重いわどかんかい、と鬱陶しそうに言いながらも、背中に木下を乗せたまま、北はぼそっと呟いた。
「あのお姫さん、完全に頭がイってるわけちゃうとあたしは思うんよな。」
「どういうことだ、まんぼう。」
今まで呆れたように彼等のやり取りを見ていた信長が、身を乗り出して話に入ってくる。
「……さり気なくマンボウって呼ばんといてくれや、この魔王。」
「そんな細かいことはどうでもよいわ。何故そう思う。」
嫌そうに顔をしかめる北をスルーして、信長はさっさと言え、と先を促す。
「理由なんぞあるか。勘や、勘。確かにあたしの家は医者やっとるけど、精神科とかとちゃうからな。あたしらの時代になったら、薬で解決できるんやけど、んなもんないやろ。そやから、あたしにはどうすればいいんかわからん。けどな、あの時……ほれ、お市さんが暴れて小火騒ぎになったときあるやろ。その時にな、お市さんの目付きが、気になったんや。」
「……それからそれから?」
まともなことを言う北、第二弾である。ほんと、今日は一体全体どうしたんだか。
茶々をいれようとする木下の首をキュッと締め上げ、梅本が更に続きを催促する。
「錯乱しとったことはしとったと思うんやで。あたしも、ああなった人間見るんは初めてやし、何ともよう言わんのやけど。あっさり言うとやな、「一瞬、目付きがまともな人間に戻った。」っちゅうことやね。」
「それは大変興味深いですね……‥あ、梅さん梅さん、チロさんが死にかけてますよ?もう離してあげてくださいね。」
何か白目剥いてる木下を、笑いながら傍観しつつ、山中は梅本の袖をつんつんと引っ張って注意した。
「…あ、悪い。」
おお、と今気づいたかのように、梅本は先程まで締め上げていた木下の首から手を離した。ど派手に咳こみ、一頻りひゅうひゅうと呼吸したあと、彼女はキーキーと喚き始める。
「おおぉ前はあああぁぁ!!!何ついうっかり人殺しかけてやがんだ梅干野郎おおぉ!!!沈め!焼酎だか日本酒だか、とりあえずどっちかに沈んで酒のアテになってしまえええぇ!!!!!」
「いでででで!てめ、やめろ蹴るな!着物で蹴るな!ついでに梅干しっていうな!」
ゲシゲシッ、と裾がばたつくのも気にせずに、木下は梅本を蹴りつける。無理もないか。
隣でそんなことをしている二人を目にも留めず、信長は先ほどの北の言葉に眉を寄せ、険しい顔をしている。
「おい、それはつまり、市は……」
「少なくとも、完全に錯乱だか混乱だかはしてない、っちゅうことや。断定はようせんで、さっきも言ったけど。」
ぽけーっと騒ぎたおす二人を眺めながら、北は眠そうな声でそう言った。
そのときだ、全く聞き覚えのない声が、部屋の向こうからしたのは。
「信長様、いらっしゃいますでしょうか。」
落ち着いた青年の声に、六人はピタリと騒ぐのを止めて信長に視線を寄越す。彼は気持ちを切り替えるように一つ息を吐き、入れ、と声の主に入室の許可を出した。
失礼いたします、と襖が音もなく開き、青年が深々と平伏する姿が見える。静かに彼は顔をあげ、六人を少しばかり驚いた表情で見つめると、奥に座っている信長にふっ、と笑いかけた。
「随分と、仲が良さそうで。この方々が、もしや『六武衆』でございますか。」
切れ長の目は、陽の光のような鮮やかな山吹色。真っ直ぐに切り揃えられた前髪と後ろ髪は、艶のある黒髪。左目の下にある、泣き黒子が印象的だ。
身に纏うのは、檜皮色の質素な着物だが、不思議とこの青年に似合っている。
「貴様、戦以外のときもそんな格好をしているのか。それでは下男に間違われても文句は言えんぞ……竹千代。」
呆れたように信長は、青年に言ったのだが、その言葉に六人はビシッ、とフリーズする。後半の人物名、ワンモアプリーズ?
「の、信兄、今なんて?」
「竹千代だ。ああ、きちんと言えば…徳川 家康だったな。」
実にあっさりと、ドえらい大物の名前を言う信長。
「信長様、私がここにいることを、彼等にお伝えしておりませんでしたね?」
「言おうとは思うていたのだがな。別件ですっかり忘れておったわ。」
ギギギ、と油の切れたからくりのような動作で、六人は竹千代、もとい家康に目を向ける。御三家の三番手の地味さに、衝撃を隠せていない。
「お噂は予々聞き及んでおりましたが、こうしてお顔を合わせるのは初めてでございますね。私は徳川 家康と申します。以後、お見知りおきを……六武衆殿。」
山吹色の眼をにこやかに細めて、丁寧な挨拶をする青年、徳川 家康。後の、東照大権現と呼ばれる男である。
ついに1年に一回の更新になってしまった(大汗)
皆様、おはこんにちばんわ。お忘れになってないでしょうか、貴方の夜さんです(死ね)
毎回毎回お久しぶりとほざいておりますが、今回も本当にお久しぶりです。去年ぶりだったと思います、多分。
えー、私のほうは、人生の荒波に揉まれる一年とちょっとを過ごしておりました。
他県への引越しだの色々色々色々……早く更新したいなぁ、と思いつつ、ちょびちょびしか書けない中でやっとこさ50話が完成。
もうどんな話だったのか忘れたわ、というお方も多々おられましょう。忘れられたお方は、またサラサラーと読み直していただいて、再び興味を持ってもらえれば幸いです。
さて、今回はようやく作中で重要人物その1である、徳川のやっさんにご登場していただきました。
何故こんな見た目になった、と思われた方、すいません何か直感で湧いたんです(汗)
今後六武衆が彼とどのように関係していくのか、まだまだ先は見えぬお話ではありますが、久しぶりのお話を楽しんでいただければいいなぁと思います。