二十二の噺 「頭のいい奴ほど、単純な奴のことを深読みすることがある。」
信玄はしばらく黙ったまま、六人を眺めた。甲斐の領主として、一大名として、人を見る目が曇っておらぬ自信がある。
彼等は、偽りを言っているように見えない。
「では何故、儂に会いたいと思うた?」
「あんたが有名な大名やから。」
すかさず北が答え、信玄はどう反応したものか非常に困った。
「……ホントに、それだけ?」
唖然とした顔で、念を押すように尋ねても、六人は頷くばかり。
シーン、としばらく部屋が静まり返り、やがて信玄の肩が震え始める。震えは全身に広がり、彼の口からは噛み殺した笑いが流れてきたではないか。
どうして笑われているのかわからない六人は、顔を見合せながら眉を寄せる。
「そんなに変なこと言ったかな、僕達?」
「変、なんでしょうね。あの様子を見ると。」
とりあえず、信玄の笑いが収まるまで待つこと数分、やっと静かになった。
「いやぁ、お主等は面白いの。儂も多くの人間と会うてきたが、ここまで単純な理由で儂のもとまで来た人間は、お主等が初めてだ。にしても、道中で辰市と会わなんだら、どうやって儂と会う算段だったのだ?」
からかうように問う信玄に、六人は答える。
「遠乗りのときに追い掛けるとか。」
「高いところから観察するとか。」
「キレーなお姉ちゃん使ってたぶらかすとか。」
「食べ物で釣るとか。」
「投げ縄で捕獲するとか。」
「闇討ちとか。」
「後半儂の扱いおかしくね?」
何処かズレている彼等に、全力で信玄は突っ込んだ。
何なんだろうこのやり取り、過去にいる気がしない。
「じゃあ、とりあえずは警戒が解けたと解釈してもよろしいんですね?」
一頻り笑いあった後、山中が信玄に尋ねた。
「一応はな。だがあと少しは忍の目がつくだろう……儂の家臣が納得するまでは。」
チラリと天井や周囲に目をやり、信玄はよっこらせと立ち上がった。
「さて、ここでずっと居るのも暇だの。どうだ、儂と一緒に」
「お~や~か~た~さ~ま~……!!」
背後、僅か数ミリ開いた襖から聞こえた声に、ザザァッと見事な血の引きっぷりを見せる信玄。
息を呑む六人の前で、信玄の頭をガシッと掴む手があり。
「ここにいらっしゃいましたか……探しましたよ……!」
「っか、かか、かんかん、勘助!?」
隙間からぬるりと液体のように出てきたのは、目を爛々と光らせた妖怪軍師、勘助である。
「随分とお楽しみのようでありましたが……そろそろお引き取りしてもよろしゅうございますか?」
彼の隻眼がぎろりと六人を見据え、有無を言わさぬ口調で問われる。
勿論、この状態でヤダと言えるほど彼らは恐いもの知らずではない。
「問題ないであります、軍師殿!」
起立して敬礼し、信玄に哀れみの視線を向ける。
さよなら甲斐の虎、我々は貴殿の尊い犠牲を忘れない。
部屋の外に消えた彼の姿を網膜に焼き付け、六人は敬礼の手を下ろした。
断末魔の悲鳴が躑躅ヶ崎館に響き渡るまで、あと数秒。
「……やはり見破られましたか。」
「そのようだな。」
その頃、六人の部屋に忍を放った張本人二人は、聞こえる主の悲鳴に苦笑いしながら碁を打っていた。
一人は板垣 信方、もう一人は蘇芳の小袖を着た男だ。焦げ茶色の髪を後ろで一纏めにし、虎縞の組紐で結わえている。
「甘利殿は彼等をどう思っておられる?」
パチリ、と黒石を置き、信方は彼を……甘利 虎泰に問いかけた。
彼も信方と同じ、『武田四天王』の一人である。
「彼等が巷で噂になっている『六武衆』であることは間違いないでしょう。三つ者や各地に散った歩き巫女からの情報から、勘助殿も判断できると申しておりました。まぁ、既にお館様が話をなさったのなら、我等が下手に勘繰る必要はございますまい。」
虎泰は白石を打ち返し、腕を組んだ。
「それに、彼等中々腕がたつと思いますぞ。我等が放った忍をお館様が退かせたとき、少しも驚きを浮かべなかったようですから。」
「ああ。六武衆という名……噂に塗り固められた張りぼてというわけではないな。」
パチリ、パチリ、と碁石を打つ音が部屋に響く。
「失礼致します。」
聞き慣れた声がして二人が顔を上げれば、やたらとすっきりした表情の勘助が入ってくる。
「お二人とも、ここにおりましたか。」
碁盤の前に腰を下ろす彼に、虎泰が声をかけた。
「勘助殿、一応聞いておきますがお館様は?」
「先程執務室に縄で縛り付けておきました。逃げられないように、忍の者十人程で警備に当たらせておりまする。」
碁の形勢を見ながら、よどみなく勘助は答えてニタリと笑ってみせる。
「万が一、抜け出そうとなされても……すぐ某に知らせがくるようにしております、ご心配なさらず。」
その笑みに、心配しているのはお館様だと言えない二人。
「さて……お二人はあの六人、黒か白かどちらと思われますかな?」
勘助の質問に、二人は困ったような表情を作った。
「勘助、我等はあの六人と会うて日が浅い。いきなりそのようなことは。」
「某は、あの者共……少々きな臭いかと思いまする。」
きっぱりと断言した勘助に、虎泰は尋ねた。
「その理由は?」
「あの者共が六武衆であることは間違いないでしょう。ならば……何故我々がそれを「感じない」のか、おかしいと思いませぬか?」
勘助は片手を上げる。
すると、袖口からにょろりと黒い蛇のようなモノが現れた。彼は影の神憑き、これは彼が操る影なのだ。
「神憑きは神憑きの気配を感じる事が出来る。その気配を消すのは、熟練の忍または厳しい鍛練を積んだ者が出来ること。そして気配を消している筈の忍を見つけるとなると、『将位』程度の者でなければ出来る芸当ではありますまい。」
勘助は一つ息を吐くと、更に続ける。
「それをあの者共は容易くやってみせた。何よりおかしいのは、神憑きである我々が、あの六人から神憑きの気配を感じないというところにありましょう。」
信方と虎泰は黙り込み、ううむと唸った。
何とも特異な、というよりは異常な話である。
「それは私も思っていたことですが……しかし、「特異である」という理由で、白か黒かを決めることは出来ませんぞ。」
虎泰は碁石を眺めて、そう言った。
「……お館様がお会いになり、彼等を判断なされたのだ。その判断が吉と出ればそれでよし、もし凶と出れば、その時は我等が始末をつければ良いだけのこと。」
碁の勝負がついた。どうやら黒の勝ちのようだ。
信方はそう言いながら立ち上がった。
「そしてこれは某の私的な意見…というより勘なのだが、彼等はあまり疑わなくともよいかと思うぞ。」
何せ、忍の介抱をし、同じ釜の飯を食い、着物まで貸してやるような者達だ。
微かな微笑みを浮かべ、信方は部屋を出ていく。
後ろ手に襖を閉め、廊下を少し歩いたところで忍の名を呼ぶ。
「辰市、あやめ。」
「「ここに。」」
スッと現れた忍に、信方は命じる。
「あの六人の世話をしてやれ。そして、毎日某のところに報告を。お前達のほうが、彼等も気を許すだろうから。」
「「……然るべく。」」
現れたときと同じように消える忍を見送り、信方は溜め息をついた。
「さて、お館様の様子でも見に行くとしようか。」
信方、虎泰、勘助の三人に、物凄く深読みされているとは露知らず、六人はころりと引っくり返っていた。
だが好奇心旺盛な孝研、いつまでも一つの部屋にいられる筈がない。
「ひーまーだーぞー……」
芋虫のようにうねうねしながら木下は呻き、それに皆こっくりと頷く。
勝手にふらふら出歩いて良さそうな雰囲気じゃないし、かといってこのままここにいるのも嫌だ。
「なー殿下。いっそのこと、遊んでもらうか?」
「あー、それいいかも。」
「何する気だお前等。」
遂に木下が音を上げ、谷中の膝に顎を乗っけて何やら提案し、谷中もそれに賛成する。
嫌な予感を感じた梅本が声をかけると。
「この人に、だよ!」
素早く立ち上がるや否や、木下は影蜈蛸を呼び出し天井をドカッと突いた。
するとそこの板が撥ね飛ばされ、影が伸びる。黒い手のようになった影に掴まれ、落とされたのは一人の忍。
すかさず谷中が電王を帯電させると、忍の刀や苦無がジャラジャラと引っ張り出されて電王にくっつく。
「凄いです、磁力まで出せるようになったんですね!」
ぱちぱちと手を叩き、山中が称賛の声を上げる。
「……進歩したな、難しかっただろ?」
小川は興味深そうに電王を覗き込み、つんつんと苦無を突っつく。
「で、何して遊ぶんやコレと?」
影でぐるぐる巻きにされ、モゴモゴ言ってる忍を眺めて北が暢気に言った。
「んー……何する?」
「俺に聞くなアホ。」
木下の様子に頭が痛い、と梅本はがっくり項垂れる。
「……とりあえず、解放してやれよ。見ろ、何かピクピクしてる。」
「その人窒息してますよ!?」
小川が無表情で忍を指差し、山中が慌てて戒めを解くように言う。
スルッと木下が影を解くと、忍は物凄い勢いで息を吐き出し、軽く咳き込む。
「あららー、危うく死なせちゃうとこだったね。」
電王にくっついた色々を外しつつ、谷中はへらへら笑う。
「……笑い事ではないだろうがああぁ!!!」
やっと呼吸を整えた忍の男は、怒り心頭とばかりに怒鳴った。
「やっかましーなぁ、あんた仮にも忍やろ?んなギャーギャー騒ぎなよ見苦しい。」
「何故貴様等にそんなことを言われなければならんのだ!?」
なんかやたらと偉そうに言う北に、益々怒鳴り散らす男。
「なーオッサン、オレ暇だ。何かして?」
もう無茶苦茶である。
影蜈蛸をしまい、木下が何かを期待した眼差しを向けた。
その無邪気な様子に、男は背中に嫌な汗が流れるのを感じた。
(何故…俺はこいつらが神憑きだと気付かなかった?何故、こいつらは俺が潜む場所がわかった?)
男はようやく、この六人を見張れという命の意味を知った。
「この人、固まってませんか?」
山中が顔を覗き込み、目の前でヒラヒラと手を振ってみせる。
「……!!?」
サッと距離をとり、男は六人を改めて見る。
(子供にしか見えん……しかし、あの力は……。)
色々と考えていると、いい加減痺れを切らせた木下が彼の肩を叩いた。
「オッサン、暇だってば。」
「俺はまだそんな呼ばれ方をする歳ではないわ!」
何度も失礼な呼び方をする木下に、男は苛々と睨みを効かせたがそんなものは効果なし。
「じゃあ名前言えば?そうでなきゃ、僕達ずっとオッサンって呼ぶよ。」
谷中はそう言いながら、奪い取った手裏剣を弄ぶ。
「……貴様等のような連中に名乗る名はない。早くそれを返せ。」
唸るように言ってみるが、やはり効果なし。
「……ねぇ、チロちゃん。」
「はいはい、殿下。」
谷中と木下は、何か思い付いたのかニッと笑う。
(((またまた悪いこと考えてるな……)))
その様子を見ながら、他の四人は小さな溜め息をついた。
退屈の極みに達しているこの二人、甘くみていると、とんでもない悪戯を仕出かすのだ。
「忍刀もーらいっ!」
「僕は苦無頂きっ!」
「なっ、何ィ!?」
忍道具のうち、刀と苦無をひっ掴み、脱兎の如く逃げ出す二人。
男は目を白黒させると、大慌てで二人の後を追い掛けていく。
「……俺は暫く寝る。」
「俺もそうするか。」
小川と梅本はその場でごろりと横になり。
「あたしは面白そうやから見に行くわ。」
「私もご一緒します。」
北と山中はよっこらせと立ち上がると、三人が飛び出して行った方へと向かった。
「待てっ、待たんか!!」
「待てと言われて!」
「待つ馬鹿なんぞいるか!」
ドドドドッ、ダダダダッ、右に左に直進に。
「オッサン遅いぞ!」
「オッサンバテちゃった?」
「だからオッサンではないと言っているだろうがああぁ!!!」
時折後ろを振り返り、ますますヒートアップさせるような言葉を投げ掛けてからかうと、男は青筋を立てて叫んだ。
そんな大騒ぎをしているものだから、あっという間にこの鬼ごっこは至る所の家臣や侍女に目撃される。
「一体何の騒ぎだ?」
「何やら賑やかですね。どうかなさいましたか?」
笑い声や囃し立てる声を聞きつけ、勘助と虎泰が顔を出し……目を丸くする。
「忍なら捕まえてみせろー!」
「ほらほらこっちだよ~!」
「貴様等アアアアァ!!!」
素早くジグザグに走りながら追跡を上手く避ける二人と、それを鬼の形相で追う忍。
「……甘利様。」
「はい、勘助殿。」
勘助はぽかんとした顔で、虎泰に呼び掛ける。
「板垣様の勘は、当たっておりましたな。」
「・・・・・そのようですね。」
苦笑いを浮かべ、虎泰は走り回る三人を微笑ましく眺めるのであった。
忍と鬼ごっこ。
最早フツーじゃない主人公達です。
んー、武田は有名な人や出したい人が多くて難しいですね。
武田四天王は全員出したいし、あの表裏比興の者も出したいし、逃げ弾正も出したいし・・・・・あー、居すぎだ武田!