第81転 感謝
冥府最深部にある冥王宮にて。
「よもや神代を終えてもなお、まだ我輩の出番があるとはな……」
冥王ハデスが玉座に腰掛けたままそう呟いた。
「我輩でなければ不可能な仕事と言えばその通りだがな。ふふ、死者を迎えるのは実に二〇〇〇年ぶりだ」
ハデスの口端に笑みが灯る。
魔法世界が『闇の元素』と呼ぶもの。地球においては人類が死ぬ際に放出する負の感情――呪い。その呪いを回収し、溜め込み、魔法世界の『魔界孔』に流す廃棄孔。その廃棄孔はどこにあるのかといえば、ここ冥府だった。
否、ギリシャの冥府だけではない。北欧の冥界、不帰の国、地下の九層目、黄泉、根の国、ニライカナイ。あの世と呼ばれる場所の殆どが廃棄孔として機能していた。神代が終わり、人の世が始まって以降、冥府が死者の逝く先ではなくなった為に与えられた新たな役割だ。
昏く寒い地底の冥府担当とはいえ神にもプライドがある。それが廃棄孔などというゴミ集積所の如き真似など到底受け入れられないと宣う者は多かったが、二〇〇〇年も経てば慣れたものだ。
それに、異世界の事情を顧みればまだマシだという考え方もある。冥府がゴミ集積所なら異世界はゴミ処理施設の扱いだ。何も知らない異世界の住人にこちらの身勝手を押し付けている事を思えば、この程度の屈辱は何の事もない――少なくともハデスはそう考えていた。
(――否、ゴミ処理施設よりも非道いか。何せあの世界はそもそも――)
「丁重にもてなしてやろう。この決闘が終わるまではな」
冥王である彼は冥府の様子をつぶさに観察できる。彼の目には渡り守に案内されて冥府を下るタウィル・アトウムルの様子が見えていた。まだ現状に戸惑っているらしく、渡り守の指示に為すがままにされている。
「それにしても、オルフェウスの魂は堕とせなんだか。我輩の権能をも上回るとは、決闘儀式とやらもやりおる。……いや、正確には決闘儀式を仕込んだ向こうの『神』か。確か名をザダホグラといったな」
試合場が冥府と化した以上、あの場で死んだ者は全て冥府に堕とされる。その権能は神々ですら逆らえない。もし逆らえる者がいるとすれば、それは神々の中でも上澄み――冥王以上の存在だけだ。
オルフェウスの姿は冥府になかった。となれば、決闘儀式に彼の魂を持っていかれたと見るのが自然だ。しかし、そうなると『神』ザダホグラは冥王以上の権能を持っているという事になる。
「まあ、奴の経歴を考えれば全くの不可思議という訳ではないが……それでも異世界転生者だろうに。元は人間風情がよくやるものよ。……そうまでして敗者の魂を欲するとは、やはり決闘儀式は七つの魂を必要とするものと見て間違いなかろうな」
異世界転生軍の計画を推理するハデス。その最中、ふとある事に思い当たった。
「……いや、うむ。その前にオルフェウスに礼を言わねばならんな。貴様は確かに神々の依頼を果たした。本当に御苦労であった、我が友よ」
冥王は亡き友人に感謝の念を捧げた。