第70転 骨伝導
「LaLaLa――♪」
オルフェウスの歌声が響く。
【海面に誘う怪歌】――聞く者を魅了する蠱惑の歌。否、聞く者を洗脳する怪異の音だ。結界によって試合場と観客席は遮られているが、そうでなければ観客達も彼に魅了されていただろう。
「くっううう……!」
今、タウィルの耳は機能していない。全くではないが、会話ができない程度には聴覚が麻痺している。にも拘らず、タウィルの脳内にはオルフェウスの歌声がしっかりと響いていた。気を抜けば今にも膝を屈し、オルフェウスに従いそうになる。
「古代ギリシャにおいて、彼の英雄オデュッセウスは海の怪物セイレーンと遭遇した。セイレーンは歌声で船乗り達を誘惑し、喰い殺す妖婦だ。オデュッセウスは船員達に蜜蝋で耳栓をさせて難を逃れたという。耳を塞ぎさえすれば怪歌は防げた訳だね。――当時では」
だが、現代では、
「骨伝導と言うらしいね。紀元前にはなかった概念だ」
通常、動物は空気を導体に鼓膜が振動される事によって音を感じている。一方、骨伝導は音の振動が骨を導体として直接聴覚神経に伝わる仕組みだ。この骨伝導は日常的に起きており、録音した自分の声に強い違和感を覚えるのは、空気伝導によって伝わる音のみを録音するからである。普段、自分が聞いている自分の声は空気伝導と骨伝導が合わさったものなのだ。
「知らないのなら無理だけど、知っているならば利用できる。当たり前だろう?」
そう言って、歌を再開するオルフェウス。聴覚が麻痺をしているのに音に苦しめられるという理不尽を味わうタウィル。彼の強靭な精神力で支配に抗っているが、それもいつまでも持つものではない。
「ええい、やむを得まい。――オハン!」
タウィルの命に従い、【魔盾オハン】が絶叫する。大音圧はオルフェウスの歌声を掻き消し、魅了を無効化する。その代償としてタウィルの聴覚神経が悲鳴を上げ、三半規管にも影響が出始めるが、否応なしだ。
「ああああああああああっ!」
叫び、タウィルがオルフェウスに飛び掛かる。長期戦は危険だ。三半規管が狂って平衡感覚を失い、戦えなくなる前にオルフェウスを倒さなくてはならない。ここからは速攻で動かなくてはならない。
だが、オルフェウスとてそう容易く倒される程やわではない。




