第39転 信長の変貌2
「羽柴秀吉か。でかした。一番美味いって訳じゃあねえが、たまに食いたくなるんだよな、地元の味」
「ああ、分かるっス。某もお袋の農民飯が恋しい日がありましてな」
「おう、そういうのだ。……おっと、そうだ。今ちょうどこれを書き上げてな。誤字脱字がないか見てくれねえか?」
信長が書状を男――藤吉郎に手渡す。藤吉郎は笑顔をやや困り顔に変えつつも書状を受け取った。
「手紙っスか? 某、学は全然ないんスけど。こういうのは明智光秀や五郎左衛門に頼んだ方が……」
「いや、あの二人には見せたら怒られそうだから駄目だ」
「アンタ何書いたんだ」
藤吉郎が眇める。とはいえ、何を書いたかは読めば分かる話だ。自分で見た方が早いと藤吉郎は書状に目を落とす。
「ふむふむ。あー、これ、この間の信玄公への返書っスか。特段誤字もないですし、変な言葉を使っている箇所も……いや、ちょっと待って。何スか、この最後の『第六天魔王』って。何これ?」
藤吉郎が指差した先、書状の署名の部分には「第六天魔王信長」と書かれていた。
「信玄公めがこういう挑戦をしてきたんでな。乗ってやったまでよ」
信長が別の書状を取り出す。それは先日、甲斐国の大名・武田信玄から送られてきた挑戦状だ。比叡山延暦寺を焼き滅ぼした事を理由に信長と敵対するという旨の内容だ。その署名の欄に武田信玄はこう書いていた。
「『天台座主沙門信玄』……あのオッサンもなんちゅー思い切りの良い真似を……」
天台宗は仏教の宗派の一つである。比叡山延暦寺は天台宗の総本山。天台座主は延暦寺の長である事を示す称号で、沙門は仏教徒である事を意味する言葉だ。つまり武田信玄は「自分は天台宗を統べる者だ」と言ってきているのだ。
しかし、実際には武田信玄は天台座主ではない。比叡山焼き討ちにより甲斐国に亡命してきた天台座主・覚恕法親王を保護こそしているものの、天台座主そのものではないのだ。
「これはつまりアレっスか。信玄公は挙兵の大義名分に仏教を利用しようとしていると」
「だろうな。あいつは前々から仏教の支援者を自任して、それを宣伝文句に仏教勢力を味方に付けてきたからな。今も比叡山の僧共があいつの庇護下に集まっていると聞く。延暦寺復興を餌に俺を討ち果たそうっていう魂胆なんだろうよ」
「で、天台座主を僭称して、より一層の喧伝しようと。それに対して信長様は『魔王』を名乗って返した訳っスか」
「そういう事だ」
「はー……こりゃ確かにあの二人には見せられねえっスわ」
あの二人は頭堅いからなあ、と藤吉郎がぼやく。
「しかし、信玄公と明確に敵対となると、どう攻略したもんスかね。何しろあの徳川家康がボロ負けした相手っスからねー……」




