異世界から引きこもりという奴がやってきた。いや、あいつにとってはこちらが異世界なのか。何をやっているのかわからんが、今までの奴らとは違うようだ
異世界から「引きこもり」という奴がやってきた。いや、あいつにとってはこちらが異世界なのか。
とにかく、そいつは3年も家の中に閉じこもったまま、生活をしていたらしい。
どうやったらそんなことができるのかよくわからない。風呂に入らなくてもいいかもしれないが、食料はいるし、服を着替えないと病気になってしまうのではないか。
それを奴に聞いたら、疫病がまん延したため、そういう生活になったらしい。
食材を届けてくれるから、家の敷地内で生活できるのだとか。服も家の中に川から水を引いてくるシステムがあったのだという。
すごい世界だ。町の水路や井戸で洗濯している女たちが聞いたら、「その異世界に連れて行ってくれ」と言うだろう。
今までも、何度か異世界から来たという奴はいたが、イチロー・マツイという偽名を使う男は違うようだ。偽名なのは冒険者ギルドの職員が調べた。
まぁ、異世界に来たんだから、憧れの誰かの名前を使うのもいいだろう。
そんなことよりも、イチローマツとかいう奴は、冒険者ギルドで清掃の仕事をやり始めた。たいてい町の外から来た奴は、冒険者として登録を済ませたら、適当に訓練をした後、目的を見つけて魔物を狩りに町から出て行ってしまう。
神から信託を授かっているという者いるが、チローマは違った。ああ、イチローマツか。呼びにくいんだよ。チローマでいいだろう。
町の者たちからは最終的にチロマーと呼ばれていた。
とにかくチロマーは、清掃の仕事をしている間、昼間にずっと訓練所の隅でトレーニングをしていた。一切、冒険者ギルドの敷地内から出なかった。
飯は食堂で出る一食だし、仕事は冒険者ギルドの清掃だけ。物の搬入などは手伝っているようだが、馬車から荷物を運ぶだけ。ちょっと通りに出るくらいだ。
「お前、楽しいのか?」
チロマーに聞いたが、「ちょっと今、トレーニング中なんで」と取り合ってくれなかった。
時々、いる。自分で決めたことをとことんやらないと気が済まないという奴が。
チロマーもきっとそのタイプだ。
変に刺激をして、森の中でゴブリンにやられてもかわいそうだ。なにより魔物に食われたら、人の味を覚えた魔物が町までやってきてしまう。
俺たちは、なんとなく遠目から見ていることにした。
そうして半年後、チロマーはとんでもない体をしていた。娼婦が見たら卒倒しそうなくらい均整の取れた体をしている。食堂のおばちゃんたちは、トレーニング風景を眺めながらお茶を飲むことを生きがいにし始めている。
「引きこもり」というのが、だんだん俺たちにもわかってきた。
「すみません。技術と変化球の訓練がしたいんですけど……」
突然、チロマーに言われて、俺たち教官も戸惑ってしまったが、とにかく戦い方を知りたいという。もちろん、俺たちだってチロマーがどれくらい頑張ってきたのか、俺たちの考えでは及ばないトレーニングまでしていることは知っていたので、戦い方を教えるのはやぶさかではない。
むしろ、これだけの逸材がいれば誰だって教えたいと思う。
この時点で、俺たちはチロマーの戦略に嵌っていたのかもしれない。普通は教官に教えを乞うために銀貨を払うが、俺たちは自分の技術を教えたくて仕方がなくなっていたのだ。
今までの奴らとは真逆だ。
その上、技術は投擲と木刀の横振りを中心にやっていくという。もちろん半年筋力トレーニングに費やすようなこだわりの強い奴だから、他にはやらないのだろう。
そこで俺たち教官連中は考えた。
投擲と木刀で魔物をどうやって倒すかについて、チロマーに時間を貰い、周辺の出現する魔物の特徴を調べた。そもそも冒険者ギルドがやっていなくてはいけない仕事だが、記録もバラバラで、何もまとめられていなかったのだ。
結果、投擲と木刀で周辺の魔物程度なら討伐可能であることがわかった。
「ある程度、サポートしなくてはならないがいいか?」
「よろしくお願いします!」
返事もいいし、特にお金を要求してくるわけでもなく、通常の訓練代を支払ってくれるので、こちらも文句はない。
チロマーの攻撃範囲は基本、18.44メートルだそうだ。その範囲から石や魔力で作った玉を投擲して魔物に当てる。日々、瞑想を繰り返していたチロマーは魔力量もそれなりにあるらしい。ただ、魔法の適性がまるでない。
単なる魔力の玉しか出せないのに、なぜかチロマーは喜んでいた。魔法使いの同僚に習ってチロマーはメキメキとトレーニングを繰り返していた。
「あいつ、おかしいぞ。魔力の玉を曲げるんだ……」
魔法使いの同僚が言うには、投げた球を曲げて確実に対象に当てるのだとか。
俺もそのトレーニングを見にいったが、そもそも玉の速さが異常だった。「股関節の柔らかさと、体重移動が肝だ」と本人は言っていたが、そういうレベルではない。
あんな玉が当たったら、悶絶して気絶する。しかもどうやって曲がるのかわからないので、魔物も避けにくい。
しかも筋力も俊敏さもこの半年で身につけている。筋肉速攻魔法使いなんて聞いたことがない。
つづいて木刀の練習だ。
「とにかく腰の回転で、打ち返したいんですよ」
腰は低いのに、チロマーは不思議なことを言う。
魔物に近づいていって振ることはないのだそうだ。木刀の場合は基本魔物が襲ってくるまで待ち、そこから横に一閃するのだとか。
「潜伏したりだとかは?」
「フォームが崩れるようなことはしません」
きっぱり言った。自分が魔物に合わせるのではなく、魔物を自分に合わせるつもりのようだ。それでやっていけるのかどうか。
とにかく、木刀なので魔物の魔法で簡単に燃えてしまう。魔法防御のまじないだけはかけておいてやった。冒険者には変人が多いが、チロマーは飛び切りおかしかった。
そんな戦闘の訓練を半年続けた後、初めての魔物狩りにチロマーは出かけた。
「初登板、頑張ってきます!」
不思議な掛け声とともに、草原へと向かったチロマーは見事、最弱の角ウサギを3羽獲ってきて冒険者としての初仕事を終えた。
その後の快進撃は言うまでもないだろう。