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朝食


「――星炎神しょうえんじんが与えし恵みに感謝を」

 

 食事前の祈りを済ませると、リンはナイフとフォークでソーセージを小さく切り分け始めた。

 私は彼女の食事の様子を、向かいの席で見守る。

 用意した食事はリンの分のみで、自分の目下には何も並んではいない。

 アンドロイドである自分には、食事による栄養摂取は必要ないからだ。

 ……いや、私を他のアンドロイドと一括りにしてしまうのは語弊があるかもしれない。

 私は従来のアンドロイドとは違い、人間のように消化器官も備わっている。だから食事を取ることも可能だ。だが、わざわざ食料を消費してまで人の真似事をする必要性は感じられない。

 だというのにリンと食卓を共にしているのは、彼女のたっての願いによるものだ。

 私が座るこの席でいつもリンを見守っていた人間、彼女の母親が亡くなった時からの――。


「今日のお天気は?」


 三本のソーセージの内、二本を切り分け終わったところで、リンは言った。

 彼女が気象を気にするのは毎日のことなので、予報は予め確認してある。


「曇りです。汚染濃度は最低濃度ですが、西から汚染風が流れ込んでいますので、昼までには中濃度まで上がると予想されています」


 リンが小さくため息をつく。


「これで二週間か。外に出なければ天気なんて分からないのに、曇りと聞くだけで気分がもやっとするから不思議よね」

「環境に精神が影響を受けるのは、人間特有の感覚ですね」

「そうね」

「不便です」


 忌憚なく述べると、リンは「そんなことないよ」と言って笑った。


「色んなことに一喜一憂できて、私は面白いと思うけど」

「精神状態が左右されることがですか?」

「うん。それに影響を受けるからこそ逆も成り立つわけだし」

「精神が環境を変えるとは思えません」

「変えるんじゃなくて、世界が変わるの」

「世界が、変わる?」

「例えば私が曇りや雨の日に外に出られたとしたら、どんな気持ちだと思う?」

「憂鬱なのでは」

「違うわ。嬉しい、よ」

「リンが嫌いな天候なのにですか?」

「うん。どんなお天気だとしても外に出られたら嬉しさのほうが勝るもの。そういう時はね、曇りでも雨でも嵐でも、世界が明るく見えるものなのよ」

「つまり、人は気持ちで見る世界が変わると」

「そういうこと」

「理解しかねます」

「いつか、ケイにも分かるときが来るわ」


 そう言ってリンは微笑むと、残りのソーセージの切り分けに取りかかった。


 ――いつか、私にも分かるときが来る。


 私が人間に対して理解できないことがあると、リンは決まってそう口にした。

 希望的観測のようでいて、確信に満ちた声音で。

 ……科学者ではない彼女は知らなかったのだ。

 人間は、未だに己のことですら解明しきれていないことを。

 その人間の感覚を、人間が作り出したアンドロイドが理解するなど到底、不可能なことを。

 それでも、疑似感情、疑似感覚、疑似人格、それらをプログラムされた従来のアンドロイドなら、理解した振りをするだろう。演じることも、人間に迎合することも出来るだろう。

 だが、私にはそれが出来なかった。

 疑似プログラムが搭載されていない私には、リンが喜ぶ返答をすることが出来なかった。

 ……いや、例え出来たところで、それは上辺だけの言葉に過ぎない。真の理解には及ばない。

 感覚・感情・知性・意識・精神・願望・欲求、それらの源となる人間を人間たらしめる最たるもの――心の存在。


 ――そう、心を持たないアンドロイドが、

 心を持つ人間を理解するなど、本来、出来はしないのだ――。


 リンを見ると、小さく切り分けたソーセージの一つを口に入れている。

 何でも小さく切り分けて、小さな口でゆっくりと食べる。どんな料理であろうと、彼女の食事はこれの繰り返しだ。だから食事の速度が遅い。お喋り好きだったのも遅くなる原因の一つだろう。


「今日はね、夢を見たの」

「どのような夢ですか」

「あのね――」


 リンが食事をする間、たわいない会話は続く。

 話題を振るのはいつもリンで、私は聞き役に徹したり、返せそうな時だけ返答をする。

 それが朝の日常――……人間は、危機に瀕した時、住む世界が変わった時、何かを失った時、何の変哲のない日常が掛け替えのないものだったと気づくという。

 ……この時間も、それに当てはまるのだろう。

 時間をかけてソーセージとサラダを平らげたリンは、やっとのこと朝食のメインディッシュとも言うべき目玉焼きへと意識を向けた。

 すでに冷え切った目玉焼きは、半熟に焼いた黄身が固まりつつある。

 だが問題はない。それがリンの好みだからだ。

 白身を黄身から切り離し、そして白身を一口サイズに切り分けながら、リンは言った。


「因みにだけど、晴れる確率は?」


 気象予報の流れで、この問いかけをされる確率は五十パーセント。こちらも確認済だ。


「二パーセントです」

「まだ可能性はあるかな」

「残り二パーセントでは、確率は覆らないと思いますが」


 リンは手を止めて顔を上げると、


「分からないわよ。奇跡が起こるかもしれないじゃない」


 と、どことなく得意げに言った。

 彼女が非科学的なことを口にするのは、今に始まったことではない。

 原因は演算しなくても明白。彼女が読む本の影響だ。

 リンは俗に言う、ハッピーエンドと呼ばれる物語を好む傾向にあった。

 どんなに悲しいことが起ころうと、奇跡が起きて最後には幸せになる物語。

 そういう物語が好きだと、言っていた。


「晴れて欲しいと、神に祈るのですか?」


 奇跡とは超越的な現象、つまりそれを起こすのは神の御業となるのだが。


「あらケイ、奇跡は神様だけのものじゃないわ。誰にだって、そういう力はある筈よ。信じる心が強ければ、何だって叶うのだから」

「でしたら世界の現状も変えられるのでしょうか」


 私の言葉に、リンは驚くように目を見開いた。


「ケイは世界をどうにかしたいの?」


 人類は今、種の存亡をかけた問題を抱えている。

 それは人体に害のある汚染風の存在と、それに伴う人口減少によるものだ。

 局所的に汚染風が吹き始めたのは百二十年前と言われているが、明確な記録は残っていない。

 当時、汚染風の存在を観測できなかった科学者たちは、限られた地域でのみ増える突然死を未知の伝染病によるものだと判断していた。だがそれに異を唱えたのが、これまで世界の危機を何度も救ってきた科学者一族〈太陽の一族(ニベルファルン)〉だった。

 太陽の一族は汚染風の観測に成功すると、世界に点在していたドーム型の都市に一族が設計した汚染風を防ぐ防壁を築かせた。

 それが今から百年前のことだ。

 その頃になると汚染風は世界中で観測されており、地方で暮らす人々は徐々にドーム都市へと生活圏を移していった。しかしその時にはすでに人類の半分が失われていた。

 そしてある原因により、今でも人口は緩やかに減り続けている――。


「アンドロイドである私にはそれを願う権利はありません。ただ私は、何でも叶うというのならば人は何を願うのか? を主題にし、都市ネットワークから情報を収集、演算し導き出しただけです」


 そういうことね、とリンは納得したように呟くと続けた。


「それって人の総意ってこと?」


 その物言いは、感情豊かな彼女にしては珍しくどこか軽薄だった。


「そういうことになるかと」

「そうなの。でも残念ね」


 リンは人差し指を立てると、いいアイデアが浮かんだかのように得意げに微笑んだ。


「それを叶えるには、人類は減りすぎたわ」

「要するに、世界を救うほどの奇跡を起こすには多くの信じる心が必要、ということでしょうか?」

「そういう設定なのです」


 ここまでの一連の流れがさも冗談だとでも言うかのようにリンは締めくくると、会話に満足したのか食事を再開した。


 ――……私は知っている。

 リンは確かに奇跡というものを信じていた。

 たとえ冗談めかして言おうとも、奇跡の存在を信じて疑っていなかった。

 けれど彼女にとって世界は奇跡を使うに値しなかった。


 ゆっくりと人類が滅び行く世界など、彼女は興味がなかったのだから――。



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