幕間
小学3年生の頃、父が死んだ。
別に、難病を患っていたとか、そんな悲壮感溢れるストーリーが展開された訳ではない。
仕事中に足を滑らせたっていう、どこにでもありふれた、普通に普通の、不幸な事故だった。
もちろん――と言えばいいか、やはり、と言えばいいのか分からないが、まぁどちらにせよ、幼い当時の私は『死』という概念を理解しきってなかったようで、その訃報を聞いてもどこか他人事感が抜けなかったのは、致し方ないことだと思う。
遅まきながらに事の深刻さを理解したのは、布団に仰向けで眠る見慣れた父とようやく再会した時だった。
目の前に横たわる少し白みがかった父の寝顔は、私の知っている父とほとんど変わらない、安らかな寝顔で――。
今すぐにでも起き上がり、私の頭を不器用に撫で回してくれそうで――。
だからこそ、私はその大好きな父の顔に、いつものようにそっと手を伸ばしたのだ。
それが、一生のトラウマになるとも知らずに。
つまるところ、かなりの時が経った今でさえ、否が応でも、その時のことが鮮明に蘇ってしまうのだ。
指先が父の頬に触れた瞬間、私の体温が急激に吸われていった、あの感覚を――。
あったはずのぬくもりが抜け去った、あの硬いシリコンの塊のような、父であるはずの身体を――。
今まで当たり前だったものが、覆されてしまった、あの幻滅を――。
空想にしか存在しなかったはずの“死”という概念が、私の現実へと侵食してくる、あの恐怖を――。
最愛の人物の死を、拒む余地すらなく受け入れさせられた、あの絶望を――。
今でもしっかりと――覚えている。
そして、その底冷えのような恐怖と、今にも破裂しそうな心臓の鼓動、くわえて、喪失感に塗りたくられたあの昏い感情は、今でもまだ、時折顔を出しては私の心を締め上げるのだ。
呪縛のように心の底から滲み出しては、私の時間を、体の自由を――奪いさる。
――。
――とにかく。
その当時の私は『父は死んだんだ』という、到底受け入れられない現実にただ泣きじゃくり、世界を、そして自分の運命を呪ったのだ。
どうして私が、私たちだけが、こんなに悲しい目に遭わないといけないのだろう――。
どうして、これ程の悲しみに暮れている私たちに、世界は目もくれないのだろう――と。
何とも自己中心的で、あまりにも悲劇のヒロインを気取りすぎてるなと、今思い返せば、恥ずかしいを通り越してバカらしいとさえ思えるけれど、当時の私は至って大まじめにそう考えていた。
そう考えることで、今まで知らなかった――知りたくもなかった、やり場のない感情の収拾にあたっていたのだ。
でも――。
どれだけ悲しみを世界に押し付けても。
どれだけ悲しみを運命に押し付けても。
悲しみは消えるどころか、次々と溢れ出てきて――。
――。
つまり、その呪いの矛先が、最終的に自分自身に向かうのは自然なことだったのだと、思う。
お父さんが亡くなったのは、自分がいい子じゃなかったからだって――。
もっといい子になれば、お父さんとまた会えるって――。
と、幼い私は、そう無理やり思い込むしかなかったのだ。
でもそれは結局、どれも幼い私のただの八つ当たりでしかなくて。
今思えば、耐え難い愛別離苦を突き付けられた私が、心の安定を保とうとしたに過ぎない、ただの幼稚な思い込みでしかなかった。
――そもそもの話なのだが、私には全く信じられない話だけれど、母から聞いた話によれば、そもそも父はそういう人だったらしい。
よく言えば、楽観的でおおらか。
小さいことは気にせず、いつも前向きで常に笑顔を絶やさない明るい人。
つまりは、私の大好きだった父であり、幼少の頃から今でもしっかり記憶に焼き付いている、私の父親そのものだ。
しかし、逆に悪く言えば、がさつで大雑把。
自身の不注意によって失敗することが多く、そんな父に、母はよくため息をついていたらしい。
私にそのような父の欠点が見えていなかったのは、私が幼かったからと言うのもあるが、父がその点をなるべく私に見せないようにしていたというのが、一番大きいのだろう。
私の前では、父はいつも優しく元気なパパで、私はそんなパパの屈託のない笑顔が大好きだったのだ。
だからつまり、母が言う父の欠点は、私にはあまりピンとこないのである。
あれから多くの月日が流れた今でも、だ。
しかし母に言わせると、あの事故はなんてことない当然の結果だ、との事だった。
料理中に指を切ったり、不注意で物を壊したり――と、そのような事が日常茶飯事だったらしい。
母は父をもちろん愛していたが、いつかこんな日が来るんじゃないかと薄々思っていた、事故がおこる前々からそれをずっと心配していた――と、かなり後にはなるが、大きくなった私にそう語って聞かせてくれたのだった。
それから――。
父が亡くなってから、三年程経った頃にまた私たちに転機が訪れるのだけど――。
それまでの三年間は、文字通り大変な三年間だったというのは、言うまでもないと思う。
大切な人が突然いなくなる、というのは体験しないと分からないかもしれないけれど、母の体重が十キロほど落ち、それからずっと戻らなかったくらいに、残された人達へ心労が重くのしかかる――と言えば少しは伝わるだろうか。
もちろん私もその例に漏れず、今まで通りの生活には戻れはしなかった。
明るい子…だったかどうかは自分じゃ分からないけど、明らかに私は以前と比べて元気を無くしていた。
休んでいた学校に、どうにか行けるようになったのは、自分を奮い立たせて私を育ててくれた母と、祖父母達のおかげだ。
特に、母方の祖父母にはホントよく遊んでもらった記憶がある。
今思えば、私たちが一番心労が少ないからと、その役を買って出てくれていたのかもしれない。
今となっては――もう確認しようもないけれど、私を育ててくれた大人たちには、感謝してもしきれない。
――とにかく。
それに加えて、『もっといい子になれば、お父さんとまた会える』という思い込みも良いように働き、なんとか私に笑顔が戻ってきた頃。
つまり、私が中学に上がろうという頃だった。
母から、再婚の話を聞かされたのは――。
『おかーさん、再婚することにしたの。』
…そんな風に、言われた覚えがある。
いや、実際にはもっと優しく、もっと私を気遣った言い回しだったと思うのだけれど…。
その言葉を言われる側からすると、どんな言い方をされても好意的に捉えるのは難しいと思う。
実際、私もそうだった。
だから――。
『どうして?』
『パパがいるじゃない?』
『嫌いになっちゃったの?』
そんな言葉たちが、当然の様に頭に浮かんだ。
いや、実際に口に出していたと思う。
今となってはもう記憶が曖昧だが、齢十三の子供だった私が、溢れ出る感情を簡単に抑えられる程、人間ができていたとは思えない。
だからおそらく、その場で声に出して、だだをこねるようにしばらく反対したのだろう、でも――。
――結局、反対の体は取ったけれど、最終的には首を縦に振るしか選択肢はないのだと、頭の隅では分かっていた。
それは、おじーちゃんとおばーちゃんが私の説得に来た、というのもあるけれど――。
一番の理由は、母の大変さを、この目でずっと見てきたからだ。
見るからにやつれたその体で、日々を無理して過ごしている、そんな母を。
要するに、おかーさんには支えが必要だと、幼いながらに感じていたんだと思う。
じゃあ、私が反対した理由が一体何だったのかと言うと――。
単純に、パパが消えてなくなってしまうっていう、短絡的な思い込みだったのだ。
――そんなわけないのに。
おかーさんが再婚しようと。
私に新しい父親ができようと。
パパとの思い出が、消えてしまうわけがないのに。
ほら、今もちゃんとあの優しい笑顔を思い出せる。
おかーさんも、きっとそうだったと思う。
パパを忘れたわけじゃない、とそう思う。
――つまり。
やっぱり私は子供だったのだ。
子供だったから、短絡的な妄想で癇癪を起こし反対をした。
仕方ないとは思うけど、今となっては恥ずかしい、そんな記憶。
誰が悪いというわけではないんだけれど、ね。
とにかく、その再婚のせいかおかげか、私は中学に上がるタイミングで転校することになる。
いや、正確には転校ではないか。
中学に上がる際に、私だけ、今までの学友とは別の学校に行くことになった。
あの――麻芽中学校に。
中学に入ってからの一年間。
その時期には、あまりいい思い出がない。
――かと言って、取り立てて悪い思い出があるわけでもない。
公私ともに新しい環境になった私は、ただ単に日々を過ごすだけで一杯いっぱいだったっていう、ただそれだけ。
新しい学校。
新しい学友。
新しい家。
新しい…父親。
特に大変だったのは、もちろん父親だった。
だからと言って、別に悪い人ってわけではなく、むしろすごく良い人だったのだけど――。
それに加えて、おかーさんの再婚はもう認めてるし、私も納得した上での、新しい家族三人での生活だったのだけど――。
それでもやはり、精神的に辛い日々なるのは避けようがなかった。
なにしろ、私には母と違って、新しい父親に対する愛が存在しないのだから。
そんな他人と同じ家に住むというのは、ストレス以外の何でもない。
一応は、形式的に彼を『お父さん』と呼んではいたけど、そう呼ぶ度に私の心はチクリと痛んだ。
本当は呼びたくないに決まっている。
でも、私は『いい子』だから、そうなると決めたから、その痛みに顔を歪めるわけにはいかなかったのだ。
それに、あんなにやつれたおかーさんも、もう見たくはなかったし――。
だから私は、心を無にして笑顔を貼り付け、『お父さん』の五文字を口にし続けた。
まあ、『お父さん』の方も、そう呼ばれる度に何とも言えない表情をしてたけど――。
それでもめげずに、根気よく私によく話しかけてくれた『お父さん』は、できた人なのだと素直に思う。
今となっては、あの人がおかーさんの再婚相手で良かったと、――そう思ってる。
何不自由なく生活できたのも、お父さんのおかげだから。
でもそれは、あくまで今の私の思いであって、当時の私は、そう上手くは割り切れるはずもなく――。
心の貯水池がいつも一杯いっぱいだった私は、なるべく心に波風が立たないような行動を心掛けていた。
いつ溢れてもおかしくない、常にすれすれの貯水量だったから。
他の事に気を回す心の余裕なんて、全く微塵もなかったから。
だから学校では常に本を読んでいたのだ。
つまりは、例の本バリヤー。
友達を作ることすら面倒だと思っていたし、友達を作ることで起こるだろう、あれやこれやは、当時の私には台風にも等しく思えてならなかった。
もちろん必要があれば喋るし、コミュニケーションもとる。
私的にはそれで、それだけで上手くやっていたつもりだったけれど――。
後にマキちゃんから聞いたところによれば、私は結構、クラスで浮いた存在だったらしい。
それこそ、深窓の令嬢と呼ばれていてもおかしくなかったって。
ニカも言ってた気がするけど、ただの冗談だと思ってたわ。
中2の中頃には、自分でそう気取るのはやめたはずなのにね。
でもまあ、それも過ぎた話。
――とにかく。
そんな一年を過ごして中学二年に上がった頃。
クラス替えが終わり、みんながソワソワと様子を伺っているそんな頃。
その喧騒に紛れて、一人の転校生がやって来たのだ。
始業式後、教室の壇上に一人上げられ、挨拶をするその転校生を、小さくてかわいらしい子――と、そう思ったのは今でも覚えてる。
その女の子が自己紹介もそこそこに、とてとてと先生の横から歩いてきて、私の横の席にトスンと座ったのも。
――でも、それだけ。
ただそれだけ。
皆から遅れる事1年。
あの嵐のような新生活から1年が経ち、ようやく私の心は落ち着き始めていたけれど――。
今更友達を作る気になれなかった私は、一瞬彼女と目が合ったのも気にせず、再び手に持っていたソフトカバーに目を落とした。
――ええ。
人はそう簡単には変われないのよ。
変わるには何かきっかけがいるの。
とても悲しいことが起きたり――。
予測もつかない新しい環境に、突然投げ出されたり――。
そんな強烈な出来事が起こらないと、人は変われないわ。
そして、昔に戻ることもできない。
転校生が隣に来たくらいじゃ、何も変わらない――と、そう思っていたわ。
懐かしい――。
結局、私は変わったのよ。
それは魔法が使えるようになったからか、はたまたその転校生のおかげか――。
――いや、その両方だったんだと思う。
その両方のおかげで、私の人生は一変した。
一生暗い人生を送るんだろう、とそこまで悲観していたわけではないけれど――。
中学二年生の春、私は変われたのよ。
今の私があるのは、その時のおかげ。
「ありがとう、ニカ。」
そう呟きながら目を細め、中学二年生のニカの頭を撫でる。
「うん?どうしたの?」
「いいえ、なんでもないわ。こっちの話よ。」
「ふーん…。」
私の呟きに一度不思議な顔でこっちを見たニカは、再び手元のページを読み進める作業に戻る。
そんなに面白いかしら。
私には、それ程とは思えないけど――、でもまあ、喜んで読んでくれてるなら良かったわ。
準備した甲斐があったてもんね。
それに、そのおかげでほんと懐かしいことを思い出したし――、別に忘れていたというわけではないけれど、ね。
でも、ゆっくりと思い出すなんて、流石に久々。
ありがとね、ニカ。
そう心の中でもう一度呟いた私は、楽しそうにページを捲るニカを眺める作業に戻ったのだった。
―幕間・完―
お疲れ様でした。
今回は『幕間』ですので、いつもとフォーマットが違います。
そもそも幕間とはいったい何なのか。
…何なんだろうね?
いつか分かる時がくるといいな。
それまで頑張って書けよ、俺!
では最後までお読みいただいた方、ありがとうございました。
次回もお待ちしています。
是非とも評価、いいね、コメントをお寄せください。ブックマークもお願いします。
このページを下にスクロールして頂くと出来ると思います。
めんどくさいかもしれませんが、助けると思って、ひとつお願いします
すると次回は少し早く上がるかもしれません。




