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》Chapter 2―Nanoha

 ラボにいた時点から六十二年と日本海をすっ飛び、見慣れぬ東京の下町へとたどり着けたナノハとヴィクトル、ここに来てようやく順応というものを身をもって感じ始めた。そんな秋の日である。


 ナノハはとある通学路に沿った商店街、その人ごみの中で通りすがる人・人・人を注意深く目で追う最中だった。


 都内の安いラブホテルの一室を二か月間借りて、もちろんそこはただの生活のための居場所そのものであり、ラブホテルと言って期待されるようなことは一切なくて、……まあ当然ではあるが、今日という日のための準備が着々と行われてきたわけである。現在、世間を賑わせている『第二のジョン・タイター』の正体も――ナノハ、そしてヴィクトルそのものだった。



総統が記録していた情報をたどり、二〇一八年十月の十六日より世界で発生したとされる出来事を、できるだけ簡潔な文言で書き込んだのだ。結果的には予言した十の事項のうち、そのすべてがリアルタイムに、この世界のどこかで発生――。



 これらの事実により、多世界解釈・パラレルワールド説には翳りが見え始めている。


 未来人である自分たちが、現世界にとって未知の出来事を不特定多数に発信することは、言ってしまえば非常に危険な行為でもあった。先にヒントを与えることで、どうにかして事件・事故を防ごうとするのが、人間の基本的な心理である。そうなると、極端な言い方をすれば「歴史が変わる」可能性が生まれてしまう。今回ナノハが予言として扱ったのも、ワールドニュースレベル、深刻度の高いアクシデントだ。 


 当然ながら、少なからず人間の生命というものが関わっている。世の中の大多数にとっては些末な問題であろうが、当人にとっては、言ってみれば人生の命運が懸かってくるわけだ。


――ただ。


 予言したことはそのままそっくり、現に起こってしまっている。


 墜落未遂にしろ、タンカーの重油漏洩にしろ、必ずなにかしらの予防策が採られた、または平時よりも余計に警戒された状態だったはず。


 そのうえで、やはり予言を避けられずに事象が発生している――この状況を顧みて、ナノハの中で一つの大きな仮説が立てられつつある。



 ――自由意志は存在せず、万物においていかなる介入があろうとも因果性が保たれるのではないか。さらにかみ砕いて言えば、



「最初からすべて規定されている、と……」



 つまり、自分がどうしようかという意思に関係なく、一人ひとりに運命というものが必ずあって、すべての事象が初めから決められているものであるということ。


 ナノハ個人としても、なかなか認めがたいところではあった。しかし、この現実を目の当たりにした今となっては、それは最も筋が通る論に相違ない。


 さて、このような仮説を踏まえたうえで――ナノハはとある少年の姿を探している。


 柚野斗真。東京都立岸和田高校の二年生、身長が百七十二センチの細見、勉強は得意だが、特に好きな教科はない。趣味は古着屋巡り。ありふれたような人物像だった。


 しかし、そのありふれた人物像の少年こそ。

 ナノハの実の祖父であり、ISTAの初代総統、その人なのだ。


 ただしナノハは、祖父の生きた姿を見たことがない。自分が生まれる数年前に亡くなっているから、その人となりは風のうわさか、残っている記録によってしか思い浮かべることができずにいた、


 だから、こうして奇跡的にタイプトラベルを成功させた今――祖父がかつて「人生におけるXDAY」とだけ遺した、その表現を頼りにして。


 二〇一八年十月二十二日の午後六時過ぎ、東京のとある人ごみの中、ナノハはそこへ紛れ込んでいる。


 わずかな容姿の情報だけを頼りにして、ナノハは片っ端からそれらしき人に声を掛けていく。「あなた、柚野斗真?」「いや、違うけど」「あなた、柚野斗真?」「いえ、違います」「あなた、柚野斗真?」



「……そう、だけど」



 ビンゴ。少し言動が機械的になりつつあったナノハは、これでようやく目を見開いて、相手の顔を舐めるように見回した。

 少し、具体的には数秒ぐらい吟味して、


「……本当に、ふつーの顔」


 思わず口を滑らせてしまうぐらいには、祖父の顔は一般的な日本男児そのもののように思えた。


「はあ?」

「あ、いえ。突然のことでごめんなさいね。ちょっと、あなたにお話ししたいことがあるの。付き合ってもらえるかしら」

「は、はあ? そもそも、あなたは……」

「舞切ナノハ。聞きたいことは後からゆっくりと聞いてあげるから。ほら、行きましょ」


 ナノハは無理やりに柚野の手を取った。それでわざとらしく、向こうが握りしめた手のひらの中に滑り込ませるように、自分の指を絡ませてやる。


「ちょ、ちょっと――!」


 なんて言いながら、ナノハはこの男が無理矢理には手を振りほどこうとしないことを見越していた。自分で言うのもなんだが、容姿にはそれなりに自信のあるタチだ。こんな自分に街中で手を引かれれば、並みの男ならほいほいとついてくるに決まっていた。


「どこへ行くのさ」

「どこでもいいの。人のいないところ」


 悪漢にこんなセリフを吐かれでもしたらしっぽを巻いて逃げ出すのだろうが、しかし、


「……」

 男とは実に簡単な生き物である。

そのままナノハは引っ張るようにして、従順な柚野を路地裏へと連れていく。


 オーナーがあくびをかみ殺している八百屋と、既にシャッターの下ろされた個人経営レストランが入る雑居ビル、その合間に伸びた細い通路へと突き進む。


 換気扇から漂う生暖かい風、ツンとくる下水道の臭いが入り交じった気味の悪い空間。ナノハは不意に立ち止まって、再び柚野と向かい合う。


「あの、これは一体……」

「ちょっと、じっとしてて」


 柚野はなにか口にしかけるが、逡巡の末、素直に従った。やはり簡単だなぁと、ナノハは心でつぶやく。



「それじゃあ、早速だけど。一度死んでみてもらえるかしら」



 言ったが早いか。

 ナノハは即座に銃口を柚野の薄い胸板に押し当て、引き金を引いていた。

 弾丸が臓腑を貫通し、柚野斗真は命を落とす――。


 そうなるはずの瞬間だったが。



「――ッ」



 ナノハは息を呑む。

 その、トリガーに力を込めた刹那、撃鉄が薬莢底部の雷管を叩き、弾丸が射出されたちょうどその時の一コマ。



 それをまるごと切り取ったかのように、


 時間が、

 世界が、


 すべからく停止していた。ナノハが認識可能なすべての視野はホワイトアウトして、動かない。


「……なに、………これ」


 めまいがする。

 言葉にならない声を上げた。

 今にも発狂しそうな気分だった。だが逃げ場はない。


 ナノハはただただ切り取られた一コマの中で固まって、動くことも、視界を余所に逸らすこともできずに、


「……弾が……⁉」


 まるで異次元へとつながる壁に包まれているかのようだった。発射されたはずの銃弾は、その先端の方から、見る間に空中へと溶けて、霧散していく。柚野の身体に触れんばかりのところで、じわじわと分解されて、消えていく。


 眼前で繰り広げられる不気味なイリュージョンに、ナノハは呆然とその様子を眺めることしか叶わず、


「ちょ、ちょっと待ってよ! いくらなんでも、それはないだろ!」


 はっと、目を見開いた。


 そこには嘘のように時間と色彩を取り戻した元の世界がある。目前の柚野も当然のように生きていて、いきなり銃口を向けたことに腹を立てているらしい……もっとも、柚野はPL-22をモデルガンかなにかと勘違いしているようだったが。


「あ……」


 と、気づいた頃には銃が叩き落とされていた。


「あんまり人をからかうのはやめた方がいいよ。僕だからまだ良かったけど……、いや、そこは人を選んでるのかな」


 ぶつくさ言っている柚野の言辞などには少しも耳を貸さず、ただナノハは口をあんぐりと開けて、ガンを拾うこともせずに立ちすくむ。



 これが、RM〈レギュレーション・マター〉なのか。



 想定はしていた。世界のすべてにおいて結果が規定されているのであれば、ここでナノハがいかなる手段を用いようと……柚野をこの時点で殺すことは絶対に不可能なのだ。だから、なんらかの原因により柚野の死は回避されると踏んでいた。


 殺せばその瞬間に、いわゆる「親殺しのパラドクス」が発生する。柚野斗真がここで死ねば、当然ナノハも生まれなかったことになる。それは世界にとって、どうしてもあってはならない事象なのだ。いかなる手を用いてでも、防ぐ必要があるのだ。


 そのような時空的パラドクスを回避するためのRM――それこそが、先ほど自分が垣間見たアレなのか。


 世界による、人間の理解には及ばない「強制的な」アクションへの介入、それと結果の収束。


 きっと、あと何度PL-22を撃ち続けようと、その標的が柚野である限り――さっきと同じようなことが、繰り返し起こるだけなのだろう。


 指先が小刻みに震えていることを、ナノハは自覚する。


 初めてだった。まだ誰も解き明かしたことのない発見にたどり着いた時、ナノハが手に入れるのはいつも、崇高な名誉と、そして喜びだったのだから。


 だから……発見を、こんなに恐ろしいと思うことなど。


 これが人生で、初めてだった。

 ぐっと手に力を入れる。ここで呆然と立ち止まっていたって仕方がない。早く思考を切りかねなければならなかった。ナノハにはまだ、すべきことがいくらでもあるのだから。


「……ごめんなさい。今のは、ちょっと、魔が差しただけ」


 突然態度を変えたナノハに、柚野はやや戸惑っているようだった。


「それで、今度は……本当の本当に、話がしたいの。どこかお茶でもできる場所がいいわ。……わたしはこの辺りに詳しくないから、その、あなたに連れていってほしいのだけれど」

「……正直、もうきみとはあんまり関わりたくないよ」

「お願い、大切な話なの。あなたが好きなお店でいいし、お勘定もわたしが持つわ」


 必死の形相で、ナノハは柚野に言い寄る。



 ここまでたどり着いておいて、みすみす柚野を離すわけにもいかない。

 世界はすべて既定されているというのなら。



 必ず――「XDAY」である今日、なにかが起こるはずだから。



 ともすれば互いに触れ合いそうになるぐらいの距離感にまで、ナノハは近づいていく。十五センチは高い柚野の視線、少しでもそこに近づけるように。


 そう思って、ナノハは精一杯の背伸びをする。


「わ、分かった。分かったよ」


 さすがに柚野もびっくりしたようで、迫ってくるナノハを一歩引いていなした。その拍子、ナノハはバランスを崩して、


「わわっ⁉」


 柚野のカッターシャツに、ぽすんと顔を押し付ける。

 ナノハにとっては世紀の大失態であった。


「あ、あの、ごめんなさいっ!」


 急に顔がかーっと熱くなる。なんだかよく分からなくなって、テンパるという麻雀用語はこういう際に使うのかしら、などと意味のない思考を延々と脳内で繰り返し、


「そ、それじゃあ、ほら、行きましょう……?」


 人前でここまであがってしまうのは経験のないことで、ナノハは恥ずかしさで小声になってしまったことをさらに恥じらいながら、柚野と共に表通りの繁華街へと向かう。


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