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》Chapter 0―Nanoha

》Chapter 0―Nanoha


 ナノハは肩で息をしながら、分厚い合金のひんやりした冷たさを、預けた背中で目一杯に感じた。この防火扉の向こう側では、同志たちが政府の特殊部隊を迎え撃っているさなかである。


 額に汗を感じ、しかしナノハは微塵も暑いわけではない。


 パン。パン。乾いた発砲音が遠くから聞こえる。おそらくそのたびに、ナノハの同志たち、要はISTAの構成員たちは、音もなく頽れてこの世から去っている。その事実は、ナノハに原寸大の怖気と、怒りと、絶望を覚えさせるのだった。


 国家当局による強制捜査、と言えばまだ聞こえはいいかもしれない。

 実際的には、これは単なるジェノサイドでしかありえない。


 しかし、なにも無意味な虐殺ではないということは、ナノハも重々承知している。ISTAは全世界にとって、最も警戒を要すべき民間組織の一つだ――この、ロシアの地方都市にある電気屋の地下深く、コンクリートで囲われた薄暗い城にしている我々は、世界そのものを一瞬で狂わせてしまうかもしれない。それだけの危険性をはらんでいることは、当然ナノハたちも自覚している。


 少しだけ落ち着きを取り戻したナノハは、深い吐息と共に視線を上げた。


 この隠し部屋はISTAアジトの最深部であり、同時に心臓部でもある。このラボで半世紀にわたって続けてきたタイムマシン開発は、ようやくデモ機の完成まで漕ぎつけた――。



 そういうタイミングでの、現在、である。



 隠し部屋は存外に広いが、現状に限っては表面積の大小などなんの意味も持たない。連中が一度でもここの地面を踏めば最後、戸棚の裏に潜むネズミ一匹でさえ生きてここを出られまい。


 壁から吊り下げられた蛍光灯が、暗闇をじんわりと照らしている。テーブル上にはいくらかのコンピューターと、表面を覆い隠してしまうほどの文書の海。


「そろそろ居場所を嗅ぎつけられる頃合いだな」


 ナノハの隣、スキンヘッドに金縁のサングラスをかけた、いかにもな風貌の男が口を開いた。名をヴィチェーニカといって、仲間内ではヴィクトルという通名で呼ばれている。元は本国の諜報組織でスパイ業務に明け暮れていたといういわくつきであり、頬と背中、さらには下腹部あたりに拷問によって焼き付けられた印の跡が生々しく残っている。


「どうする、ナノハ」

「ここで死にましょう。やつらにくれてやるよりましだわ」


 ナノハはカラシニコフ製のPL-22をガンベルトから取り出して、安全装置を外した。


 わずか一キログラムにも満たない銃は、ナノハにもそれほどの重量を感じさせぬ手軽さだ。


 幼少の時分より、この手の物は見慣れている。もはや銃に対して恐ろしさなど感じない。

 本当に怖いのは銃弾の方だ。銃が人を殺すのではない。

 言ってしまえば、手にしているこれは単なる鉄の筒でしかない。


「少し考え直してはどうだ」

「――ヴィクトル! あなた、そんな玉ではないはずよ!」


 引き金に手を掛ける。そしてゆっくりと銃口を、頭部に、


「いや。どうせ死ぬのならば、という話だ。連中にくれてやる命はもちろんない、しかしあいつをそっくり寄越すのも癪に障るのではないか」


 ヴィクトルが顎をしゃくって、なにかを指し示すようなそぶりをする。


その先には円形上の空間がしつらえてあって、そこへ向けて白、黒、無数の配線が我先にと伸びていた。中央には幾多の機器類に包囲されるようにして、タコつぼ型の機体が鎮座している。



 FG-204。



 これこそ、ISTAの執念、その結晶ともいえるものだ。


 人為的ワームホールによる、座標特定型タイムマシン――の、デモ機。


 ナノハはゆっくりと、こちらを向きかけていた無明の小穴を、あさっての方向へと下ろした。

 粗雑には扱えない。トリガーにわずか数キログラムの力が加われば、これは刹那に弾を射出する。数センチにも満たない金属片は、数十倍もの体積を持つ人間の生命活動を即座に遮断させる。


 そんなことを考えながら、やっぱり自分には死の瞬間の恐怖がこびりついているということを、ナノハははたと思い知る。


 すぐに安全装置を作動させて、ナノハはおずおずとヴィクトルの方を見向いた。


「それもいいけれど。二丁出来上がるホトケサマはもっと悲惨なことになるわ」

「ものは試しさ。だいたいここで自死したところで、特殊部隊の連中が手厚く葬ってくれるとでも?」

「ほったらかしの末、ここで骨になったってわたしはいいけれど――時空跳躍の中途で、素粒子までに分解されて死ぬのは嫌」

「ははっ。生きるにしろ死ぬにしろ、どれもこれも世界初なんだから上等だろう。成功時の計り知れないリターンを考慮すりゃ、悪い賭けではねぇだろうさ」


 奈落への綱渡りをやろうとしている人間とは思えない快活さで、ヴィクトルは言った。


「なぁ、ナノハ?」

「なによ」

「在りし日の総統の下へいかないか。こっちはXデーとやらも聞きつけてある……それで、俺たちが何よりも知りたいものも、ついでに手に入る」


 自信の欲望にいきなり切り込まれたような気がして、ナノハはごくりと喉を鳴らした。


 自分たちが求めてやまない、闇の中の真実というのは大別して二つある。



 一つは、謎のベールに包まれたままの、ISTA設立の経緯。

 そしてもう一つが、RM〈レギュレーション・マター〉の真実。



 RM(規定事項)という造語の広義的な意味としては、タイムパラドクスに際した世界の決定、すなわち「時空的な要因で発生するパラドクスの解決方法」を示している。


 ひとたびタイムトラベルを成功させた者が現れたとすれば、彼ら/彼女らの歴史に対する影響力は甚大なものになる可能性がある。


 平たく表現すれば「歴史を変える危険性」をはらんでいるのだ。


 歴史を変えることはすなわち、タイムパラドクスを生じさせることと同義であると言ってもいい。

 研究者らによって、パラドクスを回避するために考案された説は複数あるが――そのうちの一つがRMの存在だ。


 既定された事項。世界にとっての、完全に独立した規則。

 その存在を確かめることは、ナノハが生涯をかけて到達したい項目の一つ。


 未だ世界の誰も成し遂げていないタイムトラベルの成功は、転じてRMの検証を可能にするということでもあるのだ。


 この世に生まれた瞬間からISTAの一員であったナノハは、齢十六にして技術責任者の肩書きを担っている。生まれ持った天性と構成員たちによる教育、それに自分自身の多大な努力をもって、タイムマシン研究者としてのナノハはここにある。



 これまで誰も知りえなかったことを目の当たりにする喜び、それは絶大なものなのだ。そのことをナノハは誰より理解していたし、理解しているつもりだった。自分の目で見、事象が確からしいことを認めない限り、ナノハはあまねく浸透している常識でさえも疑ってかかる。そういう人間なのだった。



 ……とはいえ、タイムマシンには猿でも載せるつもりだったのだが。


「まだ動物実験もしてないのよ、そいつ」

「いまからやるんだよ。俺たちの身をもってな」


 さすがのナノハも呆れた。

 が、そんなヴィクトルの誘いに乗ってやらないほど、ナノハも弁えないわけではない。


 既にドア越しの発砲音はその音数を徐々に減らしている傾向にあって、足音たちも少しづつこちらへと向かってきているらしかった。ナノハはいちおうPG-204を今一度ガンベルトに突っ込んで、よっこらせと腰を上げる。


「自分の身体が破裂する前に、マシンのなかで死にたくなったらすぐに言いなさい。二秒であの世へ送ってあげる」


 ぱんぱんと腰のあたりを叩いてみせた。

 ヴィクトルは分かりやすく苦味を含んだ笑みをこぼして、


「……本当、肝っ玉だけは男勝りだぜ」

「そうと決まったら、すぐにでも出発しましょう。例のメモは控えてあるのよね?」

「ああ、問題ない。操縦者席に貼っ付けてあるさ」

「さすがね、ヴィクトル。用意周到とはこのこと」


 高電圧非常用電源によって、マシン自体はいつでも稼働できる状態にあった。ナノハはすぐに走り寄り、まだ日常点検でしか開けたことのないFG-204の搭乗ハッチを開ける。


「ヴィクトル。さあ、早く」

「はいよ、お嬢さん」


 狭苦しい機体へと乗り込む直前、思い立ったナノハはふとラボの全景を振り返った。

 椅子やら簡易ベッドやらコーヒーメーカーやら、どこを見ても散らかっているゴミやほこりだらけの床、数えきれない物々。


 この薄汚い空間で、男だらけの組織のなかで、それでもナノハは壊れ物のように丁重に扱われた。

まだ清純なままの自分がここにいる。なんだかんだ真面目な男たちばかりだった。科学が好きで、研究が好きで、ガジェットを愛してやまないような連中だった。


 ふふっ、どこか可笑しくなって、ナノハは息を噴き出す。


 恵まれていた。幸せだった。


 生まれてこのかた、暗く湿ったこの場所で生き続けたことを――今、やっと誇りに思えた。


「……ありがとう、諸君。またいずれ、必ず逢いましょう」



 足音がすぐそばまで迫っている。

 ナノハはそれきり、振り返らずにマシンへ乗り込んだ。ヴィクトルもそれに続く。



                                      


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