2-2
サノルはたまたま飲んでいたジュースの名前を一部もじって、オレに名前を付けた。やつが言うには、オレはそのパッケージのキャラクターに似ているんだとか。オレはそうは思わなかったが、まあいい。由来はともかく、オレは名前を得ることができた。変な話だが、実はちょっと気に入っている。
「イラルさんは、これからどうするんですか?」
イラル。それがオレに付けられた名前だった。
サノルには簡単に事情を話したが、まだ納得し切れないという風だった。それは当然だろう。オレ自身、この状況をどう説明すればよいか手探りなのだから。
「まずはオレを手術したクリニックに行く。担当の移植医師なら、まさか何も知らないなんてことはあり得ないだろうからな」
「それはそうでしょうけど……イラルさんの中にあるヌイノさんの記憶は、手術の直前が最後なんですよね? そんな一番怪しい所にいきなり突っ込むなんて、装備が整わないままダンジョンに入るようなものですよ」
名前を付けたことでオレに慣れたのか、サノルは言葉に詰まらなくなっていた。確かにサノルの言うことはもっともだ。
「だが虎穴に入らずんば、というだろう。少なくともオレは、俺の記憶を頼りにひとつひとつあたっていくしかないんだ。だったら確実性の高いところから回ったほうがいい」
サノルはまだ訝しそうにしていたが、一応は納得したようだった。
「ともかくだ、オレは移植医師に会いに行ってくるから、お前は廃棄場の爺さんからもっと詳しい話を聞いてこい」
オレは話を打ち切ると、サノルの部屋を出た。偶然にもサノルの部屋は、俺が住んでいた集合住宅の向かいにある雑居ビルの一室だった。サノルの部屋からならば、俺の部屋を確認することもできるだろう。
サノルが用意した服は、季節に対して生地が薄く、快適とはいえなかった。これも本来はコスプレ衣装だというから仕方ない部分ではある。代わりといってはなんだが、ジャケットは上等なものだった。もっともサイズが不釣り合いであるため、ほとんどコートのようになっているが。
この都市は発展した中央区から、円周上にいくつかの階層によって構成されている。外周に向かうほど未整備で、治安も悪い。その円をさらに東西南北の区画に分け、それぞれに居住区や工場区などが割り振られている。俺の部屋やサノルの部屋があるのは東区で、クリニックがあるのは中央区だ。
寒さに襟を立てながらオレは、クリニックに辿り着いた。記憶通りの真っ白な外観で、嫌味な感じがする。担当医の名前を告げると、受付の女は少し引っかかる顔をした。
「何か?」
「いえ、すぐにお繋ぎしますね」
受付が内線で連絡を取ると、オレは待つこともなくそのまま診療室に通された。
まずあったのは違和感だ。部屋の中でオレを応対した移植医師は、明らかに俺の記憶とは別人だったのだ。大きなマスクのせいで顔はよく見えないが、別人であることは間違いない。年齢が明らかに若いのだ。
「失礼、担当医師が変更になったのか?」
牽制や駆け引きをしても仕方がない。オレは率直に尋ねた。移植医師は驚く様子など寸分も見せず、しれっと答えた。
「いえ、私はずっとあなたの担当ですが」
「オレが呼んだのはヌイノの担当医だ。彼は初老の男性だったと記憶しているが」
「どうやら少し、記憶に混濁が見られますね」
おかしい。オレは確かに、俺を担当していた医師の名を受付で伝えた筈だ。
「待ってくれ、オレは」
「落ち着いてください、ミロイさん」
確かにオレの姿はミロイだが、記憶はヌイノのものだ。だったらここにいるのは、ヌイノを担当していた移植医師でなければならない。
「オレは受付で……」
「私の名前を呼ばれたでしょう。だから私が来たんですよ」
一体、どういうことだ。オレは確かに俺の担当医を呼んだ筈だ。それとも、そう思い込んでいただけで実はミロイの担当医を呼んだのか? だったら俺の記憶は、ヌイノのものではないということになる。
「術後に記憶が混濁することは、よくあることです。大事なのは取り乱さないこと。大丈夫、記憶そのものが消えてしまったわけではないのですから、カウンセリングで整理すれば回復しますよ」
分からない。受付でオレは、一体誰の名前を告げたのだろう。ヌイノの担当医を呼んだと思い込んでいるだけで、本当はミロイの担当医を呼んだのか?
もしくはこうだろうか。オレの今の見た目はミロイの姿だ。受付の女がそれを察して、ミロイの担当医を呼んだのかもしれない。
それともオレは移植医師の言うとおり、記憶が混濁しているだけで……本当はミロイなのか? いや、それはあり得ない。俺の記憶はヌイノしか知り得ない情報のみで構成されている筈だ。
「とりあえず今日は、精神安定剤をお出しします」
「オレがおかしいと言うのか? お前、何か嘘をついているんじゃないだろうな」
思わず声を荒げてしまう。
「もう一度言います。落ち着いてください、ミロイさん。戸惑いはあるでしょうが、それは一時的なものです。何度でも言いますが、その症状はよくあることなんです。落ち着いたら、記憶媒体を見ましょう」
移植医師の言葉は、何か抗いがたい感じをオレに与えた。
結局、移植医師に言いくるめられる形でオレは診療室を出た。俺の記憶がおかしいのか、それともオレ自身がおかしいのか。気づけば玄関まで、オレはほとんど茫然自失のような状態で出てきていた。
受付にはまだ、オレを対応した女が座っていた。オレは一体誰を呼んだのか、彼女に尋ねた。返ってきた答えは、オレにあの移植医師への疑念をはっきりと抱かせた。
オレは受付で、間違いなくヌイノの担当医を呼んでいた。そして聞くところによると、ヌイノとミロイの担当医は同一だったのだ。
ならばオレがさっき話していた移植医師は、一体誰だというのだ。やつは明らかに別人だった。つまり偽物だったのだ。
受付の女からは、さらに興味深い情報を得ることができた。
オレが来る一時間前ほど前に、ヌイノと名乗る人物がクリニックを訪れていたのである。