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映画を見ているような気分だった。オレは長い、長い夢を見ていたのだ。俺の人生は一晩の長さにまとめられ、オレはそれを眺めていた。ではこの俺を見つめるオレは、一体何者なのだろう? この記憶は、今はオレの物かもしれないが、その中の俺はどうもオレではないのだ。目覚めた時、歯車はすでに噛み合っていなかった。
「ひぅっ」
短い悲鳴。体を起こしたオレを見て、その男は腰を抜かして青ざめていた。醜い男だ。ぶくぶくに肥え太り、だらだらと脂汗を垂れ流している。膝の辺りまでずり落ちている汚らしい下着から、その男が何をしようとしていたのか容易に想像できる。
「鏡はあるか」
まずは確認しなければならない。どうもこの体と記憶は、噛み合っていない。男が指差した先には、大きな姿見があった。そこに映るオレの裸身は、なるほど記憶の中の俺とは別人だった。この顔は、俺のすぐ傍にいた恋人、ミロイのものだ。オレはその姿をしていた。
続いて部屋を見回す。見覚えの無い部屋だった。肌色の目立つポスターで埋め尽くされ、大小様々のドールが所狭しと飾られている。オレは未だ実感のないオレの手を動かし、額に手をやった。長い髪をかき上げ、まずは現状の整理だ。記憶を振り返ってみるに、俺は人形化手術を受けたらしい。しかしどういうわけか、今のオレはこんな状況にある。
「おい、今日は何日だ」
「ふひっ!? じ、じ、十四日で、す」
どもりながら答える男。手術日の翌日か。一体何が起きたのだろう。オレが振り返って見ることができる俺の記憶は、十三日の手術直前まで。そこからは麻酔で眠って、ぽっかりと穴が空いている。どうやらその間に、こうして今、物を考えているオレが生まれたらしい。
「すすす、すみません、てっきり、廃棄人形、かと」
「廃棄人形? この体は棄てられていたのか?」
「はいぃ、廃棄場で、その、拾ってきたんです」
つまり、何らかの手違いで俺の記憶はこの体に移植されてしまい、何らかの事情で廃棄人形として棄てられた。
「廃棄場というと、クリニックのか」
「そうっ、です。あの、拾ってきた、というのは少し語弊があって、そこの管理人の爺さんがですね。横流しっていうか……格安で売ってくれるんですよね、違法なんですけど」
「で、お前はその常客というわけか」
「いえいえいえいえ! 格安っていってもそれでもお高いんで……で、でも今回はようやく、手が届いたんで、こ、今回が初めてです」
そして偶然にもオレを拾ったのがこの男というわけだ。拾われていなければ恐らく、オレは廃棄場の溶鉱炉で溶かされていたことだろう。俺の記憶は闇に葬られていたわけだ。
「その廃棄場の爺さんは、オレについて何か言っていなかったか?」
「何か……ですか? 確か、事前検査で脳組織系に欠陥が見つかって、移植手術に適さないから廃棄されたって……よくあることですよ」
記憶を閲覧する。思い出す、というよりは閲覧するという言葉の方が適当だった。この記憶は確かに俺の記憶かもしれないが、オレの記憶ではない。
俺はミロイと共に人形化手術を受ける準備をしていた。この国では人形に個人の記憶と人格を移植することで、疑似的に永遠の命を手に入れることができる。恐らくはその手術で何かが起きたのだ。
さらに記憶を事細かく振り返っていく。だが、その中には不快で忌まわしい記憶もあった。今のオレにはとても見ていられない、陰惨な記憶だ。これが俺だというのなら、何か恐ろしいことが起きているのかもしれない。
ともかく、俺の記憶はオレに移植され、そして廃棄されていたのだ。オレが今、何をすべきなのか。オレが頼れるのは俺の記憶のみだ。
この忌まわしい記憶が真実なら、始末をつけなければならないのはオレだ。オレはオレとして生きていくためにも、十三日の手術で何が起こったのかを突き止めなければならない。
「おい、お前。何ていうんだ」
「え、や、何……とは……?」
「名前だよ」
「あ! あ、あの、サノル、と」
いちいち言葉に詰まる面倒くさいやつだが、何の縁かオレを救ったのはこいつだ。
「サノルか。しばらくここを拠点にさせてもらうぞ」
「はへぇ!?」
十三日の手術で何が起きたのか。それを知るためには、俺と一緒にいたミロイを探すことが一番の近道だろう。俺の記憶がオレのところにある以上、俺がどうなっているのかは分からない。ミロイを見つけ出さない限り、オレは何も知ることができない。
「ところでサノル。服は無いか? 流石にこれじゃ出歩けない」
「は、はい! すぐご用意いたします!」
クローゼットに向かったところで、サノルが振り返った。
「あのぅ、あなたは一体……?」
名前か。俺の名はヌイノといったが、だがもう一つの名前も持っていた。しかし今のオレは何と名乗ればいいのだろう? この体はミロイの姿をしているが、だからといってその名を名乗るのも違う気がする。
「名前は……好きに呼んでくれ」
少なくともオレは、俺として生きていくことはできないだろうから。