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俺にはいくつかの選択肢があった。一つは移植医師を問い詰めることだ。何かを知っていることは間違いないのだ、確実性は高いだろう。しかし移植医師への信頼が揺らいでいる今、それは得策とは言えない。移植医師の言葉に嘘が混じっていれば、俺は虚偽の記憶を植え付けられることになる。そうすれば俺は、永遠に真実の記憶には辿り着けないだろう。
もう一つは、俺自身が主体的に記憶を探すことだ。あの記憶媒体はデタラメかもしれないが、何らかの関係があることは間違いないだろう。俺が目覚めたあの部屋から点で繋がる手掛かりが、あそこには確かにあったのだ。懐から住所のメモを取り出し、タクシーを呼びとめた。
到着した先は、古びた貸倉庫だった。いくつもの錆びついた倉庫を眺めながら事務所を探していると、不意に向かい側から呼び掛けられた。
「ベンテじゃないか! ちょうどあんたを待ってたところなんだ!」
親しげな笑みを浮かべて近づいてきたのは、一見して浮浪者のように見える男だった。しかしこの男は、俺に向かってベンテと、確かにそう呼び掛けた。
「ええ? 今日はまた例の趣味か? ほどほどにしとかねえと、愛想尽かされるぞ」
「いや、その。お訊ねしますが、貴方は俺の知り合いだったんですか? 俺を待っていたとは一体……それに、俺はヌイノという名前の筈じゃあ?」
男はきょとんとした顔をしていたが、やがて堰を切ったかのように笑い出した。
「おいおい、からかうのはよしてくれ。いつからそんなユーモアのあるやつになったんだ?」
「冗談ではありません。信じてもらえないかもしれませんが、俺は記憶を失ってしまったんです」
最初は俺の冗談だと取り合おうとしなかった男だが、やがて真剣な表情になるとぽつりと漏らした。
「記憶喪失、ねえ」
「俺に分かることは、ヌイノという自分の名前。それと、どうやら人形化手術を受けたということだけなんです」
男は懐から煙草を取り出すと、火をつけた。
「おではこの貸倉庫の管理をしていて、あんたはおでにとっちゃお得意様だった。偽名だったかもしれねえが、あんたはここではベンテと名乗っていた。あんたは無口な男だったよ。服装もそんな小奇麗なコートじゃなくて、いつも古臭い革ジャンを着てたな」
男によると、今の俺と以前の俺とでは、まったく違う雰囲気だったらしい。
「お得意様、ということは、俺もここに何かを預けていたんですか?」
「ここは見ての通りボロっちい貸倉庫だが、預かってるのは他人には見られたくねぇ物ばかりだ」
俺もそういう、何か人には見られたくないものを預けていたのだろうか。
「まあ……百聞は一見に如かずというし、案内してやるよ」
管理人は煙草を燻らせながら、歩きはじめた。
案内された先は、錆びついた倉庫の一つだった。管理人は鍵を開けると、耳障りな音を立てるシャッターを開いた。
そこは異様な空間だった。大小様々のドールが並べられ――そのどれもが身体の一部を欠損していた。あるものは眼球を、あるものは足指を、そしてあるものは首が無かった。四肢をバラバラに解体されているものもあった。無造作に放り捨てられているノコギリや、ドールの頭に無数に突き刺された長い針を見るに、この倉庫の借主が何か異常な性癖を持っていることは明らかだ。そしてその借主は、他でもない俺であったという。
「クレイジーなやつだと思ったよ。あんたはここでドールを解体する趣味に耽ってたんだ。あんたはよく言ってたぜ。これは代替なんだって。こうでもしないと自分を抑えられないってな」
「その時の……俺の様子を教えて貰えませんか?」
本当に俺がそのようなことをしていたのだろうか? にわかには信じがたい。そして自分を抑えられないとは、一体どういうことなのか。
「憑りつかれたような、一心不乱という感じだったな。イカレ野郎はよく来るが、それでも最初にあんたの倉庫を見たときは寒気がしたよ。だがおでと話している時は、あんたは実に紳士だったな」
他にもいくつか質問を投げかけてはみたが、どうやら貸主と借主という関係以上ではなかったらしく、有力な情報は得られなかった。
諦めて帰ろうとしたところ、管理人は複雑そうな表情で俺を呼び止めた。
「実はあんたに渡してくれって、預かったものがあるんだ」
事務所に呼ばれ、管理人が取り出したのは小さな箱だった。開けてみると、そこには一振りのナイフが収められていた。ぎらぎらと光る刀身は、傷一つなく磨き上げられている。手のひらに沈み込むように、馴染む重さだった。紛れもなく、殺傷能力を持つ凶器だ。
「これを誰から?」
「これを預けたのは、あんたの恋人だと名乗ったよ。ほんの数時間前のことさ」
ぞっとする感触が、俺の背中を撫で上げた。
恋人――俺をカウンセリングし、そして今は居所の分からないミロイ。しかし何のためにこのナイフを俺に?
新たな謎を抱えて部屋に戻った俺は、ふと違和感を覚えた。部屋の様子がおかしい。物色された形跡があるのだ。そういえば俺は、鍵をかけずに出ていたかもしれない。その間に何者かが侵入したのだろうか。
盗られたものなどは無さそうだが、俺はある一点に気付いた。サイドボードの写真立てが伏せられていたのだ。それを調べてみると、一枚のメモが出てきた。
〈決して●●●●気を許すな〉
一部分が黒く塗りつぶされたメモ。これは一体、そして、気を許すなとは何に対して……?