永遠
僕が事件の全容とその結末を知ったのは、すべてが終わったその二日後だった。病室をイラルさんが訪れたのだ。刺されてからというもの消息が知れず、ずっと心配していたイラルさんの無事な姿を見て、僕はようやくほっとすることができた。
ヌイノに追い詰められ絶体絶命だったイラルさんを助けたのは、ベンテだった。彼は喉を切り裂かれて活動を停止してもなお、人形に備わった生命維持装置のリミッターに反して再び起動し、ミロイと、そしてヌイノの二人を殺害した。ミロイは最後には、自身が望んだ通り“ベンテ”に殺されたのだ。
イラルさんは、僕にハードディスクを手渡した。ミロイの金庫の中にあった記憶媒体だ。しかし、それは真っ二つに割られていた。これではもう、中のデータを取り出すことはできないだろう。
「ここには、オレの中にある俺の記憶が入っていた」
それはつまり、ベンテの持っていた記憶だった。本来なら人形と共に廃棄され、この世にはもう存在していなかっただろう記憶。この記憶媒体だって、いずれはミロイの手で処分され、文字通り消えてなくなる筈だった。
しかしその人形は僕に拾われ、イラルさんになった。記憶媒体もまた、イラルさんによって回収され、そしてもう戻らない。
「ベンテは……」
僕の言葉を遮り、イラルさんは首を振った。ベンテという名の哀れな人形は、利用されるだけ利用され、そして役目通りに全てを闇に葬って消えてしまったのだ。
「イラルさんはこれからどうするつもりですか」
「分からない。だが、オレの知り得た真実は全てお前に話した」
元はヌイノとミロイという二人の人間だった四名の関係者は、イラルさん一人を残すのみ。今や“人形師殺人事件”の真相を知るのは、僕とイラルさんのただ二人だけになっていた。
全てを僕に話したイラルさんは、寂しげな表情を浮かべていた。きっと、踊らされたベンテという人格のことを思っていたのだろう。
僕は彼女にかける言葉を探した。何か気の利いた台詞を、僕は必死に考えた。でも、ついにそれを見つけることはできなかった。
「じゃあ、オレはもう行くよ」
「また会えますか?」
僕の質問に、イラルさんは答えてくれなかった。彼女にとっての贖いは、まだ残っているのだ。僕にそれを止める権利は無いのかもしれない。でも、
「待って下さい!」
扉に手をかけ、出て行こうとするイラルさんを、僕は呼び止めていた。彼女は振り返ってはくれなかった。それでも構わず、僕はその背中に言葉を投げ掛けた。
「あなたは、ベンテではありません。もちろんヌイノでもなければ、ミロイでもない」
上手く言葉にできるかは分からなかった。でも、僕はようやく答えを見つけられた気がしていた。
イラルさんは、クリニックに向かうタクシーの中で僕にこう問い掛けた。
〈記憶を獲得したらその人格は消えてしまうのか?〉
イラルさんが考えていたことは、ずっと自分の存在に関することだったのだ。
ベンテという記憶から作られた人格が今のイラルさんなら、彼女はベンテということになるのか? それは、違う。たとえ誰の記憶を持っていようと、彼女は――。
「あなたは、イラルです。僕が名付けた、他の誰でもないイラルさんです」
イラルさんは振り向くと、初めて見る優しい笑みを浮かべていた。
「本当に、オレを拾ったのがお前で良かったよ」
背を向け、後ろ手を振って出て行く彼女を、僕はもう呼び止めなかった。
◆
〈十三日。今日は手術日だ。二人の永遠の為に。そして、そのために“俺”は消えよう〉




