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かつて私たちは相互的な存在でもなければ、それぞれが独自に物事を考えているわけでもなかった。
私たちを表す最も簡潔な表現は、“縦の関係”だった。私たちは完全に縦構造をもつ集合体だったのである。
すなわち表層において日常生活を送る、間抜けで善良な人格ヌイノ。
その下、中層には湧き上がる殺人衝動を否定し、人間ではなく人形を愛好する抑圧者にして記録者の人格ベンテ。
そのさらに下、深層の部分に、とにかく人を切り刻みたくて仕方のない私の起源、殺人への欲求があった。
「じゃあ、わたしが惹かれていたのは」
「気づいたのか。君が焦がれていた冷たい目の人物はそもそも人間に興味が無く、古びたレザージャケットを着込み、夜な夜な人形と戯れていたベンテなのさ」
ミロイは本当に馬鹿なやつだ。そして、馬鹿は私の美学に反する。
「ベンテはあくまで殺人への欲求を抑え付けていた存在なんだ。その欲求は、本来ならこうしてはっきりと表に出て、あまつさえ人に向けられることはなかった。君は自分の願望を叶えてくれる存在を引き出したつもりかもしれないが、君がやったことは私たちの秩序を壊しただけだ」
なぜ私がヌイノを名乗っているのか、教えてあげよう。本当はヌイノその人こそが善良さと残虐さ、その二面性を併せ持つ人物だったからだ。しかしヌイノは社会に適応するために、その残虐な自分にベンテと名付け、自分の叶えられない殺人への願望、欲求をすべて押し付けたのだ。ベンテとは本来、ヌイノが抱いていたすべての陰惨な記憶を押し込めるために作られた廃棄場だったのだ。
しかしベンテはそれを否定した。だが否定しながらも、ベンテにとっての記憶とは忌まわしいものばかりだった。だからこそベンテは、誰よりもヌイノに憧れていた。ヌイノに憧れ、ヌイノの行動を記録するようになった。ベンテにとってヌイノの記憶は“スクリーンの中にある幸せな世界”だったのさ。
そしてヌイノからもベンテからも否定され、存在を無視された凶悪な欲求は、すべて深層の意識へと沈殿していった。時折それが“堪え難い衝動”として顔を出すこともあったが、ベンテはうまくコントロールしていたよ。その衝動の向く対象を、自分が大切にしている人形に向かわせることで抑え込んでいたんだ。
だがベンテは、やがてそれを抑えきれなくなった。その原因となったのはミロイ、他でもない君によるカウンセリングだ。君が引き出してしまったのは、ヌイノがベンテに押し付け“知らないふり”をしていた殺人への欲求なのだ。
私はどうやら非常に強い権限を持っていた。それはそうだろう、心の奥底で願い続けてきた願望そのもの、それが私なのだから。
そうして私は殺人を始めた。とにかく私は、人を切り刻むことができればそれで良かった。しかしそれを許さない私も、同時に存在していた。
ベンテだ。ベンテは“私を抑えられない”というその事実から逃げるように“私が楽しんだ後の素材で”遊ぶようになったのだ。ベンテには人間という存在そのものが耐えられないのだからね。少しでも自分が愛好するドールに近付けたかったのだろう。殺人者である記憶は、実は私とベンテが共有していたものなのだ。
「だがお前は、やがてそのベンテの行為に共感するようになったのだろう」
「その通り。推測するに、切り刻むことと人形を愛でることは、実はヌイノという統一体の中ではどちらも“作品作り”という点で同義だったのだろうな」
そうして、私とベンテの間にはいつしか奇妙な分担制ができていた。
私が切り刻み、ベンテが人形に仕立てる。
興奮したよ、自分の手で作り出される作品に。名前は時にはベンテが付けることもあったが、大抵は私が付けた。そうして私はある程度満足していたというのに、余計な水を差したものがいた。
「それが君だよ、ミロイ。君は人形化手術を利用して、私たちからベンテを引き離したんだ。そのせいで私は“人形の作り方”が分からなくなった。それだけがヌイノの中で唯一、ベンテのみが持つ記憶だったからだ」
「じゃあ、ここにいる二つの人形は、どちらもベンテの……?」
ミロイ、君はやはり、本当に馬鹿だ。救いようもない。
「オレは俺の記憶をヌイノのものだと解釈した。しかしこの記憶はベンテが憧れ、手が届かないと知りつつも眺め続けていた“ベンテの視点から見たヌイノの記憶”だったんだ。ベンテはヌイノの記憶を眺めながら、自分をヌイノだと“思い込もうと”していた」
私をやめた私は、聡明のようだね。
「だったら、俺がヌイノではなくベンテだというのなら、お前の中に残った筈の善良なヌイノの人格は、どこに消えたというんだ!?」
「私の言葉を振り返ってみて欲しい。善良なヌイノは叶えることのできない忌まわしい欲求に関する記憶を、ベンテに押し付けて“知らないふり”をしていただけなんだ。そうさ、形作られた殺人者の私は、実は善良なヌイノの人格そのものなんだよ」
私はヌイノの一面に過ぎない。誰しもに色々な顔があるように、私はヌイノが持つ一つの顔なのだ。仕事場ではへこへこ頭を下げているのに、家では粗暴に振る舞うような人間はいくらでもいるだろう? だがそれを“まったく別の考えを持った別の人格”というように考えるだろうか、いや、考えない。
誰しもが自分の中で現実に対して区別を付けているように、私もまたそうしていただけのことだ。ベンテがヌイノの幸福な記憶を眺めていたように、ヌイノもまた殺人の記憶を眺めていたのだから。




