5-2
人形の俺は、哀れにもオレを猟奇殺人者だと思っているらしい。オレの姿を見るなり、敵意をむき出しに吠えた。
「もうお前の企みは終わりだ、ヌイノ」
ミロイに何を吹き込まれたのかは知らないが、すっかり操られている。
「先に一つ言っておく。オレを俺たちの中に含めるな。オレにはイラルという、オレだけの名前がある。お前には分からないだろうがな」
オレの言葉に、人形の俺は困惑した表情を浮かべた。助けを求めるように、ミロイに視線を送っている。
「うろたえるなよ、オレはお前を許さない。お前はオレの名付け親を刺したんだ。ただで済むと思うなよ」
「何を言っているのか分からないが、俺はミロイを守る。たとえ同じ顔をしていても、お前は悪魔だ。ミロイを守るためなら、俺はお前を殺してやる」
人形の俺の手には、しっかりとナイフが握られていた。哀れを通り越して滑稽だ。
「悪趣味だな。いつまで人形遊びを続けるつもりだ、ミロイ」
オレはミロイを見た。ミロイはここまで必死に抑え付けていたであろう笑みを、もう堪え切れなくなっていた。
「な、何を笑っているんだ、ミロイ」
人形の俺が狼狽する。
「いいえ。もう、おかしくって」
「まだ分からないのか。ここにはあと一人居るんだ」
そう、用意されていた人形は二体あった。それはオレと、哀れな人形の俺だ。そして元となった人間も、同じく二人いるのだ。それは目の前のミロイと、あいつ――
「いや、面白い寸劇だった。私にしてはよくやったものだ。だが私にとっては退屈極まりないものだったのかな」
奥から姿を現したこの、人間のヌイノだ。
「なんで、俺がもう一人……? 殺人者はミロイ人形に自分を移したんだ。だから、人間の体はもう存在しない。するわけがない。お前は誰だ」
「いや、私の疑問は私にもよく分かるよ。でもそれについて私はよくご存じのようだな。私の記憶を持つ私は、もう私であることをやめてしまったようだが」
私、私と、聞いているだけで眩暈がしてくる。
混乱する人形の俺に、ミロイは心底楽しそうに語りかけていた。
「あのね、猟奇殺人を行ってたのは、このベンテ。あなたはそれを抑えていたヌイノ。退屈にもわたしを守ろうとしてた、善人のヌイノなの」
「さっきと言っていることが、違うじゃないか! 俺はベンテで、殺人者ヌイノを抑えていた筈だ」
ミロイの表情が変わる。不機嫌そうに眉をしかめ、苛立たしげに舌打ちをした。
「これを見れば分かるでしょう? あなたではわたしを満足させることはできないの。わたしを守ろうという、あなたでは!」
そう言うと、ミロイは袖を捲り上げた。俺の記憶では、いつも長袖を着ていたミロイ。その腕にはびっしりと、怖気のするような自傷行為の痕があった。
「わたしはヌイノじゃなくて、ベンテに惹かれていた。ベンテこそ、わたしを切り刻んでくれる存在だった。いくら自分で切っても、わたしは満足出来ない。ベンテだけがわたしを救ってくれる筈だった」
人形の俺は、茫然とその告白を聞いていた。
「でもベンテを邪魔するのは、いつも善人ぶってるヌイノの人格と記憶。だからわたしは、そのヌイノの要素をバラバラにして追い出したの」
そう、ミロイはそういうつもりだった。ヌイノという人間は、二つの人格を持っていた。
一つは善人のヌイノ。もう一つは凶悪な猟奇殺人者のベンテ。
ミロイはヌイノではなく、ベンテを愛していた。ミロイは一種の被虐願望者だった。ベンテに殺されることを望んでいたミロイには、ヌイノが邪魔だった。だからヌイノに人形婚を持ちかけ、人形化手術を利用してヌイノの中から善人ヌイノの人格と、その記憶を追い出したのだ。それこそがあのレポート〈人形における記憶と人格の分離移植実験〉なのだ。
つまりヌイノの人格を移植されたのがヌイノ人形で、記憶を移植されたのがミロイ人形、すなわちオレだ。
そして今、目の前にいるのは、抑圧者から解き放たれた猟奇殺人者ベンテなのである。
少なくとも“ミロイは”そう考えていた。
「そんな、だったら俺は……俺には何が残る? そのベンテが俺の本性なのだとしたら、それをただ抑えていただけの、ヌイノである俺は」
「何も残らない。あなたは文字通り、哀れな人形だったの。でもわたしはどこか期待していた。記憶さえなければ、あなたはベンテと同じようになってくれるかもしれないと。でも結局、あなたが口にした言葉は“ミロイを守る”だった。あなたには心底、失望した」
人形のヌイノはその場に崩れ落ちた。オレは改めて、あいつに向かい合う。
「お前の望みは叶えられたか?」
「私の望みは、私の望みさ。それは私が一番よく分かっているだろう?」
あいつは、人形よりも人形らしい冷たい表情で答えた。だがそれは仮面に過ぎない。
「いいや、違う。お前は実のところ、不満を抱いている筈だ」
「どういうことかな?」
「お前は自由になったつもりでいて、その実、むしろ不自由になった筈だ」
人形師はなぜ、一度殺してからその人間の死体を繋ぎ合わせるのか。そこには祈りがあり、贖罪がある。ある種の信仰的な行為だ。
「さすが私だ、私のことをよく分かっている」
本当の“人形師”なら、愛でこそすれ決して人形を虐待したりしない。
「そこの馬鹿な恋人に勝手なことをされて、お前は冷静に見えて実は怒り狂っているんだろう。そいつのせいで、お前は“仕事に支障”をきたすようになった」
ミロイの顔に初めて不安がよぎる。
「どういうことなの、ベンテ」
「君は私たちに関して、大きな勘違いをしているのさ」
そう、ミロイはとてつもなく大きな間違いに、気づいていないのだ。




