5-1
俺はあの人――ミロイからすべてを聞いた。俺はヌイノという男の中にいる一人だったのだ。俺はベンテでもあり、同時にヌイノでもあった。
だが記憶を失った俺には、それが分からなかった。ヌイノとベンテは二人で一人だったのだ。俺がおかしいわけでも、周りがおかしいわけでもなかった。すべては意識の違いだったのだから。
あの奇妙な俺の部屋も、今となっては説明がつく。ベッドを境にヌイノとベンテ、その二人の内面があそこには表れていたのである。
「あなたはベンテ、それが真実」
「だが、なぜこのようなことに? 俺がベンテだとして、どうして人形化手術で俺は記憶を失ったんだ」
「簡単なこと、その体に移植されたのはベンテという人格だけ。だからあなたには、元々記憶が無かった。失ったのではなく、持っていなかっただけ」
そういうことだったのか。つまり解離した人格が、記憶を持たずに人形へと追いやられたのだ。
「ということは、今ヌイノの記憶と人格を持っているのは、本来の俺だということなのか」
ミロイは目を伏せた。そう、本来のヌイノとは恐らくあの仮面の筆跡の持ち主。すなわち“人形師殺人事件”の犯人である猟奇殺人者なのだ。
「ヌイノはあなたにすべての罪をなすりつけるつもり。本当の殺人者は、ベンテの名を騙るヌイノ。わたしはそれを防ぐために、あなたを探していた」
ならあのナイフも、すべては俺を守るために? そして俺の中にあった衝動は、ヌイノからあなたを守るために抱いていた気持ちというのか。
「ベンテ、あなたはヌイノの殺人を抑える役目を担っていた人格。だからヌイノは人形化手術を利用し、あなたを人形に追い出すことで自由を得ようとした。そしてあなたを始末するつもりだった」
「それをあなたが助けてくれたのか」
「そう。わたし自身もヌイノに殺されるところだったけれど。そして、ここからが大切なところ。ヌイノは既に、もうひとつの人形に身を隠している」
ヌイノとミロイは、二人で人形化手術を受ける予定だった。つまり人形は二つ存在するのだ。一つは俺の身体であるヌイノ人形。そしてもう一つは、ヌイノがその中に隠れたミロイ人形だ。
「俺はどうすれば……」
「ヌイノはすべての証拠を持って、それを公表するつもり。つまりあなた――今のベンテの姿で行った凶行のすべてを。そうなれば“人形師殺人事件”の犯人はあなたになり、ヌイノはのうのうと身を眩ますことができる」
許せない。凶悪な殺人者を隠すために、俺は利用されたのだ。
そうか、それでやっと分かった。ドールを解体していたベンテとは、イコール俺のことだ。俺はヌイノの殺人衝動を抑えるために、代替としてドールを切り刻んでいたのだ。
そして仮面を買ったベンテは、憎きヌイノのことだ。〈私を隠す私に、私からの贈り物〉とはよく言ったものだ。すなわちこれは〈ヌイノを隠すベンテに、ヌイノからの贈り物〉という意味だったのだ。
「大丈夫、あなたをみすみす犯罪者にはしない。わたしがベンテ、あなたを助ける」
これほど心強い言葉があるだろうか。俺にはミロイという味方がいる。それだけで俺の中には、困難に立ち向かう闘志が湧き上がってきた。
「わたしの姿になったヌイノは、今頃クリニックに来ているはず。やつには協力者がいる。退職した移植医師で、あなたの手術を行った男。まずはこいつを殺さなければならない」
“殺す”と聞いて、俺は身震いした。
「なぜ、殺す必要が?」
「すべての証拠はヌイノ側に握られている。わたしを見失ったことで、ヌイノはわたしこそをこの隠蔽手術の首謀者に仕立て上げようとしている。男には後ろ盾があるけれど、わたしにはあなたしかいない。男から証言を取られると、わたしは不利な立場に追いやられてしまう。わたしとあなたが助かるには、まずこの協力者を殺す他に道はない。やってもらえる? ベンテ」
疑問はあったが、最早そのような些事は俺には関係の無いものだった。俺はミロイを守るのだ。ようやく分かった。俺の中にあったこの感情は、ミロイへの愛だったのだ。俺はミロイを愛していた。だから、俺がやるのだ。
俺は懐からナイフを取り出し、その感触を確かめた。しっくりと手に馴染むそれは、俺に勇気を与えてくれた。
「俺はあなたを守る。俺は目覚めたその時から、その思いだけを抱いてきた」
「ありがとう、ベンテ」
俺はナイフを仕舞うと、ミロイを抱きしめた。不思議なほど空虚な感触だった。ミロイは、なぜか悲しそうだった。
人を刺した感触は、とてもありふれたものに思えた。




