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管制が敷かれたようで、クリニックに詰めかけていたという報道陣はすでに姿を消していた。人形化手術に限らず、都市の医療も一手に担うクリニックがいつまでも麻痺していては問題になる、ということか。
玄関を通り、すぐさま受付に向かった。ミロイの記憶媒体は返還要請が出されており、それはちょうど本日受理されたのだという。ミロイはまだ受け取りに来ていないらしい。
長い廊下を渡り、金庫室に通される。手続き上はミロイも手術を受けたことになっているのだ。ミロイの金庫はそこにあった。
眼球と指紋を認証し、金庫を引き出す。そこに保管されていたのは、手のひら程の大きさのハードディスクだった。これこそが、すべてを狂わせた“記憶媒体”なのだ。これこそオレの持つ俺の記憶に関する真相を解き明かす、最後のピースなのである。記憶媒体にはミロイの字でこう書かれていた。
〈ヌイノ〉
オレはハードディスクを懐にしまうと、クリニックの外で待たせているサノルの元へ向かった。これを抑えてしまえば、オレたちは有利になれる。
だが、オレは迂闊だった。
思えば何もかもにおいて、オレはミスを犯していたのだ。オレは、オレの存在を知られてはいけなかった。百歩譲って誰かに知られようとも、少なくともミロイだけには知られてはならなかったのだ。オレは影のように動かなければならなかった。本来ならオレは、とうに葬り去られている筈なのだから。
そうして、オレは自らの迂闊さを呪った。
「サノル!」
オレが駆け寄ると同時に、サノルは膝をついて崩れ落ちた。支えようとするが、肥え太った体はオレには重すぎた。
「誰だ、誰にやられた……?」
サノルの広い背中に、赤い血が滲んでいく。本当は理解していた。刺したのは、俺だ。
「刺されるって……ヤバい……ですね」
息も絶え絶えに、サノルが呟く。こんな時に何を言っているんだこいつは。
「西区の……廃工場です。そこで、全てが分かるって、そう伝えろと……」
「いいから喋るな!」
押さえた傍から血が溢れ出す。早く、一刻も早く手当をしなければ。周りに野次馬が集まってくる。
「クリニックから医者を呼んでくれ! 連れが刺されたんだ!」
騒ぎが大きくなる。幸いクリニックは目の前だ。まだ助かる。しかし警察が来てしまうと、オレにとっては問題だ。心苦しいが、サノルはクリニックに任せて身を眩ませなければならない。
「イラルさ……ん」
「なんだ? すぐに医者が来るぞ」
「こ、こういう状況……アニメでよく見てたのに、かっこつかない……ですね」
サノルはふっと笑い、消え入るように吐き出すと、そのまま目を閉じた。
クリニックから出てきた医者にサノルを任せ、オレは西区の廃工場に向かっていた。西区の廃工場で、俺が行く場所となると一つしかない。俺が昔働いていた工場だ。
サノルは無事だろうか。肉が分厚い分、内臓までは傷ついていないと信じたい。
サノルを刺した俺を、オレは許すことができないだろう。それを仕組んだミロイも、同様に許すことはできない。ポケットの中に冷たい感触を感じると、オレはそれを握りしめた。
オレが許せないのは、俺にまつわるすべてのものだ。無論、そこにはオレ自身も含まれる。その贖いは、やはりオレたちによってなされるべきだろう。
区画整理ですっかり寂れた廃工場群の中でも、俺の元職場は特に奥まった所に位置している。木造ですっかり朽ちたその廃工場の前に、ミロイは立っていた。オレは同じ顔を持つ目の前のミロイを睨み付けた。
「待っていた。何と呼べばいいか分からないけど、わたしでいいのかしら?」
「オレはお前とは違う。呼びたかったらイラルと呼べ」
断じてオレは、このおぞましい怪物ではない。
「あのデブにつけて貰った名前? まったく、吐き気がする」
「オレもお前を見ていたら反吐が出そうだ」
同じ顔を持っていても、オレとミロイはまったくの別存在だった。決して相容れることはないだろう。ミロイにとってオレは、二重に忌み嫌うものなのだから。
「初めてあなたを見かけたときはぞっとした。しかも、書置きなんて小細工までして。でもまあ、それも無駄になったようだけど。ついでにあれも利用させてもらったわ」
ミロイの話しぶりには苛々させられた。言葉の端々に、自分がすべてを操っているとでもいうような優越感がある。
「中にいるのはヌイノか」
「ヌイノ? そう、確かにヌイノはいる。だけどヌイノは決して本当のわたしを見てくれない。ヌイノが見ているのは表面のわたしだけ。わたしを見通すのは、ベンテの方」
「ベンテ、お前はそう思っているのか」
しかしミロイは答えなかった。もうオレの姿は見えていないようだ。
「わたしにとっては、ベンテこそが救いだった。カウンセリングで彼を見つけた時、わたしは運命を感じた。あの冷たい瞳。彼こそが、わたしの望みを叶えてくれる存在なんだって。わたしたちは、出会うべくして出会った」
恍惚とした表情を浮かべるミロイ。こいつの企みからすべては始まったが、まだミロイは自分の想像とかけ離れた事態になっていることは認識していないらしい。
「念のため確認だけしておく。あいつを刺させたのは、お前か」
「ええ。意外にいい仕事をしてくれたわ」
殴りかかりたい衝動を必死に抑える。こいつには聞かせなければならないことがある。
「話はここまでだ。通してもらうぞ。サノルを刺した落とし前はきっちりつけてもらう」
オレは、薄暗い廃工場に足を踏み入れた。まるで暗闇がオレ自身を見返してくるような、そんな薄ら寒い感覚に足を震わせながら。




