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オレが部屋に戻ってくると、サノルはひどく興奮した様子だった。
「え? え!? なんで!? どうしてイラルさんがここに?」
「落ち着け、どういうことだ」
サノルに深呼吸させ、報告を促す。どうやら一足遅かったらしい。
「つい今しがた、見張ってた部屋から出てきたやつと、その、イラルさんが、連れ立って出かけて行ったんですよ!」
舌打ちをする。ミロイがすでに俺を回収していたとは、考えられる限り最悪の展開だった。いや、それもすべてあいつに仕組まれた事なのかもしれないが。
「サノル、お前車は出せるか?」
「原チャリならあります!」
サノルの体型で二人乗りができるかは疑問だった。これなら走って行った方がまだマシだ。
「じゃあ、武器はあるか」
「趣味で集めたものならあります!」
サノルが持ち出してきたのは、スタンガンや催涙スプレーといった護身グッズから、バタフライナイフやダガー、酷いものになると青龍刀なんて代物まであった。
「呆れた。とんだ危険人物だな」
「これくらい持ってないと、僕みたいなオタクはここで生きてけませんよ」
まあ、武器としては十分だろう。オレは催涙スプレーとダガーを取ると、それぞれ左と右のポケットにしまった。
「え、ついにボス戦ですか? というか、何が分かったのか教えてくださいよ!」
「その様子だとお前の方にも収穫があったらしいな」
サノルは自信に溢れた笑みを見せ、頷いた。役に入り込む性質らしく、自分のことを工作員か何かと思い込んでいるのだろう。初対面の時より接しやすいから問題ないし、これなら多少は使い物になりそうだ。
「とにかく、詳しくは移動しながら話す。オレはどっちの方角へ向かった?」
「中央の方です」
なるほど、そこでミロイはあいつと落ち合うのだろう。ならば行先は一つだ。
結局タクシーに乗り込み、オレはサノルと共にクリニックを目指していた。
「どうしてクリニックに?」
「記憶媒体だ。すでに回収されているかもしれないが、それを奪いに行く」
それがある場所はただ一つ。今や本物のミロイしか開けられない金庫だ。だがミロイのパーソナルを持つオレならば、それを開けることができる。
「いったい誰の記憶媒体なんですか! そこを教えてくれなきゃ分かりませんよ」
「例えば、記憶喪失者がいるとするだろう。“ここはどこ? わたしはだれ?”という状態だ。そいつにまったく別人の記憶を植え付けたら、一体どうなる?」
オレの突然の質問に、サノルは怪訝な表情をした。しかしすぐに考え込むと、おずおずと答えた。
「うーん、記憶が違う人になるんだから、本人の意識は別人になるんでしょうか」
「だったらその前にいる“ここはどこ? わたしはだれ?”と考えているのは一体誰になるんだ? 記憶を獲得したらその人格だった意識は、消えてしまうのか?」
サノルは困ったような声を出した。
「でも記憶媒体はそういう症状に対処するためのものですよ。それさえインストールすれば、その人形は以前の、人間だった頃のように自分を取り戻すんですから」
「……まあいい、先にお前の報告から聞こう。おそらく奇妙な光景を見たんじゃないか?」
オレは話を一旦打ち切り、今日一日の報告を聞くことにした。
「なんと説明したらいいのか……見張ってたら、さっきもう一人のイラルさんに連れられて行ったやつが、まずは一人で部屋から出てきたんです。そいつは外周の方に向かっていったんですけど、しばらくすると中央の方から同じ顔をしたやつがやってきて、部屋に入っていったんです。同じ顔の人物が、入れ替わりであの部屋に入っていったんですよ」
そして後から入った方はすぐに部屋を出て行き、ほどなくして一人目が戻ってきた。ミロイに連れられて行ったのは一人目の方、つまり俺だ。
「やはりオレと俺は、それぞれ二人ずついたのか」
オレの呟きに、サノルは完全に混乱していた。目をきょろきょろ動かして、言葉を探している。
「オレのこの体は、ミロイという女の人形になる筈だった。手続き上はそうなっている。だが、こうして今オレの中にある記憶は、お前が見た二人の俺のものなんだ」
「え、じゃあイラルさんは誰なんですか?」
オレが誰なのか、オレなりに考えてみたが、これこそどう説明すればいいのか分からない。空白の人形に記憶だけを与えた結果、それを解釈するものとして生まれた存在がオレだ。だがオレにはもう、オレ自身の名前がある。
「オレはイラルだ。お前がつけた名前で呼べばいい」
サノルは考え込んでいたが、やがて納得したのかこう答えた。
「とりあえず僕の名付け子みたいなものと考えることにします。子って年齢でもないと思いますけど」
「なんだそれは」
思わず吹き出してしまう。呆れもあったが、どこか安心した。少なくともオレを繋ぎ止める存在がいるのだ。確かにこいつは、オレの名付け親だ。実際のところ少々困ったやつではあるが、悪人でなくて良かった。
「サノル、お前は“人形師殺人事件”の報道については知ってるか?」
「ああ、知ってます。見張っている時にずっとラジオをかけていましたから」
オレは声を潜めて告げた。
「これからオレたちが対面するのは、その犯人だ」
サノルは大きく目を見開き、体を震わせた。
オレとサノルを乗せたタクシーは、クリニックに到着した。




