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サノルに俺の部屋――五六四号室から決して目を離さないように監視を頼むと、オレはミロイの家を目指した。ミロイの家は、ここから円周上にしばらく進んだ北区にある。都市の中でも中央に次いで治安の良い地区だ。
北区に近づくにつれて、街を包む紫煙が晴れていく。整備された町並みに来るのは、俺としては久しぶりのようだった。
俺がよく通っていたルートで、ミロイの家に向かう。この道中で俺が何を思っていたのかは分からないが、不思議なことにオレはなんだか懐かしい気持ちになっていた。
しかし、辿り着いた先は空き家になっていた。
「なぜだ……? 俺の記憶によると、確かにここだった筈だ」
オレが間違えた可能性も考えたが、記憶の中にあるミロイの家はこの家だった。まさか、オレは一足遅かったのだろうか。ミロイの安否が気になる。
手掛かりを探すために、オレはミロイの家に侵入することにした。万が一誰かに見られても、オレはミロイの姿をしているのだ。忘れ物をしたとかで誤魔化せるだろう。
裏手に回ると、すっかり寂れた庭があった。俺がよくここに来ていた頃は、色とりどりの花が栽培されていたが、今は枯葉を残すのみだ。
窓に近づくと、どういうわけか鍵が掛かっていなかった。最悪、叩き割ることも考えていただけに拍子抜けだったが、これはあまりにできすぎている。まるでオレがここに来ることを知っていたかのように感じられた。
オレは誘われているのだろうか? 静かに窓を開け、オレは家の中に入っていった。
綺麗に片づけられた部屋には、塵ひとつ落ちていなかった。一階を見て回り、二階の部屋も隈なく探す。しかし、手掛かりどころか生活感すらこの家には残されていなかった。
俺の記憶の中では、センスのいい調度品などが飾られた華やかな家だったのだが、それが幻だったのではないかと疑いたくなるほどだ。この家には何も残っていなかった。
一階に戻り、もう一度よく俺の記憶を振り返る。すると、あと一か所だけ探していない場所があった。なんといっても俺自身が入ったことのない場所だっただけに、記憶から探し出すのに苦労した。
地下室だ。
オレは一旦外に出ると、家の脇にあるガレージに入った。ガレージの奥には、地下室に続く扉があるのだ。
鬼が出るか、蛇が出るか。地獄への入り口にも思える暗い階段を、オレは下りて行った。
電気はまだ生きているようだった。電燈をつけると、コンクリートがむき出しの壁が浮かび上がる。ここにも物は残っていなかったが、この地下室にはまだ“奥”があった。
木の板で打ち付けられた扉。何かを封印しているかのように、異様な雰囲気が漂っている。
オレはその板に手をかけ、引き剥がした。少し手を切ってしまったが、オレの腕力でも何とかすべての板を剥がすことができた。
息を呑み、オレは扉を押し開いた。
そこはまさに、異常者の部屋だった。壁一面にびっしりと刻まれた文字。そこには被虐願望とでもいうべきものが、吐息が聞こえてくるほど生々しく綴られていた。
そう、これを刻んだのは、紛れもなくミロイだ。この筆跡は、俺が記憶の中で何度もやり取りをした、あのミロイの文字に他ならない。
オレはその部屋で、一冊のレポートを手に入れた。中身を読んで、オレはついに理解した。このレポートは、ヌイノとミロイを担当していた医師によるものだ。そこには全ての始まりと、その経過が書かれていた。
移植医師が手術したのは“ヌイノただ一人”なのだ。
この不可思議な状況は、ミロイによる身勝手な企みが発端だった。ミロイの個人的な欲望によって、文字通り俺は破滅していた。そう、オレがその存在を知りながら目を背けていた、あの忌まわしい記憶……あれは本来の意味では、ヌイノの記憶だったのだ。
オレの中にわずかに残った、目を背けたくなるような俺の記憶。その記憶の意味を、オレはようやく記述することができる。オレに足りなかったのは、それを言い表すための意味付けだけだった。そしてそれは、この移植医師による手記の中にあった。
なぜ俺の記憶が、オレのところにあったのか?
そしてなぜ、オレはオレとして生まれたのか?
その答えとなるのは、一連の“人形師殺人事件”だ。
その犯人は、ヌイノだったのだ。
オレは最後のピースを揃えるためにどこへ行けばいいのか、すでに理解していた。
手記の最後のページには、俺の筆跡で書かれていた。
〈塵芥通り八十番十九号〉




