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俺が誰であるのか、またしても振り出しに戻ってしまった。俺はベッドに倒れこむと、頭を抱えた。分からない。考えれば考えるほど、まるで自分から迷宮に彷徨いこんで行くような気分になった。
ぼんやりと部屋を見回していると、俺はまたしても違和感を覚えた。クローゼットは昨日のうちに一通り調べた筈だ。しかし、そこに見覚えのない手帳を見つけたのだ。
近づいて、手に取ってみる。やはり昨日は無かったものだ。ということは、俺が外出している間にまたしても何者かが侵入したのか? 今回はしっかりと鍵を閉めて出た。ということは、合い鍵を持つ人物だろうか。
手帳を開くと、そこに書かれていたのは驚愕の殺人記録だった。
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二十九日。エンジェリカ(私が命名した。私は気に入らないようだが、我ながらいい名前だと思う)は素晴らしい部品の持ち主だった。だが声が少々下品だったため、私は嫌がっていた。残念だ、こういう部分は私と私で意見が合わないところである。仕方なく絞めてから私は作業を始めることにした。
エンジェリカは思った通り、特に肌が素晴らしかった。彼女の肌は、血を弾くのだ。これで悲鳴が聞ければ文句なしだったが、残念ながら人間の声は私の美意識に反する。
解体には今回、ナイフとノコギリを使ってみた。今までは鉈で肉と骨を一気に叩き落としていたのだが、それでは感触を楽しめない。いや、あれはあれで爽快なのだが、せっかくなら一度で二度楽しみたいものだ。予想通り、このチョイスは中々のものだった。肉と骨、二つの感触をそれぞれ楽しむことができた。しばらくはこの組み合わせで作業をしようと思う。
よく砥いでおいたため、ナイフは小気味よく肉に沈み込んだ。そして露わになった硬質の骨をノコギリで切断するのだ。重労働ではあったが、苦痛ではなかった。鉈と違って時間は掛かるが、だがそれがいい。しかし球体関節を使って人形に仕立て上げるのは、いつものことながら面倒な作業に思えた。もっともそれをやるのは私なのだから、私は気楽に作品が完成するのを眺めているだけなのだが。
十日。ピエトロ(私に決めてもらった。私にしてはそれなりの名前だと思う)は正直、イマイチと言わざるを得なかった。もう少し素材は厳選するべきだった。私が人形にするのも、一苦労といった感じだ。それについては私に申し訳ないことをしたと思う。だが私だって絞めるのに苦労したのだ。お互い様だろう。
何より彼は臭いが酷かった。どこを切っても酒と薬の臭いしかしないのだ。おかげでいつもより多くの香水を使うはめになった。作品作りのために、それなりに良いものを揃えて使っているのだ。出費もバカにならないというのに、困った話である。
だがひとつだけ良かった点があった。肉が多いせいか、いつもより解体するときの感触が心地よかったのだ。調子に乗ってかなり細かく切り分けてしまったのは、私の悪い癖だろう。だが彼も痩せることができて嬉しかったのではないかと思う。自分の体型に対するコンプレックスは、誰もが少なからず抱えているものだ。
ノコギリが早くもダメになってきたので、代わりの道具を用意しなければ。手入れはしていたのだが、どうしても劣化が早い。まあこれも職業柄、仕方のないことだと割り切って、新しい仕事道具を探すことに楽しみを見出そうと思う。
十四日。サンドラ&ミヒャエル(私の命名だ。私がいなくなった以上、せめていい名前を付けてやることが私にできる努力だ)は、私の初仕事にして最も気の乗らない仕事だった。しかし彼女と彼を解体しなければ、今後の仕事に支障が出るのだ。まあ、運が悪かったと思って諦めよう。しかしミヒャエルは私の仇でもある。彼に関して私は正直、煮えくり返っていたのだ。仕事に私情を持ち込みたくはないが、仕方ないことだろう。
やはり気の乗らない仕事だと、書くことも少なくなる。私はほとんど義務的に手を動かしていたが、収穫もあった。私がいた時と違って、悲鳴を思うさま楽しむことができるのである。ミヒャエルに譲ってもらった麻酔も、いい効果を発揮してくれた。解体されていく素材の表情が、絞めてからバラすよりずっといいものになる。同じく譲ってもらったメスも、素晴らしい切れ味だった。それに医療用のノコギリも。やはり元から素材を切断する目的で作られているだけあって、作業が捗った。ここだけはミヒャエルに感謝せねばなるまい。次の仕事が楽しみになる。ミヒャエルは私がサンドラを解体する様を、命乞いしながら見守っていた。だが彼にそんな資格は無い。彼が生み出した怪物こそ、私なのだ。あの馬鹿な女に唆されなければ、こんな気の乗らない仕事をする必要もなかった。
だが気が乗らなかったとはいえ、新しい道具の良さもあって結果的にそこそこ楽しめた。何より思わぬ相乗効果を出したのは、白衣だ。面倒臭がって着衣のまま解体したことで、流れ出る血に染められていく様子をじっくり観察することができたのだから。
しかし、やっぱり私には、私のように上手く人形に仕立てることはできなかった。
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これは、間違いなく“人形師殺人事件”の犯行記録だ。そしてこの筆跡は、紛れもなく住所のメモと、そして仮面の筆跡と一致した。
俺は困惑した。なぜこれが、ここに置かれていたのか。俺は見張られているのか? 居ても立ってもいられなくなり、俺は部屋を飛び出した。とにかく、逃げなければ。
通りに出た俺は、そこで足を止めた。いや、止めさせられたのだ。
「迎えに来たよ、ベンテ」
目の前に立っていたのは、俺が焦がれてやまないあの人だった。




