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刹那

 人間の発する音が嫌いだった。話し声、呼吸、咀嚼音、心臓の拍動。とにかく人間が生きていくための音が、俺には我慢ならないのだ。

 人間が発するそれは、俺にとって最も耳につく音だ。こんなものを聞かされるくらいなら、喧しいだけが取り柄の低俗な商業音楽を聞いているほうがまだマシだ。鼓膜を蹂躙するように粘っこく、神経を逆撫でする人間の音は、俺には耐えがたい。

 言い換えれば人間というものが、俺は嫌いなのだ。

 その中でも俺が最も忌み嫌い、憎悪する音。それは他ならぬ俺自身が発する音だ。この世にこれほど醜悪な音は無い。豚の鳴き声にも劣る、耳障り極まりない音。こんなものは糞だ。何より最悪なのは、俺が生きている限りこの音は鳴り続けるということだ。

 いっそ人形のようになれたら。冷たく、静かで、穏やかな気持ちで存在できることだろう。人形は静かで音を発せず、だからこそ俺は接することができた。しかし哀しいかなこの世間でいう人形は、人間と何ら変わりない畜生に過ぎない。

 人間と同じような顔をして、同じような音を発しながら平然と怠惰に存在するもの。それが人形。その存在そのものが、俺には許せない。人形ならば人形らしく、音を止めて生きるべきだ。本来なら静かに動かない人形に対して生きるべきとはおかしな話だが、それが慎ましさというものだろう。偽物がまるで本物のように振る舞うことが容認されていいはずがない。それと同じに、本物がまるで偽物のように振る舞うことだって、同じく重罪だ。それらは等しく断罪されるべきなのだ。

 俺はこんな残酷で、ただただ吐き気のする音を押し付けたあいつが許せなかった。あいつさえいなければ、俺はこんな思いをしながら肉箱の中に閉じ込められることもなかったのだ。

 実のところ俺は、ただ記述する存在になりたかったのだ。退屈かもしれないが、少なくともこんなものを管理させられるよりずっとマシだ。俺は、日記のようになりたかった。触れられないからこそ、俺はそれを記録しておきたかったのだ。そうして記したものの中には、俺の憎悪する音は存在しない。

 俺を苦しめるもの全てが、あいつには幸福なのだ。あいつはすべてにおいて俺の対照となる存在だ。そして俺は、あいつが当たり前に持っている全てを、憎むと同時にこの上なく憧れていた。それが手に入ることは無いと知りつつ、それでも俺はそれを欲していたのだ。

 俺はあいつを通してしか、世界を見ることができなかった。そして世界は、決して俺を見てくれない。見られるのはいつもあいつで、俺は見ることしかできない。

 俺にすべての苦しみをなすり付け、のうのうと生きているあいつ。こんなことがまかり通っていい筈がない。

 そう、俺には権利がある。あの唾棄すべきあいつの、息の根を止める権利が俺にはあるのだ。

 だが権利を持っていても、俺にはそれを行う資格がなかった。結局のところ、俺もまたあいつと同じ穴の狢なのだから。

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