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ホーテンダリアの眠る夜  作者: 秋月 アスカ
2.ホーテンダリアと少女の人形
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第四章

 一旦リアンの骨董屋へ戻った二人は、暖かい紅茶を片手に向かい合って座っていた。

 相変わらず奇々怪々な雑貨たちで溢れかえった室内を見渡し、セシルが気重そうに溜息をつく。


「……いつ来ても落ち着かない店だな」

「本当にあんたって失礼ね。はす向かいのノーマンおじい様は、ここに来ると心が休まるって言ってたわよ」

「あのじいさんも化け物じみた人だから、どこか通じるものがあるんだろう」

「それ、どういう意味!」


 ああ言えばこう言う二人だからこそ、この手のやりとりになると終わりが見えなくなる。しかし流石にもう長い付き合いなだけあって、互いにどう退くべきかはわきまえていた。全く別の話題を導く「何か」を掲げれてやればいいわけだ。その「何か」がない時は、そもそも話を振らないに限る。


 この時掲げられたのは一冊の古びた本だった。

 リアンが机の上に放り出した古本は、むしろ辞典とも言うべき分厚く立派な一冊だ。相当の年代物らしく、地味ながらもしっかりとした装丁の表紙には長年の塵やほこりがすり込まれている。


「なんだこれは」

「本だけど」

「喧嘩を売りたいのか?」

「別に売ってないけど」

 言いながら、リアンはパラパラとページをめくった。頬杖をつきながらもその中身に目線を落としていたセシルは眉根を寄せる。

「思いっきり古語じゃないか。俺には読めない」

「でしょうね」

 リアンは肩をすくめて本を閉じた。

「最近、アスハルト家の息子ヨハンが夜中に街をうろついてるって話知ってる?」

「ああ、噂には聞いている」

 全く意味もなく閉じられた本の表紙を訝しげに眺めていたセシルだったが、追及しても無駄と判断したのか、不承不承に返事を寄こした。

「もう随分有名な話になってるぞ。ヨハンは元々病弱で出歩ける身体じゃないというのを皆知っているから、どうにも気味が悪くてしょうがないんだろう。『白の花嫁』の時のように何か惨事が起こるんじゃないかと身構えてるんだ。幸い、ヨハンは街をうろついているだけでまだこれといった事件は起こっていないという話だが」

「うん、今のところはね。でもそろそろ危ない時期だと思うのよ」

「というと、やはり噂は本当だと?」

「本当も本当。更に言っちゃえば、ヨハンはもうこの世の者じゃないわけなんだけど」

「――はあ!?」

 まるで寝耳に水、というようにセシルは目を見開いた。

「どういう意味だ、それって」

「ヨハンは死んでいるわ。その身体を『この世ならざるもの』に乗っ取られているの。今、街の中をうろついているのはヨハンに身をやつした『もの』ってことなのよ」

「なんだって? 『もの』が人の身体を乗っ取るなんて、聞いたことがない」

「私も最初は信じられなかったけど」

 リアンは古書のページを大きく繰った。中程までたどり着くと、一つの項目を指差しセシルに示す。

「ここに、似たような悪魔の記述があるわ。ゾメニパリオン――古語で、『魂喰い』という名前の悪魔よ。人や動物、つまり魂の宿るものの身体を乗っ取ることで力を得る存在がいたらしいの。昔は、ある時突然まるで人が変わった友人・家族は、この悪魔に取り憑かれたんだと考えられていたみたいよ。一度身体を乗っ取られたら最後、また悪魔が次の『器』に乗り移るまで私達人間には成す術がない。そして悪魔が去った後も、元の魂は戻ってこない――つまり身体を乗っ取られた人間は死んでしまうの」

「ちょっと待て。悪魔って、そんな……。それは昔からの伝承みたいなものだろ?いくらでもある話じゃないか。親の言うことを聞かない子供は悪魔に連れて行かれるとかなんとか」

「この街では、伝承とかおとぎ話とか夢の話とかそんなの一切関係ないわ。何が力を持ち動き出すか分からない。そういう街でしょう」

「だとしても……」

 セシルは尚も食い下がろうとしたが、その後に続ける言葉を見つけることができず口をつぐんだ。「この世ならざるもの」についてリアンと論争を繰り広げるにはあまりにも分が悪い。「もの」についての知識は彼女にとても及ばないし――そもそも、今ここでこの古書を読み解くことすらできやしない。リアンが「右」と言えば、それは必ず「右」なのだ。


「この本によるとね。ゾメニパリオンは気に入った身体を見つけると、その身体を奪い取って生活するらしいのよ。性格は残虐・非道で、手のつけられない身勝手な行動ばかり取るみたい。だけどそのうち身体が悪魔に拒否反応を起こすようになって……それまでにどれくらいの時間がかかるかっていうのは、まちまちみたいで分からないけど――とにかく、その拒否反応が大きくなると、悪魔は人や動物といった生き物と接触するのを苦にして、一人きりでいようとするらしいわ。そして完全に身体から追い出されてしまう前にと、次の獲物を探して徘徊し始めるそうよ。――ねえ、どう? 今度の話とだいぶ共通点があると思わない?」


 リアンの講義が終わっても、セシルはただ唸るばかりである。確かに言われればその通りと言えなくもない。それに、「この世ならざるもの」に関してリアンはいつも正しかった。だが、それでもなおセシルが手放しで同意できないのは、「もの」が人の身体を乗っ取るなどということがあり得るはずがないという思いが、彼の心の底に強く根付いているからだった。


「セシル、考えてみて。病弱で部屋から出ることすらできないはずのヨハンが、突然外出し始めた。それも、夜――『宵迎えの鐘』が鳴り終わった後の時間。更に、人通りの多い通りは避けて閑散とした裏通りばかり歩いている」

「……ああ」

「ヨハンは――悪魔は、新しい身体を求めて街を彷徨っているんだわ。出歩き始めてもう随分経つもの、そろそろ誰かの身体を新しい棲家として奪いにでてもおかしくない」

「そうかもしれないが」

 それでもまだ食いつきの悪いセシルに苛立って、リアンは大きく溜息をついた。そして机の上に開かれたままの古書を勢いよく片手でなぎ払う。どさりと鈍い音がして本は地面に打ち捨てられた。


「セシル。私はすでに悪魔つきのヨハンに会っているのよ。理屈なんか全部放り捨ててもいい――私の直感が、間違いなくあれは『この世ならざるもの』だと言ってるの。――お願い、私を信じて」


 強い眼差しで射抜かれて、セシルは一瞬怯んだようだった。しかしすぐに諦めの色を顔に浮かべ、こちらも小さく溜息をついた。


「……わかった」

 ぱっ、とリアンの顔が輝いた。

「で、俺は何をすればいい」

「ああ、さすがセシル! 物分りのいい人って好きよ」


 リアンの前では歴代の暴君たちでさえ物分りよくならざるを得まい――とは、口が裂けても言えないセシルであった。


・  ・  ・


 二人はすぐに骨董屋を出て、そのまま裏通りへと入っていった。リアンの両手には何故か件のアンティーク人形が収まっている。


「リアン、何だよその人形は」

「ああ、これ? ちょっとね、部屋に一人で放っておくとうるさいもんだから」

「は?」

「まあ気にしないで。どうせだからこっちも一緒に処分しちゃおうと思って」

「処分って……」


 年代物とはいえ、状態もよく明らかに値の張りそうな人形を「処分」するとはどういうことか。セシルは視線だけでそう問うた。


「残念ながら、これは商品じゃないのよ。とても売り物になんかなりやしない。大人しくしてれば、まあ飾っておくぐらいいいかしらと思ってたんだけどね」

 まるで見えない話に、セシルは肩をすくめることしかできない。闇夜でも美しい、流れるような金の髪を持つ少女の人形は、別段変わったところもなく可愛らしい微笑みを浮かべているのみだ。


「さて、それよりもヨハンはどこにいるのかしら」

「まったく当ても無いのか?」

「無いといえば無いわね。でもまあ、この辺りを歩いていれば向こうから近寄ってくるんじゃない? 私の考えに間違いがなければ、ヨハンは人通りの多い場所には行くことができない。なら、こうした裏通りを一人で歩いてるような人間を狙うほかないはずだもの」

「本当に行き当たりばったりなんだな……」

「それで上手く行かなかったことがある?」

 自信に満ちた笑みを浮かべられると、確かにそれもそうだとセシルも納得せざるを得ない。

「で、結局俺は、こうしてヨハンを捜し歩けばいいだけなんだよな?」

「ええ。後は向こうが勝手に行動起こしてくれると思うから」

「……どう行動を起こされるのか、非常に気になるところなんだが」

 薄々先行きを予感しているセシルは頬を引きつらせた。大体彼の役回りはいつも決まっているのである。


「――来た」


 リアンが静かに呟いた。セシルもはっとして辺りを見回すが、それらしき姿は見えない。


「もうすぐこっちへ来るわ。準備はいいわね?」

「準備もなにも」

「いちいち口答えしないでよ」

「これ、口答えなのか?」

「いいから!」

 セシルのもっともな呟きもリアンに一蹴された。そのリアンは厳しい瞳で前方を見つめ、まったく揺るがない。自然とセシルも気を引き締めてその視線の先を追った。

 街の外れ。側には、今はもう廃墟となった自衛団の古い詰め所が寂しく佇む。そしてずっと続いてゆく石畳の路地。頼りなげなオレンジ色の街灯――。


 ゆらり、ゆらり。


 やがてあの晩と同じように、前方から黒い影がゆっくりと近づいてきた。細身ながら上背のある若い男の姿、ただその足取りだけは疲れ果てた老人のようにおぼつかないものだった。


 時間をかけてリアン達の側まで歩み寄ってくる。リアンの抱えた人形に劣らぬほどに青白い肌。相変わらずうっすらとした笑みを顔に貼り付けて、凍った眼差しでリアンを見下ろした。


「――こんばんは」


 ヨハンだ。間違いない。


「こんばんは」

 リアンも静かに言葉を返した。


「また、会ったね」

「ええ、そうね。今日はほら――前にあなたが言ってくれたとおり、しっかりとした男友達と一緒なの。だから夜道も全然平気よ」

「そうとも、それがいい」

 ゆっくりと頷き、ヨハンはそのままセシルに視線を移した。浮かべた笑みが一層深まる。

「君のその格好は? 自衛団の人なのかな?」

 ふいに投げかけられたその問いに、しかしセシルはすぐに答えずリアンを見た。リアンは落ち着いたもので、ただ軽く頷いてセシルに返事を促す。

「……そうだ」

「ふうむ。自衛団の人たちはよく数人で夜の街を見廻っているようだけど、どうにも『気に食わない奴ら』が多かった。しかし、君はなかなかいいね。うん、気に入ったよ」

「それじゃあ、もうこの辺りで手を打つことにする? そうよね、そうでないとその身体はもう限界だもの。新しい棲家として――このセシルの、身体を」

 リアンが言葉を引き継ぐと、ヨハンは驚いたように目を見開いた。

「へえ? 君は一体僕が何者なのか――知っているのか?」

「ゾメニパリオン――伝承の中の悪魔、魂喰い」


 はっきり告げると、ヨハンはそれまで浮かべていた静かな微笑を瞬時に捨て去った。代わりに邪悪この上ない歪んだ笑みを浮かべ、さも可笑しそうに声を上げて笑い始めたのである。


「ははははは!」


 そのあまりの狂乱ぶりに、セシルは思わずたじろいだ。一方のリアンはぴくりとも動かず、冷ややかにヨハンの様子を伺っている。


「まさかこの俺の存在を未だ記憶している人間がいたとはな!と うの昔に忘れ去られていたかと思っていたが……ああ、浮世とは面白いところじゃないか! ――そうさ、俺はお前らの言う『魂喰い』。すでに重々ご承知のようではあるが、魂を喰らってその身体を乗っ取る古の悪魔さ。長い長い眠りの果てに、ついに目を覚ましたんだ。物語の中だけの存在であったこの俺が、とうとうこの世に姿を現した。やっとだ――どれだけこの時を待ちわびたことか!」


 その青白い顔からは想像もつかないほどの激しい口調だ。それはリアンに語りかけているというよりも、自身がこの場に存在している喜びを噛みしめる独白のようですらあった。

「あなたは、前々からこの世で人の身体を乗っ取りながら暮らしていたわけじゃないってことね? 現世に現れたのは、これが初めて」

「ああ、そうさ。ふと気づけばしみったれた丘の隅を魂のみで彷徨っていたんだ。俺は魂のままじゃ長くは存在できないからな、すぐに『器』を探して飛び回った。そこで見つけたのがこのヨハンの身体だったのさ。俺の『器』とするには、家柄も良さそうだったし、見た目もなかなか良かったし、まだ若いのも気に入った。それに眠っているところだったから魂を喰らい易かったんだ」

 だが、と悪魔は忌々しげに舌打ちをした。

「こいつは俺が見つけたとき、既に死にかけていたんだな。消えかかった魂を喰らって身体を乗っ取ったものの、これが全く安定しない。すぐにでも身体から追い出されてしまいそうだった。あっさりと良い『器』が見つかったと喜んでいたんだが、全く、とんだ誤算もいいところだ」

「それですぐさま次の『器』を求めて街を歩き回っていたのね。でも、気に入る『器』はなかなか見つけられなかった。好みの問題だか魂の波長の問題だか知らないけど、乗っ取るに値する人物がどうしてもいなかったんだわ。きっと、一度乗っ取ると今度拒否反応が起こるまでは、その身体から出たくても出られなくなるんでしょう。だからヘタな人間を『器』に選ぶわけにはいかなかった」

 ご名答、とヨハンは麗しい笑みを浮かべた。

「お前は本当によく分かっているな。だから今晩はその男をここへ連れてきてくれたわけか?」

 ちら、とリアンと悪魔は同時にセシルへ目をやった。双方の視線を受けたセシルは、僅かながらに身体を強張らせ、心持ち身を引き警戒する。

「もうあなたに時間がないことは分かっていたわ。だからある程度は妥協するでしょうし――セシルなら、ヨハンと背格好や雰囲気が似ているもの。あなたのお気に召すんじゃないかと思ったの」

 なんとも無慈悲な言い様に、セシルが無言で抗議の声を上げた。が、リアンはまるで取り合わない。

「実際のところ、どうかしら?」

「お陰様でわりと気に入ったよ。コイツなら死に損ないのヨハンと違って長持ちしそうだ」

「あら、それは良かったわ」

 リアンは面白そうにクスリと笑った。面白くないのはセシルである。一体この場をどう収拾するつもりなのか、何も聞かされていないのだから当然といえば当然のことだった。ただしこの場でリアンと口論になだれ込むほど物分りの悪い男ではない。リアンに説明を求めて突っかかる代わりに、目の前の悪魔をしっかりと睨みつけて牽制した。

「死んだヨハンの身体にお前が入り込んだのではなく、お前が入り込んだからヨハンが死んだんだな。お前がヨハンを殺したんだ」

「その言い様は心外だね。もともとあといくらもしないうちに死んでいた人間だ、その時期が少し早まったくらいで何だと言う。第一、俺は俺が生きるために魂を喰らう。お前が畜生の肉を食って生活しているのと何の違いがある? 正義の味方を気取るのはやめてもらおうか」

 正義、とセシルは呟いた。

「別にそんなもののためにここにいるわけじゃない。正論を振りかざして説教垂れてるつもりもない。ただ、気に食わないんだよ。だからお前が嫌いだ。シンプルで分かりやすいだろう」

 街の治安のために働く自衛団員の言葉としてはいささか頼りないものだったが、悪魔のお気には召したようだった。ふん、と軽く鼻で笑うと、悪魔は途端にその眼光を鋭くする。


「なるほどお前は思った以上にいい『器』だ。きっと俺の魂とうまく波長が合うだろう――」

「!」


 ズズズ、と重い布を引きずるような音がして、ヨハンの身体から黒い煙のようなものが立ち上った。それがただの煙ではないのは、放たれる異様なプレッシャーからも瞭然であった。


「悪魔の魂の本体だわ」

 余裕を持っていたように見えたリアンでさえ、固唾を呑んで大きく影を作ってゆく邪悪な塊を見守った。いくら文献で相手の詳細まで知り尽くしていようとも、実際の姿を目の当たりにするのはこれがまるっきり初めてなのである。沸き起こってくる興奮と恐れを抑えきれないのだ。


「お前の身体を貰うぞ、セシルとやら!」


 地獄の底から呻くような声が、夜のホーテンダリアに響き渡った。

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