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ホーテンダリアの眠る夜  作者: 秋月 アスカ
1.ホーテンダリアと白の花嫁
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第四章

 教会の内部は真っ暗だったが、大きく開いた扉から月明かりが差し、かろうじて様子を知ることができた。外観と同じように、中もすっかり寂れてしまっている。


「祭壇へ」


 リアンに言われるがまま、セシルは一歩を踏み出した。すると意外にも花嫁が己の手を差し出してくる。セシルは戸惑ったようにその手を見つめた。


「手を取って」

 と、リアン。そう言うならば、とセシルはためらいながらもその手を取った。「この世ならざるもの」と手と手を取り合っている。なんという現実。遠のきそうな意識を何とか繋ぎとめ、セシルは祭壇へと歩いていった。花嫁の手は冷たく、しかし柔らかい。手に触れるだけではなく、その身体をぎゅっと抱きしめればどれだけ気持ちがいいことだろう、セシルは思わずそんなことを考えたが、すぐ後ろに続くリアンの存在を感じてどうにか気を取り直した。


 祭壇にたどり着く。花嫁は粛々と顔を伏せ、静かに佇むのみ。セシルとリアンはどうしたものかと辺りを見回した――そのとき。


 低く、低く、厳かな男の声が天から降って下りてきた。はっとして二人は天井を見上げる。無人だ。誰もいない。しかし声だけは確かに聞こえてくる。一体何を言っているのか、よく聞き取れない。教会の中で幾重にも反響しているかのように、輪郭の曖昧な声だ。


「なんだ?」

「式が始まったんだわ。この地方の古語で話してるみたい。神父の祈祷よ」

「どうすればいいんだ」

「とりあえず、このまま様子を見てみましょう」

 そう言う間にも、男の捉えどころのない声は続いている。花嫁は顔を伏せたままぴくりとも動かなくなってしまった。

「式が最後まで行くと、殺されるのかもしれないな」

「かもね。でも、式が終われば花嫁の未練は無くなるはずでしょ。逆に、『最後まで行かないと』殺されるのかもしれないわ」

「どの道、成り行きに任せるしかないわけだな」

「そういうことよ。――ああ、誓約の儀に入ったみたいよ。やっぱり式の形式もこの地方の古いやり方だわ。今の一般的な式とはだいぶ違う」


 男の声はまったく途切れる様子がない。なす術もなくその声に聞き入っているうちに、セシルは不思議な気持ちに包まれていた。


 廃墟と化した教会で、月明かりだけを頼りに、稀代の美女と永遠を誓い合う。二人を導くのは天から降り注ぐ神の使者の声。これほど幻想的な結婚式など他にあるだろうか? 恐ろしいと感じていた気持ちは、すっかり遠くに消え去ってしまった。花婿としてこの場に立つ者で、ここから逃れたいなどと考える者は誰もいないだろう。


 セシルはいつしか、虚ろな神父の声に聞き入っていた。リアンは虚空を睨みつけるようにしてセシルの背後に佇んでいる。


「……誓いの口づけを」


 リアンが神父の言葉を訳して、囁いた。セシルは言われるがままに白の花嫁へと向き直る。白の花嫁も、同じように彼の方へ身を寄せて――


「あっ――――!」


 夢から覚めたように、セシルは短く叫んで身体を強張らせた。

 目の前の花嫁が、何ともおぞましい骨と皮ばかりの化け物に成り果てていたのだ――!


 第一の犠牲者レイモンと同じだ。

 一瞬セシルもリアンもそう思ったが、しかし実際はそれ以上のおぞましさだった。

 体中の皮はまだ湿り気を帯びていて、失われた血流の代わりとでも言うように、それ自体がどくどくと波打っている。美しいブラウンの髪もほとんどが抜け落ち、焼けただれたような頭皮は今やむき出しだ。唇も擦り切れたように荒れ果てて、呼吸をするたびに口の合間からボロボロの歯が顔を覗かせた。

 白いドレスは美しいままに、その襟や袖口から覗く木の皮のような胸板、棒切れのような指が何とも痛ましかった。しかし同情するより先に、圧倒的な嫌悪感が感情という感情を支配する。


「こ、これが、白の花嫁の現実の姿なのよ」

 リアンは上ずる声を抑え、努めて冷静に囁いた。


「――っ」

 思わず後退ろうとしたセシルを、リアンが強い力で押しとどめる。

「だめよっ! 逃げてはダメ。逃げたらきっと、襲われるわ!」

「だ、だが」


 爛々とした瞳、いや目玉が、セシルの姿をしっかりと捉えている。その視線は相手を発狂させるほどに禍々しく恐ろしい。恐ろしすぎてなんだか笑いがこみ上げてきそうだ、と半ば混乱状態に陥りつつ、セシルはそんなことを考えた。


「式を、続けるのよ」

「なんだって!?」

「やっと分かった。つまり、こういうことだったのよ。エミーリエは、ただ人の娘として幸せな結婚式を挙げたいだけだった。それで男を招き寄せこんなところまで連れてきた。男の方も、ここへ来るまではよかったんだわ。でもこの教会で式を挙げるうちに、白の花嫁がその美しさを失って化け物のような姿に変わってしまう。それで男は恐ろしくなって逃げ出すの。その瞬間――白の花嫁の悪しき部分が目覚めてしまうのよ。男の生気を吸い尽くし、またもとの美しい姿に戻り、『逃げない』花婿を探して街を彷徨う。その、繰り返しだったんだわ」

「おい――流石に、勘弁してくれよ」

 この花嫁に誓いの口づけを? セシルの顔色が一気に変わった。

「口づけるか、殺されるか。そのどちらかよ」

「ずるいぞ、そんな言い方」

「ああもう、言い合ってる場合じゃないでしょ! もともとこの子は、被害者なの。生贄にされちゃったのよ。かわいそうでしょ? 幸せな花嫁になりたかったなんて、愛らしい願いじゃない? あんたも男だったら、どーんと構えて受け止めてあげたらどうなのよっ」


 言っていることはかなりめちゃくちゃだが、リアンも構っていられない。こんな場で押し問答を続けていては、いつ花嫁が襲い掛かってくるとも知れないのだ。


 しかし意外にも、セシルはぐっと言葉を詰まらせた。そして腹をくくったように花嫁へと向き直る。


「え……、い、いくの?」


 自分でけしかけておきながら、リアンは少々驚いた。セシルは答えず、じっと花嫁を見つめている。目を逸らさないようにするだけで精一杯なのだろう。


 すると花嫁は、すっと自分の右手を差し出した。赤茶色をした、ミミズの巣食ったような手を。


 どうか、誓いの、口づけを。


 花嫁は掠れた声でそう呟いた。


 セシルはまじまじと彼女を見つめていたが、やがてゆっくりとその手を取った。生暖かく、べたついている。自らの顔をその手に寄せると――生肉が腐った匂いが鼻をついた。それでもなおめげず、セシルはそっと花嫁の右手に口づけた。


「ああ……」


 涙交じりの、澄んだ声。

 瞬間、セシルが口づけた彼女の右手が再び息づき、ふわっと白く滑らかな肌がその表面を覆った。そしてその右手を起点に、するすると彼女の身体が生前の姿を取り戻してゆく。あっという間に、白の花嫁は元の美しい娘の姿になっていった。


「――」


 セシルもリアンも、声が出ない。

 目の前の彼女は幻なのか。それとも、つい先ほどの、見るも無残な姿こそが幻だったのか。

 いや、そもそも「この世ならざるもの」とはそういうあやふやな存在なのだろう。だからこそ、時に鮮やかな印象を残して通り過ぎていく。彼女もまた、その一人。


「ありがとうございました」


 呆然と立ち尽くす二人に向かい、白の花嫁――エミーリエはそっと微笑んで見せた。これまでの虚ろな表情とは違う、本当に生き生きとした、眩しいほどの微笑みだった。


「私は神の御許で、永遠にあなたを愛することを誓います」


 言って、エミーリエはセシルにそっと顔を寄せた。かすかに触れる程度の甘い口づけを残し――そして、消えた。


・  ・  ・


 後日。

 リアンとセシルは、いつもの骨董屋で顔を合わせていた。


 古めかしい書斎机に向かい合って座っているが、山積みの古本たちが二人の間を隔てているため、お互いの手元はまるで見えない。といっても、それはいつものことだったし、手元にはティーカップがある程度だったので特に何の問題もない。


 あの晩、エミーリエが姿を消してからしばらくの間はその場に立ち尽くしていた二人だったが、結局どちらからともなく教会を出て、街へとゆっくり引き返したのだった。街の中心部に着いた頃にはすでに真夜中を過ぎていたし、何より気を張りつめすぎて疲れていたので、ほとんど無言でそれぞれの家へ戻っていった。それからまともに顔を合わせたのは今日が初めてだ。


「ま、何はともあれ良かったわ。また街にいつもの活気が戻ってきたしね。やっぱり昼も夜も賑やかで明るいっていうのが、我らがホーテンダリアよね」

「まあ、良かったといえばそうだが……」

 むっつりとした表情でセシルは言葉尻を濁した。

「なによ、すっきりしないって顔しちゃって。よくぞ事件を解決してくれたって、自衛団の上司にも褒められたんでしょ? 私がちゃんと口添えしといたからね」

「自衛団がどうとかじゃない。やっぱりどうも、お前には常々いいカモにされてるなと思ってただけだ。結局大変な思いをしたのは俺だけだっただろ」

「なによ、私だって一緒に怖い思いをしたじゃない」

「第一お前、ここ出るとき、なんか小瓶みたいなの持ってったじゃないか。あれは何だったんだよ」

 これ? とリアンは傍らから瓶を取り出した。半透明の小瓶に、なにやら液体が入っている。

「まあ、おまじないの水みたいなものね。最終兵器。振りまけば、近くにいる『この世ならざるもの』は一瞬にして消えてなくなる――」

 厳かに宣言し、一瞬間をおいて。

「と、言い伝えられている」

「ただのデマか」

「分かんないわ、本当かも」

 リアンの言うことは話半分に聞き流しておいた方が良い、というのはこの数年の付き合いで学んだセシルの常識の一つである。

「もう、いい加減機嫌直してよ。良かったじゃない、手の甲にキスで済んだんだし」

「お前、他人事だと思って」

「あの後文献調べたんだけどね、エミーリエの時代の結婚式って口じゃなくて手の甲にキスしてたんだって。でもさ、例え手の甲へのキスでも、あの姿のエミーリエじゃあ普通できないわよね。ちょっと見直しちゃった」

 ニヤニヤと笑いながら、それでも素直に褒めてみせると、セシルはふんと鼻を鳴らしてなお不機嫌そうに紅茶を飲んだ。


「さ、そろそろお仕事に戻った方がいいんじゃない? あんまりここに長居しない方がいいわよ」

 リアンは立ち上がり、手元のはたきを持ってセシルの周囲を叩き始めた。

「おい、何するんだよ」

 にっこりと笑みを浮かべ、歌うようにリアンは囁く。


「光ある時は、光の下へ戻りなさい。闇夜は心地いいけれど、そればかりでは人は生きていけないの。あまりに闇に触れすぎて、光を忘れることのないように。そう、そして何よりも、やたらと闇に寄り添いすぎて――今は光の下にいるあなたの可愛い花嫁が焼いてしまわないように、――ね」

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