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ホーテンダリアの眠る夜  作者: 秋月 アスカ
ホーテンダリアの眠る夜
22/24

第三章

「どう思うって……、どういう意味だ」

 かろうじて絞り出したセシルの言葉に、ゾメニパリオンはにべもなく答える。

「そのままの意味だ」

「そう言われても、答えようがないだろう。『この世ならざるもの』は『この世ならざるもの』だ。別にどうも思ってない」

「どうも思っていない、か」

 意味深げにゾメニパリオンはセシルの言葉を反復した。

「言葉も通じず、情も通じず、これだけ理不尽に人間を殺す化け物共だぞ。それをどうも思わないとは、豪胆なことだな」

 セシルは戸惑ったように、目の前の人形を見下ろした。

「それについては、確かに恐ろしいと思っている。正直なところ、どうしてこんなことになってしまったのかという困惑も大きい。……だが、『この世ならざるもの』は俺が生まれた時から側にいた存在なんだ。空気と同じで、意識しなくても、側にいて当然だと思っていた。それを疑問に思ったことなんてこれまで一度もなかったんだ」

「だが事態は変わっている。リアンから聞いただろう、『もの』は空気と違って、初めから自然にこの街にあった存在ではない。人の手で生み出された創作物だ。それならば、人の手で壊すこともできるはず」

「だが、その方法が分からないんだろう」

「あの小娘も戸惑っているんだ。往生際が悪いというかな。これ以上『もの』と人間はこの街で共存できない。分かっているくせに動けずにいる」

「どういう意味だ? リアンは知っているのか、『もの』を沈める方法を」

 思わずセシルがゾメニパリオンに詰め寄った時だった。ガラン、と扉の鐘が鈍い音を立てて二人の会話を遮った。


 リアンが戻ったのかとセシルが振り返ると、入り口に立っていたのは全く別の人間である。いや、人間と呼ぶべきか否か――それは、つい先ほどまでセシルと共にいた、人間の姿を模った「もの」。


「――お兄さん、また会ったね」

「リーザ」


 あどけない少女の姿のままで、リーザは驚いた表情を浮かべた。そうした細かな動きや表情がいちいち人間めいているので、余計にセシルは混乱してしまう。


「びっくりしたぁ。もしかしてここ、お兄さんのお家なの? 違うよね?」

 言いながら、リーザは部屋に入ってきた。骨董品で溢れかえった室内を興味深そうに眺めている。

「何をしにきた。俺を追いかけてきたわけじゃなさそうだが」

「違うよ。さっきだって私の方から退散したじゃない。さっきはね、まだ私が目覚めたばっかりだったから、まずは運動代わりに人を引っ掛けてみようかなって思って声をかけただけなの」

「引っ掛ける?」

「たくさん引きずり回して、不安にさせて、そして殺す。人間狩りだよ、面白いでしょ?」

 リーザは大きな瞳を微笑で細め、首を傾げてみせた。

「でもさ、お兄さんてば私のことすぐ見破るんだもん。それでちょっと驚いて逃げちゃったの。一番最初の標的が、いきなり一般人じゃなかったなんてひどいよね。で、人間狩りはまた今度でいいかなって思って。予定変更してここに来たわけ」

「予定変更って」

 リーザは改めてぐるりと部屋を見渡した。今度は先ほどとは違い、明らかに何かを狙っている目をしている。

「あるものを、奪いに来たんだよ」

「あるもの?」

「私の存在を揺さぶるもの。それがあると私の存在が危うい。だから奪って、処分しなくちゃ」

 リーザがもう一歩を踏み出した時だ。その足元で小気味のいい音がして、激しい火花がリーザとセシルの合間で散った。セシルはぎょっとして身構えたが、目の前のリーザも虚を突かれたような顔をしている。


「――何したの?」


 リーザの表情が見る見る険しくなったが、セシルにも身に覚えがない。答えようがなく黙り込んでいると、代わりに口を開いたのは、今まで沈黙を保っていたゾメニパリオンであった。


「それ以上踏み込むな。今すぐ去れ」


 その声がいつになく低く禍々しいものだったので、リーザだけではなくセシルも驚いた。いつもの無機質な声ではない。これは以前一度だけ聞いた――ゾメニパリオン、彼自身の声ではないか。


「なんだ、他にも何かいたの」

「今すぐ去れ」


 リーザは忠告を無視してまた一歩足を前に踏み出した。再び激しい火花が散るが、もはやそれを気にする様子は見せなかった。それどころかうっすらと笑みさえ浮かべ、その右手を伸ばす。一際大きな破裂音が響くと、それですっかり静かになった。


 が、それも束の間。今度はリーザの掲げた右手がわずかに歪んだ。そして次の瞬間、その右手から異様な衝撃が発せられる。空気の砲弾が飛んだとでも言うべきか。それは真っ直ぐ少女の人形を直撃し、人形を引きずったまま壁に激突した。


 ごろり、と少女の人形が床に転がる。


「ゾメニパリオン!」

 手足が投げ出された力無いその姿は、人形だというのに人の死体のようにも見えて。

「他にも『もの』がいたんだね。この家の番人気取りの『もの』なのかな? 去れとか来るなとかしか話せない低脳な『もの』が私に楯突こうなんて、本当に愚か」

「おい、大丈夫か。しっかりしろ!」

 セシルは慌てて人形を起こそうとしたが、思わずその手を引っ込めた。――人形の周りを、何か黒いもやのようなものが取りまいていたためだ。


「……やれやれ」


 ぐらり、と人形が独りでに揺れた。黒いもやに引きずられるように身体を起こす。そしてゆっくりゆっくりと、その本体が宙に浮かび……。


「この俺を低脳呼ばわりとは度胸のある小娘だ。そういう身の程知らずも嫌いではないが、馬鹿な小娘は一人いれば十分なのでね」

 静かな声だ。


「――お前は失せろ」


 黒いもやが一気に膨れ上がった。それは人の影のように見えた。包み込まれれば命はないと思えるほどに、邪悪な人影。


「なっ」

 リーザはその影を見上げて身構えたが、無駄だった。先ほどリーザの右手が放ったものとは比べ物にならない重圧が、黒いもやから発せられたのだ。

「きゃあっ!」

 リーザが吹っ飛び、扉に叩きつけられた。リーザだけではない。部屋にあったあらゆるものが、その衝撃に耐えられずそこいらに飛び散った。あっという間に室内は目も当てられぬほどの惨状になる。セシルももちろん煽りを受けたが、かろうじて踏みとどまった。どうやら重圧のほとんどはリーザに向けられていたようだ。


 ゾメニパリオンはまだ容赦をしなかった。


 リーザの身体は扉に縫いとめられたまま、まるで身動きができぬ様子だ。歯を食いしばって目に見えぬ束縛から逃れようとあがくものの、それは全く叶いそうになかった。


「な、なんなの。あんた何者!?」

「お前が先ほど言っていただろう。この家の番人気取りの『もの』だ、と。番人を気取っているわけではないが、今のところは甘んじてそれを引き受けてやっている」

「う、嘘よ。ただの『もの』がこんなに力を持ってるわけ……」

「ただの『もの』だ。俺もお前もな」

 リーザが気丈にもゾメニパリオンを睨みつけると、途端にリーザの身体を火花が包んだ。手元のランプや大通りの街灯などとは段違いの明るい光に、セシルは思わず目を細める。

「うああっ!」

 苦痛に歪んだ声が響いた。まだ幼いその悲鳴は、セシルにとっては聞くに堪えない。いくら「この世ならざるもの」とはいえ、その姿はほんの十歳にも満たぬ子供のものなのだ。


「ゾメニパリオン、もういいだろう! 止めてくれ」

 セシルが叫ぶと、まもなく火花が止んだ。リーザは力なくその場に崩れ落ちる。

「ふん、お人よしめ」

 すぐにゾメニパリオンの影も人の形を失っていった。黒いもやがだんだん凝縮され、少女の人形の中へ消えていく。

「さあどうする。去るのか、去らぬのか」

 低いゾメニパリオンの声には、有無を言わさぬ迫力があった。

「……で、出て行く。すぐに、出て行くから……」

 もう止めて、とか細い声が涙に滲んだ。リーザはおぼつかない足取りで立ち上がろうとしたが、うまく力が入らないのか、そのまま再び床に崩れてしまう。セシルは見ていられなくなって、そっとリーザに歩み寄った。手を貸そうと屈んだセシルに、リーザが震える手を差し出す。

 その手を取ってやろうとして――逆に強く、腕を掴まれた。

「!」

 掴まれた右腕に激痛が走った。リーザが掴んだ部分から、まるで亀裂が入ったかのように痛みが広がっていく。見れば、右腕の部分だけ袖がズタズタに切り裂かれていた。後から後から血が滲んでいく。

「なっ……」

「ちゃんと出て行くよ、『あれ』をこっちに渡してくれたらね! もしまた私に何かしようとしたら、その時はこの男を殺すから!」


 リーザの手が這うように動いてセシルの首に絡みついた。――もし今と同じ力を使われたら、今度は首だ、確かにセシルの命はないだろう。セシルは血まみれになった自分の右腕を見下ろし、眉をひそめた。


「全く、愚かな男だな。分かったか? 人がいいのも大概にしないと、こういう目に遭う」

 ゾメニパリオンは落ち着いた声でセシルに説教めいた言葉をかけた。まるでこうなることを予見していたかのようだ。

「どうなの、渡すの? 渡さないの?」

「渡してやってもいい。だが、『あれ』とは何のことか? 俺は見ての通り人形だからよく分からない」

「分からないはずない! この家にあるのは確かなの。あんたも『もの』なら知ってるはずだ!」

「そうか、もしやリアンがいつも持ち歩いている『あれ』のことかな?」

「リアンが持ち歩いてる……? 訳のわからないこと言わないで。絶対にここにある。私には分かる、感じるの」

「落ち着け。そうだな、確かに今日はここにある。リアンの奴も急いでいたから、たまたま忘れて行ったんだ。幸運だったな」

 ゾメニパリオンがせせら笑うようにそう言うと、先ほどの重圧で吹き飛んだ骨董品の山が一つ、派手な音を立てて崩れ落ちた。ぼんやりと青白い光が取り巻いて、小さな瓶が崩れた山から姿を現す。

「これか」

「――それだ! こっちに渡して!」

「ちゃんと受け取れよ」

 小瓶は大きな弧を描いて宙を舞った。リーザはまだセシルの首元に片手を添えたまま、もう片方の自由な手を伸ばし、瓶を奪い取ろうとした。だが。

 後ろからすらりとした白い手が伸びてきて、リーザより先に瓶を掴んだ。はっとして、リーザとセシルが振り返る。自分達のすぐ側に立っていたのは、いつの間に戻ってきていたのか、無表情のリアンであった。


「リアン!」


 セシルが呼んでもリアンはそちらに目を向けなかった。冷たくリーザを見下ろして、小瓶の蓋に手をかける。


「!」


 リーザは飛び上がらんばかりに慄いた。人質にしていたセシルをリアンに押し付けるようにして、一目散に家を飛び出す。その後姿はまもなく闇夜に溶けてしまった。


「……っ」


 セシルは歯を食いしばった。傷ついた腕ごと押されたせいで、右腕に再び痛みが走ったのだ。熱を孕んでじんじんと蠢く痛みが、セシルの腕の感覚を鈍らせた。


「セシル、大丈夫!?」

 リアンが無表情の仮面を脱ぎ捨ててセシルの顔を覗き込んだ。セシルはしっかりと頷く。

「すぐに手当てをしなくちゃ。この時間に開いてる病院ってあったかしら?」

「それより、さっきの『もの』は放っておいていいのか」

「何言ってるの、そんなことよりあんたの怪我の手当てが先でしょう。ほら、上着脱いで。応急手当てだけでもするわよ」

 血に染まった布が腕に貼りつき、上着を脱ぐのに手間がかかる。それでもどうにか脱ぎきると、分かってはいたがその腕はやはり血まみれだった。

「ひどい……」

「おそらく見た目ほど傷は深くない。ただ、一箇所ではなく何箇所も切られてるようだ。そういう意味では、ちょっと面倒だな」

「とりあえず血を拭いて、包帯をきつめに巻くわ」

「頼む。自衛団の本部に戻れば医療班もいるから、後はそっちに任せる」

 リアンは青白い顔で頷き、すぐに用意に取りかかった。


「おい、リアン」


 黙りこんでいたゾメニパリオンが、不意にリアンに声をかける。忙しそうに立ち回っていたリアンは面倒くさそうに振り返った。


「いい加減に腹をくくったらどうだ。『もの』がいる限り、これから何度でもこういうことは起こるんだ。それはもう止められない。引き返せないのだということくらい、お前にも分かっているだろう」

「分かってるわよ」

 リアンは丁寧な仕草でセシルの腕を拭きながら、ぶっきらぼうにそう答えた。

「セシルにしたって今回は腕の怪我で済んだが、普通はああいう『もの』に二度も出くわしていれば、とっくに命は無くなっている。そうだな、きっと三度目こそは危ういだろう」

「……」

 リアンは辛そうにセシルの腕に視線を落とした。ゾメニパリオンは、リアンに現実を突きつけるためにわざとセシルを囮にしたのだ。それが分かったので、セシルは殊勝な様子のリアンに後ろめたさを感じた。


「さっきの、リーザだが。執拗に小瓶を欲していたが、あれは?」

 話を変えようと、セシルは机の上に置き去りにされた小瓶に目をやった。

「なんとなく見たことがある気がするんだが。『白の花嫁』が出た時に、リアンが持っていた瓶じゃないか?」

「よく憶えてるわね」

 リアンは呆れたような感心したような表情を浮かべた。

「そうよ」

 だとしたら、とセシルはじっくり瓶を観察した。女性の手でも片手で包み込めるほどの小さな瓶。半透明なので、中に液体が入っているのが微かに見える。

 リアンは冗談めかして言っていた。この液体を振りまけば、近くにいる『この世ならざるもの』は一瞬にして消えてなくなると――。

 あの話は、本当だったのか。


「だからリーザがどうしても手に入れたがっていたんだな。処分すると言っていた」

「この瓶の存在まで嗅ぎつけてくるなんて、本当に厄介な『もの』だわ」

「……だがリアン、分かっていたんだな。暴走した『もの』を沈める方法」

 「この世ならざるもの」の暴走には途方に暮れていると言っていたから、てっきり何の手立ても見つかっていないのかと思っていた。しかしそうではなかったのだ。

 リアンはぐっと唇を噛みしめた。責めているつもりはなかったのだが、リアンの表情はどう見ても責められているそれだ。


「さっさと使ってしまえばよかったんだ、その瓶を」

 ゾメニパリオンは突き放すように言った。

「あんた、分かってるの。これを使えば、暴走している『もの』だけじゃなく全ての『この世ならざるもの』は消えてしまう。そこにはあんたも含まれてるのよ」

「分かっているさ」

 ゾメニパリオンの声は穏やかですらあった。

「分かっている。――覚悟が必要なのは、俺でも他の誰でもない。おまえ自身だろう、リアン」

 リアンは一層表情を硬くして、黙り込んだ。

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