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ホーテンダリアの眠る夜  作者: 秋月 アスカ
ホーテンダリアの眠る夜
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第二章

 数日後、セシルは駐在所で夜警に出かける準備を整えていた。薄手の外套を手に取り、意味もなくそれをぼうっと眺める。そんな様子を見ていた仲間のハンスが肘でセシルをせっついた。


「おいおい、随分とお疲れのようだな。どうしたんだ、お前らしくもない」

「いや、別に疲れているわけじゃない」

 セシルは我に返り、素早く外套を身にまとった。

「そうか? どうせ昨日飲みすぎたんだろ。ほどほどにしとけよ。いくら若いっつっても、俺らの仕事は結構ハードだからな」

「そんなのじゃない」

「じゃあ彼女とデートってところか?」

「だから……」

「それも違うか。うーん、じゃあなんだ。ジョセフの奴にうるさく付きまとわれてるとか。あいつ、女の子紹介しろって言いまわってるもんな」

「違う」

 そっけなくセシルが返すと、ハンスは少し真面目な表情を作った。

「もし悩み事なら、溜め込んでないで誰かに相談しろよ。一人でどうにかしようとすると、後々厄介なことになるからな。そういうもんだぜ」

 セシルは小さく頷いた。だが、何をどう相談すればいいというのか。分からないから、悩んでいる。


 すっかり日の暮れた街中を一人歩きながら、セシルは様々なことを考えた。「この世ならざるもの」について。ホーテンダリアという街について。魔術師について。


 全ては繋がっているらしい。しかし、ここのところの「もの」の暴走はどうしたことか。リアンでさえ対処のしようがないというのだから、事は思った以上に深刻だ。


 なぜリアンがこれほどまで事態に精通しているのか、それは分からないが、イニシアム=ムンディという魔術師と彼女に何らかの関わりがあるのは間違いない。ムンディは、リアンにあの本以外何も残さなかったのだろうか。最後の魔術師が自らの死後残る幻を生み出そうとしたのなら、万が一のために何かしら残しておくものなのではないかと思う。でなければ無責任だ。しかしリアンは、それらしい「何か」がある様子を見せなかった。途方に暮れているとまで言っていた。


(……途方に暮れている、か)


 リアンに弱音を吐かれることがこれほど恐ろしいことだなんて。男として情けないが、やはり「もの」に関してはリアンに頼り切ってしまっていることをセシルは実感した。「もの」のことは彼女が必ずどうにかしてくれる、そう信じているのは自分だけではあるまい。どころか、この街の誰もがそう考えている。


(とにかく)


 不安に絡め取られていく自身の気持ちを奮い立たせるためにも、セシルは冷静に状況を分析しようとした。


(「もの」がこのところ暴走している。だがそれを沈める方法は、何かあるはずだ)


 やはり、魔術の書を残したムンディが、それ以外に何の用意もしていなかったとは考えにくい。リアンのように、本の意図を理解しそれをきっちり管理する人間が存在しているくらいなのだ。ムンディは死に際、誰かしらに本を託し、己の考えを伝えたはず。百年前にムンディが死んだというなら、少なくともリアンの前に二人は本の管理人がいたはずだ。そうして脈々と受け継がれてきた本――。行き当たりばったりに書いたものならば、こうまで完璧な形で残るはずがない。ムンディはもっとしっかりと本が残された後の未来を考えていたのではないか。それならば、例えリアンが知らなくとも、こうした不測の事態に対処できる「何か」がどこかに残っていると思えるのだが。


 考えに没頭するあまりほとんど夜警の体もなさない夜警を続けていたセシルだったが、人気のない路地を曲がった先に小さな人影が佇んでいるのに気がついて、ようやく意識が現実に引き戻された。


 影の主は、どうやらまだ幼い子供のようだ。それが一人きり、俯きながら立っている。気になったセシルは、その影に近づき優しく声をかけた。


「君、こんな遅い時間にどうしたんだ。ご両親は?」


 セシルの声に振り向いたのは、まだあどけない女の子だった。恐らく六、七歳程度だろう。肩までの茶色い髪の一部をリボンで結び、リボンと同じ色のワンピースを身にまとっている。この辺りではよく見かける感じの子供だった。迷子だろうか。


「お兄さん、誰?」

 子供は泣きそうな声でそう尋ねてきた。

「自衛団の団員だ。怖い人から、君のような街の人を守る仕事をしている」

「そう」

 ほっとした様子で子供は息をついた。

「私、リーザ。お父さんのことを迎えに行こうと思って家を出たの。この道で合ってるのは分かってるんだけど、誰もいないし暗いから、怖くって」

「君一人で出てきたのか」

「うん。だって、お母さんがひどい熱なの。だからお父さんにお仕事から早く帰ってもらって、お母さんを安心させてあげなくちゃ」

 使命を帯びた目でリーザは呟いた。この暗がりの中を一人で出かけるのは、幼い子供にとっては勇気のいることだったろう。

「お母さんにはちゃんと声をかけてきた?」

 ううん、とリーザは気まずそうに首を振る。

「それなら、きっとお母さんが心配してるぞ」

「でも、お父さんを……」

「ここからお父さんの職場までは、どのくらい?」

「たぶん、歩いていったらあと十分くらい。私のお家からは、十五分くらいだけど」

 ここから十分か。子供の足を考えれば、往復で三十分以上はかかるだろう。

「良かったら、お兄さんがお父さんを迎えにいってこようか。場所はどの辺りか、言えるかな」

「やだ。私がお父さんを迎えに行く。そのために頑張って出てきたんだもん」

 リーザはきっぱりと断った。子供特有の頑なさは、ちょっとやそっとで折れたりしない。無理に言うことを聞かせれば、彼女の自尊心を深く傷つけることだろう。母親が気がかりだが、リーザを説得する時間を考えれば……。

「分かった。それならリーザ、お兄さんと一緒にお父さんを迎えに行こう。そうすればリーザも怖くなくていいだろう?」

「……うん」

 嬉しそうにリーザは頷いた。

「それじゃあ、お母さんも待ってるし、早速行こうか」

 セシルが手を差し出すと、素直にリーザが握り返す。子供特有の温かさがセシルに伝わってきた。

「こっちよ」

 駆け出して、リーザがセシルを引っ張った。俄然やる気を出したらしく、疲れも見せずぐいぐいとセシルを誘導する。入り組んだ路地を、迷いもせずに進むリーザ。


「お昼はこの辺りでよく遊ぶんだ。でも、夜来たら全然雰囲気が違ってびっくりしちゃった」

「夜は危ないんだぞ、これからは一人で出歩かないようにな」

「ごめんなさい。でも、今日はお兄さんが来てくれてよかった」


 リーザの進むペースが思ったより速いので、行きは十分もかからず到着するかとセシルは見積もった。……だが。リーザの言った十分を過ぎてもまるで止まる気配はない。リーザは他愛のない話をしながら、まだまだ先へ進むつもりのようだ。


「なあ、リーザ。まだ着かないのか?」

「うん、でももうちょっと」

 気がつけば街の外れへ歩いてきているようだ。何度も路地を曲がったせいで、街に明るいセシルでさえも自分たちの位置を正確に把握しきれなくなっている。


(何かおかしいな)


 セシルは漠然とそう思った。その思いが不意に警戒心へと色を変えて、一気にセシルを駆け巡る。セシルはぴたりと足を止めた。


「どうしたの? お兄さん」

 リーザが不思議そうにセシルを見上げる。その大きな瞳を覗き込んだ途端、セシルはざわりと鳥肌の立つのを感じた。


 繋いでいた手を離す。リーザの手がゆるりと落ちていった。


「お兄さん……」

「君は、誰だ」

「えっ?」

「何者なんだ」

「どうしたの、お兄さん。怖いよ」

「『もの』か?」


 リーザは大きく目を見開いた。しかしそれも一瞬のことで、さっと踵を返すと信じられないほどの勢いで走り去っていった。走りながらもその姿は輪郭を失い、やがて霧が散っていくように消えてしまう。


 ――セシルは、その一連の出来事をただ見守ることしか出来なかった。


 乱暴に骨董屋の扉を開いて、セシルは中に飛び込んだ。突然の闖入者に、ソファで本を読んでいたリアンが唖然とした表情で顔を上げる。


「あ、そういえば鍵かけるの忘れてたわ」

「無用心だぞ」

 のんびりとしたリアンの物言いに、セシルは焦りを抱いたままそんなどうでもいい返事を投げてしまった。

「強盗顔負けの勢いで飛び込んできたあんたに言われたくないわよ」

 リアンは改めて扉に鍵をかけ、セシルに向き直る。

「で、こんな夜更けに何の用?」

「……今、見たこともない『もの』に会った」

「え?」

 セシルは断りもせず手近にあった椅子に腰をかけた。気持ちを落ち着かせるため、被っていた帽子を脱いで前髪をかき上げる。

「小さな女の子の姿をした『もの』だ。母親が熱を出したので、まだ職場にいる父を迎えに行きたいと言って路地裏に佇んでいたんだ」

「それで?」

「夜道は危ないから一緒に行こうと俺が言うと、分かったと言って俺の手を引いて歩き始めた。そのまま連れまわされてたんだ」

「それ、今の話?」

「ああ、ついさっきまで」

 リアンは深刻な顔つきでセシルの側まで歩み寄ってきた。

「色々と話もした。ちゃんと、会話になるんだよ。『白の花嫁』の時みたいにどこかかみ合わない感じじゃなくて、完全に普通の人間と話す感覚だった。繋いだ手も、とても温かくて人間そのものだった、本当に」

「正真正銘の人間だったんじゃない……のよね?」

「違うはずだ。俺の見間違いじゃなければな。お前は『もの』かと聞くと、消えてしまった。文字通り、体が消えたんだ」

「消えた」

「『白の花嫁』の時と似た感覚だったから『もの』だと気がついた。あの時と同じように、人の少ない裏通りを通って郊外まで連れて行かれるところだったんだ」

 リアンの表情は険しさを増している。

「その子に会ったのは、どこ?」

「『人魚の鱗通り』を一本入った裏通りだ。リーザと名乗っていた」

「――私、ちょっと様子を見て来るわ」

「それなら俺も」

「だめ。セシルは一度目をつけられて、それから逃げてきてる。セシルが言うほど知性を持った『もの』なら、あんたが一緒じゃ警戒して出てこないかもしれないわ」


 有無を言わせぬ調子でまくし立てると、リアンは家を飛び出して行った。残されたセシルは呆然と立ち尽くしていたが、突然後ろから声を掛けられ我に返る。


「いよいよ厄介なことになってきたな」


 振り返ると、誰もいなかった。目を引くものといえば、古びた骨董品の山に――そこへ半ば埋もれる形で座らされた美しい少女の人形くらいだ。


「ゾメニパリオンか」


 リアンによって人形に魂を封じ込められた古の悪魔――彼もまた、「この世ならざるもの」だ。


「おいセシル、俺をここから引っぱり出せ」

「その人形からは出られないんじゃなかったのか。俺にどうにかできるわけがない」

「違う。この人形ごと持ち上げろと言っているんだ。こう埃っぽいガラクタ共に囲まれていては息が詰まって仕方がない」

 本当に息が詰まるのかどうかはさておき、セシルは言われたとおり人形を両手で抱え上げてやった。そして比較的整理された机の上へ移動させる。

「やれやれ、あの小娘め。この俺を埃まみれにするとはいい度胸だ」

 安堵の息をついた様子だったが、外見は人形であるために実際はぴくりとも動いていない。


 そういえばこいつもまた「もの」なのだったなと、セシルは不思議な気持ちでゾメニパリオンを見下ろした。「もの」らしくもなくスムーズな会話ができる辺り、先ほどのリーザと通じるところがある。だがこちらは悪魔のくせに、人形に入るときに「邪悪」という単語をすっぽりと落としてきたらしい。こうして対面していても、先ほどのような危機感はまるで生じない。


「ゾメニパリオン、厄介なことになったというのは?」

 ふん、と彼は鼻を鳴らした。

「そのままの意味だ。今お前がリアンに説明した通りの『もの』が本当に現れたのなら、これまでとはレベルが格段に違う。ますますリアンの手に負えないだろう」

「確かに、今まで見たことも聞いたこともないような『もの』だった」

「これでただの少女だったら、お笑い種だが」

「そんなことはない、はずだ。……あの目を見た瞬間に、普通じゃないと感じたんだ」

 ゾメニパリオンは一瞬押し黙った。

「お前もリアンに付き合わされて『もの』と対峙することが多いからな。ある程度は、見極める素質が備わりつつあるのかもしれん。それで、その『もの』はどうだった。邪な感じがしたのか」

 セシルは少し考えてみる。差しあたって生命の危険を感じるような状況ではなかったはずだ。だが。

「うまく説明できないんだが、何か邪悪な感じがした」

「それならなおまずいな」

 またゾメニパリオンは黙り込む。表情というものを持っていれば、きっと難しい顔で考え込んでいるに違いない。

「――おい、セシル」

「なんだ」

「お前、『この世ならざるもの』をどう思う?」


 あまりにも突然の質問に、セシルは虚を突かれたように言葉を失った。

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