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ホーテンダリアの眠る夜  作者: 秋月 アスカ
4.ホーテンダリアと麗しの肖像
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第二章

 街頭の明かりがぼんやりと路地を照らしだし、あちらこちらにまだら模様を作っている。陽気な笑い声を響かせ練り歩く酔っ払い達がいなければ、この通りも随分心細いものになっていたに違いない。


 いつものリアンならばそんな思いにふけることもないのだが、今回ばかりは言いようのない不安に襲われて、つい詮のないことを考えた。

 前を行くセシルの背中は同じ速度で進んでいく。リアンを振り返る気配はまるでなく、その顔に浮かぶ憂鬱な色には気づきそうもない。


 たどり着いたのは、豪華な家々の立ち並ぶ一角だった。この辺りはここ数十年で成り上がった商人達が競って豪邸を建てた地区である。そのため、他と比べてこの一帯の景観は些か悪趣味だ、とリアンなどは常日頃から思っている。


 その中で比較的落ち着い佇まいの屋敷が今回の目的地であると分かって、リアンはひそかに胸を撫で下ろした。節度を持たぬ成金と話を合わせるなど心底嫌気のさす仕事だ。家も家人も少しでも控えめな方がよい。


「ごめんください」


 セシルの低い声が、夜の澄んだ空気によく通った。いくらも経たぬうちに深いグリーンの玄関が開かれる。リアン達がそろそろやって来ると検討をつけていたのだろう。


 扉の向こうに姿を現したのは、思わず目を留めてしまうような美少女だった。セシルとリアンを認めると、ほっと安心したように息をつく。セシルが目深に被った帽子を少し上げて挨拶をすると、そのふっくらとした頬にぱっと朱が差した。


「ああ、セシル様、ようこそいらっしゃいました!」

「夜分に申し訳ありません」

「いいえとんでもない。こちらこそわざわざ足をお運び頂いて申し訳ありませんでした」

 にっこりと惜し気もない笑顔を浮かべ、少女はリアン達を招き入れる。

「今回は、突然の申し出を受け入れて下さり大変助かりました」

「セシル様のお願いでしたら、どんなことでもお受けしますわ。何なりとおっしゃって」

 応接室への道すがら、少女は機嫌よく受け応えをした。セシルしか目に入っていないのかと思いきや、半歩後ろを歩くリアンにもさっと視線を向けて形のよい唇に笑みを浮かべる。

「はじめまして、リアンさん。私ラミエルと申します。リアンさんのご活躍はかねがね伺っておりますわ」

「それはどうも」

「今回リアンさんが我が家にお越しくださって、とても心強く思っているんです。突然姉が亡くなって家族一同呆然としていたところに、例の……『もの』の仕業ではないか、とのお話でしたから。もう私共、どうしたらいいものかと途方に暮れていたところですわ」

「そうでしょうね」

リアンは適当に相槌をうった。

「でも存じませんでした。セシル様とリアン様がお知り合いだったなんて」

「仕事の果ての腐れ縁です」

 そう言ったリアンに、セシルも異存はないようだ。

「まあ、そんなことをおっしゃって」

 コロコロとラミエルは笑った。そうこうするうちに通された応接間には、白布が掛けられたキャンバス地と思しきものが立てられている。これが例の肖像画なのだろう。

「すぐにお茶をお出しします」

「いえ、お構いなく。それより早速こちらを拝見しても?」

 リアンは遮って布に手をかけた。ラミエルはわずかに不満げな表情を浮かべたが、気を取り直して物分かりのよい微笑に切り替え、小首を傾げるようにして頷いた。


 一気に布を引きはがすと、現れたのはなんとも見事な美女の肖像だった。本物の人間が現れたと思わず錯覚してしまうほど生き生きと描かれ、今にも動き出しそうだ。ぱっちりと大きな瞳、ややふっくらとした頬、薔薇の花びらのような唇……。すぐ側に控えているラミエルとよく似ている。間違いなくこの絵の美女は、今は亡きラミエルの姉であろう。


「素晴らしい作品でしょう」

 ラミエルが呟いた。

「『この世ならざるもの』がもたらした恐るべき絵と分かってもなお、その評価は変えられません」

 先程までのはしゃいだ物言いとは違う、深い海のような声だった。

「確かに素晴らしい絵だ。見入っていると、いつの間にか絵の方に見つめられているように感じられて……、正直、怖いな」

 セシルはためらいながらも率直な感想を述べる。それにはリアンも同感だった。人を引き付ける瞳を持った絵の中の美女。確かに何かが宿っているようだ。


 リアンは立て掛けられた絵にそっと指を伸ばした。美女の顔に触れる直前、指先に痺れるような感覚が走る。


「リアン?」

 セシルが訝しんで声をかけた。リアンは答える代わりに、尚も指を伸ばし続ける。抵抗はどんどん強くなり――結局リアンは絵に触れることなく腕を下ろした。


「ラミエルさん、どうもありがとう。お陰でやっと掴めたわ」

「もういいんですの?」

「ええ。お邪魔しました」

 もう絵には目もくれずに、リアンは踵を返していた。迷いもなく部屋を出ていくリアンの後を、戸惑い気味にセシルが追う。

「あれで何がわかった?」

「多分、死の連鎖の原因を追えるわ」

 セシルは絶句した。絵を一瞥したたけでその原因にまで迫れるとは、さすがに信じがたいのだろう。

「それでこれからどうするんだ」

「絵の気配を辿ってみる。ここまで運ばれた道筋をそのまま上っていけば、絵の出所もわかるかも」

 ちらり、とリアンはセシルに意地の悪い笑みを見せた。

「いいわよ別に、ついてきてくれなくても。せっかくだしお嬢さんとお茶でもご一緒してきたら?」

 そしてそっと後ろを振り返ると、ラミエルが名残惜しそうにこちらの様子を窺っているのが目に入った。

「嫌味な奴」

「あら、失礼」

 屋敷を出ると、少し肌寒い風が二人の髪をすくって行った。


 結局リアン達は一度骨董屋に立ち寄り、人形のゾメニを拾って再び街中へと舞い戻った。リアンに無造作に抱え込まれたゾメニは、始めこそその扱いに不平を漏らしていたものの、なんだかんだで外へ出られたことに喜んでいるようだ。


「全く、絵一枚にてこずるとは情けない者どもだ」

「黙って。外ではむやみに話さないでって言ってるでしょ」

 リアンにぴしゃりとはねつけられて、ゾメニはどことなく不機嫌そうに口をつぐんだ。

「方角はこっちであってるの? その質問にだけ答えて」

「……あっている」

 ふて腐れたようなゾメニの返答。セシルはそんな二人のやり取りを、気味悪そうに見つめている。

「本当にこいつの言うことは信用できるのか」

「なんだと!」

 すかさずゾメニは声を張り上げた。

「力の及ばぬ貴様らでは絵の気配を辿れないというから、わざわざ力を貸してやっているのでないか! それを信用ならぬとは何事だ!」

「静かにってば」

 リアンは苛立った様子でゾメニの頭を軽くはたいた。

「暴力反対!」

「……リアン」

「まあ、こいつの言う通りよ。あの絵は『この世ならざるもの』が生み出した『もの』の欠片だってことは分かってるの。でもその本体がどこにあるのか、そこまでは分からない。ゾメニならそれをはっきり感じとることができるみたいだから」

 ふん、とゾメニは鼻を鳴らした。

「分かったか、この役立たずめ」

 しかしセシルは全く取り合わず、高い夜空を見上げてため息をついた。


 右、左、左、右……。実際ゾメニは迷いもなくリアンたちを導いていく。細い裏路地を縫うようにして歩き、窓から漏れる家々の明かりをいくつも通り過ぎて。やがて三人は河川沿いの小道に続く階段を下りていった。この辺りの川には下水も入り混じっているため、あまり人は近寄らない。


 しかしそんな河川沿いにも、家はある。


 清々しい風の吹き抜ける日当たりのよい土地に金持ちが住むのなら、そして、後ろめたい過去を覆い隠すためまやかしの寄せ集まる土地にならず者が住むのなら、そのどちらにも属さぬ者は、そのどちらでもない場所に身を置くほかに道はない。


 ここにはそういった者達が住まうあばら家が、数えられる程度に点在していた。

 人の気配のある家もあれば、あきらかに無人の家――完全な廃屋もあるようだ。


 その中に一軒、窓から煌々と明かりの漏れる家がある。外観は、隙間風のひどそうな、いかにもほったて小屋という表現の似合う家だった。窓に映る人影。中に誰かがいるようだ。


 リアンはその影をじっと凝視し続けた。


 向こうは気づいていない。家の外に見知らぬ少女と青年がいて、己を穴が開くほど見つめているという事実に、全くもって気づいていない。まるであの薄い壁の向こうとこちらでは、世界が違うというように――。


「リアン、どうした」

 その場に立ちつくしたリアンをせっつくようにセシルが問いかけた。リアンの視線の先にあるのは、何の変哲もないあばら家とその住人だけである。だが次の瞬間にはセシルも気づいたようだった。その住人が、キャンバスに向かって絵を描いているということに。


「あれは、女性の肖像画だ」


 確認するようにセシルが口を開いた。リアンは応えを返さない。代わりに厳しい表情でぐっと唇を噛みしめると、地を蹴って家へと駆け寄った。

 大きな窓のすぐ側までやってきても、住人がリアンの方を振り返ることはなかった。五十を越えた程度の痩身の男性だ。白髪の入り混じった髪に、顎髭。絵筆を持つ手は骨が浮き出て岩肌のようにも見える。その手は動きを止めず、ひたすらキャンバスの上を駆け回っていた。

 彼が描く肖像画――それはまもなく完成を迎えるであろう、美しい少女のものだった。今にもリアンと目を合わせてにっこりと微笑みそうなほどに生き生きとしている。特に目を引くのは、大きな瞳にややふっくらとした明るい色の頬だった。


「……ラミエル嬢だ……」


 いつの間にかリアンの後ろまで来ていたセシルが、愕然とした声で呟いた。


 そう、そこに描かれていたのは、今しがた言葉を交わしたばかりの少女、ラミエルだった。「この世ならざるもの」によって姉の命を奪われ、ほのかな想いをセシルに寄せる、あの美しい娘。


「リアン、おい、これはどういうことだよ。何が起こってるんだ?」

 セシルはリアンの肩を強く揺さぶった。

「……こういうことよ。窓の向こうにいるあの男こそが、『この世ならざるもの』。何らかの目的があって美しい娘の肖像を描き続けている。絵が完成すれば、モデルとなった娘は死に――その絵が家族の下に届けられる」

 リアンは険しい視線をぴったりと絵に貼り付けたままだった。

「あの絵、もう完成するぞ」

「……そうね」

「あそこに描かれているのが誰か、お前も気づいているだろう」

「気づいてるわ」

「どうすれば、『もの』を止められる」

 初めてリアンの顔が泣きそうなほどに歪んだ。

「……分からないわ。どうすれば止められるのか、私にも分からない」

 セシルはそのリアンの表情に、一瞬動きを止めた。だがすぐに気を取り直した様子で窓に近づき、割れんばかりに激しく叩く。五件隣で眠る赤子でさえ目を覚ましそうな大きな音の中、しかし当の住人たる男――「もの」がリアン達の方に顔を向けることはなかった。


「くそっ」

 セシルは玄関に回り、扉のノブを引っつかむ。鍵がかかっているのか、いくら回そうとしても鈍い音がはね返るばかりで一向に埒が明かない。扉に体当たりを仕掛けてもやはり無駄だった。大人の男が渾身の力を込めて扉にぶつかっても、このあばら家はびくともしないのだ。

「無駄だ。この『もの』は今までお前達が接してきた『もの』とは違い、外部からの接触を全く受け付けようとしない。夜は『この世ならざるもの』の時間。今は何をやっても、あれを押さえつけることはできまい。夜が明けてからなら建物の中にも踏み込めるだろう。その時なら絵を回収することもできるかもしれん」

 黙っていたゾメニが口を開いた。

「夜明けなんて待っていられるか。今晩のうちに、きっとあの絵は完成する。そうしたらラミエル嬢は死んでしまうんだぞ。――リアン、本当に方法はないのか」

 リアンは激しく首を振った。

「ごめんなさい……。本当に、何も思いつかないの」

「リアン!」

「その娘を責めてやるな。こればかりはどうしようもないのだ。運命だったと諦めるしかない。もはやあの絵の娘を救うことはできぬ」

 ゾメニの無機質な声が響き渡る。


 ラミエルを救うことはできない――リアンはもう一度胸の中でその言葉を呟いて、強く瞳を閉じた。

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