◆94.思い出はTKG
過去に想いを馳せた二人は、そのまま身体を寄せ合って暖を取りながら外の景色を眺めていた。
その間、特にこれといった会話はなかったけれど、今更無言になった程度でぎこちなさや気まずさを感じる関係ではない二人。
時折「この雨はいつまで続くんだろうね」とか「皆が心配しておりますわね、きっと」なんて会話を挟みながら、静かに天候が落ち着くのを待っている。
しばらくして雨も雷も止んだ頃、空に浮かんだ真っ赤な太陽は、その姿をすっかり水平線に隠そうとしていた。
「雷も雨も止んだけど、まだ風が強くて海が荒れてるな……。これじゃ泳いで帰るのは難しいかもしれないね」
「大丈夫ですわ! こんな事もあろうかと、この島に自生している食べられる植物は把握しておりますし、火を焚く方法も勉強済みですから一晩くらいなら過ごせますわよ!」
「……君って本当にたくましいよね……」
ぷくく、と笑う知玲の表情には、もう切なさも野獣めいた色も残っておらず、ただ微笑みながら隣でそんな事を言っている幼馴染を優しく見守っている。
「毎年必ず来られる訳ではありませんけれど、この無人島の探索はわたくしのライフワークですし、どんな状況にあっても自分の身を護れるのは自分だけなのですもの、その程度の準備はしておりますわよ」
「そうだね、僕は初めてここに来た訳だし、この島での事に関しては君に頼るしかないかな。差し当たって、ここにいたら、万が一救助に来てくれた人がいたら気が付かないかもしれないから移動しようか」
「そうですわね。浜辺で焚火をするのがベストな判断だと思いますわ。暖も取れますし、魚を獲れば食糧にもなりますもの!」
そうして二人は洞窟から抜け出し、不安もあったのか、手を繋いで浜辺を目指す。
道中で妃沙が「あ、あの果物は美味しい上に栄養価が高いのですわ!」とか「このキノコは良い出汁になりますのよ!」とか言いながら食料を調達している。
ついさっきまで前世に想いを馳せ、シリアスな雰囲気だったにも関わらず通常営業に戻るスピードには目を見張るものがある。
だが知玲も、初めての場所に突然に取り残されてしまった不安をあまり感じずにいる事が出来ているのは、妃沙のそうした態度のお陰なのも間違いがないので、この状況においては妃沙の鈍チンは良い具合に作用しているらしい。
「何? お腹でも空いたの? こんな時でも花より団子って……ホント、さすが妃沙だね」
楽しそうに微笑みながら妃沙の額にチュ、とキスを落とす知玲の表情にも危機感はまるで感じさせない爽やかなものだ。
どうやら二人はシリアスな雰囲気で過去に立ち戻った結果、何かを掴み取ったようである。
「腹が減っては戦は出来ぬと申しますし、もしこれから泳いで帰ることになるのならば何か食べませんとね。わたくしは大丈夫ですけれど……知玲様に無理をさせる訳には参りませんもの」
「アハハ! 君って本当に格好良いよねぇ……。君がそんなだから、僕はいつまでたってもヒーローになりきれないんだな、きっと」
苦笑めいた表情で……それでも楽しそうに微笑む知玲の様子に、妃沙も何処か安心した様子である。
実は前回、ここを訪れた時に一人でキャンプでもしようかと謀り、船を使って持ち込んだ道具がこの島には隠されている。
そのキャンプは関係者によって全力で止められ、島に迎えに来た人々によって強制送還されてしまったけれど、その時に持ち込んだ荷物は今でもこの島にある筈だ。
「鍋、飯盒、食器にお玉なんかは持ち込んであるのでご心配なさらず。後は食材の調達が出来れば、しばらくはこの島で暮らせるくらいの用意はございますのよ!」
ドヤ顔でそう語る妃沙。
楽しそうな彼女の表情を見るにつけ、知玲の心には恋心が募って行く。
「……それじゃ、この島でしばらく二人で暮らす? 僕は全然構わないよ」
「何を仰いますの。家族に心配をかけてはいけませんわ。生き延びる為の努力はいくらでもしますけれど、ここに住む気は一ミリもありませんからね?」
そう言いながらも、テキパキと準備を進める彼女の様子に、何だか新婚みたいだな、と知玲は笑みを隠す事が出来ない。
前世から彼はあまり家事が得意な人間ではなかったので、整理整頓や最低限の掃除は自分の部屋のみで、朝食と夕飯は母親に、昼食は龍之介に頼り切っていたから料理の一つも出来ないのは事実なのだ。
だが、そんな自分を恥じたことはあまりなく、前世ではいずれ勉強しようと思っていたし、今世ではその必要性も少なく、将来、妃沙と結婚したら最低限の手伝いくらいは出来るようにしておこうという心構えがある程度だ。
なお、結婚相手については妃沙固定であり、その他の存在については考えたこともないあたりが知玲らしいといえば知玲らしい。
「飯盒はあってもさすがにお米の用意はございませんし、今日は野菜のごった煮で凌いで頂けますか? 足りない分の栄養素は明日補給して頂くとして……」
調味料も殆どないので海水から取った塩がメインの薄味になりそうだがフルーツもあるから我慢しろと言いながら何やらキノコを食べ易くちぎったり簡易コンロの替わりの焚火の用意をしたりと忙しく動き回る妃沙。
「……ホント、新婚みたい……」
「なんですって?」
「いや、僕も手伝うから指示してよ。こういうのはあまり慣れてないんだ」
肩を竦めながら、それでも楽しそうに妃沙の隣に立ち、その豊富で繊細な作業に長けた魔力を使い、火を焚いたり水を用意したりと動き出す。
中でも妃沙が舌を巻いたのは『気』の魔力の便利さだ。
その属性を使えるのは、この世界でも一握りとされているそれは、冷気、熱気などといった、料理に使えたり、滞在環境を快適にするのにとても便利であった。
今も、冷気を使って西瓜に似た果物を冷やしたり、自分達の周囲にそれを放って熱射病対策をしてくれたりしている。
聞けば、『覇気』を纏って相手を圧倒したり、『気配』を軽減させる事が出来たりとチート過ぎる効果があるようなので、この属性を持つ魔法使いが一握りだというのは幸いだな、と妃沙は思う。
そして、知玲のように清廉潔白な人物が持たないと危険極まりないな、と改めて実感するのである。
「魔法とは、本当に便利な力ですわよねぇ……。こんな事態に陥っても快適な空間を創造することに一役買ってくれるのですもの。わたくし、ますますこの力について研鑽を積みたいと思いましたわ!」
知玲の操る魔法に見惚れながら、鍋の中にキノコやら自生していた食べられる草だとかを放り込み、これまた知玲が魔法で取り出した塩やら、自生していた豆に知玲が何やら細工をして出来あがった麹っぽいものやらを加えて調理を進めている。
途中、少しだけ味見をした所ではなかなかに良い出来に仕上がっているようだ。
知玲様も味見して下さいまし、と、お玉に即席鍋物を少し入れ、知玲の口に近付けてやる。
すると知玲は、お玉を握る妃沙の白い手をそっと握って美味しそうにその中身を咀嚼した。
「……おいし。君が食べさせてくれたから余計に、かな?」
「この事態に余裕ですわね。でも、そういう気持ちでいて下さるとわたくしも気が楽ですわ。それでは、簡素ではありますが食事をしつつ、今後の相談でも致しましょう」
妃沙が持ち込んだ食器に簡易汁をよそい、浜辺に焚火を切らさないようにしながら、知玲と妃沙は旧くからの礼義作法に則り「「頂きます」」と両手を合わせて食材に感謝を捧げながら食事を開始した。
「……ヤバ。メチャクチャ美味しいね、これ……!」
珍しく言葉を乱して感動を表わす知玲に、妃沙も満足気な笑みで応える。
「即席にしては充分なものに仕上がりましたわね。知玲様の魔法のお陰ですわ!」
小振りなその顔に咲いた満開の笑顔に、知玲も釣られて笑顔になる。
危機的な状況だというのに、二人の心はとても満たされていた。
「……ホント、君がいてくれればここから帰れなくても満足かもなぁ……」
「ええ、わたくしも楽しいですけれど、それでも衣服は必要だと思いますのよ……」
妃沙の呟きにハッとなった知玲が、自分の衣服と妃沙の格好を改めて確認し……
「南無阿弥陀仏」
思わず仏様に帰依する言葉を発し、雑念を取り払おうと試みたのであった。
───◇──◆──◆──◇───
「あー! お腹が満たされるとなんだか気持ちも落ち着くね」
そんな事を言いながら伸びをした知玲が、満面の笑顔を称えて楽しそうにそんな事を言っている。
今、二人は浜辺に少し大き目に焚いた焚火の前に並んで座り、手を重ね合わせながら空に輝く星を見上げている。
突発的な豪雨が去ったとは言え海は未だ荒れており、もしかしたら来るかもしれない助けを待つ為に目立つように座ってはいても、その期待は半々といったところか。
だが、妃沙も知玲も危機感は全くなく、それどころかどこかワクワクした気持ちになっているのは奇しくも同じであった。
「知玲様が危機感を抱いて大騒ぎする方でなくて本当に良かったですわ。わたくし、そういう人物の対応には慣れておりませんのよ……」
「君こそ落ち着き過ぎじゃない? 慌てる妃沙を抱き締めて落ち着かせるなんてシチュエーションに少しだけ憧れてたんだけど……まぁそんなの僕が好きな妃沙じゃないよね」
「わたくしが慌てふためいては納まる物も納まりませんでしょう!?」
そうだね、と楽しそうに笑いながらキュ、と妃沙の手を握れば、彼女の手も握り返してくれる。
こんな非日常にテンションが上がっているのは自分だけではないようだと知玲がほくそ笑んでいると、相変わらずリラックスして楽しそうな表情を浮かべた妃沙が空を見上げて呟くようにして言った。
「性別など関係ないのだとつくづく思いますわ。特にこの世界では魔法の力を持っていることで、幸いにも性別は違えても落差を感じずに済んでおりますし、
わたくしが女子に身をやつしてもあまり違和感を感じずにいられるのは、魔法の力のお陰なのですわ」
それに、と呟いた妃沙は空を見上げていたその瞳を知玲に移す。
「この世界にやって来た初日に知玲様と再会出来た事は、わたくしにとって本当に幸運だったな、と思うのです。
あの日、知玲様にこの世界の事を教えて頂かなかったら、わたくしはきっと今よりずっとへっぽこな存在になってしまっていただろう自覚はあるのですわ」
へっぽこって、と、知玲がプ、と吹き出すけれど、妃沙は大真面目のようだ。
妃沙は、訳も解らず、性別も言葉も違う自分になってしまったことに対して早々に対応出来たのは知玲のおかげなのだと、正しく理解している。
そして、守ると決めた相手が側にいるからこそ順応しようと思ったし、守護対象である相手に格好悪い所を見せたくなくて、更なる努力を重ねる事も出来たのだ。
そこに宿る気持ちについては……深く考えないようにしているけれど。
「貴方とわたくしの立場が逆だったら。もしわたくしの方が先に生まれ、必ず出会えるという約束があったとしても、赤ん坊として生まれ不自由な時間を過ごし、ただその奇跡を信じて相手を待つなんて事が出来たかどうか……甚だ疑問ですわね。わたくしは貴方よりずっと短気ですし」
「いやぁ……たぶん無理だよねぇ……。そう考えると、あの『女神様』の判断は正しかったってことなのかな……まぁ、僕も君のいない時間はとても辛かったけど、不思議と信じていられたんだ」
無理と断定された妃沙がむぅ、とく唇を尖らせて黙り込んでしまったので、今度は知玲があの頃の事を語り出す。
知玲にとって、龍之介がこの世界で覚醒するまでの五年間は永遠に続くんじゃないかという不安と、早く龍之介に逢いたいという焦燥と、どんな姿でこの世界にやって来るんだろうという期待でグチャグチャになっていた、今でもあまり思い出したくない程に黒かったあの時代。
だが逆に、妃沙と出会ってからの方が弱い自分を突き付けられ、暗黒面に突き落される方が多いのも自覚しているのだ。
それはきっと……強くなりたいという自分と、どうしても妃沙に甘えてしまう自分とのバランスが後者に傾いているからに他ならないなと、改めて自分を律する知玲。
「僕にとって君は永遠のヒーローで、アメコミのヒーローなんかよりずっと優しくて格好良くて……僕の側にいてくれて、どんな時も僕を守ってくれてた人だからさ。
でもずっと、守られるだけじゃなくて僕だって君を守りたいって思っていたんだよ。この世界でならその願いも叶うかなって思ってたけど……僕はいつまでたっても君に守られてばかりだ。
……でもさ、情けないな、と思う自分と、それが僕の特権だなって嬉しく思う自分もいるんだ。僕は、東條 知玲だ、でも『夕季』の精神を宿した人間で……君を想う、一人の男だね、今は」
そう告げた知玲の手を、キュ、と妃沙が握る。
その行動は、珍しく妃沙にとっては無意識下での行動だったのだけれど……そうする事で知玲の言葉が止まるのを理解してのことのようである。
妃沙は、彼の口から自虐的な言葉も、夕季はもういないのだと認識させられることも止めたかったようだ。
「自分が認識している名前、性別、性格……それらと全く違う者として認識されることに慣れるのは……時間も必要ですし、慣れた今でも少し怖いですわ。
けれど今は『水無瀬 妃沙』という存在の方が、世の為人の為に役に立てると思っておりますし、魔法の力を駆使すれば大切な人を護る事も、前世よりずっと容易い環境ですわよね。
そんな自分に慣れてしまう事に……本当は少しだけ、躊躇いもございますのよ」
フフ、と微笑む妃沙の表情は晴れやかだ。
ピクリと動く片眉も……今ではもう『妃沙』のそれだな、と、知玲は少しだけ影の薄くなって行く『龍之介』に対する恋情が消えない様にと、自分の心の中にしっかりと抱き込む。
『龍之介』を知るのは、この世界では自分だけなのだ、しっかりしろ、と鼓舞する自分の中に、『妃沙』を求める『知玲』も確かに感じてはいるのだけれど。
彼女はきっと、自分の存在を龍之介なのだとも妃沙なのだとも断じたくはないのだろう、という複雑な気持ちも理解出来たし……それを理解出来るのは自分だけだという事も理解していたから。
「ねぇ、知玲様。今宵も月が夜空に美しく浮かんでおりますわね。いつか見た満月とは程遠い三日月ですけれど……その分、星達が輝いて見えますわ」
囁くように告げた、妃沙の言葉。
そうだね、と呟いて空を見上げる知玲の瞳にも、当然のことながら妃沙が見ている星たちの輝きが映り込んでいる。
けれど、二人の美しい瞳に落ちたその輝きは、網膜を覆う涙を反射してキラキラと輝いており、実際のそれより美しかったのである。
「……ねぇ、妃沙。幸せになろうね、今度こそ」
「……ええ、知玲様。絶対に」
手を握り合い、空を見上げる二人の姿は、一枚の宗教画のように美しかったのであった。
「……帰ったら真っ先にお米が食べたいですわ……」
そんな残念な呟きに、ガクーッと肩を落とす少年の姿さえなければ。
「……花より団子もいい加減にしようよ、妃沙……。今までのシリアスな流れが台無しだよ!」
「何を言うのです!? 白米こそエネルギーの源ではありませんか! こうなると解っていたら俵を背負って遠泳して参りましたのに! 飯盒で炊いた白米の美味しさを再認識する絶好のチャンスでしたのに!!」
「確かに白米は美味しいし僕達の生活に欠かせないものだけど、今言うことじゃないだろう!? いつから食いしん坊キャラになったの!? そんなに食べられないくせに!!」
「胃の容量が少ないからこそ、美味しい物を堪能したいのではありませんか! わたくし、塩だけで白米を堪能出来る能力だけは前世から引き継いでおりますのよ!」
ギャーギャーと言い合う二人の視界に、星よりずっと眩い光を携えた船影が映り込んで来たのはこれから約一時間後のことである。
その間、白米に合うおかずについて、知玲は卵をずっと推し続け、妃沙は塩と海苔推しがとんでもない熱量を以て展開されており、その討論は二人の絆にすら影を落としそうな勢いだったのだけれど。
「良いですわ、陸地に戻ったら、焚きたての白米に生卵を落とし、そこに少量の塩を振って海苔で巻いて食べてみようではありませんか!」
……という妃沙の提案を実行した結果、『最良』のメシトモをみつけるに至ったという……なんとも残念な夏の思い出なのであった。
◆今日の龍之介さん◆
龍「塩と海苔は絶対に譲れねェ! 海苔つってもアレだぞ、佃煮も味付け海苔も、ついでに言ったらあおさもアリ寄りのアリだからな!」
知「卵だって生だけじゃない! 目玉焼きに炒り卵、味付けによっては出汁巻き卵だって立派なおかずだし、チャーハンだって卵がなきゃ成立しないだろう!?」
龍「……お前がここまで強情だとはな……」(舌打ち)
知「君こそ……だけど僕にだって譲れないものがあるんだ」(鋭い視線)
その他大勢『……心底どーでもいいわッ!!』




