◆89.愛と真実の抜け忍
「だーかーらぁぁーー!! アタシと大輔は何も変わらないって!」
「またまたァー! 大輔君から聞いてるよ? 正式に付き合うことになったって」
「だから何だよ!? アタシはアタシだし大輔は大輔だろ! 変わらずにいようなって決めたし……その、二人でいる時、以外は……」
ゴニョゴニョと言い辛そうに、葵にしてはとても珍しく小さな声で呟く姿に、充はニヤニヤしっぱなしだし、妃沙はなんだか複雑な気分だ。
あの祭の後、葵からはLIMEや電話などいう方法ではなく、直接、妃沙の目を見て「大輔と付き合うことになった」という報告を受けており、照れながらも幸せそうな葵に涙すら流して祝福はしたけれど、やはり面白くないものは面白くない。
葵の一番の理解者は自分だなんて奢るつもりはないけれど、自分の知らない葵の表情を大輔が知っているというのは、妃沙的にはかなり面白くないのだ。
「……ねぇ、葵、その……大輔様とのことは祝福はしておりますけれど、それはそれとして、やはり我が家に嫁入りなさいません?
わたくし、料理はそれなりに出来ますし、掃除も洗濯も嗜んでおりますから苦労はさせませんわよ……?」
寂しそうに眉を顰めて葵の服の袖をクイッと握り、上目遣いで自分を見上げる美少女の破壊力は性別関係なく人類に「おっふ」と呟かせるのには充分であるらしい。
ましてや葵は重度の妃沙信者だ。
その意味合いは違えど、今や知玲とタメを張るくらいに妃沙好き病が進行している彼女には、妃沙の攻撃はクリティカルヒットであった。
「馬鹿、妃沙……! それならお前がアタシの嫁だろーが! 変わらないって……言ったじゃん。
報告した時にも言ったけど、大輔と付き合う事で妃沙との関係が変わっちまうならアタシは大輔の事は忘れるし、それで妃沙が遠慮してアタシから離れるって言っても同様だ。
妃沙、アタシはお前が大切だから。誰よりも……大切だから」
信じて、と囁いて妃沙を抱き締める葵と。
そんな男前な言葉に何も言う事が出来ず、涙を浮かべながら葵の腕の中に納まる妃沙。
今日、葵の恋人たる大輔は野球部のミーティングで席を外していた為にこんな光景を見なくて済んで良かったな、と、充はジト目で二人の美少女を眺めていた。
「……まったく。君達の友情には付け入る隙がないよねぇ。美子にそんな子がいたら、ボクも対処に困りそうだな……」
しょうがないなぁ、といった様子でクスクスと笑いながらそんな事を言っている充。
なお、今日は各々が弁当を持って来ており、おかず交換をしながら昼食を楽しんだ後の一場面だ。
当然、教室内に人は多く、それでなくても目立つ彼らの言動に注目する生徒は多かったので、特に妃沙と葵が抱き合うシーンでは女子達のキャッという声やシャッター音などが響いていたが、彼らにとってはBGMでしかない。
妃沙としては、初等部からずっとこんな風に自分に惜しみない愛情を注いでくれるのは葵だけだなんて思っていたのだけれど……知玲にはご愁傷様、と言うより他ない。
「でも真面目な話、それは大輔にもちゃんと言ってある。もし大輔と妃沙が同時にピンチに陥ってたら、アタシは妃沙を助けに行くって。
大輔もそれでこそアタシだって言ってくれたし……妃沙、昔からお前の周囲にはトラブルが絶えなかっただろ? なんか面倒臭いのも現れたしアタシも迷いも晴れたから、これからは全力で妃沙の側にいるよ」
妃沙はアタシが守る、と、抱き締めた腕にキュッと力がこもるのを、妃沙は幸せな気持ちで受け止めていた。
本当は……少しだけ、葵と大輔の関係が変わったことで、自分と葵の関係にも変化が生じるんじゃないかとか、遠慮をするようになってしまったらどうしよう、なんて考えていたのだ。
けれど、蓋を開けてみれば遠慮なんてものはどこにも現れていない上に、葵からは以前より深い愛情を感じ取れる程だ。
そしてまた、自分を守ると語る彼女はとても格好良く見えて、妃沙の心臓はさっきからドキドキしっぱなしなのである。
「葵……わたくし、どうやら貴女に対する自分の気持ちを見誤っていたようですわ。さっきから胸のドキドキが止まりませんし、もしやこれは……」
「イヤ違うからね妃沙ちゃん!? 確かにさっきの葵ちゃんは本当に格好良かったしボクですらドキドキしちゃう程だったけど違うからね!?」
これ以上話をややこしくするの止めて、と、抱き合う麗しの『鳳上のアリストロメリア』を引き剥がす充。
だがその片方の紅い髪の美少女は、男らしくフッと微笑んで言った。
「大輔と妃沙、二人くらいアタシがまとめて面倒見てやらァ! だから妃沙、何も気にしないでアタシを頼れよ!」
ついでに充、お前もな! と、ニカッと笑う美少女に思わずポッと頬を染めてしまうのは仕方がないと思ってあげて頂きたい。
遥 葵、彼女は正しく今の自分の幸せがあるのはこの親友たちのおかげだと理解しており、そしてまた、彼らが幸せでなければ自分も幸せではないと深く実感していたのである。
元々が歌劇団のスターめいた麗人風の美貌を誇る葵の、そんな決意に裏打ちされた清々しいまでの漢らしさに抵抗するには、妃沙も充も未だ経験不足と言えた。
「葵ッ! 格好良すぎますわ……ッ!」
「葵ちゃんッ! その漢気、少しで良いから僕に分けてッ!」
何言ってんだよ二人ともーと照れたように言いながら、葵もまんざらではない様子だ。
彼女にとってはこれは紛うことなき『地』であり、大輔の前で女子っぽくなってしまう自分より、こうして漢気を発揮している自分の方がより『らしい』と認識しているのだ。
可愛いとか言われて女扱いされるより──もっとも、そんな物好きはきっと大輔だけに違いないが──こうして格好良いと言われて抱き付かれている方が気も楽なのであった。
だが、そんな幸せな一団に、遠慮がちに声がかかる。
「水無瀬さん、お呼びだよー」
クラスメイトからの声に、妃沙、葵、充が一斉に教室の入り口に目を向け、ハッと息を飲む。
──やたらとガタイの良い柔道部の部長が、そこに立っていたのである。
───◇──◆──◆──◇───
そしてその日の放課後、妃沙は葵にしっかりと片手を握られた状態で、体育館の裏にある狭いスペースで大男──長江 誠十郎と対峙していた。
なお、彼のフルネームについては先日の会議で理事長が言っていたので覚えていたし、その際に語られたどうやら忍者の末裔であるらしい、という観点から妃沙的には主に興味的な意味で接触を図りたい人物の一人だったので、
「放課後、少し時間をくれないか。おまえと話がしたい」
と言われ、二つ返事で了承してしまったのだ。
充は仕事があるらしく同席出来ない事をとても気にしていたのだが、葵が「アタシがいるから大丈夫」と頼もしく引き受けてくれ、長江もそれを了承し今に至る。
正直、興味はあってもあらゆる人々から「あいつとは絶対に二人きりになってはいけない」と言い聞かせられていたので、妃沙としても最も信頼している葵が同席してくれるなら安心であった。
だが、護衛を引き受けた葵は今、虎のような危機感を全身に漲らせて相手を威嚇しており、触れたらピリッと静電気めいたものが全身に走るのではないかというくらいピリピリしていた。
ガタイの良い危険人物との対峙だ、葵の反応の方が普通で、今でも葵の隣で無駄に良い身体をしてるよなーとか、どうやったらあんなに筋肉を盛れるんだろうとか、良く見りゃ時代劇に居そうな俳優面じゃん、カッケーじゃんなんて残念な思考を脳内で垂れ流している何処かの残念系主人公の方がおかしいのである。
「話って何? 知ってると思うけど、アンタ、危険物認定されてるから。妃沙に危害を加えるなら承知しないよ」
「……どんな危険人物だと思われてるんだ、俺は……。頼むから少し警戒を解いてくれないか。本当に水無瀬と話がしたいだけなんだ」
困ったように眉を下げて苦笑する彼の表情はとても男子高校生らしく見え、妃沙的には『弟分』な彼のその姿に、あっと言う間に元々なかった警戒心を解き放つ。
……いや、元々ないのだから解き放つ、という表現は可笑しいかもしれないが、フ、と柔らかい雰囲気を纏い、葵を安心させようとポンポン、と優しく葵の腕を叩くまでの余裕を見せているのである。
「葵、大丈夫ですわ。見た所、良識をお持ちの方なようですし、少なくともあの可愛らしい方よりは冷静にお話が出来るような気がしますわ。
長江先輩、お話をお伺い致します。こちらも手出しは致しませんし、わたくしにお尋ねになりたいことがおありなら何なりと尋いて下さいな。この水無瀬 妃沙、逃げも隠れも致しませんわ!」
ニヤリと微笑んで大男に立ち向かう様は凛々しいというよりは悪役令嬢のそれである。
だが、妃沙自身もその場にいた誰も悪役令嬢のなんたるかは理解していなかったので、誤ったイメージを抱かれる事を回避出来た、我らが幸せな主人公は不敵な微笑みはそのままに、言った。
「闇から飛び出た抜け忍の貴方を保護することくらい、わたくしにとっては朝飯前ですわッ! 安心してこのわたくしに全てをお任せ下さいましッ!」
格好良くビシッと長江を指さしてそんな事を言い放つ妃沙だけれど。
言われた長江も隣の葵にもまるでその意味は伝わっておらず、ただポカーン、とするのみである。
当たり前だ、忍者という存在こそこの世界でも認識されているけれど、抜け忍だの何だのという言葉は浸透していないし、まかり間違って浸透していたとしても長江は抜け忍などでは決してないのだ。
だが、愛する時代劇のヒーローになり切っている妃沙は、そんな微妙な雰囲気にもお構いなしでグッと長江の手を両手で握って言った。
「一度、お話したいと思っていたのです、長江先輩。貴家の歴史には興味が尽きないのですわッ! いつかその、脈々と語り継がれた歴史についてご教示頂きたいと思っていたのです!」
上目遣いで自分を見上げる美少女の破壊力に、さすがの長江も一瞬だけウッと息を飲むのだけれど、その時間はミクロレベルであったので、その場にいた妃沙にも葵にも認識出来ない程度のものであった。
再び無表情に戻り、妃沙を優しく突き放した長江は、照れ隠しのようにも見える顰め面を妃沙に向けて言った。
「お前が愛らしいのは認める。だが俺には心に決めた女がいる。正直、自分でも信じられないくらいに彼女に……萌菜に惚れ込んでいるんだ、俺は」
眉を顰めてグッと拳を握る長江に、妃沙も葵も何も言う事が出来ない。
その姿は悲壮感に満ちていて、恋に……というよりは未知なる自分の感情と闘うその様子は、葵にとってはつい最近までの自分の姿を重ね合わせてしまうものであったし、
妃沙にとっては任務と個人の感情の間で揺れる抜け忍の姿そのままであったので、人知れず萌えていたのだった。本当に残念ながら、妃沙の時代劇好きは相当に根深いようである。
「一目で心を奪われて、ずっと笑っていて欲しくて側にいるようになった。正直……今の俺は部活も勉学も手に付かないし、萌菜が泣いていたら絶対にその原因を排除しようと動いてしまう程に自分を制御出来ない。
だが、心の何処かでは、萌菜の言っている事の意味が解らずにいる自分もいるんだ。冷静な自分を保持出来ている間は萌菜を諭す事も出来ていたんだが……日に日にその時間が短くなっているのを自覚している」
だから、と、真剣な瞳を妃沙に向ける長江。
真剣なその表情からは、危険な色などまるで感じなかったのだけれど……。
「誠くーん? 何処にいるのぉー?」
甘ったるい少女の声が聞こえた瞬間、長江の表情が一変した。
今までの硬派で体育会系な男子高校生だった表情が、何処かトロン、となり、主人にのみ従順な獣の表情へと変わったのである。
だが彼は、最後の理性を発揮して鋭い視線を妃沙に送り、言った。
「萌菜を刺激するなとは言わない。あいつは理解の及ばない所で勝手に傷付くし、嫉妬もするし、独自の超理論を展開するから止めるのは無理だし勝手に突撃して来るだろう。
そして俺は、萌菜の側を離れられないし、その希望は必ず叶えたいと動いてしまうに違いない。
だから今日言いたかったのは……頼むから俺に気を付けてくれということだけだ。萌菜の声が聞こえた以上、俺は自分を律する事が出来ないからこの場は失礼するが……頼むぞ、水無瀬」
そう言い放つと、とたんに幸せそうな笑顔を浮かべて「萌菜、今行く」と言いながらその場を去る長江。
彼が去った体育館裏では、妃沙と葵がポカン、と口を開けたままという、美少女にあるまじき表情で取り残されていた。
「……妃沙ゴメン、アタシ、理解が追い付かなくて何の役にも立ってないんだけどさ……」
「大丈夫ですわ、葵。わたくしにも良く解っておりませんし……けれども、少し心当たりがありますから、理事長に相談してみますわ」
呆然としながらも呟かれたその言葉に、葵は思わず反応してしまう。
「え? 知玲先輩じゃなくて理事長? なんで?」
「長江先輩の豹変については、理事長が長年続けていらっしゃる研究が役に立つのではないかと思いますし……知玲様は今、高等部最後の大会に向けて一番大切な時間ですから」
邪魔をしたくないのです、と微笑む慈愛に満ちた妃沙の表情に、恋に目覚めたばかりの葵が思い付く可能性は二つあったのだけれど……。
正直、葵にとって付き合いの浅い理事長より、昔から妃沙に対して誠実で一途な想いを抱いている知玲の方が、葵にとっては『妃沙の相手』として望ましかった。
けれど、それを押し付けるほど野暮ではないのもまた、妃沙より先に恋のなんちゃらに気付き、めでたく想い人と結ばれた葵はしっかりと理解していたのである。
「解ったよ。アタシは妃沙が一番大切だし、お前の判断は全面的に支持するし信じる。確かに、剣道なんていう集中力が何よりも大切な競技を前にした知玲先輩に余計な心配をかけるのはナシだよな。
けど妃沙、忘れんなよ? お前は自分が思う以上に周囲に影響を与える人間なんだからな。傷ついたりしたら世界情勢に影響を与えるくらいに思ってて間違いはないんだからな?」
そんな真剣な葵の言葉に「大袈裟ですわよ」と苦笑を漏らす妃沙だが、葵は更に言葉を続ける。
「アタシはほとんど関わりがないから理事長がどんな人なのかは良く解らないけど、信用に足る人物だって事は理解してるつもりだ。
だけど……自分の気持ちとはちゃんと向き合えよ、妃沙。お前が何でそんなに理事長を信用しているかは解らないけど、大切なのは『妃沙が誰の側に居たいか』だからな。判断を間違えるなよ」
ごく最近、自分の気持ちに気付いて恋愛を成就させたばかりの葵の言葉は、鈍チンの妃沙にもちゃんと届いていた。
彼女だって、ここまで周囲に恋の花が咲いていれば考えることくらい、少しはあるのだ──あくまでアウストラロピテクス並の頭脳が考えるミクロレベルの思考ではあるけれど。
……ただ、その結論に関してはどうしても出す事が出来ずにいた。
彼女にとってその結論は、自分と周囲の関係性を激変させてしまうようで、まだ少し怖かったのである。
ありがとう、と呟いて葵に抱きつく妃沙の瞳には、微かに涙が浮かんでいるようだ。
それはきっと……自分よりも早く青春の階段を昇ってしまった親友に対する憧れと寂しさと……祝福だ、ということにしておきたい妃沙なのであった。
◆今日の龍之介さん◆
龍「うぉぉーー!! 長江先輩かっけェェーー!! なぁ葵、お前もそう思うだろ!?」
葵「かっけェな!! あれぞ男の中の男だぜッ!!」
(キャッキャと手を取り合う二人)
充「……知玲先輩、我々が目指すのは長江先輩、なんでしょうか……」
知「うーん……身体を鍛えるのはやぶさかではないが、あの渋みは難しいな……」
(両者、一様に考え込む)
莉「……イヤイヤ君達、どっちも論点ズレてるからね!?」




