◆85.お前に届け!
そうして一行が東條家の立派な露天風呂を堪能し、相変わらず女子同士の『裸の付き合い』には慣れない為に一足早く上がった妃沙が用意した夕飯の席へとやって来た。
その日の晩餐は妃沙プロデュースの「闇手巻き寿司」。
曰く、目隠しをしてネタが並べられた籠の中から、箸を付けたものを巻いて食べるというもの。
とは言え、食材で遊ぶのは好まない妃沙なので、そこは厳選された海の幸と山菜の煮付け、たまにこれは外れかな、と言わざるを得ない果物なんかが紛れ込んでいた程度で、女子達はキャッキャと楽しくその催しを堪能した様子であった。
そしてその合間には、これまた山菜や新鮮な魚介類をその場で妃沙が天ぷらにするというパフォーマンスも催しており、ゲスト達の目や耳、そしてもちろん舌を楽しませたようである。
「あーー食い過ぎたっ! それにしても妃沙さぁ……寿司ネタにみかんを紛れ込ませるとか、やってくれるよな! まぁ、見事に引いたアタシもアタシだけど!」
アハハ、と楽しそうに笑う葵。その表情にはもはや憂いなど何処にも残っていないように見える。
実際、自分の心と向き合おうと決意した葵は、せっかくのイベントを楽しみながら少しずつ考えようという方向にシフトしていたので、迷いはすっかり晴れていたのだ。
そして今、風呂と食事を終え、リラックスした彼女達は水無瀬家の大きな広間を贅沢に使って布団を円形に並べ、それぞれの頭を中心に寄せる形で布団を敷いていた。これも妃沙のアイデアである。
なお、妃沙と葵については他のゲストと違い、布団はピタリとくっつけて敷かれており、今、彼女達はお互いに寄り添うようにして身体をくっつけていた。
『鳳上のアリストロメリア』と称される彼女達の仲の良さは有名だったし、美陽を除いた面々はこの会合が葵の悩みを取り除く為に設定されたものだということは察していたので仲睦まじい二人の美少女の姿にほっこりとしており、雫などはノートパソコンを取り出してなにやら描写をしているのだが……まぁ、彼女のそれは通常営業であるので気にする人物はいないようだ。
「葵が楽しんで下さったなら何よりですわ。正直、天ぷらはあまり自信がなかったのですけれど、揚げたてに勝る調味料はないかと思い、チャレンジさせて頂いたのですわ!」
葵の隣で、今日一日、誰よりも働いた妃沙がぽやん、とした表情でそんな事を言っている。
金髪碧眼の美少女のそんな様子には同性とは言え一瞬息を飲んでしまう程であったので、彼女を想う男子達が見たらタダではすまないに違いがない事態に陥ったかもしれないけれど、幸い、この場には女子しかいなかった。
そしてその女子達は、既に特定の相手を持っていたり、他人の恋愛はネタだと豪語する作家だったり……ようやく恋愛のなんちゃらを学ぼうとしている少女達なので、その場は酷く優しい雰囲気に包まれている。
唯一人、相変わらず自分は場違いなんじゃないかと気後れしている美陽以外は自分達の役目を正しく理解しているようであった。
「……妃沙、ありがと。いつもだったらさぁ……アタシには妃沙がいてくれれば充分だって言えたんだろうけど……今、アタシもちょっと混乱してて。
それに気付いてこんな会合を計画してくれたんだよな。それに甘えてさ……ちょっとだけ、アタシの話を聞いてくれる?」
もちろんですわ、と、妃沙が隣で寝そべる葵にギュッと抱き付いたのと同時に、雫ですらパソコンを置いて葵の話をきちんと聞こうと、ズイ、と枕を中央に寄せた。
葵との直接の交流は少ない彼女達だけれど、悩んでいる少女の話に耳を傾け、その悩みを共有して軽減したいと思える程には、彼女達も葵に心を寄せているらしい。
「……アタシはさぁ……いつも男子よりも格好良くあろうとしてて。アタシに敵わないからって遠巻きにするような男子達なんか全く気にしてなかったし、可愛い女の子達にキャーキャー言われるのは、正直……嬉しかったよ。
でもさぁ……いつの頃からか、解っちまったんだよな。女の子達はアタシに『憧れ』の気持ちは抱いてくれるけど、本当の意味で心を寄せるのは男子なんだってこと。
アタシがどんなに努力しても、どうしても『女』の壁は越えられなかったし……まぁ、アタシもファンの子達に特別な感情を抱くことはなかったんだけどさ……」
──いつからか、自分は何の為に努力をしているのだろうという悩みを抱くようになったんだと語る葵。
そうしてその場は暫く、『遥 葵』の人生とその苦悩が語られ、心優しい少女達の瞳に涙を浮かべさせることになる独演会へと様相を変化させたのであった。
───◇──◆──◆──◇───
遥 葵。
彼女は有名だ。大病院を運営する名家に生まれ、目立って仕方のない赤い髪や太陽みたいなキラキラした笑顔は人々を惹き付けてやまない魅力だ。
そしてその身体能力は目を見張るものがあり、幼い頃から楽しみながら心血を注いできたバスケットボールにおいては彼女を知らない選手はいなかったし、女子のプロリーグ創設に向けて運営委員会も期待していた程だ。
だが、彼女自身はバスケは学生の時だけで、後は趣味として続けることを公言しており、大学卒業後は実家を継ぐべく医療の道に進むつもりだというのは比較的有名な話である。
そんな彼女の身体能力は他のどのスポーツをしても優れた能力を発揮し、その口調やカラッとした性格も相まって女子達の間では、いつしか歌劇団のスターめいた人気を確立するようになっていった。
そんな彼女の側にいつもいた幼馴染──颯野 大輔。
家が近所で年が同じ、なおかつ同じ学校に通う同級生だということもあり、葵と大輔はすぐに仲良くなった。
最初こそ闘争心がバリバリの二人は勝負の結果に熱くなり、時に喧嘩になりがちだったけれど、コイツとの勝負は楽しいな、と認識を改めてからはまるで相棒のようにつるみ、様々な勝負を繰り返した。
結果は圧倒的に葵が勝つ事が多くて、いつしか口惜しがった大輔が「おれが自力でおまえに十回勝ったらけっこんしろ!」なんて言い出すに至り。
「……アタシは、ただ大輔との勝負が楽しかったんだ。でも大輔にとっては……アタシとの勝負にはゴールがあった。
最初から言われてた筈なのに、アタシにはその意味が解ってなくて……でもあの日、見ちゃったんだ、大輔の下駄箱に入ってた、その……」
ラブレター、と、恥ずかしそうに告げてキュッと眉を顰めて枕に顔を埋める葵。
自分がそんな単語を口にすることの恥ずかしさだったり、その時からずっと感じているモヤモヤした物の正体にようやく気付きつつある彼女は、何で今更と自分を呪いたい気持ちになっているのだ。
葵という人物は、こと恋愛感情に対して決して鈍感なのではなく、単純に知らなかっただけなのだろうと妃沙以外の面々は素早く理解した。
男子より女子にモテまくっていた葵のことだ、それは無理のないことかもしれないというのはこの場にいる葵以外の人物──妃沙も含めた全員の認識なのである。
「そんな当たり前のことにさ……何で今まで気付かなかったんだろうって。
大輔はこの国でも有数の野球選手になるだろうし、今ではすっかりアタシより背も高ければ力も強いし……そりゃ、モテるよな。野球をしてる時の大輔は、アタシの目から見てもキラキラしてたし格好良いしさ。
だけど……今まで本当に想像したことすらなかったんだ。大輔が……アタシの隣からいなくなる未来。アタシ以外の誰かがその隣に立って……大輔がその子を優しく見つめる未来。
考えてみたら、アタシみたいな男女じゃなくて、小さくて可愛くて料理も上手な……そうだな、妃沙みたいな女の子の方が大輔を支えられる女子なんだろうなって思ったらさ……。
つい、昇降口で会った大輔に「良かったな!」なんて声を掛けて逃げちまって……以来、ロクに話も出来ないしモヤモヤするし飯も食べられないし部活にも身が入らなくなる始末だったんだ」
『妃沙みたいな』の部分では、当人も含めたほぼ全員が手をパタパタさせていやいやねーわ、と絶賛大否定の嵐だ。
もちろん、葵だって妃沙が理想の女子の権化だなんて思ってはいないけれど、彼女にとって自分より小さくて可愛い身近な女子は妃沙しかいなかったし、料理上手、という点においては集まった女子の中でもピカイチだろうことは間違いがないのだけれど、妃沙を女子の基準になどしたら世界が崩壊してしまう、というのが全員の共通認識だ。
確かに、妃沙は可愛い。美少女である、という点においては否定するつもりはまるでない──けれど、その中身は酷く男前であることは全員が知っている。当たり前だ、中身は正しく元ヤンの男なのだから。
そして、人の心の機微には敏感で優しいし、側にいると自分を認めてくれるので大層心地良い気持ちにさせてくれる人物でもあるのだが、それは『女らしさ』とは別次元のものである。
妃沙の魅力は『女子』であることに由来するのではないことを、この場にいる全員が認識していたのである。
だが、妃沙に対する認識は一つなのだけれど、今、この場において主役なのはその非常識生命体の妃沙ではなく、今、ようやく初めての気持ちを理解しつつある葵だ。
一行は心の中でツッコミ終わったと見え、葵の次の言葉を待っている。
「妃沙、お前とも恋だの愛だのなんて話、したことなかったよな。アタシも自分の中にこんな気持ちがあるなんて知らなかったし、妃沙とはもっと話したい事が山ほどあったから気にした事もなかったけどさ……。
……なぁ、妃沙、もしかしたらアタシは、ずっと昔から大輔の事が好きで、だからアイツとの勝負が楽しくて仕方がなくて……一番側にいるのはアタシでありたいなんて……そんなことを願っていたんじゃねぇよな?」
そんなの遥 葵じゃねーよな、と、盛大に照れて枕にグリグリと顔を押し付ける葵。
その姿に周囲は悶絶するしかない。
当たり前だ、歌劇団のスターめいた格好良くてきらきらしい麗人が今、やっと自分の心にずっとあった恋心を自覚したのだ。
妃沙と美陽以外は既に恋を経験し(雫にもそんな時代はあったのだ)、成就させたり言葉にして世の中に発信したりしている女性達だ、高校生にして恋を自覚した美少女に滾らない筈もない。
「……そうだよ、葵ちゃん……! 自分を一番理解してくれる人はいつだって一番近くにいるんだよ……!」
「そうよ、葵ちゃん! その相手を認識したなら、年齢や立場なんかに惑わされていてはいけないわ。真っ直ぐに彼の元に向かって良いのよ……!」
すでに特定の相手を見つけている凛と美子が涙目でそんな事を言いながら優しく葵を見つめている。
「……恋は一番身近にある、か。良いよねぇ、幼馴染……マジ萌え……」
次の題材はこれにしよっかな、なんて言いながら、再びタブレットを取り出した雫がそんな事を呟いている。
「遥先輩みたいな格好良い女性を任せられるのは、それ以上の人じゃないと誰も納得しないと思うけど、相手が颯野先輩なら文句なしどころか、打ち上げ花火が上がりそうな程に祝福されそうですね!」
瞳をキラキラと輝かせながらそんな事を語るのは美陽。彼女もまた葵のファンであり、幼馴染でこの国期待の野球選手になるだろう大輔とのコンビには憧れていたので、そこに『恋』というキーワードが加わり、二人が幸せになってくれる未来は大歓迎だ。
と、いうか、本人達に自覚がないだけで、鳳上学園公認のカップルの中には大輔と葵も含まれていたので、ようやくそれが実現しそうだという場面に好奇心旺盛な中学生が興奮するのも無理はない。
そして、そんな言葉を受けて照れ笑いを浮かべる葵に、ギュッと抱き付いた人物──そんなことが出来るのは妃沙だけだ──が憤慨した表情で言った。
「駄目ですわ、そんなの! 葵を陥落などさせるものですか! 大輔様に……相手から是非にと望んで頂かなければ、わたくし、葵を嫁には出しませんわよ!!」
前時代のコントや漫画であれば『ズコー』という効果音が聞こえそうな程に、葵と妃沙以外の人物からガクッと力が抜けるのが見て取れる。
だが、当の妃沙にとっては一大事だ。
大輔が葵を好きなのは知っている……一応、という程度には。
そして葵の気持ちが大輔に向きつつあるのも感じていた……辛うじて、という程度に。
だが、妃沙的には『親友』を安売りしてなるものかという認識と、もしそうなれば、今の幸せな関係に変化が生じてしまうのではないかという不安に苛まれていたのである。
葵のことは応援したい。そして、彼女が最近何かに悩み、食事も喉を通らない程に憔悴していたのに気が付いたから今日の会合を計画したのだ。
けれど……妃沙は、今のまま、葵とも……そして大輔ともずっと楽しく学生生活を楽しみたいと思ってしまっていて。
だから、葵と大輔の関係が変化して、今までの楽しい生活が変わってしまう事が、少しだけ怖かったのである。
だが、その言葉に応えてくれたのは、当の葵であった。
「妃沙……ありがと。大丈夫、アタシと大輔の関係がどうなるかは解らないけど、妃沙が悲しむようなことには絶対にならないって約束するから。
正直さ、大輔がどう思ってるのかも解らないし、アタシ自身、この話をしたせいで妃沙との関係が変わるようなら大輔の事はキッパリ忘れる。アタシにとっては妃沙の方が大事だからさ」
「……葵……!」
「……妃沙……!」
こんな熱烈な告白を目の前で聞かされる機会など、それこそドラマでも観ていなければ無理に違いないとジト目になる美子、凛、美陽。
百合ウマー! とタブレットに何事かを興奮状態で打ち込み続ける雫。
だが、そんな周囲を気にすることなく、妃沙と葵は二人の世界に入り込んでしまっていた。
「……葵、遠くに行かないで下さいましね。わたくし……嬉しさと不安でグチャグチャでうまい言葉が出て来ませんけれど……わたくしの想いも知っていて下さいましね……!」
「大丈夫。妃沙以上の『特別』は……一生作らないよ。大好きだよ、妃沙」
「葵……!」
ヒシ、と抱き合う『鳳上のアリストロメリア』。
麗しいその光景をジト目で見つめながら、それでも、その片方に今までとは違う変化が訪れそうになっていることに、少女達は自分のことのように胸をときめかせていた。
──その年の夏の全国大会初戦、投手としてマウンドに立った颯野 大輔が自らのバットで決勝点をもぎ取り勝利を収め、ヒーローインタビューでホームランボールを片手に語った言葉。
『お前に届け!』
白球に「だいすき」と書かれたボールを顔の脇に添え、ニカッと笑った大輔の爽やかな笑顔と言葉はこの夏の話題を掻っ攫い、人々の心に消えない感動を呼び起こした。
そしてその相手──『お前』もまたあっという間に特定され、学園どころから全国区で有名な友達以上恋人未満なカップルの代表格になっていまったのだけれど。
「大輔様! 葵に想いを告げたければわたくしを倒してからになさることですわ!!」
そんな彼の前に敢然と立ちはだかった美少女の存在もまたテレビで大写しにされており、全国区で有名になってしまったのであった。
◆今日の龍之介さん◆
龍「葵が欲しくば俺を倒してから行けェェーー!!」
葵「ちょっ!? お前何言ってんだ!? 全国ネットのニュースだぞこれ!?」
龍「大輔ェェーー!! いざ尋常に勝負ーー!!」
大「男には負けられない闘いがあるぜッ!!」
葵「……知玲先輩、GO!」
知「……ごめんね葵さん。今すぐ回収するね……」




