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令嬢男子と乙女王子──幼馴染と転生したら性別が逆だった件──  作者: 恋蓮
第二部 【青春の協奏曲(コンチェルト)】
63/129

◆61.Catch and Release

遅くなってすみません……!!

後書きで龍之介さんが大事なことをお知らせしてくれる予定です……!!

 

「答辞──卒業生代表、水無瀬 妃沙」


 マイクを通して司会者の声が城内に響き渡る。

 シン、と静まり返った会場の中から、リン、と鈴の鳴るような涼やかで強い意思を感じさせる少女の声が鳴り響いた。


「はい」


 そう返事をして、一人の少女がスッと立ち上がる。

 そのあまりの愛くるしさに、彼女を見た人々からヒュッと息を飲む声が聞こえた程だ。

 体育館に嵌っている曇りガラスの優しい光を浴びて輝く金髪はまるで太陽のよう。

 そして、緊張の面持ちで卒業生達が座る席から舞台へと歩く様は威厳にすら満ちており、この国──東珱(とうえい)を創造したとされる女神様もかくやといった様子である。

 周囲の注目を一身に浴びても尚、揺るがない光を放つその大きな碧眼は今、真っ直ぐに前を見据えており、神々しくさえある。

 緊張はしているのだろうけれど、それを感じさせない堂々とした立ち居振る舞いに注目するなという方が無理な話だ。彼女──水無瀬 妃沙は圧倒的な魅力を放つ絶世の美少女であるのだから。



「皆さま、ごきげんよう。只今ご紹介に与りました水無瀬 妃沙と申します。この度はわたくし共、卒業生の為にかくも多くのお客様にお越し頂き、誠に恐縮でございます」



 鈴の鳴るような声でそんな挨拶をした後、一歩下がって完璧な淑女の礼(カーテシー)を披露する妃沙。


「まずは、かくも多くのお客様に見届けて頂ける光栄に感謝を捧げ、ご足労頂きました皆様に心からの謝意を示させて頂きます。

 皆々様のお時間を頂戴するのは恐縮ではございますが、我々卒業生一同の感謝の言葉を、どうかお受け取り頂けますと幸いです」


 そう言って、妃沙が再び軽く頭を下げる。

 その堂に入ったスピーチに人々は視覚も聴覚も浸食されたかのように、場内はシン、と静まり返っていた。



鳳上(ほうじょう)学園中等部。全国を見渡してみても、かくも優秀な生徒の集う学園は類を見ません。

 手前味噌で恐縮ですが、わたくしが所属させて頂いておりました女子テニス部は個人・団体共に全国優勝、女子バスケ部、野球部もまた、全国制覇を成し遂げております。

 演劇部は全国大会で優秀賞を頂き、主演男優は最優秀主演賞を拝する事が叶いました。我々三年生一同、家族の皆さまや先生方、応援して下さった在校生の皆さまを含め、全ての人々に深く感謝しております」



 演台に手を置き、深く頭を下げながらそんな事を語る妃沙。

 そう、優秀な生徒が集う事でも有名なこの鳳上学園中等部では今年、社会現象とも言われる程の成果を成し遂げてみせたのだ。

 妃沙が引っ張った女子テニス部は全国、個人共に制覇、その親友の葵が所属する女子バスケ部も全国優勝を果たし、妃沙の友人、充は演劇部で大きな功績を残し、大輔も全国優勝を果たしている。

 活動内容こそ違えど、これは彼らが日々、討論を交わした練習内容や練習メニュー、その競技や演技に没頭している彼らだからこそ、自分では見えない部分を外部の戦士から的確な指示が得られた結果であった。

 時に熱が入り過ぎて一触即発、なんてことも多々あったけれど、それは互いを信用しきっているから出来ることだ。

 特に妃沙は意見を闘わせるという事に慣れておらず、熱の籠もった意見を一方的に受け入れがちだったのだけれど、葵に「それじゃダメだろ」と襟首すら掴まれて説教されて以来、自分と大切な部員達を護れるのは己のみなのだと、自分や部員達を護りつつ、より高みに昇る方法について激論を重ね、実行して来たのである。

 そしてその成果は、充分以上に発揮されていたのであった。



「これは、己の実力以上の力を発揮出来たからこその成果であると認識しております。それには、先生方はもちろん、卒業をなさった先輩方と部員の方々の支えがあったからに他なりませんけれども……

 わたくし達の大切な方々──友人はもちろん、中には幼馴染や恋人や……婚約者に支えられたという方も多いのではないでしょうか。わたくしは、そんな方々に深い感謝を抱かずにはいられません。

 未熟なわたくしたちを支えて下さり、本当に……本当に有り難うございました!」



 再び深々と頭を下げる妃沙に、答辞の途中だと言うのに盛大な拍手が沸き起こる。

 そんな賞賛を受けて再び顔を上げた妃沙の表情は、涙を浮かべながらも清々しく、美しく、愛くるしい笑顔に彩られており、性別に関係なく、その場に居た全員が息を飲む程であった。


「後悔はございません。わたくし達卒業生は、それぞれが次なる目標を胸に刻み、この伝統ある鳳上学園中等部を巣立って参ります。

 尚一層の研鑽に励む者、違う道を切り開く者、中等部では見つけられなかった自分の道を模索する者、それぞれの道をわたくし達は歩んで行くのです。

 同胞の皆々さま、その道筋は、決して平坦なものではありませんけれど、共に歩んだこの時間は一生の宝となることでしょう!

 教え導いて下さった先生たち、先輩方、心から敬愛しております。そして同胞の皆さま、わたくし達がこの国を担っていくのだという気概を抱き、更なる成長を目指して参りましょう!」


 ご清聴、有り難うございました、とスピーチを結んだ妃沙に対し、場内からより一層の爆発的な拍手が送られる。

 平日の日中、自身も学生である筈であるのに、高等部の生徒会役員特権でこの場に参加していた妃沙の婚約者──東條 知玲もまた、彼女の感動的なスピーチの中に『婚約者』の単語が含まれていたことにいたく満足して拍手を送っていた。

 誰よりも妃沙のフォローをしていたのは紛れもなく知玲であるし、彼女が『婚約者』として人知れず尽力していた自分に対し、こんな公の場で感謝の言葉をくれたことに感動すらしていたのだ。

 前世の『龍之介』であれば些細なフォローになんて気付いてくれなかったに違いがないのに、『妃沙』は本当に素直で可愛いな、と、改めて惚れ直してしまった知玲である。



「おい知玲。あんな風に言って貰えたからって調子に乗るなよ、妃沙ちゃんのアレは通常営業だからな?」



 知玲と同じく、生徒会役員特権を駆使してこの場に参加していた知玲の親友、真乃(まの) 銀平(ぎんぺい)が肘で知玲を小突く。

 そんな銀平に対し、知玲は至極満足気な表情で、言った。



「妃沙が高等部にさえ来てくれれば、全力で口説き落とすだけだ。絶対に誰にも渡さない」



 呟くようにそう言った知玲の表情は、付き合いの長い銀平ですら寒気を感じる程に禍々しいものであった。


「……いや、お前の事情は知ってるし、妃沙ちゃんの鈍さもすげぇ解るけど……知玲お前、犯罪にだけは手を染めるなよ?」


 戦々恐々とした銀平の問い掛けに、知玲はますますその微笑みに黒さを増して言ったのである。



「……もう、待たない」



 野獣めいた光をその瞳に乗せた親友に対し、天下のチャラ男・真乃 銀平ですら恐れ慄いた程である。

 だが、そんな彼らに構うことなく、卒業式は妃沙のスピーチの感動を余韻に残しながら、粛々と進行し、完了したのであった。



 ───◇──◆──◆──◇───



「妃沙、卒業おめでとう、乾杯!!」



 貸し切りにされたレストランの一角で、今や世界的企業に成長した水無瀬ホールディングスの代表たる妃沙の父親が明るい声で音頭を取ると、周囲からカチン、とグラスを鳴らす音が響いた。

 ここは、知玲の卒業祝いも行われた東條家、水無瀬家御用達のイタリアン・レストランである。

 この場の主役である妃沙は白いシルクの上に上品な刺繍が施された黒いレースをあしらったドレスを身に纏って周囲に笑顔を振りまいており、その隣で細い腰を抱き、王子然とした態度で微笑んでいる知玲は黒いタキシードに身を包んでいた。

 良く見れば、知玲の纏うタキシードの袖口や胸元、襟の一部分には金糸で刺繍が施されていたのだけれど、あまりに些細であったので気付く招待客は多くはない。隣にいる妃沙ですら気付いていなかったのだけれど、

 目敏い一部の招待客は妃沙のドレスにあしらわれた『黒』と知玲のタキシードの『金糸』の意味に気付き、お似合いとしか言い様のない二人の様子を温かく見つめていた。


「皆さま、わざわざお越し頂き、本当に有り難うございます。高等部では今までとは違った結果を皆さまにご披露出来ますよう、より一層研鑽を積んで参りますわ!」


 神々しいまでの微笑みを零しながら妃沙が挨拶をすると、彼女の周囲にはゲストが殺到した。今日は妃沙の卒業祝いなのだから当たり前なのだけれど、

 未婚・既婚、年齢問わず妃沙に触れようとする男どもの存在など知玲にとって面白いものである筈がない。


「皆さま、僕の『婚約者』、水無瀬 妃沙の卒業をかくもお祝い下さり、本当に有り難うございます」


 妃沙の隣に立ち、しっかりとその腰を抱いてニコニコと挨拶を続ける知玲のその様に、妃沙は恐怖を、美陽は嫉妬を感じていたのである。



「知玲様、そろそろ解放して頂きませんと皆さまにご挨拶が出来ませんわ」



 この会の主役であり、人一倍責任感の強い妃沙が、厳しい声色で知玲にそんな事を告げている。

 だが、この機に自分の存在を周囲に知らしめたいと画策していた知玲は、嫉妬のこもった視線を送る妹・美陽(みはる)にこの世で一番ではないか、という程の甘い微笑みを送って骨抜きにし、彼女を制する事に成功した。

 そして片手に抱いた、三年間で鍛え上げた為にますます細くなってしまった婚約者の腰をキュッと抱き締めながら、嫣然と微笑んで言い放ったのである。



「妃沙、そろそろ婚約発表の場の相談もしなくちゃね? 今日のドレスも本当に似合っているけど、君は何を着ても似合うしね。お義母(かあ)さんとも相談しながらドレスの形や色を決めようね」



 チュ、と、その額にキスすら落とし、周囲に挑戦的な視線を流す知玲。

 もちろん、見せつけである。自分には妃沙しかいないと公言している自分と違い、妃沙は知玲や妃沙の友人達の助力によって、恋愛のなんちゃらとは無縁の学生生活を全うする事が出来ていたのだ。

 その為、今現在でも彼女は他人から受ける秋波については酷く疎い鈍チンのままであった。

 絶世の美少女である妃沙に憧れていた男子学生は少なくない。当然、知玲という婚約者がいることは有名であったけれど、想いだけでも伝えたい、という生徒は多数いたのである。

 けれどそれは、知玲の指令を受けた充が「ボクじゃ……ダメ?」と演技の練習ついでに籠絡したり、手紙の受け渡しを頼まれた葵や大輔が「自分に勝ったら」という条件で粉砕したりして撃退していた。

 そして、そんな彼らの包囲網を突破した数少ない相手に対しては、学部が異なったとは言え最終敵対者(ラスボス)である知玲が直々に対面し、悉く粉砕してきたのである。

 そんな事実があったことは当の妃沙は知らないことであったのだが、知玲は妃沙しか目に入っていないという事実は鳳上(ほうじょう)学園では有名であり、女生徒たちからは憧れの視線を受けるだけで済んでいたのに対し、妃沙はその『婚約』に対した意味を感じていないらしい、というのは新聞部を掌握した知玲ですら払拭出来ない程に知れ渡った事実なのであった。


「その件は追々、という事にして頂けませんか? 知玲様、今日はわたくしを祝いに大勢のお客様にいらして下さっているのです、ちゃんとご挨拶をさせて下さいまし。

 けれど……少し、お話したい事もありますし、歩きたいので帰りはご一緒頂けると嬉しいですわ。その為にわたくし、今日はヒールのない靴にして頂いたのですのよ」


 ニッコリと微笑んだ妃沙に知玲が一瞬見惚れている隙に、妃沙はスルリとその腕の中から抜け出してゲストの方に向かって行く。

 自分の為に集まってくれた客を無碍には出来ねェぜ、という何とも男らしい行動なのだが、今、知玲の脳内は「二人きりでお話をしたいですわ」という台詞が脳内でリフレインしていた。

 妃沙はそんな言い方は決してしていないのだけれど、まことに恋する青少年というのは純粋無垢なものである。

 そして、不安がりで嫉妬しぃな知玲を手なずけるには「後でね」という言葉は非常に有効な手段なのだけれど……もちろん、妃沙がそんな事を計算している筈もない。

 だがしかし、まんまとその作戦にヤられた知玲は、上機嫌で再びパーティーに臨み、今日の主役の婚約者たる役割を完璧にこなしながら、度々、溢れる妃沙の笑顔に見惚れていたのであった。



 ───◇──◆──◆──◇───



 やがて、パーティーが閉会となると、知玲が満面の笑顔で妃沙を迎えにやって来た。

 自分から言い出した事であったし、話したい事があるのも事実であったので事前に両親に今日は知玲と歩いて帰る旨の許可を貰っていた妃沙がニッコリと微笑んで彼を迎える。


「お時間を頂き恐縮ですわ、知玲様。今日はわたくしが、貴方をしっかりと送り届けさせて頂きますわ」

「いや、それは騎士(ナイト)の仕事だよ、お姫様。さ、お手をどうぞ?」


 恭しく右手を後ろに回し、左手を妃沙に差し出して礼をする知玲。

 今日の衣装と元々の彼の美貌が相まって、その姿はまるで漫画の中でしか見た事のない執事のようであった。

 そんな彼の様子に、妃沙はプッ、と吹き出してしまう。あまりに芝居がかっていて笑うしかなかったのである。

 照れ隠しなどでは決してないという事にしてあげて頂きたい。


「……よろしくてよ。しっかりとエスコートなさいまし」


 本人は不敵だと思っているらしい笑みを浮かべその手を取った妃沙だが、実際は仄かに頬を染め、少しだけ視線を反らし、戸惑った時や拗ねた時に良く見せる仕草、唇を尖らせて照れ笑いを浮かべているだけであった。

 おまけに感情が動いた時のクセである片眉をピクリと器用に上げてしまっているのでその動揺は全く隠し切れていないのだけれど、その超絶に可愛らしい姿を堪能したかった知玲は肩を震わせて笑いを堪えている。

 挙句の果てにはこの台詞だ。龍之介的には『良いぜ、しっかり案内しろや』なんて言ってるに違いがないのだけれど……まったく、自動変換の能力(スキル)様サマである。

 今、この姿に一番相応しい言葉は『妃沙』の口調なんだろうな、と、女神様のセンスに脱帽せざるを得ない知玲であった。


 そうして二人は手を繋ぎ、家への道のりをゆっくりと歩いて行く。

 空に浮かんでいるのは満月。その為、星の光はあまり見えないけれど、妃沙も知玲もそんなお空の事情などどうでも良いほどに、今は手を通して感じるお互いの温もりだけを感じていたのであった。



「ねぇ、妃沙。話したい事があるって言ってたよね? 聞いても……良い?」



 暫く歩いた所で、知玲がそんな事を尋ねて来る。

 確かに話したい事はあったのだけれど、改めて()かれると言いにくいな、なんて思いながら、それでも妃沙がその可憐な唇を開き、言った。


「……知玲様。もう少しで……十八歳のお誕生日、ですわね」


 ふと立ち止まり、俯いてそんな事を言う妃沙を不思議そうに見やる知玲。

 俯いてしまっているのでその表情は良く解らないけれど、繋いでいる手から何故だか妃沙の不安が伝わって来たのだ。

 十八歳と言えば、前世の自分達が儚く命を散らした歳である。

 かつて知玲の卒業祝いで、その先にある未来を一緒に見ようと約束した二人だけれど、これから見る世界は全く知らない世界なのだ、妃沙には少し先の事であるとは言え、知玲の不安は妃沙にも解るのだろう。

 今の知玲は妃沙と、妃沙の婚約者であるに相応しい自分であろうとする事に夢中で、そんな未来の事に想いを馳せている余裕などないのだけれど、妃沙にはどうやら一大事であるようだ。


「ねぇ、知玲様。婚約の話をした時、お互いに本当に好きな相手が出来たら解消出来る、形式的なものだと仰っていましたわよね。なのに知玲様はこの婚約を実現化しようとなさっていて……。

 わたくし、少々不安なのですわ、わたくしの存在が貴方を縛ってしまっているのではないかと。婚約なんて契約がなければ、貴方はもっと自由に色々な人と触れ合えるのではないか、と」


 先程までの笑いなど、一瞬で消え去るような言葉である。

 だが、妃沙もまたずっと悩んでいたのだ。

 知玲の側は心地良い。自分を気遣ってくれる、大切にしてくれているのは痛い程に感じている。その真の意味は理解出来ていなくても真心はひしひしと感じていて、自分もまた彼の幸せは絶対に守りたいと願っているのだ。

 だからこそ……怖い。幸せを願う、ということは、前世の妃沙にとっては身を引く事でしかなかったから。

 前世の自分は、側にいたらその幸せなんて守れない。だから、誰の心の奥にも踏み込むことをしない。相手にも自分を特別だなんて決して思わせたりしない為に、深くは関わらない。

 大切だからこそ、距離を置く。大事な人の幸せを守る方法なんて、妃沙はそれしか知らないのだ。

 けれども、今のままではその方法を取ることがどんどん出来なくなってしまいそうな予感が、妃沙の中で日に日に強くなっていたのである。



「……どういう事? 僕が妃沙の婚約者でいるのは、契約に縛られて仕方なくだなんて思っていると言うの?」



 刺すような鋭い視線が妃沙を貫く。だが、負けんじゃねぇと自分を鼓舞しながら、妃沙は言葉を続けた。


「いいえ。そういった感情には疎いという自覚があるわたくしですけれど……」


 ……自覚があったのかよ、というツッコミはこの場にいる知玲でなくても言いたい言葉ではあるが、こんなシリアスな場面では似つかわしくないので知玲も自重したようである。


「少し、怖いのです。未来という時間は、知玲様にとってはここから始まるものでしょう? その未来(じかん)の中にわたくし以外の誰かがいても可笑しくはないですわ。

 そしてその時、この契約が貴方を縛り、自由に羽ばたく翼を雁字搦めにしてしまっていたら……わたくしは、貴方を飛べない鳥になどしたくはない。でも……」


 キュッ、と、ドレスの裾を掴んで言い淀む妃沙の顔を両手で包み、顔を上げさせる知玲。続けて、と優しく囁く。

 妃沙が言わんとしていることはきっと、とても大切な言葉なんだと理解が出来た。

 胸を掻き毟りたくなるような不安も確かにあるけれど……それでも、彼女が何を言い出そうと自分の気持ちは決して変わらないと、強い想いを抱えながら、知玲は言葉の続きを待つ。



「時間を……時間を下さい、知玲様。今はまだハッキリと言葉に出来ないのですけれど……時間が……考える時間がきっと、何かをわたくしに教えてくれるような気がしているのです」



 だから、と、妃沙が手にした鞄の中から何かを取り出し、知玲の腕にそっと嵌めた。


「家の事情、お互いに魔力持ち、そんな理由はあるのでしょうけれど『契約』に縁取られた『婚約』なのではないと、わたくしも理解はしているつもりですわ。

 でも……どうしても、幼い頃からの……それこそ前世からの(しがらみ)は貴方とわたくしを縛ってしまうから」



 お互いを見つめ直す時間を下さい、と、告げた妃沙。

 それは、今、継続している婚約の解消を意味しているのだけれど、知玲はこの時、悲しいとか寂しいといった感情よりも大きなものが自分の中に湧き出て来るのが解った。

 まさか妃沙がそんな事を言い出すとは思わなかったけれど、それはきっと彼女が自分に対して今までとは違う認識を持ち始めたということだ。

 ……それならば、と、知玲は不敵に微笑んで言った。



「……望むところだね、妃沙。これで僕もやっと本気を出せる。

 契約なんかで縛って僕しか選べない状況よりも、多くの候補者の中からやっぱり僕だと選んで貰った方がよっぽど自信になるし、僕も君も納得出来るよね」



 嵌められた、腕時計。

 付き合いの深い相手から贈られるそのプレゼントの意味なんか、鈍チンの妃沙が考えている筈もない。

 けれど、このプレゼントが現している深層心理は知玲にとっては物凄いアドバンテージだ。

 元々、妃沙が高等部に入学したらフルスロットルで口説きにかかろうという決意をしていた知玲である。婚約していようがそうでなかろうが、その考えを改めるつもりなんてないのだ。

 むしろ、そんな『契約』なんてない方がきっと、全力を出せるに違いがない。人は崖っぷちにいる時ほど、大きな力が出せるものなのだから。

 自分という絶対的庇護者を失った妃沙に寄って来るだろうハイエナたちの事は確かに心配だけれど、ならばより一層、心を砕いて彼女を守るだけだと決意を新たにする。

 彼女の中にはきっと一番に自分がいる筈、という自信が知玲の中には確かにあるのだ。妃沙からそう言われたことなんかない。龍之介だってそんな態度すら示したことはないけれど……

 でも、今、目の前にいるこの存在を一番深く理解しているのは自分だという自負はある。そして、自分の事を一番理解してくれているのは──恋愛感情を抜きにすれば──目の前の相手以外には絶対にいない。この先もずっと、そんな人物は現れるはずもない。

 知玲の心の中にはずっとずっと……それこそ生まれる前から目の前の相手が棲み付いていたのだ、今更その関係がどう変わろうと気持ちまで変わるものではないと、ギュッと拳を握って考える知玲。

 ならば、婚約者を口説くより候補者として立ち上がり、その栄光を勝ち取り、今よりずっと深い絆で妃沙と繋がるだけだと瞳に決意を込めた。

 ──『待て』は終わった。前世からずっと言いたかった言葉を……やっと全力の本気で彼女に伝える事が出来るのだと、知玲は仄暗い喜びすら感じていたのである。




「……良いよ、妃沙。婚約を解消しよう。そして必ず……君に僕を選ばせてみせる」




 その紫の瞳にギラリと野獣めいた色を乗せて自分を見つめる知玲に、妃沙はやっちまったー! という仄かな後悔と共にブルリと背中を震わせる何かを感じている。

 長い間──それこそ前世から貯めに貯めた想いを爆発させる機会を得た野獣を、この時確かに妃沙は世に放ってしまったのである。

 そしてその野獣は今、真っ直ぐに自分に向かって突撃の体勢を取っているのだということを、前世から培った防衛本能が正確に感じ取った結果であるのだけれど、もう遅い。

 哀れ金髪碧眼の絶世の美少女は、野獣にロックオンされてしまったのであった。

 ……まさにそれは自業自得、としか言いようがない。



 鳳上(ほうじょう)学園の公認カップル・東條 知玲と水無瀬 妃沙が婚約を解消した、というニュースが学園内を席巻し、大きな衝撃を齎したのはそれから暫く後のことだ。

 そして、高等部の入学式を明日に控えた妃沙のスマホに一通のメッセージが届き、ピロン、と電子音を鳴らしている。



 そこには。



『……好きになっても、良い?』



 ──妃沙にとって波乱の高等部生活の幕開けであった。



◆今日の龍之介さん◆


龍「……ってオイ、すごいことになってんな……って!? またメモかよ!?

  あーハイハイ読めば良いんだろ……『第二部終了のお知らせ』……!!??」

知「……フフ、これで僕もやっと本気を出せるね。ちなみに次回は幕間だって」

龍「こんな所でかよ!? 作者は何を考えてんだ!? ちょっと行って目ェ覚まさせて来るか」

知「主人公、『綾瀬 龍之介』だってよ」

龍「皆さま、次回もお楽しみに!」(サムズアップ)


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