◆56.若王さまは笑い上戸!?
「ちょっとっ! 若様……役のスタントマンのどなたか!! 何をなさるのです! わたくしを元いた場所に返して下さいましっ!」
パカラッと走る馬の上では前に座る男性の背中をポカポカと片手で叩きながら妃沙が焦った様子で叫んでいる。
いくら妃沙の身体能力が優れているとはいえ、初めての馬上で両手を離して脚だけでバランスを取るという離れ業は出来なかったらしく、片手はしっかりと男性の腰にしがみついていた。
ましてや今、妃沙は着物を身に纏っているのである、動き難い事この上なかった。
だが、そんな妃沙の言葉を聞き、男性は馬を巧みに操りながらプルプルと肩を震わせている。
具合でもわりーのか、と心配になった妃沙が「大丈夫ですの?」と声を掛けると、男性はいよいよ盛大に笑いだした。どうやら笑いを堪えていたようだ。
「……なんなの、そのヤンキー口調……。相変わらず面白いね君は。しかもなんで修学旅行中だっていうのにバッチリ衣装を着てスタントの真似ごとなんかしてるんだい? 最初見た時は目を疑ったよ」
ねぇプペちゃん? と、悪戯っぽい微笑みを浮かべた男性が顔だけ軽く振り返る。
「……ロワ様……!?」
眼鏡こそしていなかったけれど、その青年は初等部の初めての運動会で妃沙が『借り物』し、その心に疑念を抱かせた張本人……あの時、コソっと告げられた名で言えば「ロワ様」その人であった。
一度きりの邂逅、それも出会ってからもう十年近く経つというのに、妃沙は何故だか、彼の事は良く覚えていた。
彼の言葉がきっかけとなり、自分の存在を疑って闇に落ちそうになったのだ。
葵のお陰で闇に落ちる事はなかったし、『この身体で人生を全うしよう』という新たな決意を抱く事が出来、その後も前世では叶わなかった現実を思いっ切り楽しむ事が出来ている。
だから彼は、妃沙にとってはまた闇落ちしそうになる言葉を告げるかもしれない危険人物ではあるのだけれど……何故だか、素の言葉が聞こえるらしい彼とは、また会ってみたいと思っていたのも事実なのだ。
とは言え『水無瀬 妃沙』がヤンキー言葉を使うことについてはこの世界では違和感しかないし、あまり褒められたものではないらしいことは理解している。
『水無瀬 妃沙』はこの世界で言う所の良家のお嬢様で絶世の美少女……らしい。本人には全く自覚がないし、今でも外見なんかどうでも良いと思っているのでそんな理由で言葉を制限されるのは癪なのだが、何処の世界にも分相応の立ち居振る舞いというものはあり、だからこそ『女神様』とやらも自動変換なんていう欲しくもない能力を付与したんだろうという仮説を持っているのである。
「……お久し振りですわだな。貴様の事は良く覚えていることよ」
……『水無瀬 妃沙』がヤンキー言葉を吐く訳にはいかない。悩んだ結果、『龍之介』が『妃沙言葉』を発揮しようと努力した結果がこれである。誠にに残念なことである。
周囲には誰もいないので、この時妃沙が発した変テコな言葉が実際の妃沙からはどんな言葉となって飛び出して来ているのか確かめる術はなかったけれど、酷く滑稽な言葉になっていたに違いない。
妃沙自身の耳には言った通りの言葉がそのまま聞こえて来ているのだが、いずれにしても残念な事には変わりがない。
「ちょっ!? あんまり笑わせないでくれよ! 俺、今一応騎手なんだから危ないだろ!?」
青年がそう叫んだ瞬間、確かに馬がガクリと大きく揺れた。
咄嗟の事に取り繕う事も出来ず、「うぉっ!?」と悲鳴を上げて妃沙が青年の身体にガシッとしがみ付く。
そんな妃沙の様子を楽しそうに見やり、青年が楽しそうに微笑んだ。
「もう少しだけ大人しくしていて、プペちゃん。別に君を拐かそうなんて思ってるワケじゃない。でも、折角の二度目の邂逅だしな、少し話がしたいんだ。
もう少し行った所に観光客も足を踏み入れない建物があるから、そこで少し話をしよう。君には興味津々なんだ、俺」
そう言ったきり、黙って馬を走らせる青年。
妃沙としても、何故だか彼のことは憎めないどころか心を開いている自覚がある。何だかこの青年からは、この世界の誰も……そう、知玲ですら齎さない感情を妃沙に抱かせるようで、そしてそれは妃沙にとり、決して不快でも危険でもないものなのだ。
ましてや今、馬で掻っ攫われて自分が何処にいるのかすら把握出来ていない状況なのだ。逆らって逆上でもされたらたまったものではない。自らを危険な立場に置くなど愚の骨頂だと、フ、と溜め息を吐いた。
「……良いですことよ。お話くらいなら付き合って差し上げてやらないこともねえですわ」
「だからその無理な口調をやめてくれ! 普通、普通で良いから!!」
アハハ、と盛大に笑いながら──良く舌を噛まねぇな、と妃沙に密かに尊敬されながら──青年がパカラッと白馬に乗って園内を疾走する。
平日昼間にこんな所にやって来る数少ない観光客は何事か、と驚きはすれども、アトラクションの一環かと妙に納得をし見送るだけであった。
その場にいたのはある意味誘拐犯と被害者なのだけれど、楽しそうな『犯人』も『被害者』もまるで悲壮な様子がなかったせいである。
そしてまた、彼らの衣装もこの場に於いては逆に怪しまれないものとなっており、二人はとても目立ちながらも、青年が目標と定めた家屋へと無事に到着したのだった。
───◇──◆──◆──◇───
どうぞ、と差し出された美しい細工の和菓子と抹茶。
ここは園内の片隅にある茶室であり、確かに観光客が入って来る様子はまるでない。
今が平日の昼日中ということを差し引いても、とても目立たない所にひっそりと建てられていたし、ちょっと見は茶室だなどとは解らない程に小振りな建物なのだ。
だが内装は本格的な茶室で、広さは四畳半ほどの小間、畳に古木の柱と土壁をあしらった良い感じに侘寂を感じる雰囲気である。
青年は炉の前、亭主席に座り、魔法でも使ったのかあっという間に湯を沸かして、流れるような美しい所作で茶を点ててくれた。
「お点前、頂戴致します」
こちらも既に美しい所作でお菓子を頂いていた妃沙は、右手で茶碗を扱い、左手を添えて二度ほど茶碗を回すと、ク、ク、ク、と、抹茶を堪能した。
その様子を、青年は少し驚きながら、けれども楽しそうな瞳で見つめている。
妃沙の完璧な作法に驚き、関心しているのかもしれないが、生憎と妃沙は良家の子女だ、茶会の作法くらい教え込まれている。
前世では挑戦しようとすら思わなかった茶席だ、妃沙的にはノリノリで作法を会得したのである。
龍之介が茶席に招かれる事など絶対になかっただろうし、まかり間違って紛れこんでしまったりしたら大問題に発展するだろう。きっと茶席は混乱の渦に巻き込まれるだろうことは目に見えている。
だから、前世のままでは出来なかっただろうことの一つとして、妃沙も楽しく作法を学ぶ事が出来た。
ちなみに言うと知玲は亭主役としてかなりの技量を発揮しており、点てるその抹茶は秀逸な味を醸し出すのだが……今、頂いたその抹茶は知玲のそれを凌駕する程に美味かった。
「結構なお点前で」
模様を相手に見えるように回して置き、心からの賛辞を述べながら丁寧に礼をした。
「お粗末さま」
……せっかく妃沙が完璧な所作を披露してやっているというのに、この青年はどこまでもマイペースである。
今、二人は映画の世界から飛び出して来たような──撮影中に抜け出して来ているので当たり前なのだが──時代劇風の衣装と頭髪を纏っており、この茶室の雰囲気にはとても合っていた。
そんな中で、妃沙はまじまじと飄々と目の前に座る青年を観察する。
(──ホント、美形だよなぁ……。乗馬の技術も茶の作法も完璧だったし、筋肉の付き具合も羨ましいくらいだ。それにあの瞳……。金色の瞳なんて、この世界でも珍しいよな)
そんな事を考えながらじっと青年を見つめる様子に、彼はわざとらしくポッと頬を染め、口に手を当ててつい、と顔を反らした。
「……プペちゃん、そんなに見つめないでくれないか。君みたいな可愛い子にこんな密室でそんなに見つめられたらさすがの俺も理性を保つ自信がないよ」
「ロリコンかよ!」
思わず咄嗟にツッコミを入れてしまった妃沙である。
だって今の自分は中学生だし、相手は見たところとっくに成人した大人だ。そんな相手が自分に手を出すなど、ロリコン以外の何者でもない。
あまりに咄嗟の事だったので言葉を取り繕う余裕はなかったし、相手は妃沙に対して本気でそのような感情を抱いている訳ではないのでその言葉はこの場においてはギャグでしかなく、一瞬、キョトン、と驚いた表情を見せた青年は、次の瞬間には「ぶっはははは!」と、美形にあるまじき大爆笑を狭い茶室の中で爆発させたのだった。
「さっすがプペちゃん、安定のツッコミをありがとう! けど大丈夫、君に手を出すつもりはないよ……今の所はね」
フフ、と悪戯っぽく微笑み、脚を崩して胡坐をかいた青年は、そのまま片肘をついて頬杖をつき、楽しそうに妃沙を眺めている。
着物だし、足を崩す事も出来ない妃沙は正座のまま綺麗なその瞳から寄越される興味深げな視線を受け取ることしか出来ずにいたのだけれど、青年が自分に手を出すつもりはまるでない事を何故だか心から理解していた。
もっとも、『手を出す』という言葉は暴力を振るうつもりはない、という意味で捉えられているので、青年が放つオーラが前世で慣れ親しんだ怒気や悪意というものではないからこその理解であり、別の意味での『手を出す』の可能性については、まるで考えもしていない妃沙である。
「……で? 何かお話とやらがあったのではねぇですの? 付き合ってやると申しておられるのですから早く言いやがりなさいませ」
「だから! 無理して口調変えようとしなくて良いから! 笑いすぎて話にならないだろ!?」
俯き、顔を覆って肩を震わせて爆笑する青年と向き合い、妃沙はむむ、と思い悩む。
だって今は二度目の邂逅で、彼が誰なのかを知る事は出来ないのだ。彼との『賭け』は、三度目である次に出会った時に自己紹介をしようというものなのだ。
今日の邂逅は確かに想定外だったけれど、今日は彼の名前すら知る事が出来ないのだ、むやみやたらと素を出すのは危険だと妃沙の本能が告げている。
「無理などしてねぇことよ? 自分も約束は守る性分ですわだし、てめェ様とはもう一度会ってみてぇなとも思っていたのでござる」
「ついに時代劇になっちゃってるから口調! そんなんじゃ話なんか出来ないだろ、まったく……」
遂には畳にくずおれるようにして屈み、ドン、ドンと畳を叩きながら肩を震わせている。
先程の経験から鑑み、どうやら笑っているようだという事はさすがの妃沙にも認識が出来た。
もっとも、彼が何故こんなに笑っているのかまでは理解が出来なかったけれど。
「何がそんなにツボるのかはご存知ねぇですが、吾輩は一刻も早く元の場所に戻らないとならねぇのですわ。良いから早く目的を達成してくださらねぇです?」
妃沙は今、珍しくいっぱいいっぱいの状況だ。普段は使わない『妃沙』の言葉を、元から発しようとしているのだから無理もない。
何しろ普段は何も努力しなくても、最適な言葉に勝手に『変換』してくれるのだから、発するニュアンスは違っても言葉を取り繕う必要などなかったのである。
ところが今、素の言葉が聞こえてしまうらしい相手との対峙に、それらしい話し方で対応するので精いっぱいで頭がパーンとなってしまっていた……全然出来てはいないけれども、これが今の妃沙には精一杯らしい。
「……あのな、プペちゃん。次に会える時まで詳細は伏せておこうと思ってたけど……このままだとロクに話しが出来ないから先に言っておく」
笑いを噛み殺し切れていない青年が再び顔を上げるまでの約三分──笑いすぎだろ、と思いながらも妃沙は真面目な表情でその言葉の続きを待った。
黙っていれば超絶美少女の妃沙である、その大きな空色の瞳に射すくめられて戸惑わない存在などいないのだけれど、今の青年はその美形っぷりというよりは中身とのギャップにハマっているようで、ニヒルと言っても過言ではない、妃沙の周囲の知玲をはじめとした中高生には決して演出出来ない大人の色気を伴った笑みを浮かべた。
それはまるで、妃沙の敬愛する無口で孤高の仕事人のGを彷彿とさせる笑みであった。
「俺には『能力』は通用しない。君の言葉も能力によるものみたいだな。詳細は省くけど……俺は君の素の言葉で話をしたいんだ。取り繕うのは止めてくれ」
そう言って、『ロワ様』はつつ、と妃沙の側ににじり寄る。
そうしてその華奢な肩をトントン、と叩くと、フフ、と楽しそうに微笑んだ。
「俺には君の美貌はどうだって良い。見た目なんか入れ物でしかないだろ? けど君は……中身がおもしろ過ぎてつい注目してしまうんだよなぁ……。
そして君も、女どもに騒がれて仕方のない俺の容姿ってよりは中身に興味を示してくれているだろ?
そんな相手と話をしたかったんだよ。オジサンの我が儘に……付き合って?」
ね、プペちゃん、と耳元で囁かれ、妃沙は降参! とホールドアップした。
彼に興味があるのは妃沙も同じなのだ。そして彼は、知玲とは違った意味で『自分らしさ』を齎してくれるらしいことを実感した今、言葉を偽るなんて無駄な行為だと理解したのである。
「……この容姿でヤンキー語を吐いても良いってならドンと来いだぜ、ロワ様。その呼び方はどうかと思うけどな。『ロワ』ってフランスで言う王様だろうがよ?」
片眉をピクリと上げてニヒルに笑う、吹っ切れた妃沙の表情はいっそ清々しく、そして男前であった。
当たり前である、無理をしているつもりはなくても、妃沙の言葉はずっと『変換』され、男前の「お」の字も発揮されない生活をもう十四年も過ごしていたのだ。
けれども、妃沙の中にはずっと前世の自分が色濃く棲んでいて、周囲の評価とのギャップには未だに少し、むず痒さを感じることも多かった。
本当の自分はヤンキーで、決して純粋可憐な乙女なんかじゃないという、ある種の申し訳なさを感じているのである。
もっとも、妃沙が純粋可憐な乙女だなんて、彼女を良く知る人物達は少しも思っていないに違いない。
純粋可憐な乙女とやらは、決して真剣白刃取りにヒャッハーなどしないし、良く知りもしない男性とこんな密室で二人きりになれば戸惑いや怯え、もしくはその美形っぷりに少しウットリする程度の反応は見せるものだ。
だから本当は妃沙が引け目を感じる必要などないのだけれど、確かに吹っ切れた妃沙の姿は良家の令嬢と言うには少し男前が過ぎるようである。
「いきなり吹っ切れたな!? けどそれもまた凄い破壊力……。慣れるのには少し時間がかかりそうだが……まぁ、俺も色々あってな。ようやく落ち着いた所で、正直疲れてるんだよ。君の助けが必要だ。だから……」
癒して、プペちゃんと、突然にギュッと抱きしめられる妃沙。
だが、知玲により散々スキンシップには慣れている妃沙だ、突然の事に多少驚きはしたものの、相手には少しも──恋愛のなんちゃらという意味では──ドキリとしない妃沙である。
おそらくは、前世の自分よりは年上であろう彼だけれど、弱音を吐いて自分に助けを求める相手に対しては総じて『弟分』という誤った認識を持ってしまう性質なのだ、心を寄せかけている相手が疲れてる、とか助けて、だとか言われてしまえば全力で受け止め、助けてやろうという気概の持ち主の妃沙。
「俺の胸で泣け!」
そんな言葉を吐き、青年を抱き締め返す姿は……アニキと言わざるを得ない程に男らしい姿であった。
そして、抱き締め返された青年は、妃沙の腕の中で相変わらず肩を震わせて笑っており、けれども今まで感じたことのない安堵と温かい気持ちを感じていた。
──もう一度追記するが、この場面は狭い茶室の一室で、周囲の目がまるでない状況、年の差こそあれ、独身の男女が一対一で対面する一場面である。
ラブコメならラブコメらしく、ここはもう少し色っぽい雰囲気を醸し出して欲しいところだが……この場にそれは全くなかった。
妃沙は弱音を吐く弟分を慰める、という意識しかなかったし、
青年は青年で、面白い玩具程度にしか思っていなかった絶世の美少女が、思った以上に面白い玩具であったことに至極満足していて、まさしくお人形を愛でている気分だったのである。
見た目的には、街娘が若様を抱き締めるという、「逆だろ!」という光景ではあるけれど、妃沙の心根を理解している人間から見ればそれ光景は納得のいくものであった。
──ただし、知玲あたりがこの光景を目撃してしまったら、妃沙は暫くお外に出られない事態になってしまったかもしれない。
◆今日の龍之介さん◆
ロ「やぁ! 31話ぶり! 俺の名前は…………ンガッ!!??」
(何処からともなく巨大な金ダライが落ちて来てロワ様にクリティカルヒット!)
龍「だーっはっはっは! ド○フかよ!?」




