◆54.真剣白刃取りィーー!!
「はァ? おっさん誰? アタシたち、修学旅行中でこの後の予定も詰まってんだけど」
喧嘩腰でその男性と対峙するこの班の班長──遥 葵。
彼女は大人しくテレビの前に座っている事が得意ではない為、芸能人や芸人についてとても疎かった。
だが、あまりに失礼なその態度を、妃沙と充が冷や汗をかきながら全力で押さえにかかる。
充にとっては母の同僚、そして妃沙にとっては大好きな時代映画を数多く撮っている映画監督──御厨 要次郎である事は一瞬で理解出来る程の有名人の登場であった。
「ちょっ!? 葵ちゃん!? 日本一の監督に何を言うの!?」
「さすがのわたくしも止めざるを得ませんわ! ……と、いうか、何故御厨監督がこのような場所にいらっしゃるのです!?」
御厨 要次郎、彼は東珱を代表する映画監督であり、特に古代の英雄を描く事を得意とし、自らと、そして小説家である妻と一緒に脚本を描き、監督をすることで有名な人物だ。
原作の多くはその妻が手掛けているのだけれど、重要なシーンの描写の美しさは映画監督である彼が妻に助言をしているからこそだという評判であるし、彼の監督する作品の多くが美しい情景と登場人物の強烈な心情吐露によって現実感を増しているのは、天才と称される彼の妻の原作と脚本があるからだということはこの世界に生きる殆どの人間が知っている。
……だが、その『殆ど』に含まれない残念な東珱人、遥 葵、中等部三年生。
彼女は今、自分達の殺陣体験を妨害された事が相当に面白くないらしく、殺気すら含んだ瞳で世界に認められた大監督を睨み付けていた。
「は? このおっさんが有名人だろうがただのデブだろうが、アタシたちの修学旅行プランを乱すなんて有り得ないだろ? 妃沙まで何言ってんだよ」
キャー!! と大声を挙げ、とある一点──ありていに言えば『ただのデブ』という言葉──を打ち消す事に成功した妃沙。
その妃沙の咄嗟の反応に、目を奪われそうな美貌を発揮させた充もホッと胸を撫で下ろしている。
天才と称される彼はとてもメンタルが弱く、一度凹んでしまうと浮上するのにとても時間がかかるのだ。そしてその間、映画の撮影はストップしてしまう。
時代映画をを得意としていた御厨監督は今、初の現代劇をこの時代劇と同時進行で撮影している最中であり、その主演は充の母、栗花落 那奈、そして充自身も彼女の息子で物語の重要なキーワードを持つ人物として出演しているのだ。そしてそれは絶対秘匿の情報であり、世間には全く漏れていない極秘情報である。
だから、充的にもここで御厨監督の心を折るような事は決してしてはならないと思っていたのであった。
「御厨監督!! お会い出来たのは年貢の納め時……いえ、違いますわ、何かの御縁ですわっ! わたくしに出来る事ならなんでも致しますわよ!」
「そうだね、妃沙ちゃん! こんな場所で監督に出会えるなんて本当に運が良いよねぇ! 御厨監督、母共々、いつもお世話になっておりますっ!」
ファンと同僚が葵の毒牙からただのデブ──もとい、世界的映画監督を葵の視線から覆い隠した。
才能こそあれ、見た目はお世辞にも美形とは言えない監督の姿は、何も知らない葵から更なる暴言を引き出してしまいそうだったから。
そして妃沙はもう一人のメンバーの大輔に目をやる。この大騒ぎの中、今まで言葉を発していない彼が、この最も保護すべき映画監督の価値を正しく理解しているのか否か判断が難しい所であった。
「……俺、監督の撮る『樹』が一番好きで……!」
なんと、大輔もまた、この監督のファンだったようである。樹というのもまた、七鬼神の一人なのだ。どうやら今まで黙っていたのも、感動のあまり声が出なかったものと思われた。
この世界で暮らしていて『七鬼神』の誰かしらに愛着を抱かずにいる人間など、妃沙の周囲では葵くらいのものだ。知玲ですら『傲慢の凱』という七鬼神の一人のファンであった。
『東珱七鬼神』には諸説あり、その存在は伝説であるという論文すら存在する今日、彼らの実態を証明するなんて愚の骨頂だし、妃沙的には物語のままでいて欲しかったりもするのだ。『現実』は空想の世界とはまるで違った気持ちを齎すものだという事を、部活や普段の生活の中で妃沙は深く感じずにはいられなかったから。
「有り難う、可愛いくノ一さん、そして……充くん、だよね? 那奈さんにはいつもお世話になっているよ! そっちの男装若様と元気な岡っ引きも素晴らしいね!!」
だが、妃沙のその悲壮な決意をよそに、今の素晴らしい殺陣は専属のカメラマンがバッチリ映像にしたから、後で焼いて皆に届けるね、なんて言いながら、世界的映画監督がガシッと妃沙と充の肩に手を置いたのだ。
「充くん! そして謎の美少女ちゃん!! 今、私は人生最大のピンチに立たされている! 助けると思って、話だけでも聞いてくれないか!?」
お茶用意するから、さぁ、さぁと、あっという間に妃沙と充はその姿のまま監督が用意したらしいテーブルセットに座らされてしまう。
そして、今は興味が薄いらしいけれども、決して無視は出来ない程の美貌を誇る男装若様と、てェへんだー! と駆けずり廻る姿が想像出来そうな岡っ引きも、成す術もなく監督の誘いに付いて行く妃沙と充に追随した。
彼らにとり妃沙と充は大切な友人であり、やたらと年上の女性達に人気を誇る充と、年齢・男女関係なく、いとも簡単に他人を絆してしまう妃沙には危険を感じていたし、この旅行前に、彼女の婚約者様から『妃沙が目立つ行動は極力阻止して』と依頼を受けていたので、世界的映画監督との邂逅は決して喜べるものではなかったのである。
だが、妃沙だけならともかく、普段は彼らの無茶な行動を諌めてくれる存在である充までもがその監督の前には無力であるどころか自ら突撃して行っている有様なので、葵も大輔も、渋々ながら御厨の言うお話、とやらを聞く事になったのだった。
───◇──◆──◆──◇───
「実はね、花魁役の女優さんが渋滞に巻き込まれて遅れているんだよ。でも、撮影を許可されている時間は限られているし、スケジュールも詰まっているから今日ここで撮らない訳にはいかないんだ。
加えて、ヒロインの女優さんがアクションに怯んでいてね……。スタントも用意していないし、どうしたもんかと悩んだままウロウロしていたら殺陣体験をしている君達に出会えて本当に幸運だった!
更に更に、男装の街娘やら純情一直線な岡っ引きやらさ、僕の創作意欲を刺激して止まないよ、キミ達は!!」
マーーヴェラーース!! と、両手を拡げて立ち上がる御厨監督。その姿は初めて恋を知った中学生のような純粋さと煌めきを纏っている。
キラキラと瞳を輝かすその様は御歳六十という年齢を感じさせない程にエネルギーに満ち溢れていた。
だが、突然の大声に妃沙達一行は少々ビビっていたし、その話の内容から、どうやら代役を頼みたいらしいと察したのでその心情は微妙であった。
確かに、世界的映画監督の役には立ちたい気持ちはあるのだけれど、今、彼女達は修学旅行の真っ最中であるし、充以外は芸能界にはまるで興味がない。
正直に言えば、妃沙はちょっと面倒くせぇとも思ってしまっていた。
だって、この後の予定も目一杯詰め込んでいるし、どの予定もメンバー達と吟味に吟味を重ねて決めた、絶対に外せないものなのだ。
今日の予定はこの七鬼神村を全力で楽しもうというものではあるけれど、ここでやりたい事は殺陣体験だけではなく、街並みの写真を撮ったり、昔の食べ物を提供する屋台を巡ったり、お土産を見たり、やりたい事はまだまだ沢山あるのである。
憧れの映画監督の突然の登場にテンションは上がってしまってはいるけれど、本当はここで時間を浪費していること事態が、妃沙にとっては予定外なのだ。
それに、大好きな監督の作品に、役の事を理解もせず、立ち回りも上手く出来ないに違いない自分が参加してしまう事にも戸惑いを感じていたのである。
「御厨監督、事情は理解しましたし、わたくし達に出来る事ならば協力したいという気持ちもあるのですけれど……正直、お話し下さった女優さんの代役は、ただの中学生には難しいのではないでしょうか。
この場に於いて、監督の思う通りに動けるのは充様だけだと思いますわ。
充様はお仕事でもありますしご本人の判断にお任せしますけれど、わたくしは、上手く立ち回れもしないのにそんな大役を引き受けて、監督の映画に汚点を残す訳には参りませんわ」
面倒くせぇ、という部分をオブラートに包んでお断りするあたり、妃沙もだいぶ成長したようである。
『龍之介』のままこの場面に遭遇していたのならば、相手が誰であろうと思ったそのままの言葉を告げて、ピュアで傷付きやすい監督の心をズタズタにしてしまっていたかもしれない。
そうなれば映画の撮影が遅れ、公開予定日に間に合わず、経済に多大な被害を及ぼしてしまうことになったかもしれないのだ。今、妃沙はこの国の経済界をも救ったのである……たぶん。
「そんなこと言わないでセニョリータ! あの殺陣を見たけど、キミの動きは完璧だ! キミならきっと悪役の刀を真剣白刃取りで受け止めていなして、後からやって来るヒーローに……」
「やりますわ、御厨監督! 是非このわたくしを自由にお使いくださいましっ!!」
監督の言葉もそこそこに、食い気味で妃沙がそう言った。
その様子に、葵も大輔も、充でさえもギョッと目を見開いて妃沙を見つめているけれど、
今の彼女はそんな彼らの様子も、修学旅行中だという事実も、動きに自信がないなんて思っていた事実すらもどうでも良くなってしまう程に魅惑的なキーワードに囚われてしまっていたのである。
『真剣白刃取り』。
襲いかかる刃を両手で受け止めてピンチを脱する、時代劇を愛する者なら誰もが一度は憧れる大技である。
剣道の達人である知玲に言わせれば、それは現実的にはとても難しい技であるらしく、あくまで想像上の技として成立するものだという事だけれど、これは映画だ。そしてそれを撮るのは妃沙が最も尊敬する映画監督である御厨 要次郎、そしてお膳立てされたシーンの中だとは言え、憧れのその技を体験する事が出来るのだ。
こんなチャンスを逃すワケにはいかねぇぜ、と、妃沙の魂が滾ってしまったのである。
「ちょっ!? 妃沙、何でいきなりノリノリなんだよ!?」
「一度やってみたかったのですわ、真剣白刃取り!! 剣豪を目指す者の憧れですもの!!」
「ってお前、いつから剣豪を目指してるんだよ!?」
「前世からですわっ!!」
……妃沙のその言葉は嘘ではない。まさしく真実だ。だってその技に憧れていたのは『妃沙』というよりは『龍之介』なのである。
正直、待ち伏せされて木刀を持ち出して喧嘩を吹っ掛けられた事も一度や二度ではなく、そんな相手は総じて龍之介の相手ではなかったので、せっかくなら、と真剣白刃取りを試そうとした事もあったのだけれど、あの技はどうやら、どんなに身体能力が高かろうと、振り降ろす相手との息が合っていないと難しいのだということを痛感していたのだ。
だが、本気で自分をブチのめそうとする相手と息を合わせるなんてとてもではないが出来る筈もなく、白刃取りに失敗して脳天に木刀を打ちこまれる……前に回避してしまうという事を繰り返していたのである。
「白刃取りをしますでしょう!? それは危険を回避するだけでなく、その後に刃を折って相手の攻撃手段を奪うのです! そして自分の武器を素早く手に取って攻撃に転じるのですわっ!」
「おお! くノ一ちゃん、解ってる、解ってるねぇ!! そう、白刃取りの極意はそこにあるんだよ! しかもそれをか弱そうな町娘が突然披露したら、心臓をギュッと掴まれちゃうよねぇ!」
「……くぅぅ……! さすが御厨監督、解ってらっしゃいますわねぇ……! 街娘が白刃取りだなんて本来なら有り得ないのに、実は彼女は洗練された剣士だったのですわね!?」
「うぉぉーー!! そうそう、今、僕が撮っているこの時代劇のヒロインは将軍を影で操る溺愛され系ツンデレヒロインでねぇ……!」
手を取り合い、互いの妄想を語り続ける二人の残念な天才。会話は噛み合っていないし、内容も意味が解らない。
だが、班長である葵は、妃沙に昏倒している──唯一無二の『親友』として。
その幼馴染である大輔は葵の言う事は全てカモン、な状態である──今や彼は、その気持ちが何なのかを正しく理解していた。
そしてもう一人のメンバーである栗花落 充、彼は今、ビジネスマンとしてこの場に存在していた──栗花落 那奈の息子、そして一人の俳優として。
彼らの中では『妃沙の意思を何より尊重する親友』と『葵の意思を尊重する幼馴染』と『最も保護すべきは御厨監督』という、全く違う思考回路ながらも彼らを護らなければいけない、という意思は一致していた。
「よし、やろう、妃沙! 困ってる人の手助けをするのは人として当たり前だよな!」
……と、葵。彼女にとっては妃沙がやりたいのであればそれが正義なのである。
「楽しそうだな、妃沙! ……ってか、俺達の役割ってなんなの?」
……と、大輔。彼にとっては、葵がそう言うならそうさせてやろう、と思うものであるし、映画に出るなんていうワクワク体験に胸が躍らない筈もない、所謂普通の中学生であった。
「御厨監督、思った通りに、時間と予算の許す範囲内で理想を追求して下さい! 貴方は天才です!」
……と、普通の中等部生としての側面と俳優としての側面を合わせ持つ充。落ち込み易く褒められたら素直に喜んで素晴らしい才能を発揮する監督の性質を知っているので、監督を煽てる事も忘れない、プロである。
「皆、ありがとぉぉーー!!」
今時の子どもですらこんな風に素直に感動を現す事はないのではないか、と言う程に大袈裟なまでに感情を爆発させる御厨監督。
肥えたオッサンの涙など美しくないので詳細な描写は控えるが、とにかくこの時、彼らは御厨監督の願いを聞き入れる事が満場一致で決定されたのであった。
「……監督、申し訳ないのですけれど、わたくしの本名は伏せて頂けます? 少し事情がありまして……」
「大丈夫、スタントだしキミの顔は出ないし、後で加工するから『スタントA』とでも表記しておくよ!」
そう懇願した妃沙だけれど、この時、花魁を演じた充が大きな話題を呼んでしまった為に、彼とつるむ事が多く、また自身も絶世の美少女である妃沙が注目される事になってしまう事態になるのは必然であった。
相変わらず自分の容姿については正しく理解していないばかりか、過小評価が過ぎるようである。
もっとも、元が男で不良である妃沙には偶像の気持ちなど理解出来よう筈もない。
未だに憧憬の瞳を向けて来る周囲の視線を「ガンつけられている」という風にしか受け取れていないのだ。
ごく一部の、葵たちといった心を許した友人たちや、幼馴染にして婚約者である知玲に対してはいい加減に警戒を解いているのだけれど……もしかしたら知玲の視線がある意味一番、妃沙にとっては危険なものかもしれない。
その意味には、未だ気付いていない……フリをしている妃沙であった。
◆今日の龍之介さん◆
龍「真剣白刃取りィィーー!!」
葵「まだやってないじゃん」
龍「………………あ。」




