◆53.花魁は浪漫の塊
一年ほど時間が経過しておりまして、妃沙達は三年生になっています。
「葵、葵っ! ご覧下さいまし、あの塔こそ『東珱七鬼神』が一人、『怠惰の月』が居城にしていたという伝説の尖塔ですわっ! 内部はカラクリでいっぱいだという噂なんですのよっ!」
「おおーー!! あれがそうかー! 忍者をも翻弄する程のからくり屋敷だって噂だよな! 妃沙、後で絶対行こうぜっ!」
「当たり前ですわっ! ハァ……この良い感じに鄙びた雰囲気も、太古の昔から建っていると伝えられている建物も、この空気ですら、なんて……なんて素晴らしい……!」
バスの中で立ち上がり、窓にへばり付いて大声を上げ続ける残念な美少女二人を、同じ班になってしまった不幸な男子二人が取り押さえようと声を掛ける。
「葵! もう中学生なんだからバスの中ではしゃぐな、恥ずかしい! 一般車両なんだぞ!?」と、葵に手を伸ばす颯野 大輔。だがその手が幼馴染の葵を捕える事は出来なかった。
葵の興味は既に次の建物に移り、あっという間に反対側の席に移動してしまったのである。
「うぉーー!! 妃沙、妃沙!! 金ピカの寺だぜ、金ピカ!!」
「キャー!! 葵ィィーー!! ギラッギラですわね!!」
相変わらずテンションマックスの少女二人はバスの中で楽しそうな声を挙げて周囲の光景にいちいち感動している。
「妃沙ちゃん、気持ちは解るけど、少しトーンを落として……」という充の声も、彼女達には届いていない様子であった。
ここは『ニホン』で言う所の京都。妃沙が前世で過ごしていた国とは違った歴史を辿って来た今の世界『東珱』だけれど、過去の首都は西で現在の首都は東、というのは同じ流れを辿っているようだ。
首都に住んでいる妃沙達、鳳上学園中等部三年生は、歴史的な建造物が数多く遺されているかつての首都、西都に修学旅行にやって来たのである。
宣言通りに妃沙は部活動に邁進し、昨年卒業した前部長の竜ヶ根 倖香から女子テニス部部長の栄誉を引き継いでいた。
この修学旅行が終われば最後の個人戦があり、時を置かずして団体戦が待っており、それが終われば妃沙も部活動を引退して高等部に進学することになる。
だが、妃沙としてはそのプレッシャーについては今は忘れて、せっかくのこの旅行を楽しみたいと思っていた。
修学旅行は四~五名の男女一グループでそれぞれ責任を持ってコースを決め、自由に行動し、独立心を伸ばすというのがこの学園の修学旅行におけるテーマなのだが、妃沙に至ってはずっと行きたいと思っていた西都に親しい友達と行けるというだけで大興奮のイベントであった。
何しろ、前世ではトラブル続きで一度も修学旅行なるイベントには参加した事がなかったのだ。
初等部の修学旅行もとても楽しかったのだけれど、クラス全員で回るそれと違い、今回は気の合う仲間同士のみでの自由行動がメインの旅行なのである。
深い友情を育んで来たという実感があり、今では妃沙にとっては唯一無二の存在である親友の遥 葵。
そしてその幼馴染で妃沙に対しても何も含む所なく普通に接してくれる、自身も素晴らしい戦士である颯野 大輔。
また、その身体能力は妃沙も師匠と呼ぶ程に優れており、愛くるしい容姿ながら芸能人という立場から世の柵を知り、優しく妃沙を見守り、導いてくれる栗花落 充。
そんな彼らと、実家を遠く離れて憧れの西都に旅が出来るなんて、興奮するなという方が無理な話だ。
子どもの成長が前世よりはずっと早いという事は、妃沙も深く理解しているこの世界──『東珱』。
確かに人々の髪や瞳の色は派手だし魔法という概念もある、妃沙にとっては『異世界』だけれども、街並みや人々の行動などは前世で生きていた日本と酷似しており、この歳になるまであまり違和感は感じずに来られたのだ。
きっとこの先も、それほどの違和感を感じずに生きて行く事が出来るだろう──そう、自分の性別以外は。
だが、前世で生きていた年齢と女として生きている時間の差が埋まって行くにつれ、その違和感も徐々に少なくなっており、少しだけ『妃沙』に飲み込まれそうになる『龍之介』に焦りを感じているのだけれど、今はそれすら楽しむ事が出来ている。
優しい友人たちと……自分を甘やかしまくる婚約者様のお陰だよな、と、妃沙は左の小指に嵌めたピンキーリングをチラリと見ながら密かに感謝を捧げていた。
「今日はメインの七鬼神村に出来るだけ多くの時間を割きたい所ですわね……。ねぇ葵、七鬼神村には当時の食事を再現した屋台も色々出ているのですって!」
「何それ!? 大興奮じゃん! ねね、殺陣体験とかないの!?」
「フフ……勿論ありますわ! 事前予約制ですので、四人分の予約を完了しておりましてよっ!」
「うぉぉーー!! 妃沙、ナイスゥゥーー!!」
フンス、と鼻の穴を広げて、『予約完了』と書かれた携帯をまるで印籠のように掲げる妃沙に対して、葵は拍手喝采だ。
そんな女子二人に対し、お願いだから他人の目のあるバスの中でバカ騒ぎは止めてくれというツッコミすらもはや出て来ない様子の男子二人。
彼らだって未だ中学生。修学旅行というイベントに気分は高揚していたし、はしゃぎたいお年頃でもあるのだ。ツッコむよりも一緒に楽しみたいのだと心の何処かでは思っていたのは事実なのである。
だから、二人は心の中で周囲に対して「ゴメンナサイ」と手を合わせ、彼女達同様のテンションへと自分を上げて行く。
「俺、二刀流したい!」
「ボクは居合抜きの練習したい!!」
元々が顔立ちの整っている集団であり、未だ幼い子どもという事もあり、彼らの大騒ぎは好意的な雰囲気で受け入れられた。
……ただしそれは推奨すべき行動ではなく、あくまでここが異世界で、彼らもまた最低限の常識は兼ね備えていたからだという事は追記しておく。
彼らの真似をしても、ニホンでは上手くいかないだろう行動なので、良い子は真似しないで頂きたい。
───◇──◆──◆──◇───
そうしてやって来た『七鬼神村』は、ニホンで言うところの映画村、といったところか。
その名を拝した『七鬼神』とは、この世界で人気の時代劇の主人公達であり、彼らを主題とした小説や映画は数多い。そして、その撮影の多くはここで行われているという。
もちろん時代劇好きな妃沙もこの主人公達をこよなく愛しており、中でもお気に入りの時代の『七鬼神』を描いた小説は妃沙の愛読書であった。
今日の妃沙達の予定は全力でこの七鬼神村を楽しむ事に置いている為、早めにここにやって来て全力で満喫した後は宿に帰るのみといった拘りようであり、また更に、よりいっそうこの雰囲気を楽しもうと、時代衣装の一日レンタルをしており、今、妃沙はくノ一、葵は若殿、大輔は岡っ引き、そして充は……
「……って何でボクだけ女装なの!? しかも花魁って! 動きにくいよっ!」
そう、充だけは完璧な化粧を施され、重そうな鬘と衣装を着せられ、なんとも動き難そうな高下駄を履かされていたのである。
その姿は女性と言ってしまっても遜色なく、中等部に入ってから少しだけ背が伸びはしたものの、細身で華のある雰囲気の充にはとても似合っていて、ある種の色気すら感じる程であった。
そしてそれは別に妃沙達が強要したものではなく、彼の母親であり、有名女優でもある栗花落 那奈の当り役である『環』という名の七鬼神の一人である花魁が原因となっている。
妃沙達がレンタル衣装屋を訪れた際、母親の美貌を受け継いだ充の容姿に大興奮した係員から是非にと頼み込まれ、これを着てくれたら全員のレンタル代は半額で良いから、と言われて妃沙、葵、大輔の無言の圧力に屈してしまった結果である。
もちろん、充も一日レンタルと言えば中々の金額になってしまう費用が半額になるのはとても魅力的だったので、軽い気持ちで引き受けてしまったのだけれど……その衣装は予想以上に動き難かった。
「……ハァ。母さんはこんなの着てあの俊敏な殺陣をしてたのか……。ホント、バケモノだな、あの人は……」
充にとっては身近な母親。だから、彼女が暇さえあれば筋トレやストレッチをしていたのはこういった側面もあるのかと、今更ながら母親の偉大さを実感する充。
そんな彼の姿をバシバシと写真に収めながら、楽しそうに同行者が声を掛ける。
「素敵! 素敵過ぎますわ、充様っ! まるで本物の『環』のようですっ! これなら武器は絶対に鞭ですわねっ!」
「アタシと性別取り替えようぜ、充! 今のお前なら抱けるっ!」
「こら、葵! 滅多な事言ってんじゃねーぞ! けど……確かに俺も今のお前になら抱かれても良いっ!」
「もぉーー!! みんな、いい加減にしてよぉぉーー!!」
充の絶叫が周囲に響き渡り、妃沙達、同行者のみならず全力で充を飾り立てたレンタル屋の係員達をも巻き込んだ撮影会は一旦終了することになった。
念の為に追記しておくと、その撮影会の一番人気は確かに充だったのだが、その美形っぷりに興奮してしまった係員達の手による妃沙達三名の変身も相当に似合っており、目を引く出来となっていた為、充を撮影するフリをして彼女らの写真を取る係員も多かった。中でも充そっちのけで写真を取る程に人気があったのは若殿に扮した葵の男装であった。
いつの時代、どの場所でも本物の男子より麗しいのは男装女子だという思考回路を持つ人間は多いようである。
「ハァ……。充様、貴方はまるでわたくしが最も愛する時代の七鬼神である『環』の再来ですわ……。美しくて強い、そして更に充様が演じるのであれば、男性の心も女性の心も理解した、完全無欠の『環』なのですものね。嗚呼……本当に生まれて良かったですわ……!」
感極まった妃沙が充に抱き付くその瞬間、周囲のフラッシュとカメラの音が人間技か、という程の速度で響き渡る。
見た目的には主君である花魁にその護衛であるくノ一が抱き付いたという状況なのだけれど、二人の容姿のせいでそれ以上のナニかを想像させてしまっているのだ。
男性の方がやや数が多いこの世界に於いて、女性同士の恋愛はやや背徳的な意味合いを持っていたのだけれど、本人達にもその友人にもその意識はまるでない。
妃沙の中身は元ヤンの男子であったし充には既に心に決めた人がいる状況なので、その二人の抱擁は「似合うぜ、充!」「ありがと、妃沙ちゃん!」程度のものである。
だが周囲から見れば、麗しく芳しい光景に見えてしまうのは仕方がないと言えるだろう。
「よし、んじゃ早速、殺陣体験に行こうぜっ! この姿でならただの体験も違った意味を持ち合わせてしまうかもな」
クク、と楽しそうに笑いながら、この班の班長である葵が二人に声を掛ける。
妃沙はともかく、果たして充がこの格好で存分に殺陣体験が出来るかどうかは謎だが、妃沙が予約し、全員が楽しみにしているイベントである。
彼らは心から楽しそうな笑顔を浮かべ、その似合いすぎる衣装のまま、園内を移動して行った。
……道中、やたらと注目を集め、写真を撮られ、SNSにアップされ、その正体がバレそうになるのを知玲が必死で阻止する事になったという事実は、彼らには知る由もない。
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「ようこそ、『七鬼神村』の殺陣体験へ! 皆様には武器を持って敵を斬り倒す役目を担って頂きます。使用する武器はこちらから支給しますのでそれをご使用下さいね。
それぞれの武器の扱い方についてはエキスパートが皆様一人一人に付いてご説明しますからご安心下さい」
やや興奮したような表情でそんな言葉を告げる案内人。
この殺陣体験は少人数制であり、平日のこんな時間に予約をしてまでやって来る客は稀なのだ。だから、久々の仕事に興奮している側面もあるのだけれど、
やって来るのは中学生だという事は事前に知っていたのだが、実際に目にした彼らはしっかりと衣装を身につけ、しかも一人はバッチリとメイクまで施している。
正直、花魁の衣装で殺陣とかナメてんのか、と思いはするものの、代表者であるくノ一の少女──またこれが憎たらしい程に愛らしい彼女が、
「花魁の彼は七鬼神の『環』を模しておりますの! ですから武器は鞭でお願いしますわっ!」
と、受付の人間に告げたものだから、場内はもはや大興奮である。
『環』と言えば栗花落 那奈と言っても過言ではない程にこの世界では有名であったし、やって来た花魁装束の人物は当時の彼女に瓜二つであったのだ。
聞けば、中身は少年ではあるものの、彼は栗花落 那奈の息子だという。
男子だというのに醸し出すその色気はなるほど、母親から受け継いだものなのかと、妙な説得力がある仕上がりの花魁が、その一団には紛れていたのである。
そういうことなら、と、充には鞭が支給され、検討の結果、妃沙は小太刀二刀流、葵は日本刀、大輔は十手と手甲という武器を選ぶこととなった。
設定は、葵という身分を隠して下町を跋扈する若殿と、その護衛のくノ一、大人気の花魁と街を駆け廻る岡っ引きが、偶然にも悪の組織を追い詰めている、というものらしい。
ドラマであればその過程こそが重要であり、集まった面々も意味の解らないものとなっているのだけれど、この場ではただ殺陣を体験するのが目的なのだから経緯などどうでも良いようだ。
そして、妃沙達と相対するのは『斬られること』を仕事にしているプロ集団であり、支給された武器も決して危険なものではないから思う存分動いてくれて良い、という話を聞き、妃沙達一行は満面の笑みで手にした武器をギュッ、と握りしめた。
「……それでは、いきなり本番いきまーす! スリー、ツー、ワン……」
カン、とカチンコの良い音が鳴り響き、妃沙達と対峙したスタッフ──その数、約十名。
主人公側の人数が多い分、本物の殺陣としてはやや迫力に欠けるが、そこは映画の撮影とは違い、一度斬られたスタッフも何度でも蘇り参加者に襲いかかるらしい。
それじゃまるで殺陣ってよりはバイ○ハザードじゃねぇか、と、妃沙は内心思ったりもしたけれど、平日の午前中、人出もまばらな園内でここまでスタッフを用意してくれただけでもありがてぇか、と思い直した。
だって彼女の目的は「武器を使って敵を倒す爽快感を得ること」なのだから、相手が誰かだなんて関係ないのだ。
「若っ! この場はわたくしにお任せをっ!」
妃沙の良く通る声を皮切りに、葵、大輔、充がそれぞれの武器を構え、敵に飛び込んで行く。
両手に武器を構えた妃沙もまた敵の中心に飛び込み、相手の鳩尾や急所に武器が当る度にフニャ、という感触を手に残してくれる武器には驚きつつも、
「うがぁぁぁぁーーーー!!」
「ぐへぇっ!」
と、悲鳴を上げながら倒れてくれるスタッフの演技力に舌を巻いていた。
もっとも彼らは、すぐさま生き返り再び妃沙に襲いかかってくるので、気分はやはりゾンビを倒すゲームの主人公のそれではあったのだけれど。
「ウフフ、痛い目に遭いたくなくばわたくしの食指の伸びる先にはしゃしゃり出て来ないことですわっ!」
少し離れた場所から充の声がする。映画の中で放つ『環』の決め台詞である。どうやら彼には武器と共に台詞まで押し付けられてしまったらしい。
ふと視線を送ると、充もまんざらではない様子で、楽しそうに妖艶な微笑みを浮かべて鞭を振るっていた。流石の役者っぷりだと、妃沙ですらその姿に暫く見入ってしまった程だ。
そして、その周囲では葵も大輔も、映画さながらの大活躍でゾンビ──もとい、何度倒しても起き上がって来るスタッフを楽しそうに切り倒し、殴り倒している。
その表情は本当に楽しそうで、妃沙の心を酷く刺激した。
「子どもだからってナメんじゃないわっ! これでもアタシは七鬼神が一人──憤怒の雪、だよっ!」
思わず叫んだ妃沙の言葉が、そんな風に乱れてしまったのは、例の女神様の悪ふざけによるものか、妃沙の演技力によるものか、テンションの上がり切った妃沙には判別のしようがない。
ただその時、妃沙は小説や映画で見て知っていた登場人物になりきり、武器を振るい、敵をなぎ払いまくっている。
……正直に言おう、妃沙はとても楽しかったのだ。楽し過ぎてやや理性を無くしてしまい、元々の優れた運動能力をより一際華麗に披露してしまったのである。
四人対十人、そして中学生対大人──しかも相手はプロ、という妃沙達にとって不利な闘いであるのにも関わらず、そんな闘いを繰り広げてからものの五分で、大人たちは這う這うの態であった。
「これ以上はマジ、勘弁して下さい……!」
悪代官に扮していたスタッフが本気顔で懇願した所で、非常識な中学生達がハッと我に返る。
どうやら楽し過ぎて、相手に無理を強いてしまったようだということに気付いたのであった。
だが、そんな彼らに何処かから盛大な拍手が送られる。
「ブラヴォーー!! ねぇ、君達、少しだけ映画の撮影に協力してくれない?」
そんな事を言いながら、ハンチング帽を被り、髭を蓄えた恰幅の良い男性が、彼らの元に近付いて来たのである。
◆今日の龍之介さんたち◆
龍「チェストォォーー!!」
葵「チェストォォーー!!」
大「チェストォォーー!!」
充「チェ……ってズルいよ、みんな! ボクだけその台詞がハマらないじゃないか!!」




