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令嬢男子と乙女王子──幼馴染と転生したら性別が逆だった件──  作者: 恋蓮
第二部 【青春の協奏曲(コンチェルト)】
49/129

◆48.妃沙の三分クッキング☆

 

 施設に迷惑を掛けないように、竹垣は元々あったもの以上に完璧に修繕をして──主に男子達が、ではあるけれど──妃沙達がロッジに戻ったのはもう夜もすっかり更けた時間であった。

 日中に山登りをし、風呂ではあれだけ騒ぎ、成長期にある中学生達の腹はもうペコペコだ。

 だが、このロッジでの食事は自分達で用意する事になっている。用意して風呂に行かなかった事を一行は少しだけ悔いていた。


「まぁ、とても良いお肉を用意して下さっているのですわね! 野菜も色々ありますし、調味料も品揃えも完璧ですわ!」


 冷蔵庫をチェックしていた妃沙が嬉しそうな声を上げる。

 今世ではあまり料理をする機会には恵まれていないけれど、それこそ前世では毎食の用意はおろか、夕季の弁当すら用意していたのだ、料理には慣れているし、嫌いではない。

 特にこの場には男子中学生と、料理はあまり得意ではないという女子中学生しかいないのだ、自分が音頭を取るしかないと、夕食の準備隊長に名乗りを上げていた。

 冷蔵庫にあったのは高級そうな牛肉のほか、野菜の数々、豊富な調味料といった所である。食べ盛りの中学生五名を以てしても食べきれなそうな程の量だ。

 こういう場ではきっとカレーが定番なのだろうという配慮なのかカレールーも用意されているし、料理が苦手な集団が訪れても大丈夫なように、ただのバーベキューにも対応出来るような準備がなされている。

 鳳上(ほうじょう)学園の御用達の施設というこのロッジの管理人は、相当に気配りの出来る人物のようである。


「妃沙ちゃぁぁーーん!! お腹空いたぁぁーー!!」


 餌を待つ雛鳥の如く対面型のシステムキッチンに縋り付き、切なげな表情でこちらを見やる残念な三年生、藤咲(ふじさき) (かい)と真乃 銀平。

 妃沙としてはそんな彼らの反応は可愛い弟分くらいにしか思っていなかったので「ちょっとお待ち下さいね」と優しく微笑んでいるのだけれど、先輩達のあまりにあまりな態度に、二年生の玖波(くば) (ひじり)は遂に痺れを切らしたようである。


「だったら黙って見てないで少しは手伝ったらどうですか!? 後輩の女子一人に何もかもやらせて恥ずかしくないんですか、アンタ達は!?」


 いえ、あの大丈夫ですから、という妃沙の言葉を無視して、聖の弾劾は続く。

 そしてそれはどうやら凛には向かっていないので、彼女は呑気な表情で妃沙の隣に立ち「長引きそうだから出来る事から始めよっか」と妃沙を促して夕食の準備を始めようとしていた。

 どうやらブチ切れる聖、というのは初めてではないようである。


「何なんですか、一体!? 突然鼻血を吹いて倒れるわ、公共施設を破壊しかかって他人に迷惑を掛けるわ、挙句の果てに何もしないで飯を待つだけですか!? 

 アンタら来年は高校生でしょうよ! テニスが上手ければ何でも許されるとでも!? それに真乃先輩、アンタは選手ですらないでしょうが!!

 何なんだよ、本当に……何だってんだよ!? 自分が恥ずかしくねぇのかよ!?」


 興奮のあまり口調すら乱れてしまっている様子である。

 こんな風に感情を爆発させる聖、というのは初めて見るので、妃沙も少し戸惑ってしまっているのだけれど、隣に立つ凛が「大丈夫だから、気にしないで」と言い、妃沙に料理の指示を尋ねて来るので、妃沙としても彼らに注目してばかりいる訳にもいかず、その意識を料理の方に集中させる事にする。

 聖の突然の変化に、やるじゃねェかと、初めてのおつかいを成功させた弟を誇るような気持ちになりながら。


「だいたい、アンタ達は我が儘が過ぎるんですよ! 良いですか、己の感情に身を任せて周囲に迷惑を掛けるな! そんな事が許されるのは小学校低学年までですよ!

 どれだけ甘やかされて育てられて来たのかは興味もないし知りませんけど、そろそろ『自重』って言葉を覚えて貰えませんか!? そんなんじゃろくな大人になれませんよ!?」


 手を動かしながら聖が叫ぶ言葉を聞いている妃沙。

 彼女としても耳の痛い部分があるのだけれど……なんだか少し、言い過ぎなんじゃないかという様相である。

 弾劾されている二人の先輩はもう涙目で、許してあげて、と言いたいくらいだ。

 だが、聖が言っている言葉は決して間違ってはいないのでこれもまた人生経験、と、妃沙は聞き流す事にしたのだけれど、隣にいる凛には聞き逃す事が出来ない程にヒートアップしてしまっているようであった。


「……野菜、切れたから。ちょっとごめんね、妃沙ちゃん。ああなった聖を止めるのも……私の役目なんだよねぇ……」


 まったくしょうがないなぁ、と呟きながら、凛がパンパン、と手を叩いて彼らの中に入って行く。

 正直、手伝いの申し出は有り難かったけれど、ろくに料理の出来ない凛ではまるで手伝いになっていなかったので、ここぞとばかりに妃沙は料理のスピードを速めた……もちろん、彼らの話は聞きながら。



「ハイハイ、聖。君の言いたい事はすごーーく良く解るよ。私も海や銀平に言いたいことばっか! でも聖、君にも少し自重が必要なんじゃないかな?

 ヤツらが先輩だから、とかそういう理由じゃなくてさ、こんな話をしている間に妃沙ちゃんは凄い勢いでご飯の準備を進めてくれているし、ヤツらが手伝おうにも何も出来ない状態にしてしまっているのは君だよ?

 君の主張は良く解ったし、ヤツらには私からも後でキツ~~く言っておくから……今は、皆で楽しくご飯の準備をしようよ。妃沙ちゃん一人にやらせてちゃ先輩の名折れなのは、君も同じでしょ?」



 凛のもっともな言葉に、ウッと息を飲み、すみませんでした、と頭を下げる聖。

 どうやら彼は常識を持ち合わせ、素直の反省することの出来る素直な一面もあるらしい……現状、それを引き出せるのが凛だけだとしても。


「ほら、海も銀平も、突っ立ってないで手伝って! 正直、料理に関しては妃沙ちゃんに任せた方が良いみたい、私も役に立ってないしね。けど、テーブルセッティングとか出来る事はあるでしょ!?」


 放心している同級生たちの尻を叩き、キビキビと指示を与える凛。

 そんな彼女をよそに、聖が何処から取り出したのか、エプロンを装着して妃沙の隣に立った。


「僕は料理を手伝うよ。こう見えても、結構、料理好きなんだよね。得意料理はビーフストロガノフ」


 なかなかでしょ、とニヤリと笑って妃沙の隣に立つ聖の手つきは『料理好き』を公言するだけあり、なかなかのものである。

 この時、妃沙は既に野菜を適当に切って葉っぱを適当に千切っただけのサラダと牛蒡と人参をササッと細切りにしてパパッと炒めただけのなんちゃってきんぴらを作り上げており、その給仕は凛に頼むつもりで対面カウンターに並べ終えていた所だ。

 転生してもなお、妃沙の料理は『男の料理』の様相だが、その手際は決して主婦のそれと比べても遜色がなかった。大胆な手順は、さすがは元ヤンといったところか。

 一方、聖も何か一品作るつもりのようで、巧みに冷蔵庫から海産物や野菜、調味料を取り出しながら手を動かしている。

 妃沙と違い、繊細な仕事をする聖には拘りがあるようで、少し時間がかかりそうなので、申し訳ないけれどメインは自分が手掛けようと妃沙が牛肉を手に取った。


「玖波先輩、お料理楽しみにしておりますわね! わたくし、手が空きましたのでメインに手を付けてもよろしいですか?」

「……ああ、うん、頼むね、水無瀬。ところで、こんなに良い肉が用意されてるのにやっぱりカレーを作るつもり?」

「いえ、煮込む時間もありませんし、牛丼にしようと思うのですがいかがでしょう?」

「それは良いね」


 シェフ二人はそんな風に意気投合している。

 一方で、料理に関しては全く役に立たない事を自覚したのか、凛は男子二人を使ってキビキビと会場セッティングを続けていた。


「海、クロス歪んでる! 銀平、ここに埃が溜まってるよ!」


 つい、と窓の桟に指を走らせ、意地悪な姑よろしく銀平に指示を出す様は、往年の大女優の迫力すら見て取れそうな程である。

 もっともそれは、料理、というフィールドにおいて自分が全く役に立たない事に対する凛の盛大な照れ隠しなのであるが……使われる立場となってしまった海と銀平にはドンマイ、としかいえない。


「ほら、銀平、サボるな!」


 だから多少、その指示には棘があり……それは主に銀平に集中する事になったのは、彼が『補欠』であるからだ、ということにしておこう。



 ───◇──◆──◆──◇───



「いただきまーーす!!」



 中学生達の元気な声が食卓に響き渡る。

 その様子を、妃沙は満足気に眺めながら、自らも料理を咀嚼していた。


「……あらまぁ……!」


 聖が作ったエビアボガドのブルスケッタを口にし、思わず声が漏れる。

 丁寧に海老の背ワタを取り除き、マヨネーズすら手作りしたそれはとても繊細で深い旨味を引き出しており、とても妃沙好みの味であった。


「美味しい、美味しいですわ、玖波先輩!」


 手放しで褒められ、聖も悪い気はしない様子だ。

 彼もまた料理を上品に咀嚼しながら、無表情で「ありがと」と呟くその顔には朱が乗っている。

 一方の腹ペコちゃんたち──早い話が他三名──は美味い美味いと言いながら夢中で料理を頬張っていた。凛ですら男子並み勢いで平らげている。

 そもそも小柄な妃沙は一般的な中学生より少し小食であったので、彼らの勢いに押されてしまっていた。


「水無瀬、ちゃんと食べなよ? 身体を作ることも選手の大切な仕事なんだから」


 ほら、と、妃沙の好みらしいと解ったブルスケッタをその取り皿に取ってやる聖。


「ありがとうございます、玖波先輩! けれど、これをあまり食べ過ぎるとメインの牛丼がお腹に入らなくなりそうで……」


 妃沙が言い淀んでいると、わかったよ、と言いながら、他のメンバーに比べれば小盛りの妃沙の丼を手に取り、自分の丼に少しだけ移し替えている。


「これくらいなら食べられるでしょ? っていうか最低でもこのくらいは食べなきゃ駄目。ブルスケッタだけじゃタンパク質が足りないからね」


 むぅ、と片頬を膨らませた妃沙の頬を、ツン、と突くと……大変珍しく、聖が満開の笑顔を妃沙に向ける。


「美味しいよ、水無瀬の牛丼。ちゃんと素材の味を活かしつつ、ご飯にも合うような味付けになってる。サラダのドレッシングとキンピラの味付けも完璧。

 自分で作ったものなら、その舌でちゃんと確認しないと駄目でしょ? テニスも料理も、君は少し自己評価が低すぎるよ。もっと自信を持って」


 普通の女子であれば、聖の満開の笑顔を見せつけられた時点で陥落、それに耐え切ってもこの思いやるようなこの言葉を投げかけられてしまえば惚れてまうやろ、である。

 だがしかし、ご存知の通り妃沙は『普通の女子』ではなかったし、聖もまた妃沙を陥落させようと放った言葉でないので、この場合はその言葉は良い方向に作用した。

 ……もっとも、周囲の中学生達は食事の手すら止めてその甘い雰囲気の二人に注目しているのだけれど、妃沙達にそのつもりはないので全く関係のない話である。


「お気遣い頂き有り難うございます、玖波先輩。あまり量は食べられないのですけれど……提供したものを自分が食べないなんて失礼なこと出来ませんわよね」


 食べられないなら引き受けるぜ、なんて呟いている海の頭は、凛がペシッと引っぱたいている。

 そして、いつもとは違う聖の様子に、あーあ、と、自分の残念っぷりは棚に上げて銀平は呆れたように溜め息を吐いていた。

 彼だって聖の想いには気付いているのだけれど、その恋が決して実らない事は周知の事実であるし、誰にも心を開かない聖が少し……本当に少しではあるが、妃沙に向いている事に気付き、ここにはいない彼の親友──知玲に向かって心の中で合掌した。どうやらまた妃沙ちゃん(人タラシ)は面倒臭いのを一人、陥としてしまったようだぞ、と。

 だがそれは、聖本人ですら気付いていないほどに小さなものであった。


「あら、本当になかなか良い出来に仕上がってましたのね」

「……そう言えば君、味見とか全くしてなかったよね。分量も計ってなかったし……。一体どうやって味つけしてたの」

「勘ですわ! ですからたまに失敗してしまうのですけれど……今日は上手くいって良かったですわ!」

「……君さぁ、人様に食べさせるものを実験台にするの止めてくれる?」


 クールな聖がこんな風に積極的に誰かと関わろうとするのは珍しいなと、と、凛も美味しく食事を頂きながら、そっけないながらも楽しそうな表情を浮かべている聖を見つめていた。

 もっとも、凛が感じていたのは恋だの愛だのという感情ではなく、子猫たちがじゃれているのを愛でるといったようなほっこりしたものだ。

 そしてそんな凛の横では、相変わらず夕飯に一心不乱な男子テニス部部長・藤咲 海。

 ……今、この瞬間に誰が一番残念な存在であるかは、聞くまでもなく決定したようである。



 ───◇──◆──◆──◇───



 深夜。妃沙はふと、目が覚めた。

 それはとても珍しい事である。前世では良くあることだったけれど、この世界に転生してからは一度寝たら朝まで目が覚めないのが日常であった。

 ただ……誰かが何処かで話相手を求めているような気がして。

 その漠然とした感じは直ぐに消えてしまったので、なんだか目が覚めてしまった妃沙は水でも飲むか、とリビングに向かう。

 すると、バルコニーに面した窓が空いており、カーテンがひらひらと揺れている。そしてその奥には月明かりの下で誰かが佇んでいるようだ。


「……どなたかいらっしゃいますの?」


 仲間のうちの誰かだろうと検討を付け、炭酸水の瓶を二本手に持って声を掛けると、そこには淡い水色の髪の毛を月明かりに反射させ、手摺りに肘をついて頬杖を付いた聖が立っていた。


「……水無瀬? どうしたの?」


 妃沙を見て一瞬驚いた表情を見せた聖だが、次の瞬間にはフ、と切なげに微笑んだ。

 こと自分の恋愛にはとことん鈍チンの妃沙だが、聖の抱える想いにはほんのりと気付いているので、今日一日、海と凛の仲の良い所を見せつけられてしまっている聖に対し上手い言葉が出て来ない。

 人付き合いに関しては未だ勉強中なのだ。


「喉が……そう、喉が渇いて目が覚めたのですわ! そしたらどなたかいらっしゃったから、お話でもしようかと……」


 照れ隠しにハイ、と、手にした炭酸水を聖に渡すと、「ありがと」と呟いた聖がクスッと笑って受け取ってくれる。

 そしてその場は無言になってしまったけれど……何故だか居心地の悪さは感じる事もなく、妃沙はそっと、聖の隣に立った。


「君らしくないじゃない、水無瀬。何? こんな深夜に男と二人で話なんかしたら婚約者様に怒られる?」


 いつになくしおらしい妃沙に聖が悪戯っぽい視線を送る。

 その表情はとてもただの中学生というには色っぽすぎて、月明かりを浴びて輝くようですらある。

 ここにいるのがただの中学生なら腰を抜かしそうな勢いであったが……もちろん妃沙は『ただの中学生』ではなかった。


「いえ、別にそんなことはありませんわ。玖波先輩の事は、知玲様も良い選手で先輩だと認めて下さってますしね」

「……へぇ……。東條先輩に認めて貰えてるんだ。光栄だな」


 呟くようにそう言い、手にした炭酸水のキャップをキュッと捻れば、プシュ、と威勢の良い音が響き渡る。

 そしてそのままそれを口に含む聖にならって、妃沙もコク、とそれを口に含めば、シュワッと弾ける炭酸が心地よく口内を刺激する。

 けれども、あっという間に消えてしまうその儚さに何処か切なさも感じて、妃沙は黙って聖の隣で空を見上げていた。

 高所だからだろうか、星がとても綺麗に見えるような気がする。


「……フフ。君にまで気を遣わせてしまうなんて、先輩失格だな。でも……そうだな、ここに来てくれたのが君で良かった。今はちょっと……他のメンツはキツいかも」


 妃沙と同じように空を見上げながら、聖が言う。

 彼だって寝付きは良いし、寝入ったら朝まで起きないタイプではあるのだけれど、今日は何故だかとても眠りが浅かったのだ。

 考えてみれば当たり前だよな、凛先輩と一つ屋根の下にいるんだから、と、聖はフ、と苦笑を落とす。

 そして、鈍感なようで人の心の機微には敏感なこの後輩は、あんなに美味しい料理を提供したり、誰に対しても変わらぬ態度で接してくれるから、自分もつい構ってしまうなという自覚はある。

 テニスの才能は群を抜いているから、それを育ててやりたいという気持ちも確かにあるのだけれど、それとはまた違った気持ちを抱かせてくれるのだ。

 聖にとって、目立って仕方のない妃沙の外見はまったくその評価には全く関係がなかった。

 聖もまた、その美形っぷりばかりに目を取られ、秋波を送られる事には辟易していたのだ。

 そして彼も葵と同様に、望んでいないにも関わらず女子にモテてしまう為に男子からは距離を置かれ、そして彼は葵と違い、そんな面倒臭い男子とも女子とも距離を置いて生きて来た。

 唯一の趣味がテニスであった聖を見出し、現実世界に繋ぎ止めてくれていたのが……紫之宮 凛、その人なのだ。

 そんな対象に恋心を抱くな、という方が無理である。

 けれど……凛の心が誰に向いているかは、男女問わずテニス部全員が知っていることだ。

 本人達が自覚しているかどうかは解らないけれど、少なくとも藤咲は真っ直ぐに凛を見ている。

 そしてその藤咲は、今まで聖ですら勝った事がない程のテニスの天才だ。きっと彼はこれから更なる高みに昇って行くだろうし、凛もきっと、そんな彼を支えていくのだろう……当たり前のように。


「……ね、水無瀬。君の目から見ても、藤咲先輩と凛先輩ってお似合いだよね?」


 解っている。解っているのだ、だから……他人の口からその言葉を言って欲しかった。

 だが、問い掛けた相手から得られたのは、欲しい言葉ではなかった。


「いいえ! 凛先輩に相応しい殿方などおりませんわ! 何故ならあの方はそこらの男性よりもずっと男前なのですもの!!」


 予想もしなかったその言葉に、聖はプッと噴いてしまう。


「……ああ、そうだね。凛先輩は格好良いよね。こんな僕のことも良く見ていてくれるしさ……今日だって凛先輩が止めてくれなかったら、もっと暴走していたかもしれない。

 あの人はさ……たぶん、自分の気持ちにも、僕の気持ちにも何となく気付いていて、それでいて変わらぬ態度を示してくれるんだ。そんな凛先輩に僕も甘えていたけど……」


 そろそろ卒業しなくちゃな、と呟く聖の横顔は、中学生の男子に対して使うには不適切であるとは思いながらも……確かに綺麗だったのだ。

 自分の心と真っ直ぐに向き合い、真実を見据え、それでいて希望に満ちたその表情には神々しさすら感じてしまうほどである。



「水無瀬、僕はこの大会が終わったら凛先輩に告白しようと思ってる。結果は火を見るより明らかだし、凛先輩には迷惑でしかないだろうけど……。

 でも、凛先輩が前に進むには、僕をちゃんと振らないと駄目だと思う」



 紫之宮 凛は優しい人だ。聖の心が自分に向かっているのを感じていながらも、自分の気持ちも殺す事が出来ず、応える事が出来ない気持ちをそっと優しく包み隠し、聖と接している。

 時にそれはとても残酷ではあるけれど、聖もまたその優しさに救われたこともたくさんあるのだろう。

 そして、その凛同様に優しいこの先輩──玖波 聖は、その柵から凛を解放してやろうとしている。

 それはなんて強い気持ちだろうと、妃沙は深く感動していた。

 自分が傷付く事も厭わず相手に向かう勇気、そして自分をステップにして相手に幸せになって貰おうという気概。

 恋とはこんなに人を強くするのかと、妃沙は息を飲んだ。


「……その時はさ、水無瀬。君が傷心の僕を慰めてよ。今日の料理、本当に美味しかった。けどね、僕の一番の好物は……実は卵焼き、なんだよね。

 ちょっとしょっぱめの出汁巻き卵が一番好きなんだ。だから……その日だけは東條先輩の為じゃなくて、僕の為に卵焼きを作ってよ、水無瀬」


 承知致しましたわ、と呟いて、妃沙が聖の手をキュッ握る。

 年下の、こんな小柄な女の子に頼ってしまうなんて情けないなと思いながらも、聖は心がとても温かくなるのを感じていた。

 これから失うであろう恋心。今はそれを、大切に抱いていよう。そして失ったその時は……きっと彼女が作ってくれるだろう絶品の卵焼きに癒して貰おう、なんて思いながら。



 悲壮な決意をしているであろう聖のその表情はとても清々しくて、妃沙ですら、少し──「ほんのちょっとだけな!」──見惚れてしまう程に格好良かった。

 中学生にとっての『恋』とは、こんな風に強さと切なさを教えてくれ……何より人を成長させてくれるものなんだな、という実感を抱いた妃沙だけれど。



 中等部にいる間はそれには目を向けないという誓いは絶対だと、決意を新たにした夜でもあった。


◆今日の龍之介さん◆


龍「ブルスケッタのレシピ、教えてくれよ!」

聖「うん、良いよ。その替わり、卵焼きを美味しく焼くコツを教えてくれる?」

龍「いいぜ! まず、割った卵にテキトーに調味料を入れてグルグルしてジュー、だな!」

聖「……ごめん、全然わかんない」



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