◆43.もう少しだけ。
妃沙達にとっては一悶着あったが、それでも何とか乗り切ったし、素晴らしく煌びやかで素敵なものであったパレードを堪能した後、二人はそろそろ最後のアトランションに乗って帰ろうか、という事になった。
「そう言えば、最後の乗り物は妃沙が決めて良いよって言ったよね。何に乗る?」
その問いに、妃沙は思わず、うっ、と声を詰まらせる。
本当は、最後に乗りたいな、と思っていたアトラクションは決まっていたのだけれど、密室状態になってしまうアレは今の自分にはちょっとキツいかなと思ったのだ。
「え、ええと……そうですわね、何だか今のパレードで満足してしまいましたわ。アトラクションはもう良いですからお土産を……」
だが、珍しくハッキリしない妃沙の態度は、もう長く彼女を観察している知玲には何か隠しているのが丸解りであった。
そして、そんな態度を可愛いな、と心から思う。
龍之介に対してすら、可愛いなと思う事があった知玲だ、外見までも可愛くなってしまった妃沙のそんな態度を可愛く思わない筈がない。
「妃沙がその権利を行使しないなら僕に譲ってよ。まだ乗りたいものがあるんだ」
そう言いながら、妃沙の手を引っ張る知玲。
進むその方向には妃沙が当初考えていたアレが聳え立っている。
「ち、知玲様……! 美陽様のお土産もしっかり選ばなければなりませんし、あまり遅くなっても……!」
「美陽は今度、何処かに連れて行く約束で手を打ったし、お土産も買ったよ。それに、もう一つアトラクションをこなした後だって買い物するくらいの時間は充分にある。
せっかく妃沙が作った時間だよ? 有効活用しなきゃもったいないでしょ?」
そう言いながら、ぐんぐんと妃沙を引っ張る知玲。
妃沙が知玲の意思を阻害することなど出来ないのだ、それこそ、前世から。
だから今も、妃沙は知玲に引っ張られてそのアトラクションに向かっている。
元々は妃沙も乗りたいと思っていたソレ……『観覧車』に。
「キャビンの全部がシースルーなんだってね。このパークに来たらこれに乗らなきゃ意味がないって言われてるくらいなんだよ? 妃沙だって気にしてたじゃない」
そうして早々に列に並んでしまうと、知玲は楽しそうに笑いながらそんな事を言った。
「わ、わたくし、高い所は苦手で……」
「何言ってるの。ナントカと煙は高い所が好きだって昔から言うじゃない。それに、高い所が苦手な子が頻繁に木に登ったりするかな?」
「誰が馬鹿ですか、誰が!?」
聞き捨てならない言葉に、妃沙がつい反応してしまう。
けれども「なら大丈夫でしょ?」と悪戯っぽく笑う知玲の表情に……やられた、と思わず舌打ちをしてしまう妃沙であった。
「……良いですわっ! お付き合いして差し上げますわよ。わたくし、本当は違うものに乗りたいと思ってましたのに……」
良いぜ、付き合ってやらぁと半ばヤケになって言う妃沙を見ながら、ホントに変わらないな、と笑いをかみ殺す知玲。
知玲には、妃沙が最後に乗ろうとする乗り物はコレだろうという予想もあったし、彼自身も絶対に妃沙と一緒に乗りたいと思っていたのだから、妃沙が何を言おうと譲るつもりはなかった。
「怖かったら僕にしがみついていて良いんだよ?」
「怖くなんかありませんわっ! 知玲様こそ、やめるなら今のうちですわよ!?」
そんなワケないでしょ、と、知玲が人目も憚らず声を上げて笑うのを、妃沙はまったくもう……と溜め息を吐きながら眺めていた。
多分、彼は自分が最後に選んだ乗り物もお見通しだったし、何故自分が躊躇っていたのかもお見通しだったに違いない。
それでも尚、自分をここに連れて来たのは……おそらく。
(──乗りたかったんだろ、夕季。デートの最後は観覧車で締めるのなんて乙女っぽいこと、前世から言ってたもんな)
生憎、前世では自分は不良男子で夕季は部活に燃える女子であったし、恋人を作っているヒマも余裕もなかったのだ。
けれど、自分はともかく夕季は部活に燃える以外はごく普通の女子であったので、度々そんな憧れを龍之介に語っていたものだ。
もっとも、夕季の意図としては「だからいつか一緒に行こう」というものだったのだけれど、龍之介の容姿では遊園地に出向く事は難しい事だったから、その憧れは叶えてやる事が出来ずにいた。
「……前世からの憧れ、存分に堪能して下さいな。相手がわたくしなのは、この際我慢して下さいましね?」
今の状況こそまさに憧れの再現なんだけど、という『夕季』の言葉は、『知玲』の口からは出て来なかった。
恥ずかしがって頬を染める妃沙のその表情が、あまりに可愛すぎて何も言えなかったし……ああ、まだやはり、妃沙に自分の気持ちは届いていないのだな、と実感してしまったから。
「キミこそ……相手が僕なのは我慢してよね」
切ない表情でそんな事を言う知玲に、妃沙はぷくっと頬を膨らませてデコピンをかましてやった。
「何を言うのです! 良いから未来の恋人をエスコートする時に落ち度がないよう、わたくしで練習なさいませっ!」
その妃沙の言葉に、知玲は「そうだね」と、何処か寂しそうに微笑んで呟いたきり、順番が来るまで、黙り込んでしまったのである。
ギュッと握られた手は少し痛いほどだったけれど……妃沙はその時の悲痛な表情の知玲に、何も言う事が出来なかった。
───◇──◆──◆──◇───
「これだけ透明だと、さすがに少しビクビクしますわね……」
まるで空中に浮かんでいるような感覚すら呼び起こすそのキャビンの、これまた透明な椅子におっかなびっくり座りながら妃沙は言う。
だが、対面に座った知玲はまだ、何処か寂しそうな、切ない表情で黙り込んだままだ。
「……知玲様? 何処か具合でもお悪いのですか?」
さすがにあまりに様子がおかしいので、心配になって声を掛けても、困ったように微笑んで「いや」とだけ呟いたまま真っ暗になった外の風景を見つめているだけだ。
(──なんだよ、知玲のヤツ。こんな密室で黙り込まれたら息苦しくて仕方ねぇだろ!? 言いたい事があんなら全部言っちまえって、前世から言ってんだろーが!)
元々、気の長い方ではないのだ、たかが十数分とは言え、なんとも言えない雰囲気のまま無駄に時間を過ごすなんて冗談ではない。
しかもこれは楽しかった今日の最後のアトラクションなのだ、こんな空気で締めるなんてあり得ねェと、妃沙は憤慨し立ち上がると、やや乱暴に知玲の隣に腰掛ける。
「……妃沙?」
「何をお考えかは存じませんけれど、そんな表情しないで下さいませんか、知玲様。折角楽しかったのに……不安になるではありませんか、知玲様は楽しくなかったのかな、と」
言いながら、ちょっと泣きそうになってしまう。
だって自分は本当に楽しくて……まぁ、色々あったし色々考えもしたけれど、それすら有意義なものだと思っていて。
また来られたら良いな、なんて思っていたのだ。
それなのに、知玲ときたら沈んだままでろくに自分の方を見ようとすらしてくれない。
もしかしたら、楽しくてはしゃぎ過ぎて、何か知玲の気に障るようなことをしてしまったのかもしれないけれど……それだって、言ってくれなきゃ解らねぇじゃんか、と、妃沙は頬を膨らませて知玲を見上げていた。
だが知玲は、相変わらず憂いを含んだ表情で自分を見つめているだけだ。
「知玲様、わたくしが何かしてしまったのなら仰って頂けませんか? 自慢ではありませんけれど、わたくし、そういう所は少々鈍いと申しますか……言って頂かないと解らない事が多いのです。
今日は本当に楽しくて、夢のようで……だから知玲様にも同じ気持ちになって頂きたいなと、思うし……」
あ、ヤバい、と妃沙は思った。このままでは本当に泣いてしまう。
泣いた事がない訳ではない。特に今世では、気持ちが昂ぶると涙が勝手に浮かんで来る事があって……でも今、こんな密室で、二人きりで、一番泣き顔を見せたくない相手に涙を見せるワケにはいかないと──妃沙は咄嗟に知玲を抱き締めた。そうすれば、泣き顔をまじまじと見つめられることはないと思ったから。
「妃沙」
自分の腕に閉じ込められながら、驚いた声で知玲が妃沙を呼ぶ。
自分の腕の中にいるので表情は解らなかったけれど、その声は切なくて……けれど何処か、安心したような声色だった。
トク、トク、と脈打つ知玲の心臓の音は心地良くて、その温もりは確かに生きている事を実感させてくれる。
「何かに悩んでいるなら仰って下さいまし。せっかく近くに……死んでも尚、こんなに近くにいられて、その声が聴けて……幸せだと、申し上げていますでしょう?
容姿や立場、性別すらわたくしには関係ありませんわ。貴方がただ……いてくれて。今度こそ、その笑顔を守りたいって……なのに」
言いながら、ますます涙が浮かんで来るのを実感する。
あークソ、自分はこんなに涙もろい人間じゃなかった筈なのに、と、自分の情けなさを呪う妃沙。
「……ゴメン、妃沙」
妃沙の腕の中からくぐもった知玲の声が聞こえる。
トントン、と軽く腕を叩かれ、力を緩めると、身を起こした知玲が、相変わらず切なそうに、瞳には涙すら浮かべながら妃沙を見つめている。
涙を見られまいとゴシッと拭い、グスッと鼻を鳴らしてその瞳を真正面から見返す妃沙に、知玲はフッ、と自嘲めいた微笑みを浮かべ、言った。
「……まったく、情けないよねぇ……。今日はさ、僕も本当に楽しかったんだ。楽しくて、幸せで……本当に夢のようでさ。だから……帰りたくないなんて、思っちゃって」
そう言って、知玲はよいしょ、と妃沙の小柄な身体を持ち上げ、自分の脚の間に座らせると、その頭にコツン、と顎を乗せる。
さっきまで自分から彼を抱き締めておいて言えた立場ではないけれど、その体勢は、妃沙にはとても恥ずかしかった。
「ちょっ! 知玲様、お話するならちゃんと顔を見せて下さいまし!」
「……ダメ。多分、僕は前世、今世を含めて一番なっさけない顔してると思うから……妃沙にだけは見せたくない」
このまま聞いて、と耳元で囁かれ……前世からその『お願い』には弱い妃沙だ、泣きそうな声でそんな事を言われてしまえば、否だなんて言える筈もない。
確かに、恥ずかしい。ものすっごい恥ずかしい体勢ではあるけれど……幸い今は密室状態で、誰に見られている訳でもないだろ、と自分に言い聞かせている。
もっとも、このキャビンはシースルーで、二人のその体勢を目撃した前後のキャビンの乗客がぎょっとして目を離せない状態になっているのだけれど、今の彼らには関係ないことだ。
「……魔法が、効き過ぎたみたいだよ、妃沙。僕は……キミが」
言いかけた知玲の言葉を、妃沙はゴンッ! と良い音をさせて後頭部をぶつける事で阻止する事に成功した。
攻撃を受けた知玲は、鼻血こそ出ていないものの「おっふ」と鼻と口を押さえて仰け反っている。
だが、後頭部に知玲の固い前歯がクリーンヒットした妃沙もまた甚大な被害を被っており、後頭部を押さえて蹲る事態となっていた。
せっかく長い時間並んでようやく乗った観覧車の中で何をしているんだ自分達は、と、お互いに自暴自棄に陥っている。
「妃沙、僕は……」
だが、先に復活した知玲が、妃沙の攻撃にもめげずに更に言葉を告げようとすると、そうはさせるかと妃沙の片手が知玲の鼻と口にペチーン! と良い音をさせてヒットする。
甘い雰囲気の漂っていたキャビンの中はもはや、積年の好敵手たるプロレスラー同士の試合会場のような様相を醸し出し始めていた。
「妃沙、僕は……!」
「待って、待って知玲様!!!!」
ググっと妃沙の手を引き剥がそうとする知玲、それに対して力で劣る妃沙は反対側の席に脚を掛け、全体重をその押さえる手に集めている。
必死な形相の妃沙はともかく、ギューっと押し潰されている知玲のイケメン面はとても残念なことになっているのだけれど、幸いな事にそれを見る事が出来たのは妃沙だけであった。
「何で言わせてくれないの!?」
「本当に言いたい事は、準備して、言葉も選んで、最高のシチュエーションで仰るのでしょう!? それにその相手はわたくしではないと仰っていたではありませんか!」
ようやく身体を離し、対峙しながらゼーゼーと肩で息をする妃沙と知玲。
なお、観覧車の中で暴れると危ないので良い子は真似しないで頂きたい。
「……そんなの……前世の事だろう? 君だって言いたい事は全部言っちまえっていつも言ってたじゃないか!」
珍しく怒りの表情で妃沙を見やる知玲。けれど、妃沙はここで知玲の言い分を聞いてやる訳には決していかなかった。
もしかしたら、彼が告げようとしている言葉は自分の想像とは違うかもしれないけれど、それでも大切な告白である事は間違いがないと知玲は態度で告げている。
そんな告白を何の覚悟も返す言葉の準備もなく聞ける程、妃沙は器用な人間ではなかった。
「こんな時ばかり言おうとしないで下さいましっ! それに……わたくしはまだ、聞けない。その覚悟がないのです」
しゅん、と俯いて、呟くようにそう言った言葉は、果たして彼にちゃんと届くだろうか。
前世から、言葉が上手い方では決してないけれど……今世なら少しだけ、彼に対して優位に話が出来るかもしれないな、と妃沙は思う。
男は黙って女の話を聞いてやるもの。そして今世は、『知玲』が黙って『妃沙』の話を聞くポジションにいるのだ。
女を武器にするのは嫌だな、と思ってはいるのだけれど、今だけはそんな事を言っている余裕はない。自分はまだ、彼の告白を受ける覚悟がないのだから。
「待って、下さい、知玲様。わたくしだって何も考えていない訳ではありませんわ。
今日という日が、何故こんなにも楽しかったのか、自分が感じた気持ちが何なのか……まだ自分の中でも整理が出来ておりませんし……。
それに、わたくし、もう暫くは……中等部では、自分が何処までテニスを極められるかを追及しようと思っているのです。だから、待って、下さい」
そうして時間を置けば、知玲の心が何処か他に向いてしまうかもしれない。
その時、自分が今のまま、知玲の一番側にいたのなら、きっと、悲しい想いをする事になるのだろう。
でも……今はまだ、もうしばらく『幼馴染』の二人のままでいたいのだと、妃沙は瞳に力を込めて知玲を見据えた。
「……そうだね。僕も……このパークの『魔法』に影響されて言っただなんて君に思われたくはない。ごめんね、妃沙…、僕もちょっと浮かれてたみたい。
まずは、せっかくのシースルーゴンドラを堪能しようよ。ほら、見て? 今日は満月だよ」
肩を竦めてクスッと笑いながらそんな事を言う知玲は……もう、いつもの彼で。
何か、彼の中で解決したような雰囲気に、妃沙もホッと息を吐く。
そして、ようやく頂点に達しようとするそのゴンドラから見える今日の月は……完璧な円形を以て夜空に君臨しながら、優しく夜空と彼らを照らしている。
そのあまりに優しくて美しい光を浴びて、妃沙が思わず呟いた。
「……知玲様、この世界の月も、とても綺麗ですわね」
妃沙のその呟きに、知玲はポッと頬を染める。
「……妃沙、夏目漱石って知ってる?」
知玲のその問いに、一瞬ギョッとした表情を見せた妃沙だけれど、コホン、と咳払いをした次の瞬間には、わざとらしい笑顔を浮かべていた。
「ナツメソーセキ? 懐石料理のお店か何かですか? わたくし、まだまだ育ちざかりですし、懐石料理より肉! 魚! そして米!! な中学生ですから存じ上げませんわね」
そうして、また口笛でも吹こうとしたのだろうか、ツン、と唇を尖らせてフゥーと音にならない音をその可憐な唇から漏らしている。
そんな妃沙の様子に毒気を抜かれ、知玲は思わずプッ吹き出した。
「……ねぇ、妃沙ってさ、前世より不器用になったよね。口笛も吹けないし、表情を隠す事も下手になったしさ」
「貴方こそ! 前世より性格がねじ曲がっていましてよ! 以前はあんなに真っ直ぐな良い子でしたのに……」
「誰かさんのせいだよね」
「どうしてそうなりますの!?」
狭いキャビンの中でそんな事を言い合う二人の表情にはもう、プロレスラーの必死さも悲壮な表情も浮かんでいなかった。
今はただ、共に過ごせるこの時間を大切にしようと、お互いが自分に誓ったこの瞬間を、二人はきっと一生忘れる事はないだろう。
──この先、どんな未来が待っていようとも、今、この瞬間はきっと……大切な何かを、相手に対して持っていたのだ。
それを思い出すその時、自分がどんな状態であるのかは、彼らには知る術のないことだ。
そして、彼らを照らすお月様さえ……彼らの未来など、きっと知らないに違いがなかった。
◆今日の龍之介さんたち◆
龍「…………!?」
知「えー、龍之介さんは多方面に甚大なダメージを受けていらっしゃるようなので、今回は僕が担当します。
……え、メモ? 次回からあっさり通常営業? ああ、そうですね、それでお願いします」(ニッコリ)
龍「……知玲、なんでお前は平然としてられんの?」
知「幸せだから、かな」(ニッコリ)
(コイツには敵わないかもしれないと、その時龍之介は思ったのであった……)